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同一ゲノムの異形態.jpg

 一卵性双生児の様に同一のゲノムを持つものは、多少育った環境の影響を受けますが、大体似たような形態に育つものです。

 育った環境によって極端な異形態をとる例としてチョウに生みつけられた卵からとハンノキに生みつけられた卵から育った寄生蜂の違いが取り上げられています。

学研ムック「遺伝子の世紀 21世紀”最大の科学”の予感」P174より

田原総一朗のギロン党!週刊朝日2000.7.7.P37
「竹下は死んだが竹下政治は残った。政治家よ、呪縛から目を覚ませ!」
 選挙戦が後半戦に突入した六月十九日、竹下登元首相が亡くなった。毎日新聞は「政界の黒幕の死」と書いた。首相を務めた政治家が”黒幕”と書かれたのは、おそらく前代未聞だろう。ざらに、朝日、毎日、読売などの各紙は社会面で、竹下の批判をするとわかっている人物を集めて、いずれも厳しい批判を並べた。こういうこともあまり例がない。
 竹下が”表”の権力者(首相)だったのは一年七力月、それに対して”裏”の権力者としてば二十年近く君臨してきたので、メディアの批判の格好の標的となったのだろう。
 竹下が首相のとき、盟友の金丸信に「なぜ、あなたは総理を目指さないのか」とわたしは問うたことかある。
 金丸は苦笑いして、「オレだって、好きな連中の面倒は見てやる(カネをやるという意味)。だが、嫌いなヤツ、裏切るに決まっているヤツらにはカネはやらない。それを竹下は、嫌いなヤツ、現に裏切っているヤツにまでカネをやっている。オレにはそれはできんよ」と答えた。
 竹下の面倒の見方は、それこそ徹底していた。竹下がこう言った。「(副官房長官のとき)ぼくは、佐藤(栄作)さんに学んだのだが、野党(社会、民社)の、とくに落選議員の面倒をキッチリ見る。これが大事で、カネを届けに行くと、雨の日でもぼくの車か見えなくなるまで外に立って頭を下げている。野党の議員が海外視察に行くときは、必ず餞別を渡す。後にはみなさん、当然のように取りにみえるようになった」
 竹下は、派閥内だけでなく、他派閥から野党にまでその根回しが行き渡っていた。森喜朗、加籐紘一、山崎拓から、民主党の鳩山由紀夫、自由党の小沢一郎などまで、いずれも竹下が育てた人物であり、公明党はもちろんのこと、共産党までを視野に入れた、幾通りもの政界再編成を竹下は考えていた。日本のどの政党が再編成の中軸になっても、竹下攻治の枠外には出られない。つまり日本の政治が竹下に呪縛されてしまっていた。その点では見事だといえた。
 だが、リグルート事件で竹下政治の重大な欠点が露呈した。かつては、自民党はいわば派閥連合で、派閥によって理念、政策が違い、当然ながら主流派、反主流派、非主流派などがあり、主流派がスキャンダルで火だるまになっても、汚染されていない反主流派、非主流派の領袖が、代わって首相になり、党としてはいっこうに破綻しなかった。ロッキード事件が一例である。
 ところがリクルート事件では、河本派を除く全派閥の領袖や代貸しがカネに汚染され、竹下に代わって首相になるべき人物がいなくなってしまった。とことん面倒を見る”竹下政治”が完成して、オール主流派になってしまったためである。
 その結果、宇野宗佑、海部俊樹という、首相になる気構え、覚悟のできていない人物が、突如首相にさせられ、それ以後、宮沢喜一を除いては、用意も決意もできていない首相が当たり前になった。
 これは政治の退廃である。
 この原稿を書いている六月二十二日段階では、今回選挙の情勢は、野党がだらしなく負けてしまう可能性が高い。となると、竹下呪縛が解けないまま、それをつくった当の竹下が亡くなってしまったわけだ。
 自民党の志ある政治家たちよ、呪縛から目を覚ませ。党内反乱を起こせ。日本のために!

魏志倭人伝における喪中肉禁忌、歴史の中の米と肉、原田信男、平凡社選書147、1993
(p100)
 三世紀に成った『魏志』の倭人伝に、耶馬台国の記述として次のようにある。

 始め死するや停喪十余日、時に当りて肉を食はず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲食す。・・・その行来・渡海、中国に詣るには、恒に一人をして頭を梳(くしけづ)らず、蝨(きしつ)を去らず、衣服垢汚、肉を食はず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名づけて持衰(じさい)と為す。

 この記述は、弥生晩期における倭人の風俗として、服喪中には肉を食べないという禁忌が、すでに存在していたことを物語っている。その理由を〃穢れ〃的なものと考えるか否か、についての間題は残るが、服喪という特殊な事例であるにせよ、一時的にも肉食を忌む伝統が、非常に古くからあったことに注目しておく必要があろう。この耶馬台国におけるような服喪中の肉食の禁忌が、大化の改新期から天武・持統期に見られる農耕期間中の「酒宍の禁断」ヘと、呪術的な要素として受け継がれたものと思われる。

「病気の社会史 文明に探る病因」立川昭二、NHKブックス、1971

P117「産業革命当初、疲れを知らない機械のもとに無制限労働の時代が続き、エンゲルスが本書を書いた当時、イギリスでは表向き労働時間一二時間であり、それが一〇時間にまで短縮されたのは一八四七年のことである。さらに、夜寝る必要のない機械のために、夜間労働という新しい制度が強いられていった。」

 幼年労働、婦人労働の問題が起きる。産業革命は人口の都市集中を巻き起こし、都市設備を追い越し、スラムを形成する。工場が黒煙地帯をつくり、大気汚染を引き起こす。スラムには非衛生な衣食住がある。

P128「もとより貧困につきものの無知・非行・犯罪、それに性的放縦や売春などの道徳的頽廃などが一方に蔓延し、こうした社会的病気と肉体的病気との相互関係も無視できない。さらに正当な医療を受けられない貧民が安直に服用する有害な売薬によって身体を損なっている事実さえあらわれている。そしてとりわけ労働者の健康を悪化させる重要な条件として、飲酒癖がある。一八五〇年、マンチェスターには四〇万の住民にたいし、一六〇〇軒の酒場があったという。」

P129「さらに戦慄すべき平均寿命の数字を伝える。

 「リバプールでは、一八四〇年には上流階級(紳士階級、自由職業者等)の平均寿命は三五才、商人と上層手工業者のそれは二二才、労働者、日雇労働者および僕婢階級一般はわずかに一五才にすぎなかった。」

 この平均寿命一五才という数字は、主として労働者の子女の死亡率の高さに起因している。五才以下の乳児死亡率を比較すると、「上流階級の子供たちは、わずかにその二〇パーセント、田園地方の全階級の平均では全体の三二パーセント弱が死亡しているにすぎない」のに、「マンチェスターでは労働者の子供の五七パーセント以上が五才未満で死亡している」のである。生まれながらの虚弱な体質、劣悪な生活環境、家族の過重な工場労働、これが都市労働者のあいだに生まれた幼い命を容赦なく奪っていき、その結果が平均寿命一五才という恐るべき数字となってあらわれたのである。」

(本文中の引用はエンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」1845からで、訳文は新潮社版「マルクス・エンゲルス選集」第二巻の武田隆夫訳に拠るそうです。)

ヴィーナスの誕生部分.jpg

『病気の社会史 文明に探る病因』立川昭二、NHKブックス152、1971、P131

「いちはやく都市化したルネサンス時代のイタリアでは、結核はありふれた病気であった。ロレンツォ・デ・メディチが賛美したフィレンツェの美女シモネッタ・ヴェスプッチが結核のため、落命したのはわずか一六才であったというが、ボッティチェリがしばしば「ヴィーナス」」のモデルとして描いた彼女の容姿をみると、ひどいなで肩、細長い首、くぼんだ頬に、あきらかに肺結核の徴候が認められる。」

マリデュプレス.jpg

『病気の社会史 文明に探る病因』立川昭二、NHKブックス152、1971

P139にも椿姫のヴィオレッタのモデルと言われるマリ・デュプレスが出ています。肺結核の徴候がみられる。理由は同じ、「ひどいなで肩、細長い首、くぼんだ頬に」あると思われます。

