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先輩神話

 「ヒトの見方」養老孟司、ちくま文庫、1991

P64

 どこの学校でも、先輩神話というものがある。私(院長註:養老孟司)が医学部に入ったころに、ある先輩がラウべル・コプシュの解剖学教科書を全部読み、解剖の試験に落ちた、という話があった。われわれ後輩の反応は「無理もないなあ」というものであり、それがこの神話が成立した理由でもある。ラウベルは当時の標準的なドイツ語系の教科書であり、現在でも流布している『分担解剖』や『日本人体解剖学』の原型となった大部の書物である。こんな本を全部ドイツ語で読んだとすれば、読み終るころには始めのほうは十分に忘れているから、当然試験には落ちる。外国語で通読したことは、母国語、つまり日本語で読んだことより、正確には記憶に残りにくい、というのは日常経験することである。

 ではこれが勉強の仕方として間違いかといえば、そんなことはいちがいにはいえない。この先輩は解剖学者にはならなかったが、世の中、何が役にたつかわかったものではないから、あとで何か大いに得をしたかもしれぬ。すくなくとも、どういう風に勉強したら試験に通るか(落ちるか)ぐらいはしみじみと理解したであろう。物事をとことん理解するのは、ことほどさように大変である。幾何学に王道はない。
 これが結論ではあまりに愛想がないが、本当のことというものはえてして愛想のないものである。べつに私のせいというわけではない。 

あいさつ

「「心の掃除」の上手い人下手な人」斉藤茂太、集英社文庫、2008

P19

あいさつひとつで、心もひとつになる
 芸能界の裏も表も知りつくしている、ある関係者は、デビューしたての若いタレントには、必ず「あいさつの大切さ」を教えるという。
 「現場に入ったら、すぐに先輩やスタッフに『おはようございまーす。今日も、よろしくお願いしまーす』と、大きな声であいさつしなさい。それが、長く芸能界で生き残ってゆくコツだ」と。
 なるほど、あいさつしなければナマイキなやっと思われるから……というのではない。もちろん、そういう理由もあるだろうが、もっと大切なことは、撮影の現場に行って、
  「おはようございまーす。今日も、よろしくお願いしまーす」
 と、大きな声であいさつすれば、すでに現場のあちこちで撮影の準備で忙しそうにしているスタッフ全員が、それぞれ顔を上げ、
 「うおーっす。よろしくお願いしまーす」
と、大きな声を返してくる。
 この「あいさつのやりとり」によって、いい空気が生まれてくる。これを「大切にしなさい」というのだ。あいさつひとつで、スタッフ全員がひとつになり、いざ本番となったときに、出演者もスタッフも、みんなが「すーっと入っていける」のだそうだ。
 大工の棟梁も、若い人には、必ず、「現場に入ったら、大きな声であいさつしろ」と、教えるそうだ。その理由を聞いて、私はちょっと驚いたが、
 「元気なあいさつのない現場では、事故が起きやすい」

 というものだった。そんな統計など、おそらくあるまい。けれども、棟梁の経験から、実感として身についた哲学なのであろう。
 たしかに、朝、現場に来て、誰と顔を合わすわけでもなく、黙って自分の持ち場に行って、それぞれが自分の仕事をしている……このような雰囲気では、事故が起きやすいことは、素人でも想像できよう。
 工事現場というのは、もともと事故が起きやすい。朝、顔を合わせたときに、お互いに「声をかけ合う」ことで、それぞれの人に心理的余裕が生まれ、それが事故の確率を小さくしているのであろう。そういう意味でも、あいさつというのはバカにできない。 

見 る

「ヒトの見方」養老孟司、ちくま文庫、1991

P25

 メガネザルというサルがいる。眼がたいへん大きく、二つとも前を向いている。前を向くのはあたりまえだ、と思われるかもしれないが、そうは言えない。サカナやトリの目玉はたいてい横を向く。ウサギのように、年中あたりを見張らなくてはならない弱い動物でも、視界を広げるように、目は横を向く。ウサギの場合、両眼による正常の視界は、三五一度に達する。見えないのは、真うしろの九度、たかだか尻尾の延長線上だけである。フクロウの目は例外的に二つとも、前を向いているから目立つ。だからあの顔は子供がすぐに親しむ。ヒトの顔に似ているからである。
 ところでメガネザルは眼球が大きすぎて、眼嵩を満たしてしまう。このため、眼球運動ははなはだ不自由である。それを補償するため、首がよく回る。首を真うしろに回すことができる。つまり、頚椎の運動性が非常に良い。そこが変っている。
 ヒトの見方を論じる場合、首の運動がどの位良いか、これはやってみなくてはわからない。案外いろいろなものが見えるかもしれないが、どこかで首の骨を折るかもしれない。たとえメガネザルでも、自分の首は見えないというのが、安全の原則にはかなっているのであろう。
 これは、「専門的に見る」ことを意識的に統御できるか、という寓話である。

フランスと日本の電車内風景の違い

「巴里夢劇場」鴨志田恵一、朝日新聞社、1990
P157
 昼食のテーブルを囲みながら、訪日した記者が蝶ネクタイの社長にこんな報告をしている。
 「社長、日本人は地下鉄や列車の中で熱心に新聞や本を読んでいると聞いていましたが、これは事実ではなさそうでした」
 「どういうふうなのか」
 「みんな眠ってました。ズラッと。新幹線は昼間から寝台車のような様子です」
 「眠っている? 何だろうそれは。麻薬をやっているのか」
 「社長、日本人は麻薬などやりません」
 「働きすぎだな。みんな疲れ切っているのだろう」
 「それが、あまり働いているようにも見えません、若い娘たちも平気で、車中で眠っているのです」

 「フーン。それは不思議だ」
 二人は次に、私の方を向き直って真顔で問う。
 「なぜ、日本人は電車の中で眠るのか教えて下さい」
 社長は、米国の大学で学び、欧米各国事情には詳しいのだが、アジアには疎く、日本にもまだ行ったことがないのだそうだ。緊張気味の記者のみやげ話を興味深げに耳を傾けていた。
 地下鉄と睡眠の関係について、私はどう答えたか。こんな困った質問もないのであるが。
 「日本人が乗り物の中で眠るのは、つまり乗り物内の安全が確保されているからだ。安心なところに身を置くと、われわれは眠くなる」
 乗り物内が安全だ、というのがまず相手には想像できていない。安全だとしても、他者の目前で自分の意識を放棄する睡眠などをすること自体が、理解できないだろう。
 「公共の場へ出ると、日本人は緊張もするが、むしろ気がゆるんで無責任になる。電車内の他人の目といっても、まあ家族、同僚みたいなものだから平気なのだ。寝過ごしそうになると、隣の人が起こしてくれる、なんてこともある」
 「??・・・・・・」
 私はますます、相手を混乱させてしまったらしい。パリのメトロにはあらゆる国籍、肌色の人が乗っており、みんな意識をパンパンに張って、眠る人など皆無である。本や新聞を読んでいる人もさり気なく周囲に気を配っているものだ。職場で居眠りなどすれば、目覚めると机がとられてしまっているような空気が街中を支配している。
 電車内風景の両国の相違は、これでなかなか重大な論議ではなかろうか。つまり、それぞれの国における自己と他者の関係というものが凝縮されている図なのだ。少し飛躍すれば、これは両国の政治のありかたも象徴するものであろう。                        
 意識の問題とは別に、肉体の強さのことも考えねばなるまい。とにかく、フランス人は強靭な 身体を持つ。食べること、しゃべり続けること、立ち続けでいること、他者との接触、葛藤ーーーあらゆる面でタフである。生まれてこのかたのたんぱく質、カルシウムの摂取量が、われわれとはケタはずれに豊かである感じだ。フランス女性らは一見華奢に映るが、あれで消化酵素もホルモンも、たくましいのである。
 だから、彼らはつねにキリッとしている。昼間など眠らない。キリッとしすぎるくらいで、朝から晩まで、一生涯よくそれで疲れないものだと、感心させられる。日本びいきのフランス人は、あのニッポンのとろんとした雰囲気がたまらない、と意外なことを言う。
 日本に住んだフランス人こそ、帰国すると、使いものにならないのかもしれない。
 社長との対話の続きであった。私は、これまでの説明が相手に理解されていないのがわかるので、話をすり替えて、実は日本の朝の超満員の通勤電車では、みな懸命に新聞を読んでいるのだと言ってみたかった。                                     
 するときっと、こう質問されて余計に困ったことになるに違いない。
 「そんな状態の時に、なぜ新聞を読むのか。第一身動きもできないとかいうが、物理的にどうやって読むことが可能なのか」と。
 これまた、かなりの論議ではあるまいか。 

