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努力は運を支配する

「宿澤広朗 運を支配した男」加藤仁、講談社+α文庫、2016

P88

 仕事に取りくむその姿勢を知るうえで、宿澤広朗の原点ともいうべき本人のみごとな文章がある。大学卒業時に書いて『早稲田学報』(昭和四十八年四月号)に掲載された「楕円形の青春」と題する一文である。筋立てのいい叙述は、端正にして平明であり、若き宿澤の文才をも感じさせる。

 《楕円形のラグビーボールは、よく人生の縮図であると言われる。つまりラグビーボールが不規則なバウンドをすることによって、ゲームの勝敗を左右することが、予測のつかない人間の未来にたとえられているのである》 

 こう書きだされ、つぎに前年(昭和四十七年)の日本選手権の対三菱自工京都戦における劇的な逆転トライについてふれる。その雪の日の試合については前章でもふれたが、終了寸前、センター佐藤秀幸の蹴ったパントが弾まないはずの雪のグラウンドで高く跳ねあがって、右ウイング堀口孝の胸におさまり、逆転トライとなった。それをマスコミが「勝利の女神が早稲田に」「好運のトライ」と報じたことで、その陰にかくれた努力や実力が過小評価されたのではないかと、宿澤は書く。

 《およそラグビーにおいては(他のスポーツにも当てはまることであるが)運だけで勝敗が決するものではない。もちろん大きな要因であるにはちがいはない。しかし、相手に勝つためには、たゆみない努力と、それによって生まれた実力と、それらを生かす恵まれた運、この三つがうまく相関した時に一つの大きな力となって相手に打ち勝つことができるのである。そしてそれがまた、自信とか、精神力とか、勝負強さなどといったものを生む源ともなるのである。

 あの一瞬のために自分たちはどれほど春先から練習を積みかさねてきたことか。ボールをうまくバウンドさせるだけでなく、よいタイミングで走り、よいポジションに位置する。宿澤によると、それは一年間の練習があってこそ成しとげられたという。

 これから企業人になるにあたって、宿澤はこうしたラグビー体験を自身の人生観にまで煮つめていた。 《結局、その努力が報いられて、勝利をつかむことができたのである。(中略)これはスポーツに限らず、人が生きてゆく上でのあらゆることに共通するのではないだろうか。人間には、平等に、いろいろな形でチャンスが与えられる。それがどのような結果を生むかは、その人の不断の努力と、そなわった力によって大きく変わってしまうのであろう》

 そして、宿澤広朗が生涯抱きしめることになった信念で文章を結ぶ。

 《これからの人生において、大きなバウンドが何回か歩む道を左右するであろう。その時になって、どうころがるかは計りしれないものがあるけれども、少しでも良い方向にころがるように日々の努力を怠らないようにせねばなるまい》

 宿澤の先輩で早大ラグビー部の監督でもあった日比野弘は、この文章を読んで触発され、以後「努力は運を支配する」という言葉を座右の銘にするようになる。

(院長註:この言葉が本の題名になっています。裏を返せば「努力をした男」と読めなくはありません。)

あれは偶然ではない

「宿澤広朗 運を支配した男」加藤仁、講談社+α文庫、2016

P72

 宿澤が大学三年生のときの日本選手権は、伝説の大接戦となった。日本のラグビー史上、学生チームが社会人チームを連覇して日本一になったのは、唯一このときだけである。

 その日、昭和四十七(一九七二)年一月十五日は雪の決戦となった。前半、早稲田がリードしていたが、後半の二十九分、三菱自工京都に逆転された。しかし終了三分前、早稲田・佐藤秀幸のパントは、ボールが弾まないはずの雪のグラウンドで跳ねあがり、右ウイング・堀口孝の胸におさまった。そのまま堀口が二十五ヤードを駆けぬけて、劇的な再逆転トライとなった。そしてノーサイド、一四対一一で早稲田が勝利をおさめたのである。

 翌日の新聞は、雪のなかでボールが弾んだことについて「奇跡」「女神が舞い降りた」と報じていた。

 当時を思いうかべて、星忠義は言う。

 「宿澤は"あれは偶然じゃない。何万回も練習しているんだから当たり前なんだ”と言っていた。どういう状況でどうなるのか”分析、努力”が口癖でした。雨の日は雨の試合を、強風の日は強風の試合を想定して、練習をやっていたのですよ」

二十点以上を許さないディフェンス

「宿澤広朗 運を支配した男」加藤仁、講談社+α文庫、2016

P37

 宿澤には、銀行員として七年半イギリスに駐在した経験があった。この間、本場のラグビーを見つづけ、ひとつの確信を抱いた。国際ゲームにおいては失点を二十点前後に抑えなければ勝機がないという冷然たる事実である。それゆえジャパンには二十点以上をゆるさないディフェンスの整備が急務であった。宿澤が理想としたのは、相手を二十点以内に抑え、数少ないチャンスをものにして二十点以上を取る戦法であった。 

「いい女の体」の法則"黄金比率〇・七" 

「モテたい脳、モテない脳」澤口俊之×阿川佐和子、新潮文庫、平成17年

P109

「いい女の体」の法則"黄金比率〇・七" 

澤口 ”黄金比率〇・七”です。これは世界中で通用する法則です。例によって例外はあるようですが。

阿川 え?何の比率ですって?

澤ロ ヒップに対するウェストの比率です。不思議なんですけどね、女性のヒップを一としたときに、ウェストが〇・七という比率の体型が、一番モテる体型なんです。

阿川 ちょっと待ってくださいね。私、自分で計算させていただきます(笑)。

澤ロ ヒップが九〇あったら、ウェストは六三ですよね。

阿川 あれ、私いくつだろう……。バストは関係なく、ヒップとウェストだけの関係なんですか。

澤口 はい、ヒップとウェストだけの比率です。

 民族、文化によって美しいとされる体型は違います。非常に太った人が好きなところもあれば・・・・・・。

阿川 タヒチみたいにね。今の日本は痩せぎすがモテますからね。

澤口 ええ、いろいろあります。そういうところを全部ひっくるめて統計をとったときに、〇・七の比率がモテるんですよ、どこの地域であっても。

阿川 つまり、太っていても痩せていても、お尻とウェストの関係が一〇対七であればモテるんですね。

澤ロ モテるんです。なぜなら、〇・七ぐらいの比率の人が、一番、妊娠しやすくて、繁殖力が強いからです。

阿川 ええっと、七かける八が五六……あー、だめかもしれない(笑)。

澤口 繁殖力が強くて、子どもの数が多くて、体が丈夫。その条件を満たすのが実際、〇・七なんです。

阿川 それは安産型という意味ですか

澤口 そうですね。やはり統計的にみると妊娠しやすい、安産しやすいんです。

阿川 じゃ、なおさらだめだ。今さら間に合わん!

