信長の「唐(から)入り」

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P131

信長の「唐入り」

 実は信長はさらに大きな構想を描いていた。その広大な構想を具体的に示す史料は残念ながら国内には残っていない。しかし、信長がそれをはっきりと表明したことを書いた史料がポルトガルにあったのだ。フロイスが報告した『一五八二年日本年報追加』と『日本史』の中に、それは書かれている。

 「信長は、事実行なわれたように、都に赴くことを決め、同所から堺に前進し、毛利を平定し、日本六十六カ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった。

 そして後嗣の長男(信忠)には、すでに美濃と尾張両国を与えていたが、今回新たに占領した甲斐国の国主の四カ国を加え、御本所と称する次男(信雄)には、伊勢と伊賀両国を与え、都に向かって出発するに先立ち、三七殿と称する三男(信孝)を四国の四カ国を平定するために派遣した」

 この文の後段に書かれている、信忠が美濃・尾張・甲斐・信濃・上野・飛騨、信雄が伊勢・伊賀、信孝が四国を割り当てられたことは史実と一致している。前段に書かれている「中国の武力征服」の話は荒唐無稽のように見えるが、後年秀吉が実行した「唐入り」の史実から判断すると十分に頷ける話だ。唐入りはもともと信長の描いた構想だったのだ。そうしたことから、この文章の内容には信憑性がある。

 信長はゆくゆく国内を三人の息子たちに分割統治させ、有力武将たちは国外征服に派遣し、その地に領地を与える構想を描いていたのだ。いずれ国内には恩賞として与える領地がなくなることを見越し、合理的に判断した結果だったに違いない。さらに、実力派の武将たちを国外へ送り出すことによって、国内で謀反が起きる芽を摘むことも狙っていたかもしれない。

 これまでの定説では、国内には一切残っていない話がイエズス会の記録に残るのは不自然であるとして、この話は重要視されなかった。秀吉の唐入りですら誇大妄想で片付けられてきたので、信長の話は絵空事とみられたのであろう。

 しかし、肝心なことが忘れられている。日本史の戦国時代は世界史の大航海時代であるということだ。その二つの時代が信長とイエズス会とによってつながったのだ。

 永禄十一年(一五六八)に足利義昭と信長が上洛するとフロイスは翌年四月に義昭、続いて信長を訪問し、信長から布教許可の朱印状を得た。当初から信長の信任を得て、京都に教会を建てる許可を得るなど信長と親密な関係を築いた。

 フロイスは天正四年(一五七六)十二月に後任のオルガンティーノに職を譲り、九州へ戻ったが、オルガンティーノも信長と親密な関係を保った。特に天正六年(一五七八)に起きた荒木村重の謀反の際には、村重方のキリシタン大名・高山右近を信長方に寝返らせることに貢献し、信長の信任を一層厚いものにした。

 天正八年(一五八〇)にそのオルガンティーノの訪問を受けた信長が彼の持参した地球儀に関心を持ち、いろいろと質問した。オルガンティーノがヨーロッパから日本へどうやって来たのか説明を求め、話を聞いて非常に驚き、その勇気と強い心を称賛したとのことだ(『一五八〇年日本年報』)。

 信長は彼の説明にすっかり納得して満足したとのことなので、世界が球体であり広大なものであること、その中で日本の存在が小さなものであること、ヨーロッパ人が海を渡って驚くほど遠くまで来たこと、そして海路を長距離移動できる手段を持っていることをよく理解したのだ。

 信長は三時間も話を聞いたのち、別の機会に再びオルガンティーノを招いて話を聞き、教会を見に行きたいと申し入れている(『一五八〇年日本年報』)。この日、彼が得た情報がとてつもなく重要なものであったことを示している。信長はイエズス会のさらなる利用価値を見出したに違いない。

糖質制限は認知症の予防にもなる

週刊朝日2015.12.11P104マリコのゲストコレクション林真理子×白澤卓二(医師)

白澤 (前略)僕の周りで糖質制限をしてる人は、ステーキを食べますね。200グラムとか300グラムのステーキに野菜というパターンです。おもしろいのは、100歳で元気な人もお肉はステーキを選ぶんです。

林 すき焼きとか、しゃぶしゃぶじゃなくて。

白澤 噛むのを楽しみにしてるんです。

林 歯がいいんですね。肉を食べるから歯がいいんじゃなくて、健康で歯がいいから肉を食べる。瀬戸内寂聴先生もお肉が大好きですもんね。

白澤 日野原(重明)先生もでっかいステーキを食べてました。義歯でもいいんですよ。三浦雄一郎さんのお父さまの三浦敬三さんはたしか75歳ぐらいで総入れ歯になったんですが、100歳になっても圧力鍋にチキンを丸ごと入れて煮て、全部食べてました。

林 すごい。

白澤 糖質制限は認知症の予防にもなるんです。糖質制限することで、認知症の原因となる脳内アミロイドが減少して、海馬のグルタチオン(脳を保護する抗酸化物質)が増加することがわかっています。

林 先生は「脳の栄養となるのはブドウ糖(炭水化物)だけという人がいるが、それは嘘だ」とおっしゃってますね。

白澤 そうです。糖尿病でインスリン治療をしている人が低血糖になった場合はブドウ糖が必要ですが、それはあくまでも治療上の事故です。脳はハイブリッドエンジンだと考えてください。

林 ハイブリッドエンジンですか。

白澤 脂肪を燃やしても動くし、糖質を燃やしても動く。炭水化物をたくさんとっている状態では脂肪はなかなか燃えませんが、制限すればエネルギーの70%までは脂肪から作ることができます。糖質が必要なことは間違いありませんが、糖質だけが脳の栄養になっているというのは、間違いなんです。

織田信長の人間像

(院長註:信長に何度も会ったことのあるイエズス会宣教師ルイス・フロイスの「日本史」の中に書かれた信長像を要約したものだそうです。)

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P86

 「極度に戦を好み、軍事的訓練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。ご自分に加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかったが、幾つかのことでは人情味と慈愛を示した。貪欲でなく、非常に性急であり、激昂するが、平素はそうでもなかった。

  善き理性と明晰な判断力を有し、はなはだ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、戦運が已に背いても心気広濶、忍耐強かった。困難な企てに着手するに当たってはなはだ大胆不敵であった。

  神や仏への礼拝、占いや迷信的習慣を軽蔑した。霊魂の不滅や来世の賞罰などはないとみなした。対談の際に遅延することやだらだらした前置きを嫌い、ごく卑賤の家来とも親しく話した。

