「宿澤広朗 運を支配した男」加藤仁、講談社+α文庫、2016
P88
仕事に取りくむその姿勢を知るうえで、宿澤広朗の原点ともいうべき本人のみごとな文章がある。大学卒業時に書いて『早稲田学報』(昭和四十八年四月号)に掲載された「楕円形の青春」と題する一文である。筋立てのいい叙述は、端正にして平明であり、若き宿澤の文才をも感じさせる。
《楕円形のラグビーボールは、よく人生の縮図であると言われる。つまりラグビーボールが不規則なバウンドをすることによって、ゲームの勝敗を左右することが、予測のつかない人間の未来にたとえられているのである》
こう書きだされ、つぎに前年(昭和四十七年)の日本選手権の対三菱自工京都戦における劇的な逆転トライについてふれる。その雪の日の試合については前章でもふれたが、終了寸前、センター佐藤秀幸の蹴ったパントが弾まないはずの雪のグラウンドで高く跳ねあがって、右ウイング堀口孝の胸におさまり、逆転トライとなった。それをマスコミが「勝利の女神が早稲田に」「好運のトライ」と報じたことで、その陰にかくれた努力や実力が過小評価されたのではないかと、宿澤は書く。
《およそラグビーにおいては(他のスポーツにも当てはまることであるが)運だけで勝敗が決するものではない。もちろん大きな要因であるにはちがいはない。しかし、相手に勝つためには、たゆみない努力と、それによって生まれた実力と、それらを生かす恵まれた運、この三つがうまく相関した時に一つの大きな力となって相手に打ち勝つことができるのである。そしてそれがまた、自信とか、精神力とか、勝負強さなどといったものを生む源ともなるのである。
あの一瞬のために自分たちはどれほど春先から練習を積みかさねてきたことか。ボールをうまくバウンドさせるだけでなく、よいタイミングで走り、よいポジションに位置する。宿澤によると、それは一年間の練習があってこそ成しとげられたという。
これから企業人になるにあたって、宿澤はこうしたラグビー体験を自身の人生観にまで煮つめていた。 《結局、その努力が報いられて、勝利をつかむことができたのである。(中略)これはスポーツに限らず、人が生きてゆく上でのあらゆることに共通するのではないだろうか。人間には、平等に、いろいろな形でチャンスが与えられる。それがどのような結果を生むかは、その人の不断の努力と、そなわった力によって大きく変わってしまうのであろう》
そして、宿澤広朗が生涯抱きしめることになった信念で文章を結ぶ。
《これからの人生において、大きなバウンドが何回か歩む道を左右するであろう。その時になって、どうころがるかは計りしれないものがあるけれども、少しでも良い方向にころがるように日々の努力を怠らないようにせねばなるまい》
宿澤の先輩で早大ラグビー部の監督でもあった日比野弘は、この文章を読んで触発され、以後「努力は運を支配する」という言葉を座右の銘にするようになる。
(院長註:この言葉が本の題名になっています。裏を返せば「努力をした男」と読めなくはありません。)