澤口 これはある程度の年齢の方までの話ですからね、失礼ですけど(笑)。

阿川 やだ、もう。いくつまでの話ですか?

澤口 われわれの観点からいくと三〇代まででしょうね。

阿川 あ、そ。私、帰ります。さようなら(笑)。

トイレの蓋

「世界の大富豪2000人に学んだ幸せに成功する方法」トニー野中、総合法令出版、2012

P202

「些細なことと思うかもしれないが、トイレの蓋を閉めるかどうかが重要なんだ」

 「トイレの蓋を閉める」

 私は成幸者のご自宅にお邪魔する機会もありますが、その際に感じるのが、どの家もトイレの蓋が閉まっていることです。

 そして、ただ閉まっているだけではなく、どこの家も決まってきれいにされています。

 なぜ成幸されている方の自宅のトイレは蓋が閉まっているのでしょうか?

 その答えは、正直に言いますとわかりません。

 それというのも、この「トイレの蓋を閉める」という行動について気になった私もいろいろと調べたり、成幸者の方にも何度も尋ねたりしたのですが、今まで納得できる答えが出たことがありませんでした。

 それでも、確定的ではないにしろ、答えと思しきものはいくつかあります。

1.運気が逃げないように蓋を閉める

  風水に関係しているのかもしれませんが、そのような教えを信じて、逃がさないように蓋を閉めていることが考えられます。

2.暖房便座が冷めないように蓋を閉める

  意外と思われそうですが、お金持ちは細かい節約にも気を配りますので、このようなことも十分に考えられます。

3.トイレに溜まった水が蒸発しないように蓋を閉める

  水が蒸発すると便器の水垢が溜まり易くなったり、蒸発した水分で湿気が増して壁紙にカビ、が発生しやすくなったりするのを防ぐためです。

 その他で言えば、ある成幸者の方からはこんな話をもらいました。          

 「家を大切にする人はドアを開けっ放しにはしないだろ。開けたものを使った後に閉めるのは、それは単純にものを大切に扱っているっていう証でもある。だから、トイレの蓋はちゃんと閉まっているし、いつもきれいに保たれている。そうやって、きれいになっているということは掃除もまめにしているということにつながる。そういうふうに考えれば、トイレ掃除をまめにすることが、お金持ちになるっていうことじゃないか」

 私が自宅に伺い、トイレがきれいにされている方はさらに成幸しています。

 そして、このトイレの蓋の話は自宅に限ったことではなく、トイレ掃除が行き届いた会社ほど仕事が途切れないように感じます。

 トイレの蓋というより、トイレをきれいにすることが大切なのかもしれません。

 少し前の流行り曲の中に「トイレの神様」という歌がありましたが、そのタイトル通りにトイレの神様は本当にいるのかもしれませんね。

脳の成長は八歳までが勝負

「モテたい脳、モテない脳」澤口俊之×阿川佐和子、新潮文庫、平成17年

P66

脳の成長は八歳までが勝負

阿川 人間の脳の重さってどれぐらいあるんですか。

澤口 成人男性で約一・三キロ、成人女性で約一・ニキロです。八歳までで九〇パーセント出来上がります。

阿川 八歳で、大人の九十パーセントの脳の重さになるんですか。

澤口 はい。九五パーセントというデータも最近では出てきています。ともあれ、脳の大きさの成長はすごく早いんです。だから、幼児期の教育とか、経験はとても大事です。

阿川 ほおー、やっぱり八歳までの脳の育成が大事なのかあ。じつは私、小学校二、三年以降の作文は急におもしろくなくなるという説を唱えているんですが(笑)。

澤口 そうですか(笑)。それはどうしてですか?

阿川 『さっちゃん』や『ねこふんじやった』の童謡を作詞なさった作家の阪田寛夫さんが、自分が小学校二年のときに書いた詞以上のものがなかなかできないってことを、ご自身で書いていらっしゃるんです。

澤口 関係すると思いますよ。脳は八歳ぐらいまで、ぐんぐん大きくなっていき、神経細胞のネットワーク、神経回路がどんどん複雑になります。四、五歳までに神経細胞のネットワークをワーツとたくさん作っておいて、そのピークが八歳ぐらいまで維持されます。しかし、それ以後はスーツと下がっていくんです。つまり、八歳までに非常にいろんな可能性を作っておいて、そこから今度は、神経細胞を減らしていくんです。

見返りは断りなさい

「世界の大富豪2000人に学んだ幸せに成功する方法」トニー野中、総合法令出版、2012

P120

「見返りは断りなさい」

 「見返りを求めず、その人の力になる」

 これは、成幸者の習慣の中で最も普通の人と違った習慣であり、成幸者が他人に教えたくない秘密の習慣と言っても過言ではないでしょう。

 しかし、前述の言い方であれば、我々も普段から耳にする教えでもあり、必死になって隠すような秘密の習慣と言うには、やや物足りなさを感じてしまいます。

 実を言えば、この言葉、そのニュアンスが若干違います。成幸者なりの解釈で表現すると、次の言い方が正解でしょう。

 「見返りはその人から直接いただいてはもったいない」

 普段、我々は他人に何かをしてあげると、その人から見返りを期待します。「この人はいい人だ」と思われることや金銭的な報酬を期待することもあるでしょうし、仕事上の関係であれば、新たな仕事をいただくとか紹介してもらうなどを期待したりするでしょう。

 それゆえ、親切にしてあげたのに自分を裏切るような行動を取られたりすると、怒ったり、戸惑ったり、失望してしまいます。たとえ、見返りを求めていないと思っていてもです。これは、無意識のうちにその人から見返りをもらうことを期待しているからと考えられます。