夢二3.jpg
夢二2.jpg
夢二1.jpg

 以下の3作品は大正浪漫の代表的な画家、竹久夢二の作品です。

 「ひどいなで肩、細長い首、くぼんだ頬に」が院長には当てはまる気がするのですが・・・。

 ちなみに竹久夢二自身も結核で、堀辰雄と同じサナトリウムで亡くなったそうです。

弥生時代の家畜飼育、歴史の中の米と肉、原田信男、平凡社選書147、1993

(p43)また肉の供給についても、狩猟以外に家畜飼育による方法を考慮する必要がある。先に縄文時代における猪飼養の可能性について触れたが、弥生時代においては、これまで猪と考えられていた獣骨や歯には、歯槽膿漏に冒されたものも認められ、それらが野生の猪ではなく、家畜化された豚のものである、という指摘もなされている(西本、一九九一)。
 これまで日本には、食用家畜が存在しなかったとされており、この場合には世界史的に見ても、日本はきわめて特異な食生活を営んだことになる。一般に稲作には、豚の飼育を伴う例が非常に多く、弥生の猪が豚であれば、本格的な農耕を営み始めた段階では、日本人の食生活も、アジアのなかで例外に属さなかったことになる。おそらく日本人も、弥生時代には食用家畜を有していたと考えるほうが自然であり、狩猟と併せれば、肉食が食生活に占める比重は、かなり高かったものと思われる。

縄文人の平均寿命は14歳
「たけしの万物創世記」番組制作スタッフ編、幻冬舎、1998、P43
 人の寿命は、時代が進むごとに延びてきました。
 縄文時代、日本人の平均寿命は推定で一四・六歳。病気、事故、飢えなどで、幼児のうちに命を落とすものが多かったのです。もちろん、一方では少数ながら長命な者もいました。現代科学が割り出した一二○歳という命は、このころから現在まで変わっていないのです。
 江戸時代になると、平均寿命は二○・三歳。社会構造がピラミッド型になるにつれて、裕福な者の中に長命な者が増えました。たとえば徳川の一五代の将軍の平均寿命は五○・四六歳と、庶民よりはるかに長かったのです。
 大正時代の平均寿命は、男性四二・○六歳、女性四三・二○歳。終戦直後の一九四七(昭和22)年は、男性五○・○六歳、女性五三・九六歳。そして現在の日本は、男性七七・○一歳、女性八三・五九歳という、世界一の長寿国になりました。長い年月を経て、人類は野生の世界ではありえない「老化」という時問を獲得したのです。
平均寿命の推移
  縄文時代 江戸時代 大正時代 終戦直後1947 現在1996
男 14.6   20.3   42.06   50.06     77.01
女 14.6   20.3   43.20   53.96     83.59
完本「食からみた日本史」高木和男、芽ばえ社にも詳細データあり。P37
 

寿命
 縄文人の寿命については小林和正氏が出土した骨から年齢の推定を行っている。小林氏によれば、15歳時の推定余命は男女とも16年余であった。測定された骨は、縄文前期から後期にわたる男子133体、女子102体であった。また山内清男氏も縄文人の寿命についてほとんど同様の推定を下している。
 以上のことでわかるように、縄文人の寿命は短いものであった。成人に達した者でも40歳に達し得た者は少なかったのである。
 ともかくも縄文人は、次第に自らの文化水準を向土させ、人口を増やしながら本州、四国、九州の3島に広く分布していった。しかし東北地方だけはしばらくの間、アイヌの勢力下にあったと考えられる。
 氷河期が終って、今から約1万年前をピークとする海進(気候温暖のため海水の量が増加して、海水面は上昇し最盛期には今の水準よリ10−20mは高かったといわれる)の時代になって大陸から孤立した縄文人とアイヌは、大陸からの大量の民族の移動に脅かされることもなく平和に暮していたのてある。この点が大陸の民族と大いに違うところである。大陸では洋の東西を問わず民族の大移動に脅がされ、各民族の興亡が続いていた。ギリシャやローマ、北欧の歴史がそうであり、中国の歴史がまたそうであった。こうした中で島国日本のみは長く安泰であった。
11)小林和正著「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」『人口問題研究』No102(4)1967年刊
12)山内清男著『石器時代人の寿命』ミネルヴァ書房1966年刊

 「植物は味覚を持つグルメ」に出てくる音を聴いて踊るマイハギという植物が唐の時代の書物に出てくるとありましたが、書物が判明しました。「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」(860年頃)、世の怪異記事を収録した書物だそうです。

平凡社の東洋文庫397「酉陽雑俎3」段成式、今村与志雄訳注p305

791舞草。

 雅州に産出する。独茎で三枚、葉がある。葉は、決明に似ている。一枚の葉は、茎の端にあり、他の二枚の葉は、茎の半ばにいて相対している。人が、あるいは、これに近づくとそばだち、手掌をたたいて一曲歌うと、必ずまるで舞うように葉を動かす。

舞草  案ずるに『本草綱目』二一に『本草拾遺』から一二種を抄録する。その一種に、無風独揺草がある。李時珍はその説明のなかに、『酉陽雑俎』のこの一則をひき、「これ(舞草)は、すなわち、虞美人草である。やはり、無風独揺の類である」」という。

雅州  唐代の州名。雅州盧山郡。いまの四川省雅安県。

決明 植物名。学名Cassia Tova。日本名エビスグサ。

 

 

 「マイハギ」で検索するといくつか動画を見られるページがあります。

植物には目があり、木は会話する
週刊文春2001.6.14P86
読むクスリ、上前淳一郎
木は会話する
 「柳の葉に毛虫が取り付いてかじりだすと、柳の木は渋い味がするタンニンを分泌しはじめるんです」
と東京大学大学院の農学生命科学研究科教授、谷田貝光克さん(五十七歳)。
 急に葉が渋くなったので毛虫は嫌がり、逃げ出していく。
 逃げずになおも食べ続けると、タンニンが消化を妨げ、「食べても養分になりませんから、毛虫は成長しきれず、最後には死んでしまいます」
 そんなに効力があるなら、ふだんからタンニンを葉にたくさん蓄えておけばいいような気がするけれど、「強力な成分ほど、自分にとっても毒になります。ですから、毛虫に食べられ始めたところで作るのです」
 なんて賢いんだろう。そうやって柳は身を守っているのだ。
 「もっと驚かされることがあります。というのは、この柳がタンニンを作り始めると同時に、隣に立っているまだ食べられていない柳の葉も、タンニンを作りだすのです」
 いち早く隣近所への毛虫の来襲を知り、撃退の準備に取りかかるのだ。
 どうして、そんなことができるのか。
 「おうい、毛虫だぞ、気を付けろ−−葉をかじられた柳が教えるんですよ」
 しかし植物は、声も音も出せない。「空気中に化学物質を放出して、隣近所へ情報を伝達するのです」
 アルコールのような揮発性の物質を飛ばすのだと考えられる。周辺の柳はその匂いを嗅いで、急ぎ防衛態勢を敷く。
 「ですから柳はこの化学物質によって、危険を知らせあう会話をしていることになりますね」
 同じような〃会話〃は、ポブラ、シラカバ、ヨーロッパオークでも交わされ、一本の木の葉が食われると、仲間はただちに毛虫が嫌がる物質を分泌することがわかっている。
 「となりますと〃会話〃に使われる成分を研究すれば、環境に害がない除虫剤を開発するのも夢ではなくなります」
 その揮発性の化学物質を人工的に合成し、空気中に放出してやる。
 すると植物は、近所に害虫が来ているぞ、という情報をキャッチしたと思い込み、自ら防衛態勢を作る。
 直接毛虫を殺す薬剤を使うわけではないから、環境にやさしい。
 「もっといいのは、この化学物質を人工的に合成するのではなく、木自体から放出させることですね」
 たとえば大根畑に柳を植えておき、この柳の葉を毛虫に食べさせる。
 柳が、おうい、毛虫だぞ、気を付けろ、と警告を発するのを間いて、大根が身構える…。
 柳の言葉を大根が理解できればうまいのだが。