  睡眠時間は短く早朝に起床した。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解には尊大であった。自邸においてきわめて清潔で自分のあらゆることを丹念に仕上げた。

  ほとんど家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。万事において人々は彼の言葉に服従した」

 信長はイエズス会を大いに庇護した人物なので好意的な書き方になることを差し引いても、家臣だけでなく自分も厳しく律し、軍事力を強化し、何事も合理的に判断し、大胆かつ忍耐強く行動するたくましい人物像が浮かび上がってくる。現代でいえば大国の政治指導者や世界的な企業の経営者の人物像と共通するものを感じる。

ココナッツオイル

週刊朝日2015.12.11P102マリコのゲストコレクション林真理子×白澤卓二(医師)

林 先生はいつごろココナッツオイルの効用に気づいたんですか。

白澤 2年前にアメリカでベストセラーになったアルツハイマー病の本 (『アルツハイマー病が劇的に改善した!』)を翻訳したのがきっかけで、そこからいろいろ。著者のメアリー・T・ニューポートさんの旦那さんが若年性のアルツハイマー病になったとき、彼女はオートミールの中に60ccものココナッツオイルを入れて旦那さんに食べさせたんです。そしたら4時間後に認知機能が少し戻って、3年間で日常生活ができる程度になったというんです。薬を使わないで。

林 えーっ!

白澤 ふつうはあり得ない。ミラクルです。ココナッツオイルには中鎖脂肪酸(ラードやバターに含まれている長鎖脂肪酸よりも約5倍早く分解されてエネルギーになる)が入っているのですが、これは母乳にも含まれていて、赤ちゃんの脳の発育に必要なものなんです。彼女は小児科医だったのでそれを知っていた。そこで、ココナッツオイルでアルツハイマー病の脳を元に戻すことができるかもしれないと考えたんですね。

林 どのくらいとればいいんですか。

白澤 予防目的なら1日に大さじ2杯、改善目的なら1食に大さじ2杯くらいが目安ですね。

林 どんなココナッツオイルでもいいんですか。

白澤 エクストラーバージンココナツツオイル、もしくはバージンココナッツオイルを選んでください。化学物質を使わずに低温抽出していますから。それから、できればオーガニックで、中鎖脂肪酸が60%以上のものがいいですね。ココナッツミルクでもいいんですけど、中鎖脂肪酸の濃度がオイルの半分ぐらいなので、2倍とる必要があります。ミルクなのでミキシングせずにコーヒーに入れて大丈夫です。

林 カレーに入れてもおいしそう。

白澤 いいですね。カレー粉に含まれるウコンには、クルクミンというアルツハイマー病の発症を抑える働きのあるポリフェノールが入っています。だからインド人にはアルツハイマー病が少ないんですよ。

ココナッツオイルで歯が白くなり、歯周病予防にもなる

週刊朝日2015.12.11P102マリコのゲストコレクション林真理子×白澤卓二(医師)

林 このところ、いろんな本や雑誌がココナッツオイルの特集を始めて、大ブームとなりましたね。

白澤 食べるだけじゃなくて、オイルブリンクという方法もはやってるんですよ。ココナッツオイルを口の中に入れてクチュクチュやると、歯が白くなって、歯周病予防にもなるんです。

林 どのぐらいクチュクチュやるんですか。

白澤 5分ぐらい。最後は捨てるの。口の中のばい菌がオイルの中に出てくるんです。マグカップって毎日コーヒーを飲んでると、茶渋みたいなのがついて、いくら洗っても落ちないじゃないですか。それが、ココナッツオイルで1回こすっただけで真っ白になったんですよ。それでココナッツオイルに歯を白くする効果があると気がついたんです。

足軽

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P65

 一方、足軽は応仁の乱(一四六七〜七七年)を契機として活躍した新しい形態の戦闘集団であり、西股総生氏は『戦国の軍隊』に「彼らは金品で雇用され、軽装で戦場を疾駆し、放火や略奪に任じたのである。非武士身分によって構成される非正規部隊ーーーこれが傭兵的性格の強い集団としての、足軽の本質であったろう」と書いている。つまり、足軽は土地の給付を受けずに金品で雇われているのだ。

一所懸命

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P65

 鎌倉時代に確立した「御恩と奉公」の関係は主君から土地を給付されて主従関係を結んだ武士がその御恩に報いるために奉公するという関係だ。「一所懸命」という言葉は給付された土地の維持に命を懸けることを表したもので、武士が領地の土地の名を名字にしたのもその現れだ。

孤独の健康リスク

週刊朝日2015.12.4P153第三の人生

 日本老年学的評価研究(2015年)によると、65歳以上のうつ発症率を自治体別に調べたところ、家族や親戚以外からのサポートが充実している地域ほど低かった。米ブリガムヤング大学の研究では、孤独はたばこ15本と同じくらい健康リスクがあり、肥満の人より寿命が短かったという。

 「話していてホッとしたり、支援や助けになったりする存在(ソーシャル・サポート)がいる人は、いない人に比べ病気になる確率が低い。これも多くのデータから明らかになっています」 (保坂医師)

糖質制限食のススメ

週刊文春2015.12.3P123阿川佐和子のこの人に会いたい 山田悟北里研究所病院・糖尿病センター長

阿川 山田先生は、どこからカロリー制限ではなく糖質制限がいいぞ、ということに気付かれたんですか。

山田 二〇〇八年に、『ニューインクランド・ジャーナル』というアメリカの医学雑誌に。ダイレクト試験に関する論文が掲載されまして。

阿川 ダイレクト試験?

山田 肥満の人たち三百人ほどを三つのグループに分けて、一つ目のグループは「脂とカロリーを控える」、二つ目は「脂は食べていいけど、カロリーは控える」、三つ目は「カロリーは気にしなくていいので、糖質だけ控えなさい」という指導を行った試験です。

阿川 三つ目のグループはステーキもフォアグラも食べて良いわけですか?

山田 もちろん。糖質ではありませんから。

阿川 それはちょっと楽そう。結果はどうなったんですか?

山田 食べる脂を控えないと血液中の中性脂肪が増えるだろうとみんなが想像していたんですけど、結果を見ると中性脂肪を一番下げていたのが糖質制限だったんです。他にも糖尿病と密接な関係のある物質の値が一番良くなったのが三番目で、糖質制限は治療に使えると思いました。

阿川 体重は?