 その点、成幸者は直接その人から見返りをもらうことを期待してなどいません。なぜならば、その人から見返りを貰わないことで、まったく別なところから見返りがちゃんとやって来ることを経験上知っているからです。それも直接貰う見返りより何倍にも増して返ってくるそうです。

 こうなると、邪な考えにもなりますが、成幸者が他人のためにしていることは、すなわち(未来の)自分のためにしている、と捉えることができます。よって、その人からの見返りを期待するどころか、その人から見返りを貰ってはもったいないとさえ思うわけです。

 この考え方は、「この世のすべてのこと、また物質は宇宙の法則、原理によってつながっている」ということによるものです。

 これにより、直接関係ないモノやコトに見えても、宇宙の根源ではしっかりとどこかでつながっているので、まったく関係のないところから見返りという形でやってきます。

 この習慣は成幸者同士の仲間内だけでシェアされていて、決して普通の人には知らされない、まさに秘密の習慣です。

アラン・デュカスの12か条

「アラン・デュカス 秘密のレシピ」、永崎ひまる、主婦と生活社

P45アラン・デュカス(院長註:フレンチの巨匠)エンタープライズの価値観・活動における12か条

1情熱 ただ好きになること。結果はあとからついてくるものだ。

2喜び 第一の使命は、お客さんに喜んでいただくこと。

3共有 日々、新しい何かを身につけること。

4ハーモニー この瞬間を同じ気持ちで行動すること。

5リーダーシップ 星に届くまで常にトップでいつづけること。

6厳格 こつこつと与えられたことを繰り返しながら結果に結びつけること。

7好奇心 世界の多様性に好奇心を持つこと。

8多様性 文化の融合は精神に、より豊かな知性を与える。

9卓越 厳格に完璧に追及すること。

10尊敬 他人も自分の一部であること。

11勇気 恐れずに前進すること。

12記憶 どこに向かっているかを知るためにもどこから来たかを忘れてはならない。

イチローの手入れ

「世界の大富豪2000人に学んだ幸せに成功する方法」トニー野中、総合法令出版、2012

P53

(前略)植物は毎日「ありがとう」とか「大好き」と語りかけられると青々とした元気な葉を広げ、花も長く咲き続けるそうです。中でもサボテンは同じように語りかけていると、半年ほどでトゲを落としたり、トゲが産毛のように柔らかくなったりするという話も聞きました。

 生き物ではない道具でも同じことが言えます。

 米国メジャーリーグで活躍を続ける日本人、イチロー選手は、とても道具を大切にしていて、バットやグローブをグランドボーイにも触らせないと言います。手入れも毎日欠かさず、「ありがとう」と感謝の気持ちを込めて磨くそうです。

 そういう習慣をもっていると、たまに不思議なことが起こるそうです。 たとえば、ピッチャーの投げた球が予想に反して、手元で沈み「空振りか・・・・・・」と思った瞬間、急にバットが重さを増し、自分がイメージしたスイング軌道より下を通ってジャストミートすることができたそうです。それも一度や二度ではなく、何度もあったと。

 本人いわく、「きっとバットが『普段お世話になっているから、ちょっと重くしてあげましょう』とタイミングよく調整してくれているのだと思っている」とのことです。

足を広げる人間は大成しない

週刊朝日2016.2.5P67週刊図書館「夜中の電話 父・井上ひさし 最後の言葉」井上麻矢、集英社インターナショナルの書評(院長註:作者は故井上ひさし氏の三女)

 父の姿でよく覚えているのは、電車の中で座る際、必ず膝を合わせていたことだ。「足を広げる人間は大成しないというのが父の口癖でした。人に迷惑をかけてはいけない。そういうところに美学を持つ人でした」

ファーストクラス

「世界の大富豪2000人に学んだ幸せに成功する方法」トニー野中、総合法令出版、2012

P20

 余談ですが、飛行機におけるファーストクラスの比率は3%(全300席の場合、ファーストクラスは9席が一般的)に設定されているようです。この数字の一致を、ただの偶然と片付けてしまうかどうかは各自にお任せいたします。

3・10・60・27の法則

「世界の大富豪2000人に学んだ幸せに成功する方法」トニー野中、総合法令出版、2012

P19

 すべての会社には、3%の優秀な社員、10%の有能な社員、60%の普通の社員、そして、27%のダメ社員がいると言われます。これが「3・10・60・27の法則」というものです。

 そして、驚くことにこれはあらゆるシーンに置き換えても不変の比率で、アリの世界で実験したところ、熱心に働く優秀なアリや、サボってばかりいる無能なアリなどの比率が見事に当てはまったのです。

 さらに興味深いことは、サボっている27%のアリを取り除くと、残ったアリの中から新たに27%のサボるアリが現れることです。

 これは人間の世界でも同じで、会社がダメ社員をクビにすると、不思議とまた新たにダメ社員が生まれてしまいます。

清正の深謀遠慮

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P284

−ーー加藤家が滅びたのち、熊本城は細川氏の居城となった。寛永九年六月、細川忠利は、小倉からの入部の道中、行列の先頭に清正公さまの霊牌をかかげて熊本に入り、城に登ったとき、石塁の上に坐り、清正公廟を遙拝し、

 「あなたさまのお城を預からして頂きます」

 と、あいさつをしたという。

 ある年、城壁が風雨のために崩壊した

 そこで、柱を替えようとすると、その柱の裏にひそかに記された文字があった。

 「柱にする良材は、なかなか得がたいものである。城外の沢の中に沈めてある。後世、柱を替える場合は、それを取って用いるように」

 とあった。人をつかわして沢を探すと、そのとおり材木が山積みされていた。

 清正の深謀遠慮はかくの如きものだった。

 ー−−清正は士民をいつくしみ、大いに恵み深い政治を行なった。

 また築城の術にも精通して、水利をよく考えだした。

 作事があるたびに馬にまたがり、その現場に行き、鞭をあげて指揮した。

 その計画した溝渠や堤防は百世までももちこたえられるものだった。

 民は彼の人柄になつき、その勇智に服していた。死後に祠を立てて祀ったという。

 江戸城本丸の富士見櫓の石垣は、将軍家光の好みで、清正のつくった熊本城の石垣を模したものだといわれている。

足立区は「本音」で生きることを許すまち

週刊朝日2016.1.22P74

「23区格差」池田利道、中公新書ラクレの書評斎藤美奈子

 地方と東京の格差は広がる一方だが、東京23区内にも格差が存在する。各種データでそこを分析したのが池田利道「23区格差」である。

 まず、所得水準から見ていくと23区のトップ3は、港区の904万円、千代田区の763万円、渋谷区の684万円(2012年)。これは全国の市区町村別所得水準ランキングのトップ3とも重なり、4位に兵庫県芦屋市、9位に東京都武蔵野市がランクインしている以外、トップ10のうちの8件までを23区が占める。ちなみに12年の東京23区の平均所得は429万円。港区の住人とはどんな人たちなのか。