麻 雀

「男の作法」池波正太郎、新潮文庫、昭和59年

P95  麻 雀

 若いうちにはわからないが、やはり若いうちにしかできないことがあるということを、若い人は覚えておいたほうがいいね。
 今の若い人たちは、学生の時代は勉強に追われて大変でしょう。だけど、大学へ入ってしまったら受験勉強の反動で、さあ遊ぶぞというのも少なくないそうだね、聞いた話だけど。何のために大学へ入るのかねえ。
 まあ、やがて社会に出て、会社へ勤める、と。ひまがあれば映画を観る、本を読む、音楽を聴く、あるいはちょっと知らない土地へ行ってみる。いろんなことができる時代なんだからね、若いころというのは。つまり、自分に対して将来役立つような投資をする時代なんだよ。
 それを、明けても暮れても麻雀というのではねえ。ぼくも賭け事は一通りやったけど、ぼくの場合、やっぱり気が短いんだよ。タラタラ、タラタラ時間がかかるのは一番嫌いなんだ。
 ぼくにいわせると、もっともくだらないのが麻雀だね。麻雀ほど、肝心の若い人の時間を無益に過ごさせる賭け事はないんだよ。勝っても負けても、結局一通りルールを覚えれば、もう新しい発見は別にないでしょう。そりゃあ好きな人にいわせれば発見はいろいろあるんだというかもしれないけどさ。
 一回やって終わるならまだいいけど、どうしてもたて続けで、ぶっ通しでやるわけでしょう。当然、健康にも悪い影響がないはずがない。まあ、年齢をとってからなら自制もできようし、やってもいいけどね。
 だいたい麻雀というのは、昔の中国人で功成り名遂げて、金もあって、ひまもあるという中年以上の人たちがなぐさみにやったものなんだよ、元来。若い人がするもんじゃないんだよ。ゴルフもそうだね。
 若い者はもっとほかに、しなければならないことがいっぱいあるんだよ。何度もいったように十年、十五年がたちまちのうちに過ぎちゃうんだから。
 遊ぶことは結構だよ。だけど、同じ遊びにしても、もっとほかにあるでしょう。自分の何か得るところがある遊びが。だから、パチンコが好きで、麻雀が好きで、三年間麻雀とパチンコばかりやっていた人と、映画というのも一つの娯楽だけど、その映画狂の若者と、三年たったら全然違いますよ。映画だけでも麻雀やってる人よりもいい。

「感じる力」を磨く

「運に選ばれる人 選ばれない人」桜井章一、講談社+α文庫、2007

P73

情報のないところで当てていく
 「感じる力」があれば、考えるより感じて判断したほうが的を射ます。しかし最初に感じたことひとつで判断するのは、慣れていないと怖いものです。不安や怖さをなくすには「感じる力」を磨くしかありません。「感じる力」が増せば、判断が当たる確率は必ず高まります。
 私は麻雀で、とにかく間違えても転んでも損してもいいから1秒で打てと教えます。ふつうは失敗や損をしないように時間を使おうとします。怖いから時間を使う。不安だから時間を使う。でも間違えても転んでもミスってもいいから速く打つのです。そのうち、だんだん速く打つために必要なこと、つまり的を射る感じ方がわかってきます。

 では、ふだんの生活で感じる力を鍛えるにはどうすればいいか。ひとつは情報や知識のないところで意識的に当てていくことです。たとえば初対面の人と会った時、家族構成は? どこに住んでいるのか?趣味は何か? といったことを推測してみる、これも情報や知識のないところで当てるということです。
 物事を判断する際、私たちは判断材料として情報や知識を出来るだけたくさん集めようとします。それが少ないと不安になりますが、あえてそうしたものに頼らず判断や推測を行うようにするのです。
 「人間は考える生き物だ。動物は考えることが出来ない。つまり考えることは人間だけに許された特権だ。それが人間であることの証であり、だからこそ考えることは大事である」と哲学者は言います。
 このように考える行為はひじょうに尊重されています。でも反対に考えることによるマイナス面はあまり語られることかありません。
 「考えるな、感じろ」と私のように言うと、「人であることをやめろと言うのか、動物のようになれと言うのか」と思う人もいるかもしれません。
 しかしながら実際、情報や知識に頼りすぎると判断が間違いを犯す確率は高くなるのです。考えれば考えるほど、的を射る勘は鈍くなります。生きとし生けるものは感ずる力をなくすと、生き物としてのバランスを失います。
 情報や知識はどんどん捨てていったほうがいいのです。情報や知識に依存して判断の的を射ても、その時使われた情報や知識がその後もずっと有効な判断材料であり続ける保証はありません。
 しかし的を射る「感じる力」があれば、それはいついかなる種類の判断に際しても臨機応変に使えるのです。

運に選ばれるために  情報や知識に頼らない判断力は、すべてに応用がきく。

運とは口説くもの。

「心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣」長谷部誠(院長註:サッカー選手)、幻冬舎、2011

P109

運とは口説くもの。
 2003年のナビスコカップ優勝や’07年のACL優勝など、浦和レッズ在籍時には計6つのタイトルを獲得した。この6つの優勝が決まったすべての試合において、試合終了の時点でピッチに立っていたのは、僕だけだった。途中出場のときもあったけれど、なぜか試合終了の瞬間にはピッチにいた。ただ運が良かったとも言えるけれど、自分としては7年間レギュラーに近いところに居続けたということの証だったと思っている。
 そういったことも含めて、僕は取材などで「長谷部さんは運がいいですね」と言われることがある。「いいですね」と言われれば、「いいです」と答える。確かにそれは事実だけれど、どこかしっくりこない。「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助さんが言うように運というのは、自分が何か行動を起こさないと来ないものだと思っているからだ。
 さぼっていたら、運なんて来るわけがない。
 それにただがむしゃらに頑張っても運が来るとは限らない。
 普段からやるべきことに取り組み、万全の準備をしていれば、運が巡ってきたときにつかむことができる。多分、運は誰にでもやってきていて、それを活かせるか、活かせないかは、それぞれの問題なのだと思う。
 だから、僕は試合後に、「ツイていたね」とか「運がよかったね」と言われるのが嫌いだ。ギリギリのところで運が味方してくれるのは、ただ運がよかったわけではなく、それにふさわしい準備を僕がしていたはずだから。
 逆に、「運が悪かった」とも思わない。結果が悪かったときには、「運」を味方につける努力が足りなかったのだと思っている。
 以前、代理人のロベルト佃さんと運について話したことがある。ロベさんはアルゼンチンのことわざについて教えてくれた。
 「スペイン語で運(la suerte)は女性名詞。だから、アルゼンチンの人たちは「運を女性のように口説きなさい」と言うんだ。何も努力しないで振り向いてくれる女性なんていないだろ?それと同じで、運もこちらが必死に口説こうとしないと振り向いてくれないんだ」
 異性を口説くのと同じように、運も口説きなさい。ユーモアがあって、堅苦しくなくて、僕はこのアルゼンチンのことわざを一発で好きになった。
 運を口説くことに関しては、とことんうまくなりたいと思っている。これからも、あの手、この手で運の女神を振り向かせたい。

味覚修飾物質

 「脳のしくみ まるごとわかる潜在脳力」泰羅雅登、池田書店

P96 

 味覚は物質が受容体に作用して起こります。そのことからいろいろとおもしろい現象が起こります。例えば、味覚修飾物質というものが見つかっています。有名なのがミラクルフルーツで、この実を食べた後ではレモンなどの酸っぱいものを食べても甘く感じます。これはミラクルフルーツのミラクリンというタンパク質が甘味受容体に結合し、酸が作用すると甘味受容体を刺激するからです。
 これ以外では甘みを感じさせないギムネマ酸なども有名です。ギムネマ茶を飲んだ後は甘みを感じなくなるため、ケーキを食べてもおいしくない、ということでダイエット茶として利用されています。