山田 一番減量効果が大きかったのもカロリー無制限の糖質制限でした。

阿川 ダイェットって摂取カロリーを少なくすることが大事だと思ってたのに……。

山田 カロリーも大事なんですが、糖質は満腹中枢を剌激しづらいんです。その逆が脂質やたんぱく質。糖質以外でお腹いっぱいにしておけば結果的にカロリーもそんなに摂れないんですよ。

阿川 ん? つまり糖質はいくらでも食べられる気分になっちゃうってこと? だから甘いものは別腹に出来るんだ! じゃ、コレステロールは?

山田 コレステロールは三つのクループ間で差がありませんでした。食べるコレステロールを控えても、血液中のコレステロールを少なくすることには無関係なんですね。

阿川 えっ!? なにそれ!?

山田 アメリカの食事ガイドラインでは今年から食べるコレステロールの上限はなくなっています。

阿川 たとえば卵はコレステロールが高いと言いますけど・・・・・。

山田 血液中のコレステロールを下げるには薬を飲むしかないんですよ。卵をたくさん食べても、数値は変わりません。このアメリカの食事ガイドラインを見ると、いまや脂質の上限さえなくなっています。食べる脂を控えても、動脈硬化の予防にならないし、肥満の予防にもならないと言われてまして。

(院長註:糖尿病の専門医まで糖質制限食を言い出したのに驚きです。糖尿病学会のガイドラインと別方向でしょう。)

オリジナリティ

週刊文春2015.11.26P120阿川佐和子のこの人に会いたい Char(ギタリスト)

阿川 (前略) コピーとオリジナルの問題ってデザインの世界でも、ちょっと前に騒動になって・・・・・。

Char そうですね(笑)。でも僕の弾く何十万というフレーズだって、細かく見れば絶対に誰かのコピーで、それを組み合わせているだけですよ。そこに個性を持たせるのは肉体とか脳とか心なんですね。その点、ロゴデザインの世界は平面的なものだから個性を持たせるのは難しい面はありますよね。

阿川 手で書いてないしね。

Char そう。フォントとかデザインの素材自体がだいたいは既にあるものだから。

阿川 組み合わせているうちに、似たものが出来上がる可能性は大いにある

Char 俺なんか、五輪エンブレムは筆で”ジャパーン”って書いたのをコンピューターできれいに処理するほうが面白いと思うんですよね。デジタルで何でも出来る時代だからこそ、最初からそこに頼るのではなく、アナログの良さとデジタルの利点を組み合わせる。結局、最後はクリエイターとしての発想の問題ですよ。

(院長註:これを読んだ時に、歯ブラシで字を書いたこの風呂敷を思い出しました。これでエンブレム問題も解決ですね。)

どん底の悲しみが人間のもと。八代亜紀さん

週刊朝日2015.11.27P102マリコのゲストコレクション 林真理子 八代亜紀(歌手)

(前略)

林 若い方もみんな八代さんをリスペクトしてるんですね。中村中さんが作った「命のブルース」は、八代さんが「悲しい歌を作ってほしい」とお願いしたそうですね。

八代 私、どん底の悲しみが人間のもとだと思ってるんです。それを知っていれば、あとは幸せしか転がってない。今の若い世代は悲しみも楽しみも知らない子が多い気がしますが、私たちの世代はどちらもいっぱい知ってますよね。「今の若者にも届くように、どん底の悲しい歌を作りましょう」とお願いしました。

林 (歌詞カードを見て)「母ちゃんが残してくれた思い出は/消えない痣と煙草の匂い/本当はうまれちゃダメな子なんだろ・・・・・」。悲しすぎます。

八代 悲しい歌を歌うと、お客さまからお手紙をいただくんです。「私は八代亜紀さんの歌を聴いて死ぬつもりでした。でも、歌の中の悲しみは私よりもっと深かった。何を甘ったれていたのかと、ほっぺたをたたかれた気がしました」とか、「夫とはケンカばかりで私は不幸だと思っていましたが、夫とケンカできるなんて幸せだと感じました」とか。

林 そうなんですか。この歌がファンの方の心にどう響くか、楽しみですね。

八代 きっと、「私、まだまだ頑張れるじゃん」と思っていただけると思います。

林 昔、銀座のクラブで歌ってらしたころ、クラブのお姉さんが八代さんの歌を聴いて泣いたそうですね。

八代 泣いてましたね、みんな。私はそれで「そうか、これが心が伝わる歌い方だ」と知ったんです。

林 悲しいお姉さんたちを、いっぱい見てきたんですね。

八代 給料日になると、お店の裏口にお姉さんの彼氏やお父さんが立っていて、お姉さんたちが給料袋を渡してるんです。あれが女心なんだと思いましたね。

林 切ないですね。でも八代さんご自身は、「悲しい恋なんか一度もしたことがない」とおっしゃってますね。

八代 楽しい恋しかないです。

林 フラれたこともない?

八代 ないの。でもそれを言うと、みんな「気づいてないだけかもしれない」って言うんです。ひどいでしょ(笑)。

林 うらやましい。なのにどうして、あんなに悲しい歌が歌えるんですか。

八代 あれは私自身じゃないの。どの歌も私の体験じゃなくて、代弁してるんです。それは銀座で会得しました。(後略)

司馬さんの見た薩摩隼人

週刊朝日2015.11.27P101司馬遼太郎の言葉 余談の余談「薩摩隼人と司馬さんの微笑 照れと『男らしさ』を見る」山崎幸雄

 古来「隼人」と呼ばれ勇猛さを謳われた薩摩人の人格的特長を、司馬さんは三つほど挙げている。

 ひとつは照れ屋であること。そうした恥ずかしがりと正反対の厚かましい態度を薩摩弁では「あいつはゲンネの無か奴じゃ」と言うと司馬さんは紹介している。ゲンネには「含羞」という漢字が宛てられ、含羞を持つ薩摩人の例として西郷隆盛が挙げられている。

 ふたつめは心優しさ。これも西郷の例を引きながら、「ひとに接するときにはたえず微笑をしていたように見える」と書く。母音が多くて柔らかい薩摩弁も、「ひとに対する優しさのみを表現しようとして出来あがったものではないかとさえ思える」という。