 港区が日本一リッチなまちになったのはごく最近のこと。03年に六本木ヒルズがオープン、以後、汐留シオサイト、東京ミッドタウン、赤坂サカスと高級レジデンシャル機能を備えた大規模施設が誕生した結果、人口増加率が上がり、高額所得者が港区に集中したのである。

 「田園調布に家が建つ」がお金持ちのイメージだった時代ははるか昔で、今日のセレブというか成り金は要するに都心に住みたがるのだね。

 一方所得水準が最下位なのは足立区の323万円。それでも全国平均の321万円より高く、大阪市や札幌市より上位にランクする足立区は全国的に見れば勝ち組なのだが。

 上位グループと下位グループの区を比較して、業者が特に問題にするのはまちの新陳代謝である。転入率も転出率も高く、定住率(20年以上住み続けている人の割合)が低い区ほど、子どもの数が多く活気があって経済力も高いのだと。

 とはいえ港区のタワーマンションで暮らすだけが幸せな人生ともいえないからな。じつは23区中、離婚率がもっとも高い区も港区なのだ。離婚後、彼らはとっとと港区を出てしまうらしい。東京はやっぱり見栄っ張りが多いまち。その点、〈足立区は「本音」で生きることを許すまちではないだろうか〉。無理矢理救っている気がしないでもないけれど、案外当たっているのかも。

清正の七カ条

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P276

ーー―清正が「大身小身にかかわらず覚悟せねばならぬこと」として家中に申し渡した七ヵ条とは左のごときものだった。

 第一、奉公の道は油断してはならない。朝、寅の刻(午前四時)に起きて兵法を学び、飯を食い、弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗ること。武士の嗜よき者には特に加増する。

 第二、たのしむために外出するときは、鷹野、鹿狩り、相撲、このようなものでたのしむこと。
 第三、衣類に金銀を費やしておいて、貧しいと申すことはあやまりである。またふだんは身分相応に武具を嗜む人を扶持しているのであって、軍用のときは金銀を惜しみなくつかうこと。
 第四、日ごろ傍輩とつき合う場合は、客一人と亭主以外が集まって話をしてはならない。食は黒米飯のこと。ただし武芸修行のときは多人数で出会うこと。

 第五、軍礼の法は侍の知らねばならぬことである。要らざることに華麗を好む者はあやまりである。

 第六、乱舞(能の演技に行う舞)は禁止する。太刀を于にすれば、自然に人を斬りたくなる。そういうわけで、何事も心ひとつの置きどころから生ずるものであるから、武芸の他に乱舞をけいこする輩は切腹を命ずる。

 第七、学問には精を出すこと。兵書を読み、忠孝を心がけること。詩、連句、歌を詠むことは禁止する。心に華奢風流のごとき弱々しい好みが生ずれば、まるで女のようになってしまうものだ。武士の家に生まれたからには、太刀、刀を取って死ぬ道こそが本意である。つねづね武士道を磨かなければ潔い死に方はできにくいものであるから、よくよく心を武に励ますことが大切である。

 右の条々を昼夜守ること。もし右の箇条を守れないと思う輩がいれば暇を出す。すみやかに調査して、男の道歩みがたい者には印をつけて追放すること。右はすべて正真正銘のことである。以上。

(院長註:藩主みずから率先して俳句をやらせた松山藩とはだいぶ状況が違うようですね。)

食品は適正価格で買うべき

週刊朝日2016.1.22P73週刊図書館

「激安食品の落とし穴」山本謙治、KADOKAWAの書評土屋敦

 ありがちな書名だが、著者が人気ブロガー「やまけん」としても知られる農産物流通コンサルタント・山本謙治氏であるゆえ、凡百の類書と一線を画すのは当然だろう。徒に不安を煽ったり、エビデンスのない情報を流布したりすることなく、具体的、実践的かつ論理的に、我々が執拗に安い食品を求めることが、結局われわれ自身の不利益になることを、強い説得力をもって示した本だ。

 例えば納豆について。10年前は3個パック128円程度だったのが、今は78円ほどに値下がりしているが、「安くなる理由はひとつもない」という。大豆の価格は高止まり、容器や包装フィルムも値上がりしているのだ。

 値下げを牽引したのは大手スーパーのプライベートブランド。製造業者に利益が出ないほど安い納豆を作らせ、その代わり、利益が出る商品もスーパーの棚に置かせてやる。そして取引量を増やして業者を自分たちに依存させると、儲けの出ない格安商品の割合を増やす。そのころには、そのスーパーとの取引を切られたら会社が立ち行かなくなるほどになっていて、断れなくなるという図式だ。

 商品の値段を適正値より低くする方法の具体例として、著者は「人をいじめる」ことや「ウソをつく」ことを挙げているが、納豆はその典型的な例のひとつだろう。

 その他、本書では、弁当、たまご、ハム・ソーセージ、惣菜、調味料などの現状を明らかにし、その適正ではない価格と、低価格を支えるからくりを解説していくが、問題点ばかりを指摘しているわけではない。著者が実際に取材した良心的な食品の作り手とその実にまっとうな製造現場の様子を紹介し、それらの製品を「佳い食」と位置づけるのだ。

 適正価格で買わないことは、社会悪となる、という著者の言葉が重く響く。食品は自然に由来し、激安食品ばかりを選択していくことは、確実に自然と人類の持続可能性を損なうだろう。そのことを痛感し、著者の言う「佳い食」こそを選択的に買おうと強く思った次第だ。