 (院長註:先日このミラクルフルーツをタレントさんが食べているところをTVで見ました。このまんまな反応でした。)

ジャスミンの香り

  「脳のしくみ まるごとわかる潜在脳力」泰羅雅登、池田書店

P98

 嗅覚も味覚と同様に化学感覚であることはわかっていますが、スカトールの濃度が高いと便のにおいがするのに濃度が低いとジャスミンの香りになるように、同じ物質であっても濃度によっては悪臭にもいいにおいにもなるという点が異なります。

(院長註:ちょうどここを読んでる最中に、誰かが「ファミリーマートのプライベートブランドのジャスミン茶すごくおいしい。」とつぶやきました。ちょっと複雑な心境になりました。)

フェロモン

 「脳のしくみ まるごとわかる潜在脳力」泰羅雅登、池田書店

P100

 動物によって作られて、遠く離れたところにいる、他の同種の動物に内分泌的、行動的、あるいは生理的変化を引き起こすような物質をフェロモン(pheromone)と呼びます。人も含めて、霊長類でもフェロモンの効果はあるといわれています。例えば女性は仲のよい友達や、ルームメイトの女性と月経の周期が同期する傾向にあり、女性のわきの下のにおいは生理の周期を変化させる可能性があることがわかってきています。また、乳幼児は知らない女性のよりも自分の母親の胸あるいは腋窩(えきか)をぬぐったパッドのほうを好むことが知られています。
 においは味と同じく情動に訴えるところがあるのは間違いありません。

嗅覚

「からだの見方」養老孟司、ちくま文庫、1994

P38

 ヒトが属する哺乳類では、実際に嗅覚はきわめて大切な感覚であり、多くの動物が鼻を頼りに生きていることは、よくご存知の通りである。イヌはきわめてよく人を嗅ぎ分ける。先日、西ドイツの警察でブタを訓練し、麻薬を簡単に見つけさせるようにしたという記事が出ていたが、実際に空港では利用していない、ということであった。これはおそらく、ドイツ人のあだな、ブタに関係があるらしい。その国の第一印象を決める空港に、動物、それもこともあろうに、ブタがいたのでは、いささか具合が悪いからかもしれない。フランス人がブタをトリュフ、つまり地下のキノコを見つけるために利用するのはよく知られている。

 多くの哺乳類では、臭いを出す腺、すなわち放臭腺が身体のあちこちに存在している。そこから放出される臭いによって、さまざまなことを「伝える」。イヌでは肛門の周囲にその種の腺が集合する。だからイヌどうし、お尻の臭いを嗅ぐ。ウンコクサイかどうか、それを調べているわけではない。放臭腺はたとえば異性を誘引するものであり、したがって、そこから出される成分は、じつは香水に似たものが多い。ジャコウというのはそういうもので、化学的には環状ケトンなどという構造を持つ物質を含む。もちろん、異性の誘引だげではなく、害敵の防御に放臭腺の分泌物が使われる場合もある。肛門周囲の腺から出る強烈な臭いで有名なのは、スカンクである。スカンクの腺は、解剖学的には、じつはよく調べられていない。その理由は、ご想像いただけるであろう。成分が腺の中にしまってあるからいいので、その袋を解剖してしまったら一巻の終わりである。当分の間、研究室は使用不能になる。わが国では「イタチの最後っ屁」が著名なものである。

(院長註:人間の嗅覚が鈍くなったのは、直立歩行により、臭いをかぐ地面より遠ざかったことも関係あるようです。) 

養老先生の解剖学への基本的な考え方

「ヒトの見方」養老孟司、ちくま文庫、1991

P83

(前略)

 一方、医学部では、ほとんどの学生が臨床家になるわけですから、この人達に対する基礎医学教育は重要であります。しかし、基礎教育の質と量の按配はなかなか難しいと思います。たとえば、基礎医学をきわめて熱心に教えたとしたらどうでしょうか。私どもの大学(院長註:東大医学部)では、しばしばたいへん優秀な学生が入学してきます。こうした学生の教養課程の成績を見ますと、数学を含めた自然科学系はほとんど百点、語学は第一第二のほかに、あろうことか第三、四、五まで取り、その点数はほぼ九十点以上などという者がいます。こんな学生に解剖学をあまり熱心に教えますと、解剖学用語などは全部記憶してしまいかねません。ゆえに、教えかたにも手加減が必要かと愚考します。
 さて、おそらくは臨床家になるだろうと考えられる学生に対する解剖学教育の目的ですが、私はそれを、人体についてその学生なりのある形態学的な像を創ってもらうことだ、と考えています。
 こうした像は、もちろん完成した定型ではなく、一生の間に必要に応じて変化し、また不必要なら消えていくものです。ですから、私どもはそうした像をはじめから完成したものとして学生に与えることはできません。それが本質的には各人固有のものだからです。当然のことですが、この像は、常に現実という詳細を通じて与えられ、自然に育ってゆきます。

 解剖学が実習を徹底的に重視する理由は、ここにあります。他の学問分野では、人間が持つ考えの筋道の方がより重要な場合があります。そうした筋道は、記号や言語を用いて学生に十分伝えることができます。しかし、解剖学では、視覚的な現実がまず何より優先します。学生は、目の前に存在する人体を、何はともあれ、自分の頭に入るような形に整理することを知る必要があるわけです。しかし、人体というのは、頭の中に入れるために元来でき上がってきたものではありませんから、ここにさまざまな解剖学教育の問題点が生じてきます。
 たとえば、学生であれ教官であれ、現実という詳細そのものを学の目的と考えることがあります。こうした誤りは、解剖学では詰み込み主義とか、暗記の強要とかいう形で、よく非難されます。ある場合には、解剖学そのものがそういうものとして非難されます。しかし、右で述べたような教育の目的をお考えいただければ、それが短見であることはご理解いただけるかと思います。たとえば、局所解剖学的な知識は実用上は有益なものかもしれませんが、ふつう解剖学教育ではとくに重視されません。その理由もまったく右に述べたごとくです。そうした知識は、各人が後に自分の頭に付加していけばよいのです。

 (院長註:教官も本気で解剖学用語をすべて暗記させるつもりではないのですね。安心しました。)

「新ヒトの解剖」井尻正二、後藤仁敏、築地書館、1996

P197

 解剖学用語 日本解剖学会で定めた、からだの部位・器官の名称・その各部位・方向などについての日本語とラテン語からなる専門用語。約七〇〇〇の一般解剖学用語のほか、約二八〇〇の組織学用語と約二一〇〇の発生学用語がある。これまでの解剖学の教育では、学生はこれらの用語の丸暗記をさせられていた。しかし、最近では暗記ではなく、理解させる教育がおこなわれるようになってきている。

(院長註:昔、「東大に合格するのに必要な英単語数は?」と言う議論があったような気がします。確か5〜6000語という数だったと思います。しかも中学、高校の6年間で。倍近い単語数を1年間で、しかも不慣れなラテン語で覚える・・・・。)

ボスにはストレスがない

「『非まじめ』対談 生きもののデザイン」森政弘編、講談社文庫、1986

P149

森政弘 東京工業大学工学部制御工学科教授 (院長註:ロボット学者)