 みっつめは歴史的に「拗(す)ね意識」を持たなかったこと。

 薩摩は豊臣政権が成立したときと、徳川幕府が成立したとき、2度の薩摩処分を受けた。

 でも2度とも拗ねて「政治的ヒステリー」を起こすことなく苦境に耐え、徳川政権を260年にわたって恐れさせることになった。その態度を司馬さんは「男性的」と呼ぶ。

 そこではたと気づくのは薩摩人の特徴として挙げたこうした気質が、司馬さん自身をも語っているということだ。人としゃべるとき、司馬さんはいつも自分の言葉に照れているように見えた。仕事の席や公式な場では少し改まるけれど、テレビ出演した司馬さんからもその照れは見てとれる。

 そしていつも微笑を絶やさなかった。標準語を話す必要のないときは柔らかな大阪弁を使った。なににつけ、被害者意識から発想することを嫌った。

 作家の書くものになにがしか作家自身が投影されているとすれば、男らしさというものが武張った態度とは正反対のものであることを司馬作品の主人公たちが教えてくれる。

ラグビーW杯の衝撃 紳士的な観客 選手の心遣い

熊本日日新聞平成27年11月14日(土)夕刊「世界の街から」

 英国で開催されたラグビー・ワールドカップ(W杯)が終わった。南アフリカを撃破し「史上最大の衝撃」とも評された日本代表の試合を取材して、心を動かされたことが多くあった。

 日本対スコットランド戦。世界トップクラスのプレーに圧倒されたが、それ以上に驚いたのが観客のマナーだった。

 日本代表の五郎丸歩選手がキックでゴールを狙う時。集中力を乱さないようにとスタンドが静まる中、日本のサポーターから声援が飛んだ。それを「しーっ」と制したのは日本ではなく、スコットランドのサポーター。対戦相手にブーイングが当たり前のサッカーとの違いに衝撃を受けた。

 負傷した選手が担架で運ばれれば、みんなで立ち上がって拍手を送り、いいプレーをした選手には敵味方関係なくたたえる。紳士的な態度を見せるラグビーファンのファンになってしまった。

 次の日本対サモア戦で、今度は選手の心遣いに驚かされた。日本が勝利した試合の終了後、サモアのチームが選ぶMVPに、サモアの選手ではなく、日本の五郎丸選手を選んでトロフィーを贈っていた。戦いが終われば仲良くしようという「ノーサイド」の精神とはこのことかと教わった。

 次のW杯開催国は日本。サモアのサポーターは「一生懸命働いて、お金をためて観戦に行くよ」と目を輝かせていた。今大会で大活躍した日本が、今度はプレーだけでなく、各国から来日するサポーターらへの”おもてなし”でも「W杯史上最大の衝撃」を与える時だ。(ロンドン共同=高木勝悟)

やっぱりラグビーも新国立で

週刊文春2015.11.19P45飯島勲内閣参与の激辛インテリジェンス

「やっぱりラグビーも新国立で」

 実は政局の狭間を縫って英国へ渡り、ラグビーのワールドカップの決勝と三位決定戦を観戦してきたぜ。

 二〇一九年の次期大会は日本開催だろ。その組織委員会の会長である御手洗冨士夫キヤノン社長(元日本経団連会長)らとご一緒させていただいたんだけどさ。

 競技場へ行くと、スタンドに腰を落ち着ける前にカクテルパーティーよ。世界各国のラグビー関係者、さらに国際オリンピック委員会(IOC)などスポーツ界のVIPが勢ぞろいでね。

 御手洗氏の側近のふりして潜り込んだけどさ。度肝を抜かれたのは、二〇二〇東京五輪・パラリンピック組織委員会会長で、ラグビーワールドカップニ〇一九組織委の副会長でもある森喜朗元首相の国際的な顔の広さよ。ありやスゴイぜ。

 二時間のパーティーで、森氏のもとに途切れることなく世界のVIPが詰めかけてさ。ヤアヤアと談笑よ。

(中略)

 たとえば、どこかで見た顔が森氏と握手してるなと思ったら、二〇二〇年夏季五輪の開催地を「トーキョー!」と発表した御仁じゃん。ロゲ前IOC会長よ。

(中略)

 いやー、あのスポーツ外交力にはたまげたぜ。パーティー会場ではVIP同士で名刺交換なんて姿も結構見かけたけど、森氏はそんなのゼロよ。「元首相」の重み、そして長年、スポーツ族の専門議員として積み重ねた実績は五輪に向けて大いなる日本の資産だな。

 例の新国立競技場の建設や五輪エンブレムの問題で、何でもかんでも組織委の森会長や武藤敏郎事務総長の責任だみたいな論調があるけど、冗談じゃないぜ。皆が逃げて悪役を組織委に押し付けるのはお門違いよ。

 決勝があったトゥイッケナム競技場はまことに美しく壮麗で、英国の誇りだよな。日本も千五百億円とかケチな話は止めろと言いたいね。五十年後まで残る遺産なんだから、国の威信をかけて、五千億円つぎ込んでもいいから、とてつもない競技場を創るべきよ。

 自民党に戻った文教族の雄、下村博文前文部科学相にも地ならしをお願いして、ぜひ政治決断が欲しいね。

 何? ラグビーワールドカップにもう間に合わない? ふざけるなと言いたいぜ。

 今みたいな先進技術も何もなかった戦国時代、たった一年ちょっとで大坂城の豪華な天守を一気呵成に創り上げたパワーが我々にはあるじゃん。やれば、できるさ。

(院長註:最近聞いた話だと建築物の維持費というのはトータルで建築費と同じぐらいかかるそうです。勿論何年使うかにもよるでしょうが。ワールドカップに間に合って欲しいですが、とてつもないものを作って後世に悔いを残さないようにお願いします。)

レトルトカレーマイベスト3 宮藤官九郎

週刊文春2015.11.19P63「いま なんつった?」宮藤官九郎

(前略)ここではレトルトカレーのマイベスト3を発表します。1.パンクロックカレー2.マッサマンカレー3.ボーソーカレー

 1は岩手県宮古市の太田屋肉店さんのオリジナル商品。牛すじの煮込み具合が絶妙で、レトルトなのにまかない飯の味がします。2は買い溜めするほど美味しかった。3は気志團のグッズなのですが意外と本格的でした。1(宅配便取り寄せ)と3は通販で、2はコンビニで買えます。

自ずから火に油を注ぐような旭化成

週刊朝日2015.11.20 P129名門企業の陥落「旭化成 おさまらぬ杭偽装問題 なさけないガバナンスで存亡の危機」

(前略) この問題で旭化成が会見を開くのはすでに3回目。危機に際した対応としては一見丁寧に見える。ところが、危機管理コンサルタン卜会社リスク・ヘッジ代表の田中辰巳氏は言う。