清正の茶碗も砕ける

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P272

ー−−ある日、清正が茶会を催したとき、名物の茶碗を出していたのを、小姓が集まって、撫でさすったりしているうちに、その中の一人が取り落として砕いてしまった。

 みんなおどろいたが、武功の者の子弟ばかりだったので、「このことを誰にも言わず、たとえいかなる詮議があろうとも、砕いた者の名もかくしておこう」

 と申し合わせた。 そのあと、清正がやってきて、茶碗の砕けておるのを知り、立腹して小姓たちを呼んで詮議したが、みんな一言も口に出さず沈黙を守った。

 すると、清正は大きな眼をむいて、はったとにらみ、 「そのほうどもは、若輩とは申しながら、臆病者ばかりじゃ。いずれも父は武功の者なるに、このような臆病の有様では、父の名を汚すばかりじゃ」

 と言うと、加藤平三郎という十四歳になる小姓が顔を上げて、清正の顔を見つめ、

 「わたくしどもが、いかなれば父の名を汚す臆病者でござりますか」

 と問い返したので、清正はいよいよ怒り、

 「名物の茶碗を砕きし科(とが)によって、切腹させられると思い、名を言わないのであろう。じゃによって、臆病者と申したのじゃ」

 平三郎は、平然たる態度で、

 「われわれ共の中には、命を惜しむ臆病者は、一人もおりませぬ。茶碗を砕きたる者の名を申し上げざるわけは、どれほど名物の茶碗なりとも、無くとも事の欠けざる器物のために、無くてはならぬわれわれ共の中、一人たりとも傷つかんことを惜しんで名を申し上げないのでござります。無くても事欠かずと申すわけは、国家を治めたまうに、器物が何の御用に立ちましょう。いまにもご領国を奪わんとて、敵軍押し来たらんときは、われわれ共、命を捨てて敵を討ち取りご領国を守護いたします。また事の次第によっては、殿の命に代わって討死もいたします。されば、いかほど名物の茶碗なりとも、われわれ一人に替えたまう理はござりますまい。このゆえに、砕きし者の名は決して申し上げません」

 平三郎の理詰めの答えに、清正は苦笑して、

 「あっぱれなる小倅ども、ゆくゆくは父にまさるとも劣らぬ武士になるであろう。たのもしき限りじゃ」

 と言って、砕けた茶碗のことは、その後、口に出さなかった。

歯科からの糖質制限推奨

 とうとう歯科からも糖質制限食を勧める人がでてきました。院長は以前から糖質制限によってプラーク(歯垢)がつかなくなったのは歯科的にもよいことだと言ってきましたが、もう一段突っ込んだ議論が行われているようです。「白米が健康寿命を縮める 最新の医学研究でわかった口内細菌の恐怖」花田信弘、光文社新書、2015という本を読みました。

 口腔内細菌が糖質をエサに虫歯や歯周病を元に血管内に入り込み、全身のいたるところで悪さをしているので糖質を控えて口腔ケアをしっかりしましょうという趣旨の本です。

 歯科界で最近言われていることと糖質制限食をうまく結び付けていると感心納得の本でした。筆者は国立感染症研究所部長を経て、現在鶴見大学歯学部教授。准教授は院長のラグビー部の後輩のようです。本文中にも出てきます。

表紙裏より

「歯原性菌血症という言葉をご存知だろうか。菌血症とは、細菌が血中に入り込み、全身の血管を巡るものをいう。通常は血管の中に細菌は入らないが、身体の中でただ1カ所、日常的に細菌が血管に容易に入ることのできる場所がある。それは歯の根元にできた虫歯や歯周病である。この歯原性菌血症は、気づかぬ間に全身の血管でじわじわと炎症を進行させ、血管を劣化させて心筋梗塞、脳梗塞、動脈硬化、がん、認知症、リウマチなど、種々の慢性病の原因となることが最新のDNA解析技術でわかってきた。原因は子ども特有の歯の表面の虫歯(砂糖が原因)だけでなく、大人特有の歯の根元にできる虫歯(主食が原因)や歯肉炎である。ほぼ全ての生活習慣病に関わるこの歯原性菌血症を防ぐためには、主食を重視する栄養学の常識を根本から見直すことが必要。古代からの人類の歯や骨の変化や、統計、最新の研究データを基に、医科と歯科の連携、最新の口腔ケアの重要性を説く。」

待合室においておきます。

歯科から見たラグビーワールドカップ2015イングランド大会

 業界誌「日本歯科評論」1月号2月号にラグビーワールドカップ2015イングランド大会特集が出ていました。1月号は日大歯学部の准教授が執筆者です。彼が今の日本代表のマウスガードを担当しているようで、日本代表何十人もいれば、紛失する人もいれば、予備を持たない人もいるわけで、急遽と頼まれることもあるそうで、ある時などホテルの記者会見場の裏で調整をしていて、ホテルの人に訝しげに見られたなどの苦労話が紹介されていました。

 2月号の執筆者は松本芳郎東京医科歯科大学矯正科講師です。彼は院長の4学年下です。彼は幼少時からラグビースクールに所属し、大学でも主将を務め、卒業してからもレフリーをやり、現在もメディカルの面でラグビーとかかわっているようです。根っからのラガーマンです。ちょうど矯正の世界大会が同じ時期にロンドンで行われ、現地で見ることができたそうです。彼によると直接見学はできなかったけれども、トゥイッケナムスタジアムのメディカルルームにはデンタルチェアーが設けられ、歯科医師の活躍の場が用意されているそうです。

日本歯科評論2016.2月号P117

 「英国の観客は歌が好きで,地元の応援では必ず大合唱が起こることがよく知られていますが,指揮もないのに次々と音を合わせて短時間で大合唱になっていく様子は,さながら「声のウェーブ」ともいえる迫力です.地元選手には勇気を与え,相手チームの選手には脅威となるかもしれないもので,会場でしか味わえない観客と選手の素晴らしい一体感です.地元のチームが出場しない試合でも,イングランド人は数多く詰めかけ,時には出場していないイングンドチームの合唱が沸き起こることもありますが,出場国のファンになり,熱心に声援を送っているのがよくわかりました.日本大会でも満員の観客で各選手を応援するために見習いたいところです.」