五島雄一郎 東海大学医学部付属病院院長

 五島 私、十四、五年前に建長寺のお坊さんから血液と皮下脂肪をもらいまして、お坊さんは長生きする人が多いから血液中のコレステロールだとか、皮下脂肪の脂肪酸の構成が、われわれ俗人とどう違うかということをね(笑)、調べたんですよ。そうしたらやっぱり、だいぶ不飽和の脂肪酸が多い。禅宗の坊さんは大体動物性のものは食わんでしょう。動脈硬化が進行しにくいんですね。食生活もあるし、それからストレスがないんですよね、長生きする理由の一つには。
 森 精神の安定得てますと長生きしますね。
 五島 全然ストレスがないんですよ。で、そんなことをぼくがちょっと本に書いたら、川島四郎さんという栄養学者から手紙と電話が来まして、お坊さんが長生きするというのはうそだって言うんですよ。あんた永平寺に行ったことあるかって、二十歳そこそこで死んだ坊主の墓がたくさんあると言うんですよ。それで私その永平寺へ行ってみる機会があったもので、見たら確かにそうなんですね。行を見たらこれはまたすごいんですね。
 森 実は私、永平寺の系統のお坊さんの研修会の講師なんかをやらせてもらったこともあるんですよ。
 五島 そうですか。
 森 昔のままの修行でしょう。それで無理がたたって、いためることが多いようですね。
 五島 結局、結核で死んだんですね、昔は。一種の栄養失調ですよ。たとえば朝一汁一菜でしょう。しかも動物性の脂肪はとらない。そして荒行をやって結核にかかって死んじゃう。だからそういうようなしごきに耐え抜いた人が長生きしているんですね。決して坊さん全体が長生きすることではないんだということのようですね。
 森 でも、大僧正はたいてい長生きですね。
 五島 変な話だけれども、動物でもサル山のボスザルにしても女王蜂にしても、ボスになるようなのは、長生きする手だてをうまく知っている。ボスになるとストレスないんじゃないかと思うんだが。
 森 副官ぐらいがストレスになって。
 五島 そうそう、相手にはストレス与えても自分にはストレスにならないんですよ。政治家なんかを見ていると、政治なんてものすごいストレスになると思うんですね。ところが案外そうじゃなさそうで(笑)、結構人生楽しんでいるようですよね。相手にはストレス与えるけれども、自分にはストレスにならないんじゃないですかね。どうもよくわからないけど。同じストレスが人間に加わった場合、その人の職業なり環境なりによってストレスの加わり方はまるで違う。たとえば大学騒動が起こった場合、大学の教授たちにとっては大変ストレスになります。そのために大学の教授の中に胃潰瘍になったり高血圧になったりするのがいっぱい出てきた。ところが一般社会人にとっては全然ストレスにならないわけですね。
 森 それを見てストレス解消したりする人がいるから(笑)。
 五島 経済的な不況が起こると、われわれ大学にいる者なんかには何らストレスにならないわけ。ところが企業の人たちにとってはものすごいストレスになる。

歯科麻酔科

 9月28日(土)の報道特集を見ました。公益通報者保護法に関する話題で、資格を持たない歯科医師に全身麻酔をさせたと内部告発した女性医師が、勤務先をやめざるをえなくなって、前の勤務先を訴えているという話でした。

 医師もTBSもまったくわかっていないと思いました。歯科医師も全身麻酔はできます(資格はあるという意味です)。口腔ガンの手術でガンの摘出から再建まで10時間以上かかる場合もあります。下顎前突症で顎を切って奥へ入れる手術もあります。事故で顎の骨を折ったりした場合の手術もあります。口腔外科でやります。全身麻酔でやります。誰が管理をするか?専門のトレーニングをつんだ歯科麻酔医です。全身管理をするという点では一般の麻酔医となんら変わりはありません。(後、障害者や障害児で身体のコントロールがうまく出来ない人を、全身麻酔で一気に歯科治療をやってしまうということもあるようです。)

 実際、昭和大学歯学部の歯科麻酔科の飯島教授が杏林大学医学部の麻酔科の准教授だったとは以前にも書きました。院長が数年前に講義を受けた九州大学歯学部の歯科麻酔科の教授は、前職は高知大学医学部の麻酔科の准教授だったそうです。講義の際に司会者に「歯医者が国立大学医学部麻酔科の准教授になったのははじめてじゃないですか?」と聞かれて「2人目。」と答えておられました。

 日本で初めて歯科麻酔学の教授になられたのは院長も講義を聞いた久保田教授だと聞いています。東京医科歯科大学医学部と歯学部を卒業されて、ダブルライセンスをお持ちで、ご実家は歯科医院だったとお聞きしています。

 今、歯科麻酔科の教授はほとんどが歯科医師のみのシングルライセンスでやられていると思います。

死亡診断書も歯科医師が書けます。資格があるという意味です。ま、院長は全身麻酔をやったことも、死亡診断書を書いたこともありませんが・・・。)

熊本県立装飾古墳館

 USAと書いて何と読むか?答えは宇佐だそうです。宇佐市内のいろんな所で目にしました。

 先週、宇佐の大分県立歴史博物館で熊本のチブサン古墳の色彩が紹介されていました。調べているうちに、全国に装飾古墳は660基見つかっていて、そのうち195基が熊本にあり、全国一の数だとわかりました。熊本県立装飾古墳館というのがあることがわかり、日曜日に行ってきました。えらく近代的な建物だなと思って、帰って調べてみたら、安藤忠雄さんの設計でした。建物自体が古墳の形をしているそうです。いろんな古墳のレプリカが飾られていて、レプリカですので写真撮影も可能なようでした。古墳の感じが実体験できるようになっていました。入館料410円です。一度は行ってみる価値があると思いました。

 あと、帰りに分館の温故創生館というところにも寄りました。こちらも広大な観光地で驚きました。入場無料です。

 「色イロいろ 日本文化の色彩紀行」大分歴史博物館、P2

聖なる赤い色―死と再生ー

 古代の人々は、赤色にどのような死生観や社会観を持ったのでしょうか。
 弥生時代から古墳時代は、朱(硫化水銀)やベンガラ(酸化第二鉄)などの顔料で鮮やかな赤色に彩られた墓や土器がみられます。
 赤く塗られた土器は、死者へのお供えであったり、祭り(祭祀)に用いられていました。ここには朱へのこだわりがみえます。
 また、色彩表現の乏しい時代、貴重な赤い色を墓や棺に塗ることで、悪霊の進入を防ぎ、死者を葬るといった願いが込められていると考えられています。
 朱(赤)色を通して古代人の色彩感覚を感じていただきたいと思います。

北斎も使っていた舶来絵具

 「色イロいろ 日本文化の色彩紀行」大分歴史博物館、P15

舶来顔料.jpg

 海外では、十七世紀に入って、化学者たちによって数多くの人工無機顔料が開発されました。日本では、江戸時代後期ごろから、これらの顔料が輸入され始めました。
 代表的な人工無機顔料として、一七〇四年にドイツで開発された青色顔料の「プルシヤンブルー」が挙げられます。別名「べロ藍」とも言われます。科学的な調査によって、葛飾北斎など当時の絵師が、プルシヤンブルーを使っていたことがわかっています。
 写真⑭〜⑯の人工無機顔料は、江戸時代後期以降に輸入されて使われた顔料の一部です。それまで使われてきた天然の岩絵具とは、色の鮮やかさが異なります。
(院長註:顔料とは、水などに溶けない有色の粉末絵具のことだそうです。)        

人間の故郷は左

「非まじめ」対談 生きもののデザイン、森政弘編、講談社文庫、1986

森政弘 東京工業大学工学部制御工学科教授 (院長註:ロボット学者)

豊倉康夫 東京都養育院付属病院院長(院長註:東大医学部神経内科初代教授、脳科学者)

 森 この間お料理の時間、テレビを見ていましたら、料理の先生がこういうカレイは安いから買ってらっしゃいと言うんですよ。煮魚でも塩焼きでも、頭を左側につけないとサマにならない。右側に頭が来てるのは料理屋では出せない。カレイやヒラメはどっちかに目がついてるでしょう。ですから左に頭が来て目が上に来るカレイかヒラメじゃないと値がつかない。左に頭持ってきたときに下側に目が行っちゃう魚はものすごく安いわけ。だから家庭で食べるなら安いのを買ってきた方がいいというんですよ。
 豊倉 その話は初めて伺いましたけれども、それは日本特有の現象ですね。非常におもしろいですね。