 「致命的だったのは、最初の記者会見での、平居副社長の『3040件の中で傾いたのはこの1件のみ』『データ転用をしたのは1人だけ』という発言です。まだ調査をしてもいない段階でそのように言うことで、消費者や被害者に余計に疑心暗鬼を与えてしまいました」

 最初の会見が不信感を招いた発端だったというのだ。

 「自ら火に油を注ぐようなことをやっているようにしか見えません」(田中氏)という対応が続くことになる。

 旭化成建材の前田富弘社長は先月29日、データ改ざんをした現場責任者がかかわった建物が最も多い愛知県で知事に謝罪をした。

 「ところがその際に、報道陣を避けて裏口から逃げたとか、夜討ち朝駆けをする記者を無視して通り過ぎたとか言われていますが、大人げなく感じが悪い。目の前の記者やカメラマンへの不快な気持ちが顔に出ていますが、それがそのまま消費者や被害者に対しての気持ちのように感じさせ、印象を悪くしています」(田中氏)

 さらに、会社全体のガバナンスが問われる事態となっている。

 当初、役員らは会見で「1人の現場責任者がずさんで、データ改ざんをした」と個人的行為と強調したが、その後一転、複数の現場責任者がデータ改ざんを行っていたことを認めた。2日には国交省が立ち入り調査を実施。「社内の体制に問題があるのではないかと調べています」(同省担当者

 さらに、この問題について調べている社内調査委員会こそがガバナンスの欠陥を露呈しているというのだ。調査委員会のメンバーに名を連ねる平居副社長は、問題の時期に旭化成建材の取締役を務めていた。企業統治に詳しいペイ・ガバナンス日本の阿部直彦氏は言う。

 「取締役として経営を監視する立場だった人が、当時の問題を調べるための調査にかかわっている。そのこと自体が利益相反と指摘されても仕方がない。グローバル企業であれば利益相反を避けるような調査を行うはずです。平居氏はメンバーから外れるべきだったでしょう」

 会見で指摘されると平居副社長は「役員報酬はもらっていませんでした。問題ないと判断したのだと思います」と開き直り。ところが少したって「すみません、役員報酬はもらっていました」と説明を二転三転させ、失笑を買っていた。(後略)

肺がんの原因は禁煙だ

週刊朝日2015.11.20 P120  マリコのゲストコレクション 林真理子 解剖学者 養老孟司

林 ところで先生、さっきからたばこをズバズバお吸いですけど、それはこれまでたくさんのご遺体を解剖された結果、たばこを吸っても吸わなくても人間の肺には関係ないことがわかったからですか。

養老 僕が解剖した人、みんな真っ黒だったもん。じいさんもばあさんも。肺が黒くなるのは、消化できないゴミが入って、細胞が食ってためてるからなんです。

林 たばこを吸おうと吸うまいと・・・・・。

養老 大差ない。

林 先生が言うと説得力がありますよ。

養老 というか、肺がんに関してはそういう話になってるんです。ここ10年間、喫煙率はきれいに下がってるのに、肺がんの患者数はきれいに上がってる。そのグラフを二つ並べて、「肺がんの原因は禁煙だ」と言ってるんです(笑)。

林 検診や早期発見が大事だといわれる一方で、検診も人間ドックも無駄だという人もいるし、何が正しいのかまったくわからないです。

養老 でしよ。みんなそういうことに正しい答えがあるんだと思ってるけど、そんなものありゃしませんよ。

林 先生、頭のいい人と悪い人というのも、解剖して脳を見たときにわかりますか?頭のいい人は脳のヒダもきれいだとか(笑)。

養老 そんなものわかりませんよ (笑)。コンピューターの写真撮っても、性能がわからないのと同じです。

林 それにしても先生、なんだか、若返られたみたい。箱根の空気のせいですかね。

養老 鬱陶しいことがあると老け込みますからね。

林 東大の教授をされていたころはつらかったですか。

養老 大変だった。さっきの話じゃありませんが、毎日やることが同じだと、具合が悪くなっちゃいますね。僕の場合は現場だったから、ずっとましでしたけど。

巨大カブトムシの育て方

週刊文春2015.11.12 P128阿川佐和子のこの人に会いたい 俳優 哀川翔

阿川 アウトドアや生き物もお好きなんですよね。哀川さんといえばカブトムシを育てるのが趣味で、今年はすごく大きいのが産まれてギネスに申請したというニュースがありましたね。

哀川 そう。ギネスブックに載るんですよ。八十ハミリにまで育てたんです。そのニュースのせいで、今年はカブトムシ業界が盛り上がったんですよ

阿川 哀川さんのおかげで!?

哀川 今まで、いちばん大きなカブトムシは野生のものだったんですけど、初めて飼育のもので1位になったから、愛好家は「自分でも出来るんだ」という夢も生まれて。

阿川 カブトムシってどうやって卵から育てるんですか? まずは成虫のオスとメスをペアにするんですよね。

哀川 うん。俺の場合は一対二にしてる。

阿川 オスー匹にメスニ匹ってこと?

哀川 相性があるからね。仲良くなってくれればいいけど、そうじゃなかったら殺しちゃうことがあるから。

阿川 気が合わないと殺されるのか。で、子供ができて幼虫になってから気を付けることは?

哀川 まずは湿度。水槽にマット(おがくず)を入れたら、三分の二くらいが黒くなるように水分を含ませなくちゃいけないの。乾いて半分が白くなったらまた水を与える。湿度を保つには水槽の上に濡れた新聞紙を敷くのもいいね。

阿川 大きなカブトムシにするためのポイントってあるんですか。

哀川 幼虫の間にいかに大きくするかですね。

阿川 成虫になってからは成長しないんですか?

哀川 そう。サナギになったらそれ以上大きくならないから。幼虫はマットを食べるじゃないですか。宮崎でいい腐葉土を作ってる業者があって、俺はそれを持ってきてマットに混ぜてやるんです。そうしたら、でかいのが出来た。やっぱり食事が一番大事なんですよ(笑)。

阿川 アハハハ、そこにつながるんだ。人もカブトムシも(笑)。成虫になってから注意することは?

哀川 よくカブトムシを描いたイラストでスイカを食べさせてるのがあるけど、絶対にダメ。スイカはほとんど水分だから。栄養のあるカブトムシ用ゼリーを食べさせてください。

阿川 全国の少年たちよ。わかりましたね!(笑)

本職の人のすごさ

週刊文春2015.11.12 P126阿川佐和子のこの人に会いたい 俳優 哀川翔

阿川 Vシネマってヤクザもののお話が多いけれど、実際に取材したりもするんですか?