 国際試合を見慣れていないですからちゃんと応援できるのか心配になってきました。いずれにしても4年後のワールドカップは2019年に日本で、5年後の世界矯正大会は2020年に横浜で開催されます。

女性のフェロモンのピークは二〇代前半

「モテたい脳、モテない脳」澤口俊之×阿川佐和子、新潮文庫、平成17年

P10

 「あのー、アガワさんにこんなこと言うと怒られちゃうかもしれないんですけど・・・・・」といかにも困惑した表情で断りを入れながら、はて何を言い出されるのかと思いきや、

 「やっぱりオトコにとってオンナは若けりや若いほどいいんですよ。女性のフェロモンのピークは二〇代前半ですから」

 ケロリとおっしゃる。「なにい」とにわかに憤る私を、怯えた上目遣いで見返して、訂正なさるどころか、

 「でも事実なんです。生殖能力のない女性は、オトコにとって意味ないですから」

 あくまでそれは個体差を無視した統計学上の特徴だと弁解しつつ、どんどん図にお乗りあそばして澤口先生、しかし最後にいかにも今、思いついたとばかりに、

 「でもアガワさんにも、まだ生きる手だてはあるから安心してください」

 慰められて情けないやらうれしいやら。しかしその解説のあまりのおもしろさにグイグイと引き込まれてしまいます。

(院長註:最近あまり聞かなくなりましたが、昔はよく「クリスマスケーキと同じで24まではいくらでも売れるけど、25過ぎたら売れ残る」と言われていました。個体差はあるでしょうが、モテ期がずーっと続くなんて幻想です。院長は「女性は25歳までに結婚するのが理想的」という持論を持っていて、皆さんにお勧めしていますが、結構驚かれるんですよね。)

熊本城築城

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P252

 坪井川の白河にそそぐところをふさぎ、別に水路をひらいて井芹川に合流させて川幅と深さを与えて、海への通路とし、まず城下からの水路を開いてから築城に着手した。

 朝鮮に出陣中に、現地で研究していた手法を用いて石垣を築き、後で茶臼山と称した丘陵に、千葉・隈本両城あわせた大規模な築城工事で、飯田覚兵衛と森本儀大夫が普請奉行となって指揮した。

 大坂、名古屋とともに、天下の三名城とうたわれた城の全容は、一の天守閣、二の天守閣をはじめ、櫓四十九、櫓門十八、城門二十九、それに坪井川を内濠に、白河と井芹川を外堀とした周囲九キロにもおよぶ豪壮、複雑な城構えであった。

  一の天守閣は三層六階、地階ともに七階で高さ二九・七メートル、二の天守閣は二階四層、地階ともに五階、高さ一七・五メートルもあり、一の天守閣の内部構造は、まったく実戦向きであった。

 石垣の上に大材木をつき出し、その上に天守の建物をのせ、すそは石垣からやや出張っていた。これは、いざ合戦という場合、中から畳をはがし、そのすき聞から弾石を蹴落とし、石垣をのぼる敵兵を退けるしかけになっていた。築城を機会に熊本城と改め、城下町の名も熊本とした。

 今後、大坂に事あるときは、秀頼を熊本城に迎え、徳川方と一戦を交える覚悟だった。 

 一の天守閣にあった「昭君の間」は「将軍の間」の隠語で、上段の間(十六畳)の背部に袋戸があって、そこから抜け穴が通じ、どこまでつづいているかわからないといわれた。

 また籠城に備えて、城内には百二十余の井戸を堀り、薪の用意に榎や楠を植え、畳の中にはズイキ(イモ殼)が使われ、櫓の壁に干瓢を塗りこめ、防火用に銀杏樹を植えるなど用意周到で、とくに清正の考案になる武者返しといわれる石垣の線は独特のものであった。

 明治十年の西南戦争に西郷軍が攻めあぐみ、やがてそれが敗戦につながったのも、さこそとうなずかれる。 

吹奏楽部

週刊朝日2015.12.25P101マリコのゲストコレクション林真理子 佐渡裕(指揮者)

佐渡 (前略)いま、日本の中学・高校の8割ぐらいに吹奏楽部がありますが、これはヨーロッパからすればすごいことで、各学校のレベルも高いんです。日本のプロのオーケストラメンバーの9割以上は、吹奏楽部出身だと思いますよ。

加藤清正

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P192

 清正が秀吉の口ききで、妻を迎えたのもこのころである。

 秀吉の家中で七百石をとる和田弥左衛門の娘のお篠である。

 弥左衛門は姫路城の留守居をしていたが、息子の勝兵衛(つまりお篠の兄)は賤ヶ岳合戦で相当な働きをしていた。

 清正は姫路まで出かけてお篠との祝言の式をあげた。仲人役は、秀吉の姉おともとその夫の三好一兵衛であった。母の伊都も涙を流して喜んでくれた。

 清正二十五歳の青春である。

 天正十二年五月の尾張長久手戦では、清正は加賀井城を攻め、城中深く攻め入り、城将加賀井弥八郎を追い詰め降伏させた。

 長久手戦を終わり、秀吉と家康は和を結んだ。

 秀吉はつづいて九州征伐にかかり、わずか二ヵ月で島津氏を降伏させた。

 そして、肥後五十四万石の領主に佐々成政を任命した。成政は喜んで赴任し、さっそく検地にかかったが、領民ははげしく抵抗し、各地に一揆が起こった。成政一人では抑えきれず、築前の小早川隆景、豊後の大友義統、豊前の黒田官兵衛らが応援して、やっと一揆を鎮定したが、成政は秀吉に上京を命じられ、その途中、尼崎で切腹させられた。

 その切腹を命ずる上使に立ったのは清正である。尼崎の法華寺に着くと、清正は、

 「拙者は母親の縁で日蓮宗を信じる者、法華寺に参ったのも仏縁でござろう」 と、同情に満ちた、謙虚な態度で言い、雪中にささら峠を越えたことのある梟雄の成政も、柔順に命に従い、