 森 僕は十六ミリを写すことが好きなもので、ロボットのおもしろいのができると写すんですが、この間デコボコのところを歩いてゆく六本足のロボットができたんです。それを撮影しておこうと思って構えると、やっぱり真横の方からよりも、斜めから写すときは左から右へ来るところを狙いますね。映画の編集の方法とか、カメラの使い方とかの教科書を見ると左が素直なんですね。左上のコーナーをロマンチック・コーナーと言うんですよ。ブラウン管でも劇場でも月を見る左上のコーナー、あそこから俳優が入ってくるのか一番素直ですんなりくるんです。全学連が突っ込んでくるときには右から入れないとサマにならないんですね。要するにみんな意味を持っているんです。
 豊倉 よく判ります。こどもの描く絵が象徴的で、太陽をどこに描くかとか、それから一枚の紙を四つのコーナーに分けまして、過去、現在、未来、願望だとかいう心理学者の仕事もありますね。先生がおっしゃった左から入る、右から入るというのは、かなりわれわれの感覚にとっては重要なことなんですね。
 森 本当に重要なことですね。
 豊倉 そういうことは利き手の問題とは違うんですね。不思議と人間は左側に寄って歩くんです。それから狭い通路からパーテイなんかの広い会場に出るときには、左右どちらの選択もできるわけですね。ところがどうも左側にそって行きたがる。港町の歓楽街は上陸した左側にあるのが多いと聞きました。だから、人間のふるさとは左なんですよ。
 それは左に心臓があるということと非常に関係があると思うんですね。それから盾を左に持って右に剣を持つ。これもいろいろな解釈があって、心臓を守るとか、敵を攻撃するときのために右手をあけておくとか、いろいろあるんですけれども、昔の武士が馬に乗るときにどっちから乗るかということにも関係してくる。なぜかというと、右利きの人は剣の鞘を右には絶対に差さないでしょう。長いから左に差すわけですよ。それから、左足の方が支え足である。だから馬は左から乗る。
 森 本当に馬は左から乗りますにね。自転車だって左から乗ります。右からなんて乗れたものじゃない。よほど練習しないとね(笑)。
 豊倉 そういうことは利き手とは関係がない。何かわれわれがインプリントされたり、剣は同じ側に差せないという単純な事実のために決まってしまうこともあるわけですよ。だから私は右利き左利きということに対してはいつも疑問を持っているわけです。

大分宇佐でゼロ戦を見たよ

 連休を利用して大分に行ってきました。21日土曜は夕方まで診療して、その日のうちに大分へ。翌22日日曜は早朝から宇佐神宮参拝。広大さにびっくり。大分の代表的なパワースポットだということです。次に下調べしていた宇佐市平和資料館に向かいました。ナビに従って到着すると倉庫のような建物が。それが目的地でした。

宇佐市平和資料館.jpg

 中に入ると実物大(1/1)のゼロ戦が。

宇佐のゼロ戦.jpg

 12月に公開予定の映画「永遠の0(ゼロ)」の撮影に実際に使われたものらしいです。作者の百田尚樹さんが9月28日(土)に宇佐に来るとのポスターを街中のいろんなところで見かけました。飛行機の向こう側に階段が設置されていて、操縦席が覗き込めるようになっていました。見られてよかったです。感激しました。入場無料です。入場の際に簡単なアンケートを取られて、「どこから?」と聞かれたので、「熊本から」と答えると「えっ、そんな遠くから」と驚かれていました。今年6月にできたそうですが、実際、熊本ではほとんど知られていないでしょう。ゼロ戦は映画撮影用に2ヵ月ぐらいで作った模型だそうですが迫力十分。映画は岡田准一さん、三浦春馬さん、井上真央さんらが出演されるそうです。

 宇佐神宮の宝物館で、熊本でもTVCMが流れていた「草間弥生展」のポスターを見つけ、まだやっていると気付き、急遽、大分市美術館へ。大急ぎで見て、遅めのお昼は安心院(「あじむ」と読みます)のワイナリーレストランで。ナビに任せていたら山中の細道に。引き返そうかと思ったら急に開けて、そこが目的地でした。その後、当初の予定だった大分県立歴史博物館へ。ちょうど「日本文化の色彩紀行」という展示会をやっていて、古墳の壁画から始まる日本人の色彩感覚についての紹介がされていました。飛鳥時代には冠位十二階が色で表され、十二単衣(ひとえ)のグラデュエーション、源氏物語の作者の名前は色ですし、絵画や食器、お面、最後は花火にいたるまで色に関する特集でした。常設展示も宇佐近辺の歴史を紹介し、宇佐神宮の大型模型までありました。入館料300円で非常に満足。少し早めにホテルに帰ってリラックス。充実の一日でした。

経験的に左に抱く

「非まじめ」対談 生きもののデザイン、森政弘編、講談社文庫、1986

森政弘 東京工業大学工学部制御工学科教授 (院長註:ロボット学者)

豊倉康夫 東京都養育院付属病院院長(院長註:東大医学部神経内科初代教授、脳科学者)

P110

 森 赤ちゃんを抱くのはどっち側か多いとか、それは赤ちゃんに母親の心音が聞こえるからだとかいうことを先生は研究されたそうですが。
 豊倉 私のもともとの研究は、足の指がそり返ることの問題の方でして、バビンスキー反射というんですけれども、それに熱中していた時代があるんですよ。そこで平凡社の美術全集十何巻の中の聖母子像、マリアとキリストを百点くらい集めて、キリストの足の親指がそり返ってるのを調べたら、不思議なことにルネッサンス以前には全然なくて、ルネッサンス以後にしかない。ところが、ついでに見ているうちにマリアがキリストを左に抱くのが多いことに気がついたわけですよ。それで統計とりましたら八対二か七対三で左抱きが多い。そのときに親戚の娘でこどもを産んだばかりの母親がいたものですから、それに聞いたら、それは哺乳ビンを右からやるのに左に抱かないとやりにくいからだと言うわけですよ。僕はすぐ反論しまして、ルネッサンスの時期には哺乳ビンはなかったと言ったんです(笑)。それで私はその理由を一生懸命考え始めたわけですね。
 そうしたらデズモンド・モリスという動物学者がいるんですが、その本を読みなさいと、亡くなった時実先生が教えてくださった。モリスは私よりももっと凝り性でして、聖母子像を六百何点か調べて、不思議なことにやはり八対二で左抱きが多いんですね。それでびっくりしちゃったんです。いろいろな実験をやっている人がいるんですよ。マーケットの向いの二階に陣どっていましてね。
 森 赤ちゃんを抱いた人を観察する(笑)。
 豊倉 ええ、そうなんです。男と女では差がなくて、やはり八対二で左抱きが多かった。大体赤ん坊と同じくらいの大きさの紙袋を待ったのがいて、それは左右差がない。中には紙袋をまん中に持ってるのもあった(笑)。赤ん坊でははっきり差があっても、ほかの物体では差がないんですね。
 それから小児科のお医者さんがこどもを診察して、わざと母親のまん中へこどもを返すと、そこで初めて選択が起こりますね。そうすると左に抱く率が七対三か八対二、これもピシッと決まるんです。
 心臓が左にあるでしょう。こどもが子宮の中にいるときに唯一のリズムは母親の心臓の鼓動なんですね。それがインプリントされている、刷り込まれているんじゃないかと心理学者が言いますね。それでへその緒が切れて外界に出たときに、母親の鼓動から離されるわけですね。そこで母親は経験的に、右に抱いているよりも左に抱くと、こどもがあやしやすくて泣かないことを覚えるんじゃないですか。
 それを証明するためにもいろいろな実験がありまして、新生児室を二つに分けまして、一方には心音テープを聞かせ、別の方には別のメロディーを聞かせる。それで泣き声の量を測るんです。それからこどもの体重が生後何日目かにクリティカルに増加するときがある。その増加率は心音を聞かせたグループの方がずっといい。
 モリスが言ってますが、貧乏ゆすりとか、あるいは講演の前になるとドキドキしたり、足が震えたりするでしょう。このtrembling、身震いはやはりインプリントされた心臓の鼓動を再現することによって自分の心を慰めてるんじゃないか(笑)。そういう説がある。それはちょっとこじつけくさいですけどね。それから若い人が好むロックとか、あれもやっぱり不安を慰めるということが書いてあったんですよ(笑)。

右脳と左脳の機能が違うのは人間だけ

「脳のしくみ まるごとわかる潜在能力」泰羅雅登、池田書店、2004

P24

 いわゆる右脳、左脳の働きの違いができてくるのは人間になってからだと考えられています。ニホンザルやチンパンジーでは右脳と左脳で機能の違いは見つかっていません。これはおそらく、人間が言語を獲得したことと関係があるといわれています。理由はわかりませんが、大半の人は言語に関係した機能は左脳にあります。そのほかに利き手と関係しているともいわれています。多くの人は右利きですが、これは遺伝的に決められているようです。右利きですから、左脳がこの手の動きをコントロールするわけです。ちなみに、ニホンザルは左利きが多いといわれています。

犬猫にも右利き左利きがあるか?