哀川 本職の人も観るから、取材して徹底的にリアリティにこだわってますよ。たとえば、女の子のいるお店のシーンなんかで、ビールの空き瓶をボーイが片づけようとしたら「片づけなくていいから」って言うよね。

阿川 どうして?

哀川 敵が現れたときに、瓶を割って剌せるようにするため。しかも、テーブルの角で割ったら駄目なの。破片が飛んできてこっちが怪我するかもしれないでしょ。

阿川 ふんふん。

哀川 だからテーブルの裏に瓶を持っていって(実演しながら)下から振り上げてゴンッて割るの。こうしたら安全。

阿川 へぇー、ヤクザの知恵!

哀川 一度、本職の人と遭遇したけど、やっぱりあの人たち凄いよ。絶対敵に回したらヤバイと思った。

阿川 なにがあったんですか?

哀川 九〇年代の頭に京都から東京へ向かう新幹線の中で、暴漢が車掌室に立てこもったから誰か助けてくれとアナウンスがあったんですよ。早く帰りたいと思って俺が席を立ったら、もうひとり来たのが本職の人だった。向こうが「俺が車掌室のドアを開けるから、お前は犯人にタックルしろ」って言うんですね。普通逆じゃないかと思いますよね。

阿川 本職さん、タックルしてくれよ!

哀川 そう思ってたら、違ったんですよ。俺が犯人の脚にしがみついてる間に、その人はカーテンを引きちぎって犯人を簑巻きにした。その手際が速いし、正確だしで驚きました。五分もかからず事件は解決して。

愛車

週刊文春2015.11.12  激突 グーグル×日本メーカー 「自動運転」でクルマが大変身!?

P42

 「T型フォードが誕生した今から百年ほど前、米国には(交通用に)千五百万頭の馬がいましたが、それがすべて車に置き換わりました。車の方が楽しかったからです。今、非常識だと思われていることを、次の常識に変えていくチャレンジをしなければならない」

 トヨタ自動車の豊田章男社長は十月二十八日、報道陣向けに公開された記者発表でこう語った。

P43

 豊田社長は常々「工業製品で唯一『愛』が付くのがクルマ」と語る。日本メーカーは、自動運転時代になっても、「愛車」と呼ばれるクルマを作ることができるか。まずは東京五輪を目標に、開発競争が続く。

黒田節

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P77

(院長註:正則は福島正則)

ーーー正則が尾張清洲二十四万石の城主であったころ、彼の伏見の屋敷に、福岡藩の黒田家の家臣母里(もり)太兵衛が使者として訪れた。

 正則は小田原の陣の戦功で、秀吉からもらった”日本号”の名槍が自慢で、いつも手もとから離さなかった。正則と太兵衛が酒の飲み競べをやったとき、

「わしに飲み勝ったらこの槍をやろう」

 と、うっかり約束してしまった。

 正則のほうが飲み負けて、寝こんでしまったすきに、太兵衛は、

「のめのめ酒をのみこめて、日の本一のその槍を取りこすほどにのむなれば、これぞまことの黒田武士」

と口ずさみながら、”日本号”を持って帰ってしまった。

 「しまった」と後悔したが、後の祭り、いくらあとで交渉しても、武士の約束を盾にとって返してもらえなかった。

 この話が、有名になって歌になっだのが、「酒は飲め飲め……」の「黒田節」である

競争的資金倍増で競争力低下?

週刊朝日2015.11.13 P19大学崩壊

(院長註:豊田学長は元三重大学学長で鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長)

 豊田学長は、研究の競争力の指標である論文数の推移を調べ、ここ10年で日本の大学の国際競争力が低下していることをいちはやく指摘してきた。

 「特に工学、物理、化学、物質科学など日本のお家芸と言われていた分野で論文数が減っています。大きな原因は、大学の研究者の研究時間が減っていることです」

 論文数が減少した時期は、04年の国立大学法人化と重なる。国は、法人化によって大学に民間の経営理念を導入することを促す一方で、大学運営の基盤となる収入で主に教員の人件費として大きな役割を持つ運営費交付金を、毎年1%ずつ削減したのだ。

 04年から三重大学学長を務めた豊田学長は、当時をこう振り返る。

 「運営費交付金が削減されたので、三重大でも計画的に教員数を減らしました。例えば医学部では1講座4人の教員がいたのが3人になった。教員が減り、研究時間が減っていくので、先生たちの疲弊感はますます高まっています」

 運営費交付金が減ることで教員が減り、ひとり当たりの負荷が高まり、研究時間が確保しづらくなった。その結果、論文数の減少につながったというわけだ。

 運営費交付金が減る一方で、研究テーマを選別して研究予算を配分する競争的資金は倍以上増加。ここ10年で国立大学の運営費交付金は約1695億円減り、競争的資金は約2465億円も増加している。競争的資金はテーマや成果によって配分が決まるため、競争が促され、効率化が進み、結果が出せるというのが国のもくろみだった。

 だが、研究者を大学で安定して雇用できる運営費交付金と異なり、競争的資金では3〜5年のプロジェクトごとの雇用になる上、プロジェクトのテーマの研究しかできないなど自由度が低い。前出の山中氏が率いる京都大学iPS細胞研究所でも、運営資金の多くは競争的資金が占め、職員の約9割が任期付きの雇用だという。iPS細胞研究でさえ、この状況なのだ。

夫婦円満のコツ

週刊朝日2015.11.13 P44平成夫婦善哉 チェリッシュ(歌手)松崎好孝・悦子夫妻

妻 夫婦でずっと歌ってますけど、愛の歌だからって、じっと見つめ合って甘い雰囲気で、っていうの、私嫌いなんです。だって気持ち悪いじゃないですか、そんなの。

夫 歌の合間のトークでね、よく言うんです。「夫婦円満のコツは三つ。なるべく相手の顔を見ない、用がなければ口をきかない、ステージでは三歩下がって、悦ちゃんのあとをついて行く!カカア殿下が一番です」ってね。

妻 お客さんは大笑いしてくださるのよね。

夫 だって本当だもの。生活の知恵から生まれた信条なんですから!ステージでは家族のことやプライベートな話もします。夢のあるステージじゃないかもしれないけど、それが僕らの自然体なんですよ。