 「拙者の腰かけている石を、佐々内蔵助石と名づけて頂きたい」

 と遺言して、いさぎよく十文字腹を切った。

 清正は、「南無妙法蓮華経」と大声で題目を唱えてから介錯の刀を振りおろした。

 ときに天正十六年閏五月十四日、成政六十歳であった。

 関白太政大臣豊臣秀吉となり、京都の聚楽第に住んでいる秀吉に、成政の首を携えて報告すると、

 「除封された讃岐の国主尾藤甚右衛門知定の武器をもらって讃岐国を領するか、肥後半国を領するか、そのいずれを選ぶか」 と秀吉から問われた。

 このとき清正の知行は五千石である。

 彼は、近いうちに秀吉が征韓の戦を起こすことを浅野長政から聞いていたので、この先鋒になりたく思い、

 「できますれば、肥後の国のほうを拝領いたしたく」 と言うと、秀吉は大きくうなずき、

 「そちは大気者だ。でかした。それならば小西摂津守を呼べ」 と言って、肥後国五十四万石のうち二十五万石を清正に与え、二十四万石を小西行長に与え、残りは両人の預かりとした。

「あまりにも、身のほど知らぬ高望み」、と評するものもあったが、秀吉は、「老功の佐々陸奥守さえ治めきれなかった大国を、あの若輩者の主計頭が望んだとは、いかにも見どころあるやつじゃ」

 と相手にしなかった。

 同年六月、清正は勇躍して隈本に赴任した。

高転びに転ぶ

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P269 

 天正元年十二月に毛利の外交僧・安国寺恵瓊によって書かれた、信長の滅亡を予言した有名な書状がある。

  「信長の代五年、三年は持たるべく候、明年辺(あたり)は公家などにならるべく候かと見及び申し候、左(さ)候て後、高ころび(転び)にあをのけ(仰のけ)にころばれ候ずると見え申し候」

 恵瓊は信長が五年程度で急速に没滅するであろうと予言している。

 この書状は、当時京都を追われていた足利義昭の処遇について、秀吉と義昭が恵瓊を交えて交渉した直後に書かれたものだ。恵瓊が何の情報もなしに信長の未来を予言できるはずもない。そのヒントとなる情報は秀吉から得たものに相違ない。

 秀吉は恵瓊に対し、いずれ信長が数年のうちに破滅する可能性があると漏らしたのだろう。秀吉は、信長の成功の一因が自分のような家臣を実力主義で登用するという他の武将にはない政策によることをよく知っていた。しかし、この政策はいずれ忠誠心の篤くない家臣の台頭を招くことになり。さらには家臣相互間に軋蝶を生み、重臣の謀反へとつながっていくと読んでいたのだろう。現に秀吉の読みの通り、四年後には松永久秀、その翌年には荒木村重の謀反が起きている。

 この恵瓊を交えた交渉は義昭の京都への帰還を図るためのものだったが、義昭が信長の息子を人質に出すよう要求して譲らなかったため、結局交渉は決裂した。人質にこだわる必要はないと義昭を説得する際に、秀吉は「信長はそのうち破滅する。その後は自分が引き継ぐ。だから自分に任せてくれ」というような話をしたのではないだろうか。

 このように、本能寺の変の十年近く前にすでに誰かが謀反を起こすのではないかと読んでいた秀吉は、ある時期から、光秀こそ信長を高転びにさせるキーマンだと見定めたのだろう。秀吉は天下取りに向けて着々と準備を進め、まず長宗我部氏と敵対していた三好氏に肩入れした。その結果、天正九年(一五八一)に長宗我部氏は信長と対立することになった。このことが光秀を窮地に立たせ、謀反へと追い込んでいく一因ともなったわけだ。これも秀吉の描いたストーリーの一つだったのだろう。

降圧薬で血圧が一二〇未満になっていた高齢者ほど健康を損なうリスクが高かった

週刊文春2015.12.10 P36 降圧剤が「要介護」を招く ジャーナリスト鳥集徹

(前略)研究を行ったのは金沢医科大学高齢医学講座外来医長の入谷敦医師らだ。同講座(森本茂人教授)は、同大が立地する石川県内灘町の協力を得て、六十五歳以上の高齢者の健診結果に基づくデータベースをつくり、その後の健康状態の変化などを調べる研究を行っている。

 入谷医師らは、このデータベースから、降圧薬治療中の患者五百七十人(平均年齢七十四・二歳)を抽出して、四年間の追跡調査を実施した。すると、最高血圧が一四〇〜一六〇の人が最も要介護・要支援になりにくいという結果が出た。最高血圧が一四〇以上だと「高血圧」と診断される。だが、この研究は「高齢者の血圧は、むしろ高めのほうがいい」ことを示していたのだ。

 そして、一四〇〜一六〇の人たちのリスクを一として計算すると、要介護・要支援になるリスクは、一六〇以上の人で三・〇二倍、一二〇未満の人で三・三〇倍になった。つまり、血圧が高すぎる人も、血圧が低すぎる人も、要介護・要支援になるリスクが高いという結果だったのだ。(上のグラフ参照)(院長註:グラフ省略)

 この研究を実施した入谷医師が解説する。

 「従来から、高齢者の血圧は高くても低くてもよくないと言われており、それをグラフで描くとJ型になるとされてきました。この研究は、実際にJ型のグラフになることを示した日本初のものです。この傾向は七十五歳以上の高齢者でとくに顕著でした。この結果は、高齢の患者さんを多く診ている私たちの実感ともよく合致しています」

 同大の研究では、要介護・要支援のきっかけになる疾患についても調べている。

 その中で、転倒・骨折については、一六〇以上の人でリスクが高いという結果が出たが、脳卒中は逆の結果となった。なんと血圧が高い人ではなく、一二〇以下の人でリスクが高かったのだ。

 一般に脳卒中は血圧が高いほどリスクが高く、なかでも脳の血管が破れる「脳出血」の発生が多くなる。にもかかわらず、なぜ、この研究では常識とは反対の結果になったのか。

 「血圧を下げ過ぎると血流が弱くなり、おなじ脳卒中でも脳の血管がつまる『脳梗塞』が起こりやすくなると考えられます。それが、この結果に現れた可能性があります。高血圧だけでなく低血圧も自立生活に影響を及ぼします。ですから高齢者は、血圧の下げ過ぎにも注意する必要があると言えるでしょう」(同前)