植物には目があり、木は会話する
週刊文春2001.6.14P86
読むクスリ、上前淳一郎

ときに闘争も
 「一方で植物は化学物質を分泌することによって、生き残るための激しい戦いを他の植物との間でやっています」
 新しい造成地ができたようなとき、ブタクサがびっしり生えて占領してしまうことが多い。
 北アメリカ原産の帰化植物で、背丈一メートルほどのキク科の一年草。
 花粉を風に乗せて飛ばすので、花粉症の原因になる憎まれものだ。
 「ところがブタクサの天下は一、二年で、同じ北アメリカ原産の帰化植物であるセイタカアワダチソウにやられてしまいます」
 こちらは背丈一・五メートルから二メートルにもなるキク科の多年草で、やはり群生し、秋に黄色い花をつける。
 「これがどうやってブタクサを駆逐するかといいますと、ほかの植物の発芽や発育を抑える化学物質を、根から分泌するのです」
 この物質が地中に浸透していき、ブタクサを枯らす。
 ほかの植物の種が風で飛んできても、発芽できない。そうやってセイタカアワダチソウは戦いに勝ち、ひとりはびこっていく。
 「しかし、そのセイタカアワダチソウも、数年で姿を消します」
 あとにはススキやチガヤ、クズが生えてくる。いつたい、なぜセイタカアワダチソウは滅んだのか。
 「他の植物を締め出すために分泌した化学物質があまりに強力すぎて、自分自身の生長まで抑えてしまったのです」因果応報は、植物の世界にもあるのだ。
 オーストラリアでコアラが好んで葉を食べるユーカリ。これは強い。ユーカリ林の中では、雑草の生長が悪くなる。
 「〃石油がなる木〃といわれるほど油分が多く、シネオールという揮発成分を空中に放出して、これが地中に蓄積されるため、ほかの植物の生長が妨げられるのです」
 となると、こうした強い植物の化学物質を柚出して、畑の雑草を退治する除草剤に使う期待が持てる。これも人工的な薬剤ではないから、土壌を汚染する心配がない。「そういう研究が始まっています。植物の行動を理解することで、人類にとっての夢はどんどん広がっていくのですよ」

植物には目があり、木は会話する
週刊文春2001.6.14P86
読むクスリ、上前淳一郎
植物には目がある
 「植物には目があって、赤と緑色を見分けることができます」
と農林水産省林野庁の監査室長、平野秀樹さん(四十六歳)。南アメリカ原産で、世界の温帯に広く分布するスベリヒユという草がある。日本でもありふれた雑草だ。
 茎は地をはって伸び、先のほうで立ち上がる。葉は楕円形で肉厚。
 「一九九○年のこと、イスラエルの生態学者ノボプランスキーらが、このスベリヒユを使って実験をしたのです」
 赤と緑色、二つのプラスチック製ブロックを、近くに置いてみた。するとスベリヒユは、赤のブロックにはお構いなく、その上を覆うようにどんどん生長していく。「ところが、緑色のブロックは避け、何もないほうへ枝分かれして生長したのです」
 緑色のブロックにぶつかる前に避けた。だから触覚を働かせたのではなく、明らかに緑色を手前から認知したのだ。
 「なぜそういうことができるか、といいますと、植物は光の波長を感知する色素を持っているからです」
 この色素はフィトクロム(植物色素)と呼ばれる。緑色の物体のそばでは赤色の光が弱くなるのだが、それをフィトクロムはキャッチする。
 「このフィトクロムの反応によって、枝分かれが制御され、緑色のブロックがないほうへ生長していくのです」
では、なぜ植物にはそういうメカニズムが備わっているのだろう。「それは、お互いにぶつかったり、葉が重なり合ったりしますと、生長に悪い影響が出るからです。そうならないように、お互いに緑色のものを避け合っているのです」
 建物の壁にからまっているツタの葉を見て下さい。びっしり茂っているようで、重なり合うことなく、隣の葉とは適度の間隔を保っている。
 「葉っぱどうしが目配りしながら、隣近所の葉を避けて共存共栄しています。すごい知恵ですね。」

植物には目があり、木は会話する
週刊文春2001.6.14P86
読むクスリ、上前淳一郎

味覚を持つグルメ
 「目、つまり視覚だけでなく、植物は人間と同じように五感すべてを持っている、と私は考えています」
 五感とは、視覚のほか、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。まず聴覚。中国雲南省に生えるマイハギという高さ一メートルほどの小木は、
 「少数民族タイ族の少女が合唱を始めますと、先端部の葉が、まるで歌に合わせて踊るように動きだすのです」
 先端部の二枚の葉が、モーターで回るみたいに、右から左、左から右へと回転運動をする。
 少女の合唱だけでなく、携帯電話の着信音でも舞いだす。
 「マイハギが音を聴いて踊ることは、唐の時代から書物に記されています。肉眼で観察できるこのリズム運動が、どういう仕組みで起きるのか、いまだに解明されていない謎です」
 農作物にクラシック音楽やハードロックを聴かせる〃サウンド農法〃が、最近は日本でも採り入れられている。「スピーカーで大きな音を聴かせますと、その刺激で気孔が開いて肥料の吸収効果が上がったり、特定部位の生長が促進されたりするのではないか、と考えられています」
 嗅覚。谷田貝先生の『木は会話する』の講義を思い出して下さい。
 毛虫に食われた柳は、揮発性の物質を飛ばす。
 すると周辺の柳はその匂いを嗅いで「毛虫に気を付けろ」という情報をキャッチし、防衛態勢を敷くのでしたね。
 つまり、植物には嗅覚がある、といっていいだろう。
 「では、植物の〃鼻〃はどこについているのか、ということになりますが、葉の気孔がそれに当たるのではないかといわれています」
 葉の気孔を通じて植物は炭酸ガスや酸素を吸ったり吐いたりしているが、ここに動物の鼻に相当する機能が隠されているのかもしれない。
 触覚、味覚。植物の若い根には敏感な触覚があって、石や岩を避けながら伸びていく。キュウリやアサガオのつるも、触覚で周囲を確かめては、上へ上へと伸びる。オジギソウは手で触れると葉を閉じ、うなだれてしまう。
 「虫や草食動物からおいしそうに見える葉っぱを隠すのです。触覚で反応するオジギソウは、マメ科の中でもっとも進化しているとされています」
 ハエトリグサやモウセンゴケは、虫がやってきたことを触糸で感知し、捕まえて餌にする。
 モウセンゴケの触糸はすぐれたセンサーで、風で飛んできた小枝や、実験用のガラス棒には反応しない。
 「ところが、肉片や毛髪など窒素分の混じったものが触れると、素早く捕らえて食べます。ちゃんと味覚を持ったグルメなのですよ」

「管理により意欲が減退行動の主体は自己」熊大附小PTA ふたば平成14年3月13日

 「行動の主体は自己である」という意識を持たせる 熊本大学名誉教授岩崎健一(平成十年度〜十一年度)

  昨年は熊本で全国高校総体があり、地元の選手たちが活躍して盛り上がった。私も、いくつかの学校の心理面を担当したが、そこで気になることがあった。選手の心理的能力の調査で、ある学校に集中して競技意欲の低い群がみられたことである。全国をめざす選手の多くは、高い競技意欲を示すのが一般的である。しかし、これはいったいどうしたことであろうか。

 その後の面接で分かったことであるが、この学校では、チームや個人の目標設定から日常の練習計画に到るまですべてを指導者が管理しており、選手達には介入の余地がないということであった。これでは選手は将棋の駒であり、指し手が敷いたレール上を、ただ動かされているだけであり、やる気も湧くまい。

 心理学者ド・シャームの研究によると、行動の主体が自己にあるか他者にあるかという認知によって、動機づけの強さが大いに異なるという。つまり、自己が行動の主人公であり、自己の運命や行動を支配しているのは自分自身であると認知している場合には動機づけが高くなる。逆に、自己の運命は他者に支配され決められていて、自分の行動はあやつり人形にすぎないと感じている場合には、動機づけが高くならない。

  従って、指導者がすべてを管理するのではなく、ある程度は選手自身の自主性に任せるようにして、主体性を促す配慮が大切である。子供を将棋の駒にしないためにも、心すべきことであろう。