「非まじめ」対談 生きもののデザイン、森政弘編、講談社文庫、1986

森政弘 東京工業大学工学部制御工学科教授 (院長註:ロボット学者)

豊倉康夫 東京都養育院付属病院院長(院長註:東大医学部神経内科初代教授、脳科学者)

P96

 森 普通の人の場合、右がどうして利き手になってきたんでしょうね。
 豊倉 どちらかを選択せざるを得なかったということでしょうか。同じように使ったら意味がないんですね。
 森 これは本当にそう思います。道具でもそうでございまして、私こどもの頃から工作が好きなものですから、道具箱を大型用、小型用と整理しているんですけれども、ゆうべ道具箱を開けてふっと気がついたんですが、たとえば電線を切るニッパがありますね。これが僕の箱の中には大中小と三つあります。ネジ回しでもそうです。同じものが三つあったってしょうがないんですね。小さいなら小さいなりに大きいのは大きいなりにそれぞれ分担があって、三種類そろってこそ何でもできる。だから全く違うものが調和がとれて存在することこそがこの自然のからくりだという感じがしますね。

豊倉 そうですね。大中小のネジ回しが手には全部ある。たいへん粗大な運動からものすごく繊細な運動まで非常に融通の利くことがまたすばらしいのですが、利き手とそれを助ける別の手があるというのは一層都合がいいと思います。右利き、左利きは人間に固有だという説がありますね。チンパンジーにも少しありますけれども、なぜ人間に固有になってきたのかということはよく分らない。犬猫も左利き右利きがあるとかないとかいう論争があるようですけれどもね。
 森 低級なことをするときには質の差が連合することはなくてもいいんですね。人間なんかは欲望が激しいですから、進化した形になってしまったんでしょうか。
 豊倉 ライオンは獲物を取るときにどっちの手でパッとやるかというのは何か選択があるように思いますが、研究がむずかしいのかもしれませんね。確かに利き手というのは人類が一番強く持ってるわけですが、それがなぜ圧倒的に右に偏ったのかは不思議ですね。統計で少なくとも九〇パーセントは右利きなんですよ。

噛みしめ呑気症候群と小野繁先生

 9月4日(水)放送の明石家さんまさん司会の「ホンマでっか!?TV」で「噛みしめ呑気(どんき)症候群」」が紹介されていました。その翌日か翌々日に歯科同窓会報が送られてきて、そこに「噛みしめ呑気症候群」の発見者である小野繁先生の回想録が載っていました。読ませていただきましたら、その経歴が非常に面白いので、紹介させていただきます。小野先生は歯学部15回生で院長は34回生です。

 小野先生は東京医科歯科大学歯学部を卒業後、口腔解剖学教室に助手として入局、その後退職され、札幌医科大学医学部を卒業されダブルライセンスをお持ちです。住友炭鉱病院の外科、整形外科から、地方病院へ、中でも帯広厚生病院で本格的な外科医としての修業を積み、聖マリアンナ医科大学形成外科助教授から横浜市立大学医学部歯科口腔外科助教授へ。この助教授時代に心療内科の大御所桂戴作先生の下で学ばれたそうです。こうして外科認定医、形成外科専門医、心療内科、心身医学の専門医を取得されたそうです。外科医で心療内科の専門医で、歯科医で心療内科の専門医は日本で一人だけだということです。

 横浜市大口腔外科で患者さんからの愁訴が多く、精神科を紹介しても神経症ですと答えが返ってきただけだったなど、心療内科医が歯科治療のことを知らずに治療を行っても改善には結びつかない経験を色々されたそうです。そこから桂先生の下で心療内科を勉強されたそうです。歯医者が診なければいけない心身症があるということです。

 同級生だった江藤一洋歯学部長に新しい診療科を立ち上げるということで誘われ、教授になられたそうです。日本で初めての歯学部の心療内科だそうです。

 これだけ医科と歯科を行ったり来たりの御経歴というのはめずらしいと思いました。

 小野先生は「たけしの本当は怖い家庭の医学」に2回出演、みのもんたさんの「思いっきりテレビ」には5回ほど取り上げられたそうです。

 「ホンマでっか!?TV」では、「歯を離せ」と書いた紙を10枚以上目に付く所に貼るというのをユニークな治療法と紹介されていました。

利き足支え足

「非まじめ」対談 生きもののデザイン、森政弘編、講談社文庫、1986

森政弘 東京工業大学工学部制御工学科教授 (院長註:ロボット学者)

豊倉康夫 東京都養育院付属病院院長(院長註:東大医学部神経内科初代教授、脳科学者)

P94

 森 どこへ行くという「行」の字は字引を引いたら、彳が左足でつくりの〒が右足だというようなことが書いてありますね。前へ出ようとする姿が行という字なんです。おもしろいと思いますね。
 豊倉 なるほど。仏像の脚が左右不対称になってる場合、大抵左足で支えて右足を前に出しているんですね。歌舞伎役者の「みえ」もまず左足で踏んばり右足を前に出すんですよ。足と手というのは絶対混同しちゃならんと思うのは、手は足と違ってロコモーションの働きから完全に解放されていますからね。足は体重を支えてしかも歩かなくちゃならないという仕事がたいへん重要なファクターじゃないか。だから足の場合は利き足ということをいう前に支え足がどちらだろうかということの方が重要じゃないかと思いますね。
 森 そうです。蹴飛ばす前に支えるんですからね。
 豊倉 歩く前に足を中空に出すために支えなくちゃならん。手にはそういうことがないわけですね。多くの人の支え足は左なんですよ。
 森 普通は右足から出るんですか。すっと歩き出すときには。
 豊倉 それはいろいろありますが、最初の石段を上がるときには大抵左足で支えて右足を出すんですね。私は利き足という考え方に疑問を持っていましたが、静岡大学の平沢教授の仕事を拝見してますます確信するようになったんです。長く立っておりますと重心が多くの人は左の方に寄るというデータが一つあるんですよ。それから歩いているときの着床時間がわずかに左が長いんですよ。それからもう一つの証拠は両足で立たせますと着地面積がやや左の足の方が広いんです。その三つの証拠から左足が支持脚で右足が運動脚という解釈の方が正しいのではないか、というような平沢先生の仕事に非常に感銘を受けました。つまり、手の左利き、右利きというのと意味が違うんですね。
 森 手と足との左右のアンバランスの意味が違うということですね。
 豊倉 利き手の問題はむずかしくて私はにが手なんですが、あまりにも社会的ファクターが多過ぎまして、ひどいのは母親が直しますからね。

アップルストアの持つ意味

「スティーブ・ジョブズⅡ」ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、2011

P132
 「我々のメッセージを店で伝える方法を見つけられなければだめだと思ったんだ」
 ジョブズは1999年、極秘のうちに、。アップル直営店を立ち上げられそうな経営者を探しはじめる。そのひとりが、デザインヘの情熱にあふれ、生まれながらの小売商といった感じでやる気に満ちた男、ロン・ジョンソンである。アメリカの大手ディスカウントストア、ターゲットで雑貨部門のバイスプレジデントをしており、マイケル・グレイブスがデザインしたやかんなど、特徴的なデザインの商品を開発した経験があった。ジョンソンは、ジョブズとはじめて会ったときのことをこう語る。
 「スティーブはとても話のしやすい相手でした。破れたジーンズにハイネックが現れたかと思うと、すごい店がどうして必要なのかを一気にまくしたてました。アップルが成功するためにはイノべーションに勝利しなければならない。そして、消費者に伝えることができなければ、イノベーションで勝利することはできない、と」
 その次にふたりが会った2000年1月、ジョブズはジョンソンを散歩に誘う。140軒もの店が入ったスタンフォードショッピングモールに着いたのは朝の8時半たった。開店時間前だったので、モールのなかを行ったり来たりしながらモールの構成や百貨店が果たした役割、一部の専門店が成功している理由などを検討した。
 そうこうしているうちに開店時間の10時となり、ふたりはエディバウアーをのぞいた。入り口はモール側と駐車場側のふたつ。アップルストアは入り口をひとつだけにしようとジョブズは思った。そのほうが来店客の体験をコントロールしやすいからだ。ふたりとも、エディバウアーの店は細長すぎると思った。店に足を踏み入れた瞬間、どこになにがあるのかわかることが大事なのだ。
 このモールにはコンピュータを売る店がなく、その理由はジョンソンが説明してくれた。コンピュータのように値段が高く、めったに買わないものを買う場合、多少不便な場所でも車で行けばいいと消費者は考えるし、そのほうが地代も安くすむからというのだ。
 それは違う。アップルストアは、多くの人が歩いているモールやメインの通りに置く。地代は高くても気にしない。ジョブズはそう考えた。
 「ウチの製品を見に10マイル(16キロ)も運転させるのは難しくても、10フィート(3メートル)歩いてもらうことならできるはずだ」
 ウィンドウズユーザーの待ち伏せにもいい。
 「十分に入りやすい雰囲気を作れれば、通りかかったとき、興味を引かれて立ち寄るはずだ。製品を紹介するチャンスさえ得られればこっちのものさ」
 店舗の大きさはブランドの価値を示すとジョンソンは指摘した。
 「ブランドとしてアップルはギャップに並ぶほどですか?」
 アップルのほうがずっと大きいというジョブズの回答に、ジョンソンは、では、店舗もギャップより大きくしなければならないと返す。
 「そうでなければつり合いません」
 ジョブズはマイク・マークラの格言を紹介する。優れた会社は「印象」を大事にしなければならないーーーパッケージからマーケティングにいたるまで、すべての面で会社の価値と重要性を伝えなければならないという例の話だ。
 ジョンソンもその話は正しいと思った。店舗には間違いなく当てはまる。
 「店舗はブランドの強烈な物理的表現になります」
 そう言うと、ジョンソンは、ラルフ・ローレンがニューヨークの72丁目とマディソン街の角に作った、木製パネルと美術品がたくさんある、邸宅のような店舗を若いころに訪れた経験を語った。