妻 それを見た方が、あ、うちとおんなじなんだね。って笑って帰っていただければ。それでいいね、と。

剣道日本一

熊本日日新聞平成27年11月4日(水)朝刊

剣道の全日本選手権で初優勝した西村英久さん(26)
 2度目の挑戦で念願の日本一に輝いた。社会人5年目の26歳の剣士は「多くの方に支えられてきたおかげでここまで来られた。夢のようで本当に幸せ」と感謝の言葉を繰り返した。

 大分県中津市出身。両親に連れられて知人の道場を訪れたのをきっかけに、小学3年で剣道を始めた。「初めは先生や両親に褒められたくてやっていた」。中学では3年間とも全国大会を経験したが、タイトルには無縁だった。

  取り組みに変化が表れたのは高校の進学先を考えた時だった。自分が破ったことのある選手が中学1位になった姿を見て「やっと日本一を目指したいと思った」という。強豪の九州学院高を経て筑波大に進み、才能を磨いた。大学3年時には学生王者に輝いた。

  熊本県警入り後の3年間は全日本選手権に出られず「弱くなったと言われているのを感じていた」と焦りを募らせた。心身両面で自らを変えるために取り組んだのは減量。独身でコンビニ調達が当たり前だった食事をサラダとプロテイン中心の生活に改め、100キロ以上あった体重をことし5月ごろには87キロまで落とした。「純粋に足さばきが軽いし、苦しいことを乗り越えた経験も効果に出た」と胸を張る。

 趣味とする海外サッカーのテレビ観戦を通じて「勝負には俺が俺がというずぶとさが大切」と感じながらも、武道で頂点に立つ重みを自覚している。「武士道を大切にし、彼が日本一で良かったと思える人間になりたい」と謙虚さを忘れない。

いじめ自殺者だけは絶対に出してはならない

週刊文春2015.11.19P102「尾木のママで言わせていただくヮ」尾木直樹(教育評論家)

デタラメなデータから見える真相

 先月末、文部科学省が全国の小中学生を対象にした、二〇一四年度のいじめ認知件数の集計結果を発表しました。新聞などの報道では「小学校のいじめが過去最多」とか、「都道府県別で京都が最多、佐賀が最少」といったところばかりがクローズアップされています。けれど、このデータから読み取るべきはそんなことではないの。なぜならこんな数値はまるでデタラメだから!実はそのデタラメさの中にこそ、いじめ問題の真相が潜んでいるんです。

 まずボクに言わせると、生徒千人当たりのいじめ件数が八五・四件と最多の京都府の数字こそが、実情に一番近いのよ。実は京都府はいじめ問題への取り組みに非常に熱心。府内すべての自治体が「いじめ防止基本方針」を策定しているし、生徒自身の取り組みが盛んなの。だから京都のデータはとても信頼できるわけ。

 それを思えば、佐賀県の二・八件を筆頭に実に二十七もの都道府県でいじめ件数が一桁台なのは、ちゃんちゃらおかしい! 本来いじめの認知件数というのは、被害者がいじめだと感じた数を報告すればいいだけのこと。それなのに、こんなに県によってばらつきが出るのは、基準がはっきりしていないからです。軽微ないじめは外すとか、勝手に判断する学校があることが大問題なのよ。

 こういう調査でいじめの件数が増えることは、決して恥ずかしいことではないの。その分小さないじめまで見逃さず、現場をしっかり見つめている証拠なのだから。実際に、いじめ問題に真剣に取り組み始めると、 一瞬いじめが増えると言われます。問題はその先。いじめを深く認識して、一人一人の生徒の感性のレベルが高まることで、初めていじめの件数が減るんです。

 先日も名古屋で中一の男子生徒が自殺しました。いじめ自殺者だけは絶対に出してはならないのです。

いじめにあったら逃げるに限る

週刊朝日2015.11.13 P38「暖簾にひじ鉄」内館牧子

逃げるに限る

 先日、女友達数人で会った時、一人が嘆いた。

 「孫娘が学校でひどいいじめにあっているらしいの。このままだと自殺するんじゃないかと心配で・・・・・」

 それを聞いた二人が異口同音に言った。

 「学校に言ったの?色んな公的相談機関もあるし、まず相談してみたら?」

 私はかぶりを振った。

 「一刻も早く逃げることよ。転居とか転校とか」

 いじめる人間は、弱い者がピクピクするのを見るのが快感であり、ピクピクさせる自分が快感なのだ。私はこれは性的快感と同じだと思う。簡単には治らない。

 そればかりか、徒党を組んで一人を狙ったり、暴力をふるったり、万引きをさせたりというエスカレートもありうる。

 ママ友間のいじめも同じだ。自殺者が出たりしているが、実際にいじめられた経験のあるママが言うには、夫の仕事、子供の成績、住まいの格、ママ本人の学歴等々をはじめ、遊びに来た両親の雰囲気や服装まであげつらうという。

 「みじめで自分を卑下して、夫に当たって。そのうち何か面倒くさくなっちゃって、死んじゃおかなって本気で思った。大人だってこうなんだから、子供がいじめにあえば、自殺も当然よ」

 邪悪なママだの、ろくでもない餓鬼にいじめられて死んではならない。そんな者とのつきあいは、人生のほんの一瞬なのだから。

 だが、その一瞬が耐え切れないなら、逃げるに限る。

 「逃げちゃいけない」のは相撲の立ち合いくらいで (横綱鶴竜は最悪の見本。計三度の逃げは、あの優勝の汚点だ)、死を考えるほどなら、トットと逃げよう。

 いじめから逃げるのにベストの方法は、別の町への引っ越しだと思う。邪悪なママや餓鬼に、

 「今までありがとう。私、体は引っ越しますが、あなたを恨む心はお宅のリビングに棲まわせていきます。ふり向けば、いつも私がおりますよ」

 と一発かまして、不気味に笑って引っ越すのだ。

 だが、転居にはお金がかかるし、家族の各自の状況などもあり、簡単にはいかない。とはいえ、いじめを受け続けるつらさや自殺と引きかえになるほど、そこで暮らし続ける理由には何かあるだろう。家族で「逃げ」を本気で話し合う必要があるように思う。