「フィンランド症候群」朝日新聞天声人語1994年7月23日
 少し前のことになるが、フィンランドの保健当局が実施したという調査の結果が興味深い。食事の指導や健康管理の効果がどのようなものであるかを、科学的に調ベようという調査である▼四十歳から四十五歳の管理職を約六百人選ぶ。彼らには、承諾を得た上で定期検珍、栄養学的な調査などを受けてもらう。また、運動を毎日すること、たばこ、アルコール、砂糖などの摂取を抑えることを約束してもらう。そして、そういう健康管理を十五年間続けた▼その効果を比較して調べるため、同じ職業分野に属する別の六百人の群れを選んだ。これは同じ年月、いかなる健康管理の対象にもされない人々である。彼らには、何の説明もせずに定期的に健康調査表に回答を書き込んでもらった▼そして両方の群れの比較をした。はっきりした違いが現れた。心臓血管系の病気、高血圧、死亡、自殺・・・いずれの数も一方の群れが少なかった。何と、それが健康管理の対象ではなかった人々だったというのである。医師たちは仰天し、実験結果の公表をひかえたそうだ▼R‐ジャカール、M・テヴォス共署、菊地昌美訳『安らかな死のための宣言』に紹介されている話である。健康管理は不要だ、などど速断するわけにはゆくまいが、調査結果の含意はまことに意味深長だと思われる▼本は「治療上の過保護と生体の他律的な管理は、健康を守ることにはならず、逆に、依存、免疫不全、抵抗力の低下、要するに不健全な状態をもたらす」と指摘している。私たちの生き方万般についても考えさせるものを含む言葉だ▼過保護が依存を生む。そのまま、子供の育て方や教育のあり方に通じる話である。そして自律が自立につながる。むろん必要な医療は受けなければならないが、健康保持には、平生、自ら抵抗力をつけ、免疫機能を高める工夫が肝要だと知らされる。

 ウィキペディァによると

「 コンピュータ誕生以前の断層撮影方式では、1930年代にイタリアの放射線科医師のAlessandro Vallebonaによってトモグラフィーの原理が発明された。これはX線撮影フィルムに体を輪切り状に投影するものであった。

 1953年には、弘前大学の高橋信次が「エックス線回転横断撮影装置」を開発した。これは、コンピュータを用いないアナログな機械的装置によって断層を撮影するものであった。

 最初の商業的なCTは、Thorn EMI中央研究所で英国人のゴッドフリー・ハウンズフィールドによって発明された。これは、コンピュータによる装置の制御や画像処理を行うことができるものであった。ハウンズフィールドは1967年に考案し、1972年に発表した。また、マサチューセッツ州のタフス大学のアラン・コーマックは独自に同様の装置を発明した。彼らは1979年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

 1971年に作成された原型は、1°刻みで160の並列読み出し走査を行っており、180°にわたって走査するのに5分以上かかっていた。画像は走査後、大型計算機で2.5時間かけて代数復元された。

 最初に生産されたX線CT(EMIスキャナーと呼ばれた)は脳の断層撮影に用いられた。2つの断層データを得るのに約4分かかった。そして、断層画像を得るのにデータゼネラル社のミニコンピュータを使用して画像一枚あたり約7分かかった。

 なお、EMI社に所属していたビートルズの記録的なレコードの売上が、CTスキャナーを含めたEMI社の科学研究資金の供給元だったとも考えられるため、CTスキャナーは「ビートルズによる最も偉大な遺産」とも言われている。

 日本におけるCTの導入は、EMIとレコード事業(東芝EMI)で提携関係のあった東芝が1975年8月に輸入し、東京女子医科大学病院に設置されて脳腫瘍を捉えたのがはじまりである。ただし、このスキャナはニクソンショックによる変動為替相場制導入後でも1億円(現在の概算で10億円単位)を下らない費用を要する代物で、日本政府側の自賠責保険の運用益から交通事故時の頭部外傷に役立てるような研究的意味合いで資金拠出されることになった。

 その後東芝メディカルにより国内生産が開始され、一方日立製作所で、自社開発による初の国産機を1975年10月に藤田学園保健衛生大学に設置している。

 その後、1986年にヘリカルCT(ヘリカルスキャン)が開発され、1998年には4列MDCTが登場してきた。」

ベルクマンの法則寒冷ほど大きく
日本人の顔、小顔・美人顔は進化なのか
埴原和郎、講談社、1999、P167、
体表面積で体温調節
 あ私は第七章で「渡来系弥生人は身長が高かった」と書きました。話が顔からそれますが、これも一種の寒冷適応と考えられますので簡単に説明しておきましょう。
 北東アジア人の体つきをみると、アジア系の人びとの中では身長が高く、やや大柄です。しかし胴の長さに比べて四肢が短く、またウエストが太めなので全体としてずんぐりした体型になっています。ではどうしてこんな体型ができあがったのでしょうか。
 哺乳類の気候への適応について、「寒冷な地方では体が大きくなり、高温多湿の地方では小さくなる」という法則があります。これは「ベルクマンの法則」としてよく知られており、ヒトに限らず、哺乳類の大部分にあてはまる一般的法則といっていいでしょう。
 ご承知のように、哺乳類は恒温動物ですから体温を徴妙に調節しなければなりません。私ども自身が経験するように、たとえば風邪をひいて一度ほど体温が上がるだけで相当な不快感におそわれますし、三、四度も上がると重症になってしまいます。それにもかかわらず、外界の温度は一日のうちに一○度以上も上下し、一年では数十度の差を示す地域が少なくありません。さらに年間の平均気温をみますと、たとえば北欧のオスロでは四度前後ですが、南アジアのバンコクでは二八度以上になります。しかしオスロの人とバンコクの人で体温が違うというわけではありません。
 このように、外界の気温の高低にかかわらず同じ体温を維持できる埋由は、体内の複雑な調節機能によることはいうまでもありませんが、その補助として、もっと物理的な調節法も採用されているのです。その原埋は、身長が高くなるにつれて体温の保持に役立つ体積は急に増えるが、体温の発散に間係する体表の面積はゆるやかにしか増えない、という簡単な物理法則です。
 日常の例をあげますと、大きなやかんいっぱいに入れたお湯は冷めにくいけれども、小さなやかんのお湯はすぐ冷めてしまいます。やかんを球体として計算しますと、たとえば半径が二倍になると体積は八倍近くになるのに、表面積はほぼ半分の四倍くらいにしか増えません。そこで、大きいやかんほど保温性が高いということになります。
 哺乳類の一例としてクマをみると、南方のマレーグマ、本州のツキノワグマ、北海道のヒグマ、アラスカのホッキョクグマの体は、南から北に行くにしたがって大きくなっています。オオカミやシカなども同じです。
 この法則はヒトの場合にもほぼあてはまります。たとえばヨーロッパでは、一般的傾向として北欧の人は大柄、地中海に近い南欧の人は小柄です。また北米大陸のアメリンド(アメリカ先住民)にも同じ傾向がみられるばかりか、アメリカ国立自然史博物館のE・ニューマン博士(人類学)の研究によると、高温地域では時代とともに身長がわずかながら低くなってきたということです。つまり、気温への適応は現在も進行中だということになります。
 このような事実に照らしてみると、アジア系集団の中で北東アジア人たちの身長が高いことも寒冷適応の結果と考えていいでしょう。しかしこればかりではありません。北東アジア人の体つきにはべつの変化もみられるのです。
私どもアジア人は、ヨーロッパやアフリカの人びとに比べて胴が長く、下肢(脚)が短いという体つきを持っています。もう少し正確にいえば比座高が高く、比下肢長が短いということになりますが、これに加えて比上肢長‐身長に対する腕の長さの比‐も短いのです。そしてこの傾向は、東南アジアより北東アジアの集団に一層強くあらわれています。
 日本人の成人男性の場合、体表面積は約一・六二平方メートルといわれますが、そのほぼ三分の二が四肢の表面積ですから、四肢が短くなると体表面積が急速に減少し、したがって体温の放散量が少なくなります。また胴が長く、さらにウエストが太くなると体積が増すので体温の蓄積効果が高くなります。つまり、四肢が短くて胴が長いという体型は寒冷地向きであり、北東アジアの葉団でその傾向が強いことは、彼らが顔ばかりでなく、全身で寒冷気候にうまく適応していることを示しています。
 逆に熱帯アフリカの集団では四肢がきわめて長く、胴が短く、また全体としてやせ型です。とくに下腿‐膝から下の部分‐の相対長は白人より長く、『古事記』に出てくる「長髄彦(ながすねひこ)」という名を思い起こさせるほどです。このような体型では体表面積が極端に大きく、体積が小さくなるので体温の発散効率が大きくなり、熱帯向きということになります(図8‐5)。実は、ベルクマンの法則は〈体型が相似形の場合〉という条件のもとで成り立つのですが、北東アジア人の場合は体の大きさばかりでなく、胴と四肢のプロボーションを変えることによって体温調節の効果を高めているのです。このような体型の変化をみると、彼らの寒冷適応がいかに徹底しているかがよく理解できます。