「見られる」ことで強くなる

週刊文春2015.12.10 P41欽ちゃん74歳のボケないキャンパス珍道中

(院長註:現在駒沢大学の大学生の萩本欽一さん。駒沢大学駅伝部の監督に頼まれて駅伝チームのスペシャルサポーターに。駅伝チームの前で話をすることになった。)

(前略)女優さんが見られることでキレイになるように、スポーツ選手も注目されて初めて努力できる。

 努力というのは、「頑張ろう」と思うだけでは、サッパリ実を結ばないやっかいなモノだ。自分のための努力なんて、結局はいつでも投げ出せちゃうからね。

 練習の「つらい」を乗り切るためには、期待されたり注目されたりする必要がある。誰かのための努力は簡単には投げ出せない。だから、人は期待されればされるほど努力をするし、ひとりでに強くなっていく。たとえ錯覚でもいいんだ。「見られている」という自覚が、練習の量と質を向上させる、っていうのがぼくの考え。

 さて、彼らにその自覚を持ってほしいと思ったぼくは、選手の一人であるH君とこんなやり取りをかわすことになった。「君は箱根では走るの?」

 そう聞くと、「いや、(それは監督が決めることなので)まだ分かりません」と彼。

 「それじゃダメ。そんなときは、『俺は必ず出ます!!』と言って、監督を困らせようよ」

 自分の中で計算して、大人っぽく振る舞っていても仕方ない。もしかしたら出場しないかもしれない、なんてツマラナイところに自分を置かないで、ちょっと無理をしてでも胸を張るくらいでちょうどいい。

 そうしたら彼、ちらっと監督を横目に見てから、元気に「走ります」と言ったんだ。

 「ホラ、見ろ。監督が困った顔してるだろ?」

 そう言って笑ったみんなのリラックスした表情には、なかなか素敵なものがあったよ。箱根駅伝の本番では、この笑顔をテレビでたくさんの人たちに見せつけて欲しいな、とぼくは心から思った。

 「いい顔ができるじゃないか。その表情で『私もこの大学に行こう』と後輩たちに思わせちゃおうよ」(後略)

(院長註:先日の熊本で行われたラグビートップリーグの試合で解説の大畑大介さんが五郎丸選手が注目を浴びることで益々パフォーマンスが上がっていると言っていました。)

有楽町

「賎ヶ岳七本槍」徳永真一郎、PHP文庫、1992 P258

 有楽斎は信長の弟だから淀殿にとっては叔父である。茶道の名手としてしられ、東京の有楽町にその名をとどめているが、武将としてはコンマ以下である。

半蔵門

「本能寺の変 431年目の真実」明智憲三郎、文芸社文庫、2013、P260

(院長註:安土城に火を放ったのは誰かという推理が行われています。)

 家康にとって安土城がどのような意味をもっていたかを考えれば答えは明白だ。家康の領国近くに存在する強大な軍事拠点である安土城は、家康にとって脅威以外の何物でもなかった。これを信長の後継者が確保することは何としても阻止したかったはずだ。何しろ家康は甲斐の織田勢と戦っている最中だったのだから。

 したがって家康は、支援部隊が安土城を放棄する場合には城を破壊せよ、と命じていたに違いない。支援部隊はその命令に従い、安土城天主に火を放って撤退したのだ。

 この推理を裏付けるのが、そこに実行犯と目される部隊がいたことだ。つまり服部半蔵たちの伊賀者だ。『伊賀者由緒忸御陣御供書付』には、伊賀越えで家康を護衛した伊賀者たちが、十五日に鳴海で揃って徳川家に侍として採用されたことが書かれている。十五日といえば、まさに安土城天主炎上の当日だ。

 家康は身軽に動ける伊賀者を安土に送り、彼らが安土城破壊を成し遂げた褒美として、徳川家の家臣に正式に取り立てたのではなかろうか。それはある種の口止め策でもあった。後には江戸城の裏門を勲功の褒賞として半蔵門と命名したのはあまりにも有名である。

秩父宮ラグビー場にシャワールームは一つだけ

UK(院長註:歯科材料店です。)REPORT Vol605発行日2016年1月12日

 新年明けましておめでとうございます。皆様には健やかな新年をお迎えのことと存じます。

昨年も話題の多い年でした。政治経済の面では国会周辺で反対デモが渦巻く中集団的自衛権を含む安保法制が成立、農業団体が反対する中TPP交渉の大筋合意、個人情報漏えいが心配される中マイナンバー法成立、世界の景気への影響が心配される中アメリカのゼロ金利政策が終了、イスラム国による残虐なパリ同時テロ事件など、スポーツ界ではラグビーワールドカップでの日本チームの活躍、内村航平選手の体操世界選手権6連覇など、文化面では今年もノーベル賞を日本人が二人受賞、東京オリンピックのエンブレムと新国立競技場建設の白紙撤回など拾い上げたらきりがないくらい。ちょっとした出未事はかすんでしまうくらい良いことも悪いことも含めさまざまな出来事があった年ではなかったかと思います

 私は暗いニュースや重たいニュースはできるだけ頭の隅に置いておいて、明るいニュースをできるだけ思い浮かべるようにしています。学生時代にラグビーをしていた知人から聞いた話です。秩父宮ラグビー場には選手の控室は対戦するそれぞれのチームのものがありますが、試合が終わった後に使うシャワールームはひとつしかないそうです。その理由がラグビーの試合の終わりを告げる「ノーサイド」にあるというのです。ラグビーでは試合終了を告げるのは「ノーサイド」です。対戦チームのお互いの守っていたサイドが無くなり、相手チームは敵ではなく、ラグビー仲間として相手をたたえ、尊重するという精神のことです。先ほどまで格闘技のような激しい戦いをしていた選手たちが試合後はひとつのシャワールームを使うというのも分かるような気がしますし、ラグビーという競技の素晴らしさを教えてくれているような気がします。

 先に政治経済面のニュースで反対意見や懸念が示される中で政治決断がされたことを書きましたが、様々な意見をたたかわせた後、多数決で決まったことは如何にそれを良い方向で運営していくか不備な面が出てきたら修正協議を真摯に行うそんな「ノーサイド」の精神が欲しいものだと思う次第です。                              

 どうぞ本年が皆様方にとりまして素晴らしい年になりますことを祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。

                                 代表取締役社長 慶田 隆

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