 「ポロシャツを買うたび、邸宅のようなあの店舗を思い出します。あれはラルフの考え方を物理的に表現したものなのです」
 「ミッキー・ドレクスラーも、ギャップで同じことをしています。ギャップ製品のことを思うたび、クリーンな空間と木製の床、真っ白な壁、きれいにたたまれた商品というギャップのお店が思い出されてしまうのです」
 モールでの検討が終わると、ふたりは会社に戻り、会議室でアップル製品を手に取ってみた。種類は少なく、ふつうの店舗では棚をいっぱいにすることはとてもできないほどだった。しかし、ふたりはそれを強みだと考えた。自分たちが作ろうとしている店舗なら、製品の数は少ないほうがいいと。ミニマリストで余裕があり、人々が製品を試してみるスペースを十分に確保した店舗にしたいからだ。
 「世間的にアップル製品はあまり知られていません。アップルはカルトだと思われています。カルトからクールなものへと認識を変える必要がありますが、そのためには、ぞくっとするほどクールな店舗で製品を触ってもらうのがいいでしょう」
 店舗は「ヒップ(hip)」と「怖い」を分ける線の明るい側、すなわち楽しくて使いやすい、ヒップで創造的というアップル製品の雰囲気を印象づけるものにするわけだ。

 (院長註:院長も東京銀座のど真ん中のアップルストアに行った事があります。あそこにあるということが強烈なブランドの主張なのですね。)

踊り子

「怖い 絵」中野京子、朝日出版社、2007

(院長註:19世紀後半から20世紀初頭のパリの話です。)

P15

 劇場、とりわけオペラやバレエを上演するオペラ座が堕落していたことぱ、多くの同時代人が証言している。昔からオペラ座というのは観客が舞台にのみ集中する現代と全く違い社交場としての性格の方が強かった。それは舞台横の桟敷席からも明らかなことで、ここは舞台観劇には不向きの場所にもかかわらず、一番ステイタスが高い。なぜなら観客からもっとも視線を集める場所だからで、当時でいえばナポレオン三世の予約席となっており、皇帝はここで他国の君主を接待した。
 同じように他の桟敷席も、富裕な貴族や「紳士」たちが定期予約し、見合いの場に使ったり毎シーズンの社交に利用した。飲食も自由だったし、カーテンを閉じればそこで何をしようとかまわなかった。またこれら高額の桟敷席を持つ客は、上演中であっても自由に楽屋や舞台袖に出入りする権利を持っていた。となれば、容易に想像がつくことだが、「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」(当時の批評家の言葉)となる。
 ではその娼館に常駐している娼婦とは誰か? それが踊り子であった。

 働く女性は軽蔑されていた時代だ。女性が敬意を持って遇されるためには、自立などしてはならなかった。だから没落貴族の娘はせいぜいガヴァネス(住み込みの家庭教師)になるしか道はなかったのだし、上流階級出身のフローレンス・ナイチンゲールが看護婦を志したとき、母親は卒倒しかけ、一族郎党、猛反対したのだ。ましてこのころの看護婦は、無教養で飲んだくれの最下層の老女か元娼婦しか成り手はいないと考えられていた。同じように、お針子は「娼婦予備軍」、オペラ歌手は娼婦と紙一重と見なされていた。実際、当時名を馳せた高級娼婦のうち、「椿姫」ことマリー・デュプレシは元お針子、彼女と人気で張り合ったコーラ・パールは元歌手である。
 踊り子がどう思われていたかも自明であろう。もともとバレエはオペラの添え物で一段格下とされていたから、ほんの一握りの突出したバレリーナは別として、誰も彼女たちを芸術家と考える者などいなかった。そのうえ彼女たちは脚を見せて踊る。まともな女性なら長いスカートをはき、許されるのは踝(くるぶし)くらいまで、と考えられていた時代に、それは現代の感覚で言えば胸を出すのに近い。踊り子志願の少女たちの、ほとんど全てが労働者階級出身だったのは、理由のないことではなかった。
 少しでもいい暮らしをしたい、わずかでも這い上がりたいと必死の彼女たちにとっては、バレエ芸術の真髄を極めるも何も、まずは良いパトロンをつかまえるのが先だった。桟敷席を定期的に借りるほど資力ある男たちも、それは先刻承知である。厳然たる階級制度の中で、幾重もの差別感情を抱きつつ、彼らは踊り子に接近する。めでたく双方の思惑が一致すればパトロンとなって、愛人のためにありとあらゆる利を図るという次第だ。
 こうしてフランスにおけるオペラ上演は、無理を通すパトロンたちのおかげで、どんな作品にもバレエ・シーンを嵌めこむといういびつなものになっていった。イタリアの作曲家ヴェルディほどの大家でさえ、オペラ『オテロ』(シェークスピア『オセロ』による脚本)の初演をパリで行なうとき、憤激しながらもこの条件を呑み、無意味でしかも作品を傷つけるバレエ・シーンを入れざるを得なかった。
 これがバレエ上演となるともっとひどく、パトロンが毎回の演目を決定するしまつ。バレエの芸術的価値はいよいよ下がり、踊り子たちはますますパトロン頼みになり、パトロンたちはいっそう劇場側へ圧力をかけるという、負のスパイラル。一見華やかな当時の舞台の、これが内実だった。

情婦?

「祖父・小金井良精の記 上」星新一、河出文庫、2004

(院長註:小金井良精ドイツに留学中です。)

P147

  明治15年1月。良精は師のひとり、ラブル教授に申し出た。
  「ことしの4月から、ストラスブルグ大学へ転学したいと思います。ドイツ医学界のようすを調べてみましたが、さらに高度な研究をするには、あの大学が適当なようです」
 ドイツでは、学生たちが自分の好きな大学へ好きな時に移って、学問できるしくみになっていた。ラブル教授は言う。
  「それはいいことだ。しかし、それまでの期間、このベルリン大学で、基礎をよく学んでおくことだな」
 その忠告に従い、良精は解剖の実習にはげんだ。上脚動脈、泌尿器、下肢神経、生殖器、上肢下肢の動脈と、人体の各部をしらみつぶしに解剖した。東京の大学ですでにやっていることだが、医学の本場でのそれは、格段に精密なものだった。
 この2月、ベルリンにスタットバーン(市街鉄道)が開通した。そのスピードを珍しがり、良精は何回もそれに乗って楽しんだ。日本人の留学生、清水、阪井、伊東たちが他の大学に移り、遊び相手がへったためでもある。そのため、このころはドイツの学友とも、わりあい多くつきあっている。