気候による体型の変化.jpg

がんばらないけど
あきらめない 鎌田實
この国で医師を続けていくのに疲れました 週刊朝日2006.10.27P66


 このままでは日本の医療はつぶれてしまう。一度崩壊すれば、受診待機者100万人といわれているイギリスのように国民は不幸になるだろう。イギリスではここ5年間で1.5倍の医療費に増額しても、医療の供給体制は回復してこない。
 日本の医療もトコトン壊してしまってはいけない。土俵際の今のうちに手を打たなければいけないのだ。
 虫垂炎の手術は、ニューヨークは243万円、ロンドン114万円、台北64万円、ソウル51万円、日本は16位で37万円。実に安いのである。
 低い費用で医療を維持できているのは、アメリカの同規模の病院に比べれば6分の1という少ないドクター数で、忙しく働き続けて、医療の崩壊を防いできたからだ。勤務医の労働時間は週64時間、研修医は92時間、なんと150時間働く研修医がいた。クレイジーだ。病院の医師は疲れている。
 ぼくが50歳で引退を考えたのも、あまりの激務とストレスだった。この国で医師を続けていくのに疲れてしまった。あーあ。
 医師の仕事は大好き。だから、嘱託医として気楽に働かせてもらっている。質の高い医療をやりたいと思い続けてきた。医療費が抑制される。そんな中で優しい医療をしようとすると、奇跡に近い綱渡りをしないといけない。経営も成り立たせて、いい医療をすることに燃えつきてしまった。
 患者満足度を調べても、日本は32%、アメリカ72%。くやしいけど、考えてみればあたりまえである。
 WHOが日本の医療は世界で一番いい医療と言ってくれても、国民は満足していない。いずれイギリスのように優秀な医師は外国へ出てしまうだろう。だからといって、アメリカのようになればいいのだろうか。市場原理に医療を任せれば、医療費はさらに高くなり、しかも不幸な国民が増える。
 対GDP比の国民医療費は、最新のデータでは、アメリカが15%、日本が7.9%。イギリスは医療費の増額に踏みきったので、これからは、日本が先進国の中で最低になるだろう。
 アメリカでは自己破産の原因の第2位が医療費の負債である。日本では医療費の支払いで破産する人はゼ口ではないにしても、ほとんどいない。昨秋のハリケーンで偶然見た米国の光のあたらない世界。貧しい人たちが避難できず、たくさんの命が奪われていった。4600万人いると言われる医療保険にも入れない人たちの生活の姿が垣間見えた一瞬だった。
 多民族国家をコントロールするために競争原理を持ち込まざるを得なかったアメリカをまねて日本人が幸せになれるとは思わない。気候も違う。アメリカは砂漠があってドライ。日本は梅雨があってウエット。そのおかげで豊かな水の恵みがある。水がおいしい。この気候で何千年も生きてきた日本人のDNAはウエットである。ドライなアメリカ流の市場原理は日本人を幸せにしない。アメリカをまねてはいけないのだ。
 どうする日本の医療。つぶさないようにするにはどうしたらよいのか。
 国民が納得、安心できる医療システムを構築する必要がある。まず、OECD加盟国の平均値、GDP比8.6%へ国民医療費を上げること。せめて先進国の平均にはしなくちゃあ。現在32兆円の医療費を2年後の医療費の改定時に34兆円に増額する。
 しかし、国民負担を増加させてはいけない。経済の回復に、水をかけてはいけないのだ。アメリカの3倍。フランスの7倍近い、異常に高い公共投資。政治的判断ですぐにできるものもある。青森県六ケ所村の核の再利用のための施設に、19兆円使われる予定だという。世界が、お金がかかりすぎる、危険という理由で手を引いた核サイクル事業に、日本だけが、一度決めたことだと言い続けて、方針を転換しない。

医療よくすれば経済がよくなる

 このお金を使えば、これから10年近く、国民負担は一銭も増やさずに、がん医療や、救急医療、在宅医療など、一気に解決できる。産婦人科、小児科、麻酔科医などの増強もはかれる。老後に大病しても安心の国になる。そうすれば1500兆円の個人金融資産を持っている国民が、自分の人生を豊かにするためにお金を使い出す。そうすると日本経済は良くなる。経済が良くなったあとで、OECD6〜7位のフランス並みのGDP比10.1%の医療費に5年ほどかけて増加させる。
 こうやって日本の医療の質を上げると、2013年の医療費は40兆円になる。このあと総ワク制を導入して、これ以上、医療費を増額させないシステムをつくる。現在の国庫負担は8兆円。7年後に40兆円に医療費を増額させても、国庫負担は10兆円である。国の負担はわずか2兆円の増額なのだ。このための消費税の増税なら国民は納得すると思う。いい医療を国民は望んでいる。国民が安心できるシステムをつくるのが政治の役割だと思う。
 僕ら医療の提供側もいい医療をしたいのである。安心の医療をつくるためにどうしたらよいのか。本年○月○日(日)、緊急シンポジウムを企画している。東京・○○○○で10時より4時半まで。カマタの講演もあります。国民に理解してもらい、国民の共感のもとに、医療制度改革を行うべきである。新しいメッセージを全国に発信していかなくてはいけないと考えている。
ぜひ聞きにきて下さい。