 それでも転居はできないとなれば、次なる逃げを考えることだ。

 それには「正しい」としてきたものから、トットと逃げることではないか。

 いじめで学校に行きたがらない子供なら、学校にやらない。通学は「正しい」ことだが、逃げさせる。

 いじめられて苦しんで、心も体も傷つけられて、死ぬしかないと思うくらいなら、行く必要はない。勉強する方法や、学校とは違う勉強はいくらでもある。

 私は鎌倉市図書館の司書のツイートを知った時、まさにこれだと思った。

 あのツイートは日本中に共感の嵐を巻き起こした。

 「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」

 図書館はとてもいい「逃げ場」だ。こう書くと、必ず偏見だとわめく人があろうが、いじめに快感を覚えるような邪悪なママや餓鬼は、図書館には来ない。そういう者どもは、図書館に似つかわしくない頭なので、行くという発想さえない。図書館は実に安全な「シェルター」でもある。

 図書館にはペットボトルのお茶を飲んだり、持参のお昼を食べたりできる場所もあり、お金を使わずにすむ。司書に聞けば何でも教えてもらえるし、学校でピクピクしてみじめになっていた日々がバカバカしくなるだろう。(後略)

(院長註:先日昼の番組で中野信子さんがいじめで自殺したら「それは殺人ですよ。」と断言しておりました。思い出しましたが「渕先生を偲ぶ会」で平野君が「夜中にホテルで目を覚ましたら部屋の中で渕先生と先輩が言い争いをしていた。事の事情を知らないので仲裁も出来ずに困った。一体、あの人達の人間関係はどうなっているんだろう?と思った。」とスピーチしていました。私から見れば「逆らえない」先輩という立場を利用したパワハラです。はっきり言っていじめを受けていたんです。気に入らなければ近寄らなければいいでしょう。「ちょっと来い」と言って一晩中説教ですよ。しかも全人格を否定するような。めんどくさくなって来なくなったのは正解でしょう。)

五郎丸選手ブーム

ギンリンさん.jpgちょっとピンボケです。「キックは五郎丸に・・・修理はギンリンに・・・まかせたばい!」と書いてあります。近所のバイク屋ギンリン楠店さんです。前を通りかかって思わず二度見しました。見たい方は菊川歯科の前の通りを光の森方向へ300mとちょっと。左側にあります。スーパーキッド楠店の斜め向かいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肥後と薩摩

週刊朝日2015.11.6 P110 司馬遼太郎の言葉

 熊本市での講演(1987年)の冒頭、司馬さんは熊本市役所を訪ねたときの話をしている。

 〈職員に薩摩の人は何人いますかと聞いたところ、

 「三人います」

 という答えでした。

 「それは捕虜ですな」と、大笑いになったのです〉

 両者はライバルであり、仮想敵国であり続けてきた。

 肥後は伝統的によく学問をする藩で知られる。藩校の時習館は有名で、秀才が群がり出た。ただし思想に凝りがちで、やや理屈っぽいことでも有名。議論好きも原因のひとつで、大藩なのに幕末維新に乗り遅れたきらいがあった。

 この点、薩摩は対照的だった。〈薩摩は非常に単純で勁(つよ)い性格を持った藩でして、侍にあまり勉強をさせませんでした。島津さんの方針でしょうね、勉強すると弱くなると考えた〉

 と、司馬さんは講演で語る。

 幕末に「人斬り半次郎」の異名を取り、明治後は西南戦争(1877年)で西郷隆盛を道連れにした桐野利秋の姿が浮かんでくる。

 「学問があったら、天下をとっちょる」

 とうそぶいていたらしい。

 桐野に限らず、昔の薩摩でグダグダ理屈をこねていると、「議をいうな」と叱られ、

 「チェストー!」と、示現流の気合が作裂しそう。

 もっとも荒っぽさでは肥後も負けてはいない。豊臣秀吉の天下統一に反抗、領主の佐々成政をたたき出し、切腹に追い込んだこともある。昔から文句の多い大小の豪族たちがひしめき、

 「難治の地」 と言われ続けてきた。

 要するに肥後モッコスに対し、鹿児島ぼっけもんである。

 〈熊襲の国から隼人の国へゆくのである〉 熊襲も隼人も、古代以来、中央政府をキリキリ舞いさせてきた。こうした荒ぶる「肥後のみち」を書いていた当時、毎日新聞で『翔ぶが如く』を連載してもいた。西郷隆盛という巨人をいかに書くか、司馬さんも格闘中だったのである。

(院長註:これを読んだ時に思い出しました。ここを読めばでてきますが、口腔解剖学教室には昔桐野教授がおられました。桐野利秋の子孫だと学生の間では言われていました。)

伊予松山藩初代藩主加藤嘉明

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P155

 嘉明が常に珍愛する、南蛮渡来の茶碗が十人前分あった。

 それを取り扱っていた小姓が、誤って板縁の上に取り落とし、割ってしまった。

 青くなった小姓は、お手討ちを覚悟して、嘉明の前に出て報告した。

 嘉明は少しも怒らず、

 「よく正直に申し出た。過ちで割ったものゆえ、いかんともし難い。この茶碗一つ欠ければ、これからのち、誰それが割ったと、いつまでも忘れないであろう。いささかの器物にて、一人の前途ある青年の名を汚すのは惜しいことである」 

  と言って、残る九個も、みんな砕いて捨てさせてしまった。 

  虫の居所がよかったのかもしれないが、誰にでもできることではない。 

  とにかく沈勇寡黙な武人であったことはまちがいない。

ハロウィーン熱

ハロウィーン.jpg左の新聞記事は平成27年10月27日の熊日夕刊です。記事によると10月13日の夕方らしいです。全国ニュースで流れました。熊本で「タイガーマスクのようなお面をかぶった人がチェーンソーを持って歩いている。」と通報があり、パトカーが何台も出動し大騒ぎになったそうです。警察の職務質問に「ハロウィーンですが、何か?」と答えたとか、答えなかったとか。新聞記事によると「仮装で同僚を驚かせ、そのままの姿で帰る途中だった。やりすぎました」と反省しているそうです。場所は違いますが、この前は紀州犬に襲われそうになったり、今度はおもちゃのチェーンソー男と警察もたまりませんね。新聞記事によると県警は「公共の場で恐怖を与えるような格好はしないでほしい。凶器に見えるような物は持たないで」と呼び掛けているそうです。

 新聞記事によるとハロウィーン関連商品の売り上げは好調で、日本記念日協会の推計によると、昨年のハロウィーン市場は約1100億円でバレンタインの1080億円を超えたそうです。

 新聞記事によるとハロウィーン人気は、PR会社「ブルーカレント・ジャパン」は「ちょっとした仮装で参加できるハードルの低さとクリスマスと違い恋人がいなくても盛り上がれる点が魅力なのだろう」と分析しているそうです。

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