 ベルリンにいる留学生は、梅綿之丞だけ。彼とは時どき会っている。『物故人名辞典』は、梅のことを「圭角嶄然(ざんぜん)すこぶる将来を期待された」としるしている。頭の切れる人だったようだ。のちに森林太郎は、べルリンで梅の情婦だったという女と会い、ともにコーヒーを飲んだことを書いている。そして、梅とのあいだにできた子を育てるのに、女が苦労しているのを知り、憤慨した文を残している。
 梅の情婦はどんな女だったのか。良精はそれを知っているはずだが、日記にはまるで出てこない。想像するに、下宿屋の家娘だったようである。

 留学生にとって、性のはけ口が問題のひとつだった。いずれも若く、異境でのさびしさもある。しかし、娼家に入ると十マルクかかり、かなりの出費である。文部省も、そこまで考えて留学費を支給しているわけではない。そこで、安上りな方法として、情婦を作るということになってしまう。
 梅の情婦と子のような悲劇も発生する。林太郎は憤慨しているが、もしかしたら梅は、帰国後、金をつごうして送るつもりだったのかもしれない。だが、梅はまもなく死亡し、その内心は知りようがない。
 日本からの留学生の女性関係、それが明らかにできると面白いのだが、良精の日記にくわしい記述はない。ところどころに〈また奇談ありき〉と書かれている。どうやら、女性問題のうわさ話に興じたことの意味らしいのだが、それだけでは具体的に知りようがない。
 そんなことを書き残すほどひまではなかったようだ。

何者?

「祖父・小金井良精の記 上」星新一、河出文庫、2004

(院長註:小金井良精は明治13(1880)年から明治18(1885)年までドイツに留学しています。)
P143

 良精の日記を引用することにする。ベルリンでの生活にも、しだいになれてくる。

 2月26日〈本日、皇孫の婚姻の式あり。伊東氏とともに桟敷を一〇マルク五〇ずつにて買い、見物す。式の美なること、言語に絶す〉
 いまや上昇期にある、統一ドイツ帝国。その皇孫の結婚式である。招待された各国の王族たち。誇りにみちた士官たちの祝賀パレード。そのはなやかさは、日本からの留学生の目をみはらせるものだったにちがいない。
 ドイツ皇帝ウイルヘルム一世の皇太子はフリードリッヒ親王だが、病気がちの人だった。皇帝の死去のあと、わずかな期間その位につくが、まもなく死去。この皇孫ウイルヘルムニ世がのちに帝位につくことになる。
 3月13日〈家娘をたずさえて、レジデンツ・テアトルに行く。清水氏とともに、ヒルゲンドルフ、およびコッフュス二氏を訪れる〉
 下宿屋の娘とともに、レジデンツ劇場で芝居見物をしたというのである。また、ヒルゲンドルフ(動植物学者)、コッフュス(理化学者)は、いずれもかつて来日し、医学部の教師をつとめ、明治9年にドイツに帰った人。良精もその講義を受けたことがある。日本についての思い出話が、あれこれかわされたにちがいない。
 それにしても、日記文にはもどかしさがつきものだ。情景描写がはぶかれている点である。手紙文なら具体的な説明がなされるわけだが、日記だとそれがない。皇孫の結婚式の美しさも、想像する以外にないのである。
 また、下宿の建物や部屋のありさまも、文章には出てこない。娘なるものの年齢も顔つきも、まったく不明。ただ、良精とよく劇場へ行ったり、スケートヘ行ったりしているところから察して、異国人に親切な、スポーツ好きな女性だったようである。
 しかし、家主あるいは管理人の娘かとなると、これまたあやふやである。伊東の下宿にも、梅の下宿にも、家娘なるものがいるのである。となると、家主にやとわれた使用人といえそうである。

 こんなぐあいに、日記の細部にこだわっていたら、きりがない。思い切って要約しないことには、資料にふりまわされて、話が少しも進展しない。

「風たちぬ」見ました。

 朝から宮崎駿監督引退のニュースが繰り返し流れていました。院長も「風たちぬ」昨日見てきました。9月1日(日)ということで、夏休み最後の日曜日、毎月1日は「誰でも¥1000」の日らしくて、そのせいか、ものすごい人でした。それでも電光掲示板によると毎回満席になるのは「風立ちぬ」だけのようでした。

 主人公の堀越二郎がサバの骨の曲線に美しさを感じ、航空機設計にいかせないか考えたこと、二郎の描いた設計図を見て、上司の設計課長が「きれいな線を引くな(だったと思いましたが)。」と言ったのを見て、三木成夫先生を思い浮かべました。三木先生は東大の医学部に入る前に、九州帝大の航空工学科を出られています。三木先生の描線の美しさは航空機の設計からきているのかと合点がいきました。(三木先生の原図は2つ下の前頭葉の項目参照)

 宮崎監督が堀越達がドイツに行くあたりで涙したと読んでいましたので、特に注目して見ました。貧乏な国の時代に、ドイツより科学が20年は遅れていた時代に、ドイツに行けるチャンスをなんとか活かしたいという当時の研究者たちの覚悟のようなものを感じました。

 院長が最初に宮崎作品を見たのは「ルパンⅢ世カリオストロの城」です。まだ学生時代、里見寮談話室のTVででした。同級生と2人で見終わって、「今のアニメの完成度はすごい!」とうなずき合ったことを覚えています。傑作でした。DVD借りて、全作品を見てみたい気分になりました。

親独の理由

文藝春秋2013年8月号『風たちぬ』戦争と日本人、宮崎駿(映画監督)半藤一利(作家)記念対談

P106(前略)

 半藤 宮崎さん、これはスタッフの方からお伺いしたんですが、今回試写をご覧になりながら泣いたそうですね。
 宮崎 ……初めてですね、自分の映画を観て泣いてしまったのは。はずかしいことです。
 半藤 それは、二郎と菜穂子の場面ですか。
 宮崎 まことに馬鹿げた話ですが、堀越と本庄がドイツに派遣され、ユンカース社の工場に行く場面なんです。映画でも少し描きましたが、資料を読むと、当時、日本の技術者たちは本当にひどい扱いを受けたそうなんです。僕は遅れてきた軍国少年でしたから、何かに触れたんでしょうね。
 半藤 堀越がドイツに行った昭和四、五年ごろは、まだ日本とドイツは親密じゃないんですね。むしろドイツは黄禍論の本場で、日清戦争で三国干渉を主導したり、日露戦争でもロシアの味方、第一次大戦でも敵国同士だった。
 宮崎 高いお金を取って技術提供を約束しているのに、工場の中は見せない。関係する数字だけ持ってきて、別の部屋を用意してそこで勉強しろと渡すだけだったといいます。
 半藤 ドイツが日本に急接近するのは、一九三三年、日本に続いてドイツが国際連盟を脱退して以降です。
 その後も海軍は、日独伊三国同盟に反対してきたのですが、ある時期、親独に転じてしまう。私はこれが不思議でね、海軍の人に会うたびにどうしてかと尋ねたのですが、みなもっともらしいことを言うのですが、さらに聞いていくと、ついに一人が明かした。結局のところハニートラップだったんです。ドイツに留学したり、軍事研究に行った人たちは、女性をあてがわれていたんだ、と。
 宮崎 『舞姫』だったんですか(笑)。
 半藤 『舞姫』にやられてしまった。ドイツに駐在した人に次々取材していったら、半分とまではいきませんが、かなりの人が「どうして分かった」と認めましたよ(笑)。

前頭葉

「新 ヒトの解剖」井尻正二、後藤仁敏、築地書館、1996

P198

 私たちの頭の骨の特徴は、なんといっても動物にくらべて脳をいれる部分(脳頭蓋)がいちじるしく大きいということである。これは、次章で述べるようにヒトでは大脳が大きく発達しているからである(図6−14)。じつに、魚類から両生類・爬虫類をへて哺乳類に進化する過程でも、脳はしだいに大きくなってはきたが、原始霊長類(サル)から原人をへて新人が出現するなかで、大脳、とくにおでこ(額)の部分をつくる前頭葉が大きくなってきたことがはっきりみとめられる。サルとヒトの頭の違いは、サルの頭にはハチマキをまくことができないが、ヒトの頭にはおでこがあって、ハチマキをまくことができることである。桃太郎にしたがって鬼ヶ島に行ったサルは、ハチマキをまくことができなかったはずである。赤と白のハチマキをまいて運動会ができるのは、ヒトだけの楽しみというわけである。

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P199 図6−14脊椎動物における頭蓋の変化(三木原図)

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