かまた・みのる
1948年、東京生まれ。医師。諏訪中央病院名誉院長。著書に「がんばらない」「あきらめない」「がんに負けない、あきらめないコツ」ほか。

(院長註)2006年の話です。シンポジウム間違えて行ってしまった人が出たらいけないので、日時、会場は伏せさせていただきました。

 反原発の流れの現在でこそ、生きてくる話ではないでしょうか?全部使ってしまっていないことを祈ります。

受診マナー 週刊文春 病院最前線ガイド2001.11.22 P135

医療内容を十分に理解し納得して治療に臨むには、病院や医師の現実を知って時に譲歩する余裕も必要
〒107−0052東京都港区赤板3- 12−5  ℡03−3584−1475 北村クリ二ック
受診マナー
  人が厄介な病気になった時、よい医療を受けるには何が必要だろう。
  その病気はどこまで治せるのか、最善の診断と治療法は何か、どこに行けば安全・確実に治療が受けられるか、というあたりに集約できるのではないか。そこから医療の質に関する情報開示やインフォームド・コンセント、セカンドオピニオン、そして病院の事故防止対策や感染防止対策に関心が集まるわけだが、よりよい医療を求める患者の思いが、時に診療の妨げになることがある。
  長らく一線の外科医として活躍し、現在がん患者のアフターケア組織の代表で北村クリニックの竹中文良博士は言う。
  「私が外科医として忙しかった昭和四十年〜五十年代の都会では、インフォームド・コンセント等の言葉はなくても医師によっては患者側の考えを汲み取る姿勢はありましたし、患者さんも必要に応じて病院や病気の情報を得ていたと思われます。
  特に難しい病気の診断や手術が必要になった場合、患者さんは複数の病院で診祭を受けて結論を出していました。いったん私の患者になった後に他の病院で診察を受けて他に移る人、逆に他の病院の患者になった後に私の診察を受け、こちらに移る人の数は同程度でした。自分の頭でセカンドオピニオンの必要性を考えで実践していた人の行動はスマートで、診療の妨げになるようなことはなかったと思います」
  様子が変わったのはインフォームド・コンセント等の言葉とともに「患者の権利」ということが頻繁に言われだしてから。大病院でも診療所でも評判のよい外来に殺到しがちだが、一人の医師が診療できる人数には限りがある。その許容量を遥かにこえた外来息者が説明やセカンドオピニオンを求め二十分も粘る例が珍しくはないという。
  患者が自身の病状や治療方針について説明を求めるのは当然であり、有能な医師に不安や疑問がなくなるまで説明を受け、納得したいのば山々。
  また医師の診療報酬は具体的な検査や薬、手術等の量による公定価格から算定され、その実カの差は患者の負担には特に響かないのだから尚更だろう。有能な医師ほど無闇に薬や検査に頼らずにすむため、良心的な病院が経営難という例もしばしば。医療制度と医学教育の欠陥、一部患者の非常識なエゴが優秀な医師を消耗させるという皮肉な状況を生み出している。
良医がすり減る社会の今後
  「しびれの治療に詳しい病院」と、全国紙に紹介されたある整形外科病院の例がある。掲載早々千件近い電話攻勢があり、続いて手紙やメールによる問合わせが続いている。しびれに整形外科が対応するのは手術対象となるごく一部で、その旨も記載されている。だが、再三の電話の上、実際に面談したいと北海道、九州から訪れるケースも。要した時間に見合わぬ僅かの初診料に病院は赤字を重ね、医師達は疲労を深くする。ある病院長はこれを「名医の消耗品化」だと憂える。
  今や夜間救急ならぬ夜の日常外来と化した小児診療における小児科医の過労死や中堅救急医の前線勤務からの離脱、あるいは医師のうつ状態での自殺や夜勤明けの脳卒中は社会問題になっている。この種の話も尽きない。こうした問題の改善、解決は行政や医学界の仕事に違いないが、医療の疲弊・空洞化等で最後に困るのは患者個々人だ。
  そんななか日常診療とは別枠で、十五分一万円の医療相談や五万円のセカンドオピニオン等のメニューを掲げる病院も現れ始めている。弁護士の相談料(三十分五千〜四万円程度)等を参考に、考えてみるべきだろう。
  一般に病院は、がんの場合、診断結果を伝え、治療方針の決定・変更等に際しては予め家族同席の面談時間を設けたりしている。患者教育が治療上有効とされる糖尿病や喘息等については集団学習の場を設けて患者の理解が深まる努力もしている。更にまた病気の解説文書を作成したり、ビデオを用いた集団説明会やインターネットでの情報開示で教育の効率化が図られている。
  「私共も患者さんの批判や要望を診療に取り入れる努力はしているつもりです。まずは現場の状況を想像し、病院や医師の負担が軽くなる工夫を少しでも考えて頂けたら幸いです。詳しい診察を要する人が十分な時間をとれるよう、軽い症状の時は大病院を遠慮し譲り合う余裕も欲しいですし、息者さんと病院、医師との協力関係を育てたいものです」竹中文良博士

よい医療を効率よく受けるには
・ 医師以外、先輩患者等にも相談を
・ 一度の説明で全てを解決しようとせず、優先順位と外来の混雑の程度を勘案して
・ 処方された薬の効果や副作用を、医師に伝える。服用を止めた時はその理由をきちんと
・ 医療費は国民皆の負担、患者もコスト意識をもち、適正配分や節約に関心を
・質問については医療の問題を中心にし、生活センスに関わるような問題は別の人に相談を

アメリカを見習うな!成毛真MS前社長
週刊文春2000年7月20日号P48、私がマイクロソフトを辞めた本当の理由

(院長註)2000年7月に「新世代ビジネス、知っておきたい60ぐらいの心得」成毛真、文春ネスコという本が出ました。その宣伝を兼ねたインタビュー記事のようです。プロローグが「私がマイクロソフトを辞めた本当の理由」、第8章が「アメリカを見習うな!」と題されています。

(前略)
  マイクロソフトの営業郡長時代は、接待もバリバリやってましたよ。でも日本型接待では意味がない。重要な取引先と年に何回か食事するだけでは『先週会ったの誰だっけ』と、まったく覚えてない。だから食事のあとには何軒もハシゴして朝四時まで連れまわす。しかもなるべく平日にです。相手は電機メーカーなどお堅い企業だから、翌日は朝から出社で、死にます(笑)。そうすると二年くらいは忘れないね。『いやあ、あのときは凄かった。また行きましょうよ』とずっと言ってる。かなり体育会系でしたね。でも接待もトコトンやってみたら飽きました(笑)」
  社長に就任した日に元上司のクビを切り、会長に昇格した前社長・古川享氏(現マイクロソフト米国本社副社長)の経営をすべて逆張りした。
  〈前の君主がやっていたことと正反対のことをやれ、ともマキャベリは書いている。そこで私は100パーセント外資系になることを決意した〉「私はマキャベリの『君主論』が好きなんですが、そこに書かれている、『前の王の大臣全員の首を即刻はねよ、しかし翌日からは絶対クビをはねるな』という部分に、いたく感銘をうけたんです。ジワジワと首切りを進めると、次は俺か、と疑心暗鬼でやる気がなくなる。だから、一発でガンとやる。そのかわり、残った社員は身分をセキュア(保証)する。人を叱るときも同じです。
  前社長の古川さんがやってきたこととすべて正反対にしたのも、マキャベリが書いていたからです(笑)。前の経営を踏襲すると、社員がどっちを向いたらいいか、わからなくなる。細かいところまで変えると、『ああ、社長は本気なんだな』と、みんな諦めて言うことを聞くんです(笑)。踏襲しないほうが悪いところも直せますよ。
  古川さんは、けっこう賢い人だからね、何も文句を言いませんでした。一年くらいミーティングにも来なかった。でも実際のところ、鬱憤はたまったでしょうね(笑)。後任の阿多(親一)社長にも『トイレのティッシュに至るまで全部ひっくり返せ』と言っていますが、あいつは、これでいいと言ってなにも変えないんだよなあ(笑)。

「衰退産業」こそ日本の宝

  このマキャベリ流「逆張り精神」は、本書にも随所に藩れている。〈アメリカを見習うな!〉〈株式上場のメリットを疑え!〉〈国産自動車メーカーは一社で十分?〉〈「哀退産業」こそ日本の宝〉と、意外な目次ばかりなのだが、この精神が本書執筆の動機でもあった。
  「東大で若い学生たちと話をする機会があった時に、『会社や社会はこんな逆の見方もできる』と説明すると、みんな本気で目がテンになってるんですよ。
  『危うく○○重工に就職するどころでした』とか、『高校のときに聞いてれば』とか話しかけてくる。だから、若い人に、社会には裏の読み方もあるし逆張りもできる、と言いたくなったのがこの本を書いた理由ですね」
  たとえば、第七章「フェアじゃないアメリカ」では日米どちらの構造が悪いという論議をする前に、世界でアメリカだけが異質だと気づけばいい、と説く。「経済同友会でも、ぼくら40代と、60代では意見がかなり違う。驚くことに、六十代の経営者に『自由競争至上王義でやれ』という人や、『それは行き過ぎじゃないの?』という声が多く、四十代のほうが『こんな馬鹿げたアメリカ式の完全自由競争主義を導入したらヤバイよね』ど懐疑的です。六十代の経営者は、本質的な競争を知らないけれど、40代はベンチャーや外資の経営者が多く、厳しい競争にさらされているからです。
  アメリカの競争は、死のリスクがある戦争と同じで、若いうちは面白いけど、40歳を越えると、殺し合いはもういいやと思ってしまいます。特に日本は高齢化していくから、アメリカ式競争には参加しないほうがいい。
  今のアメリカは絶好調だから、勝者の情報しか入ってこない。アメリカには最低賃金労働者が日本の二倍いたり、どの大都市でもホームレスが十倍いるなんて日本人は全然知らない。
  アメリカは、自分たちが百パーセント正しいと威張って、他のやつらはマヌケと思っているから、日本を『同族主義』とか『ケイレツ』と言って批判するけど、よく考えてください。ほんとうは、アメリカ以外の歴史ある国は、全てそういうシステムです。
  アメリカだけが異質なんですよ。だから、アメリカを見習う必要なんてない。日欧亜でアメリカをなんとかすればいいんです」
  森内閣が掲げる「IT戦略」にも成毛氏は手厳しい。「日本のIT戦略で、『アメリカ並みに通信料金を下げろ』という経営者の主張は噴飯ものですね。だって、アメリカの五年前の料金体系にしても、五年前の商売が輸入されるだけで、新産業は起きない。アメリカに追いつこうとしている限り、未来永劫勝てない。
  だから、常に新しいことをやらなくちゃ。アメリカが全家庭に1メガバイトの通信回線を引くなら、日本は10メガとか100メガ引くとか。スピードが極端に上がれば、そのコストを吸取しようとして、アメリカにない面自いサービスやソフト、事業が出てきますよ。
  IT政策では、韓国のほうが思い切りがいいですね。アジアは全体に好調ですが、日本はボーッとしてる。結局、今のIT戦略は、産業育成のための政策ではなく、また公共投資したいだけなんです。利権構造はまったく変わらない。その辺の危機感を持っている財界人は、牛尾治朗さん(ウシオ電機)くらいかなあ」。
(略)
  十二歳になる娘さんへのユニークな教育法。学校の試験がくだらない、と怒った成毛氏は、テストの問題を一つ一つ逆採点。「こんな設問のテストは零点満点だから、点をとれなくてもいい!」と娘に宣言した。
「子供は数学だけ本気でやればいいんです。数学ができないから、日本の工学が駄目になってきています。数学は発想の練習があるでしょう。あっという閃きが必要。その柔軟さがないから、『とんだべンチャー』が出てこないと思う。
  今の子供は、僕らに比べたら情報を得る方法が二十倍はある。すると、必要な情報といらない情報の区別がつかなくなってくる。
  それを切り分ける技術にインターネットを使えばいい。インターネットは、『覚えなくてもいい』という素晴らしさがある。調べればわかるんだから、本当に重要なことは他の部分にある、とわかるでしょうから」

(院長)社会保障の分野でも先進国の中で、唯一国民皆保険のない、介護のシステムもほとんど機能していないアメリカは異質です。

  12年前に韓国はやはりがんばっていたんですね。日本はボーっとしていたというのが・・・。

「介護地獄アメリカ 自己責任追求の果てに」 大津和夫 日本評論社 2005 という本を読みました。
・医療の国民皆保険さえない米国、公的介護保険などあるわけありません。では、誰が介護しているのか?

・アメリカで介護を支えているのは施設ではなく、多くの場合、家族が看るそうです。在宅で介護を必要とする人の七割は行政の支援を受けず、娘などの家族がケアをしているそうです。
・伝統的に育児とともに、介護は女性が担ってきたそうです。介護できる女性がいない場合はもちろん男性も介護をします。

・介護を担う女性たちには、介護、育児、家事、仕事と三重、四重の負担がのしかかっています。
・ニューヨークで65歳以上で、ナーシングホーム(日本の特養や老健にあたる)に入っているのは2000年で4%。1990年で4.5%。だんだん少なくなってきているようです。
・全米でアルツハイマー症の7割が自宅介護だそうです。
・マンハッタンのナーシングホームの入居費用は、平均で一日255ドル(2万円)、年間で9万3千ドル(744万円)。
・ナーシングホームに入居するのは、よほど裕福な人か、一文無しになって政府の貧困層向け公的医療保険制度「メディケイド」の適応を受けて、国が入居費用を負担する、というパターンが多いそうです。
・作者の取材に対して日本の介護システムについて逆取材され、「日本には公的な介護保険制度があり、四十歳以上の国民は、適切なサービスを、九割引きの価格で受けられる。」と言うと、皆一様に「うらやましいですね」の第一声を発するそうです。「老後は日本で暮らしたい」「アメリカの介護はめちゃくちゃだ」の声もあったそうです。
・第二章は医療について書かれています。次男の右腕複雑骨折の治療費70万円。保険に入っていたので自己負担はなかったが、全米で無保険者が4360万人。保険が無ければ治療費は病院側の言い値。一千万単位の請求例も。自己破産も当然あり。保険がなくて、治療が受けられずに亡くなる人が年間1万8千人。民間の医療保険は家族を対象とするもので年間100万円は必要。
・「救急車の追っかけ野郎」(Ambulance Chaser)と言う言葉が紹介されていました。患者を乗せた救急車を追いかける弁護士のことだそうです。けがや病気になったら、駆けつけて「診療で何か不都合はないか?少しでもあるなら、いっしょに訴えましょう」と患者側をたきつけているそうです。「成功報酬」だから患者は簡単に訴訟をおこすそうです。
・医療過誤訴訟に関しては産婦人科が一番悲惨で、脳性マヒで生まれた場合、70億円請求された医師がいたそうです。
・眼科が人気で、どの大学でも優秀な学生は眼科医をめざすそうです。生命を脅かす危険が少なく、訴えられるリスクも少ない。レーザー治療など短時間で報酬もいいからだそうです。眼科医になるのは大激戦だそうです。皮膚科も人気があるそうです。
・支払い能力によって、受けるサービスの格差が広がっているアメリカの医療や介護は、「特権であり、権利ではない」そうです。

謝罪記者会見のハウツウ(週刊文春平成10年5月28日号企業危機管理ノート、リスク・ヘッジ社長田中辰巳)
・ 公式は社長限界でしょ(謝・調・原・改・処)
・ 第一に謝意を表すること。
 一見、自分自身には非がないような場合にも必要である。最低でも「世間を騒がせた」ことを詫びなければならない。読者=大衆の不快感に対するガス抜きは必要である。ただし謝罪は責任問題と表裏一体であることを忘れてはならない。
・ 第二に調査結果を報告すること。
 調査結果の報告には、調査方法と裏付け(検算)を一対にして、公表する事が必須。データベースの裏付けがあれば更に好ましい。
・ 第三に原因分析の結果を示すこと。
 ここが一番肝心。誰もが最も関心を寄せる部分だからである。
・ 第四に改善策を提示すること。
 改善策は、原因分析の結果必然的に浮かんで来るものである。ただし、精神論などの抽象的な策ではなく、フールプルーフのようなシステム対策が必要である。
 そして、改善策を浸透させる方法を、同時に考えて置かなければならない。
・ 第五に処分の内容を明らかにすること。
 処分を決定することは極めて難しい。世論を代弁するマスコミの溜飲を下げることは大切である。しかし仮りにも人の人生を左右する問題であり、何の罪も無い家族にまで、大きな影響を与えることがある。慎重に熟慮しなければ、新たな危機を招くことになりかねない。
 犯罪ではなく「けしからん罪」の場合、すべてを奪うことは禁物である。地位、名誉、財産、収入、人間関係などの中から、残せるものを見つけてあげるべきだと思う。

 先日往診を依頼された老人ホームでエレベーター横に張り出してありましたので、急いで書き留めました。

 

  人生は七十歳から

 七十歳にて お迎えあるときは

        今留守と言え

 八十歳にて お迎えあるときは

       まだまだ早いと言え

 九十歳にて お迎えあるときは

       そう急がずとも良いと言え

 百歳にて お迎えあるときは

       時期をみてこちらからボツボツ行くと言え

 

 

ぼけない五箇条

一仲間がいて 気持ちの若い人

二人の世話をよくし 感謝のできる人

三ものをよく読み よく書く人

四よく笑い 感動をわすれない人

五趣味の楽しみを持ち 旅の好きな人 

〈勝負脳〉の鍛え方 林成之 講談社現代新書 2006

166ページ  「勉強ができるやつ」「運動ができるやつ」という区別を子供の頃から学校でされてきたことが、誤解のもとなのでしょう。本書で述べたように、頭がいいことと運動ができることはまったく矛盾しないどころか、共通の根拠にもとづくことでした。モジュレータ神経群の機能を高め、心をいつも前向きに働かせることで、頭もよくなれば、運動もうまくなるのです。

(院長註)モジュレータ神経群・・・作者の脳神経外科医の林さんが名づけたもの。人間の「意識」「心」「記憶」は脳の海馬回でつながっていて、それぞれが連動しながら機能していると考えられ、三者の調整(モジュレータ)機能を果たす神経群のこと。

140ページ  具体的には、

①性格を明るくして常に前向きの思考をする、

②常にやる気をもって行動する、

③何事も気持ちを込めておこなう(運動するときだけでは駄目です)、

④何に対しても勉強し、楽しむ気持ちを持つ、

⑤感動と悔しさは生きているからこその宝物と考え、大切にする、

⑥集中力を高める、

⑦決断と実行を早くする

(院長註)7項目をレベルアップして、心の機能を高め、人間性を高めることが大事と書かれています。

 ”福祉大国”スウェーデンは「理想郷」ではありません

週刊朝日2010.8.20.P29

 「スウェーデンは理想郷ではない」と題する投書が7月21日付の朝日新聞「声」欄に載った。投稿したのは現地在住の日本人で、小学校教員のフス恵美子さん(39)。理想の福祉国家と紹介されるスウェーデンの現実の一端を、改めて聞いた。

  日本で出版されるスウェーデン関連の本は、必ず福祉国家と持ち上げています。増税論議のたびに引き合いに出されるのは、「高負担だが高福祉」の理想郷としてのスウェーデン。私も日本の大学で障害者福祉を専攻し、そう信じてきた一人でしたが、この国の男性と結婚し、13年間も住んでいると、「理想」とかけ離れた現実に驚かされることが少なくありません。

  収入の最低3分の1は、税金にとられるうえ、消費税率は最高25%なのに医療費は安くない。歯科検診の費用は1万円をくだりません。

  教師の位置づけは高くないようです。以前勤めていた小学校では、教員免許を持つ先生が1人しかいませんでした。スウェーデン語がまだ流暢とは言えなかった私も、1,2ヵ月ほど、移民の子が多く学ぶ小学校で、スウェーデン語で国語の授業を教えるよう命じられ、とまどいました。

  完全個人主義のこの国では、夫婦といえども自分の収入は自身で稼ぐ。そのため、親は共働き。母親は手料理をつくる暇もありません。週末のスーパーでは、1週間分の冷凍食品をカートに山ほど積む光景が見られます。「うちのお母さんは包丁の使い方をしらない」と話す子もいました。

  小学校5年生になる娘は、4歳のときに自閉症と診断されました。「自閉症専門の教室を持つ保育園がある」と市から紹介され、訪ねてみると、先生から「自閉症とは何ですか?」と逆に聞かれ、驚きました。目に見えにくい発達障害へのケアは、それほど進んでいないと感じました。

  確かにバリアフリーや聴覚、視覚障害者へのケアは進んでいます。だが、それ以外の障害者や老人は、切り捨てられているように思います。スウェーデンを過剰に理想視するのは、現実に即しているとは思えません。

「日本経済の反発力 突破口はこんなにあった!」日下公人、徳間書店、1999

10ページ 悲観論はなぜ間違うのか

 長引く不況のため、日本人にはある種の敗北感が蔓延している。ビッグバンをきっかけにして欧米の金融機関が日本に進出してきたこともあって、経済敗戦、あるいはマネー敗戦とも言われる。まるで日本は敗戦国といった雰囲気が漂って、悲観論ばかりが幅をきかせているが、この悲観論がくせものである。結論を先に言えば悲観論は必ず間違う。悲観論がどれだけ間違っているかについてまず考えてみよう。
  まず第一に、悲観論は当たらない、楽観論は当たる、と言える。悲観論は目先は当たるかもしれないが,長い目で見れば当たったためしがない。

  例えば、日本経済はアメリカにやられてどんどん悪くなるという人がいるが、アメリカが日本叩きをして、日本の経済が悪くなっていくと、アメリカもその返り血を浴びる道理で、その結果両方が悪くなっては元も子もない。だからアメリカもそう叩かなくなるから、結局、経済はバランスしていく。

  このように悲観論には、日本もアメリカも双方が反省して変わるという視点が抜けている。簡単に言えば、人間は気がつけば考え方を変えて努カするものだから、それを忘れてはいけない。

21ページ  次に悲観論が間違いやすい第二のポイントは、悲観論は言いやすいが、楽観論は言いにくい、という事情がある。まず、悲観論が言いやすいのは、いかにも世の中を心配しているように聞こえ、悲観論を言う人がまるで立派な人のように見えるからだ。楽観論は逆に、世の中の人を油断させて、世の中を悪くするようにとられてしまうことが多い。(中略)そのほかに、悲観論が言いやすいのは、悲観論ははずれても叱られないが、明るいことを言ってはずれたら怒られる。だから責任逃れのためには悲観論を言っておくのが手堅い手法というわけである。(中略)
  悲観論の誤りの第三ポイントは、悲観論は賢く見える、ということだ。まず、悲観論は理屈がつけやすい。簡単にいうと、過去の統計が使える。楽観論は統計もなく、来年は明るいなんて言うから、阿呆に見えてしまう。来年を示す統計はないから、現在までのデータをもとにそこにひそむ危険だけをみて警告する方が手堅くてよい。悪い徴候を見逃したらたいへんだ。さきほど言ったように、サラリーマンとしては責任逃れ、わが身かわいさから、手堅くやっておけということになる。だから理屈のあることしか言わない。証明できることしか言わないと、えてして暗くなる。科学的な方法を使うとそうなるようにできている。
 そもそも科学はどうして誕生したかというと、科学誕生以前にヨーロッパを支配していたのは、カソリックだった。カソリックの教義をつきつめて言えば、「神を信じれば、みな救われる」である。本当に皆救われるのか、そこを疑ったところから科学が始まった。近代科学の祖と言えば、まずデカルトがあげられる。そのデカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったが、あの「我思う」という言葉の意味は、「教会の断定的な教義を疑う」ということから出発して、本当に確実なものは何なのかといろいろ考えていくと、最後に「我思う」ということだけは疑えないという境地に至るわけだが、そもそもの始まりは「我疑う」だった。
 科学で確かなことだけ言おうとすると、それは要するに楽観論を疑ってみるという話になる。楽観論の根拠を崩して、確かなものだけを積み上げて、それでも大丈夫となって初めて本当の安心ということだ。(後略)

あったら怖い良い政治   堺屋太一

批判があるのはいい証拠
2002.4.26
週刊朝日
P45

(前文略?)

  これでまた、政治は当分の間、スキャンダルの後始末に追われることになるだろう。そしてそれが、国民の政治不信をいちだんと深め、日本の将来に対する不安と不信を拡大することにもなりかねない。しかし、これで絶望してはならない。むしろ政治批判が強まることで改革が進み浄化が行われることこそ民主主義のよさである。言論の自由と民主的な制度が機能している国では、どこでもいつでも、政治批判があり、「政治が悪い」といわれている。日本の政治評論家が民主主義のお手本のようにたたえるイギリスやアメリカでも、政治家の金銭やセックスに絡むスキャンダルは後を絶たない。
  今の世界で、「わが国の政治はよい」と国民が口をそろえるのは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ぐらいだ。文化大革命のころの中国やスターリン時代のソ連、ナチス・ドイツや戦争中の日本でも、政治は褒められ、政治家はたたえられた。だが、そのいずれもが国民に不幸をもたらす結果になった。
  この世の中で、「よい政治」といわれるものがあったとすれば、怖いことだ。たいていは、何らかの形で批判が封じられた状況だからだ。
◎ 官僚は間違えない、だから怖い
  民主主義の政治はよく間違える。そしてそのたびに批判を浴び、政権が交代する。だから安心であり、信頼できる。これに対して、官僚は間違えない。九O年代初めのバブル景気の崩壊でも、九七年の全融危機でも、最近の不況や牛肉の事件でも、官僚が誤りを認めて、自らのシステムと人事原則を改めたことはない。
  官僚制度の中には「官僚の無謬性」、つまり官僚は間違えない、という建前が入っている。どんなに悲惨な結果を招いても官僚に間違いはなかったと主張する。それはあたかも、太平洋戦争中の将軍や提督が、敗戦のその日まで戦略戦術の失敗を認めなかったのと同じである。誤りを認める者は非難される。だがそれゆえに正しい道に戻ることができる。誤りを認めない者は改めることもない。それゆえに、そのような者に権力を持たせてはならない。人類が民主主義を選んだゆえんである。

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