ショック療法

「精神科にできること」野村総一郎(院長註:防衛医大精神科教授)、講談社現代新書、2002

P32

 ザーケル(一九〇〇〜一九五七)のインシュリンショック療法は画期的である。インシュリンはご存知のとおり本来は糖尿病の治療に用いられる薬であり、これを打つと血糖値が低下するが、間違って大量に与えると、極端に血糖値が下がり、患者は昏睡に陥ってしまう。インシュリンショック療法は、精神障害者にインシュリンを大量に投与し、タイミングをみて糖分を注射して、昏睡から覚ます方法である。この方法で精神障害は明らかに改善し、またたくまに全世界で統合失調症の治療法として一般的な治療法となっていった(この方法が発表されたのは一九三五年のことだが、わが国でも一九三七年にはすでに行われるようになっている)。

 ザーケルはどのようなことから、この方法を考えついたのだろうか? もちろん背景がある。昔からヨーロッパでは精神障害者にショックを与えたら病状が良くなる、ということが言われていて、実際に精神障害者をびっくりさせたり、恐がらせたりする治療法が大真面目で行われていた。今から考えると、まことに滑稽でもあり、患者の立場からすればいささか残虐な方法のようにも思えるが、たとえば患者に池の上にかかる橋を渡るように言い、患者が橋の中央まで来た時に突然橋板を抜いて患者を池の中に落とす、「びっくり橋療法」というのがあった。またもっとひどい治療法になると、へびのたくさんいる穴に患者を突き落として恐怖心を味わわせる、という方法まであった。患者はびっくり仰天し、恐怖するが、その後で症状はかなり改善するというのである。これらには別に患者を虐待する意図はなかったにしても、人道的とはとてもいえない治療法である。
 こういう方法をもっと医学的にできないか、というのがザーケルの発想だった。びっくりさせる、恐がらせるというのは、生理学的にはショックを与えるということである。それをインシュリンの大量投与で行おうということである。病室で医者が注射し、その管理下で覚醒させるという風景はいかにも医学的であり、新時代の到来を思わせるものだったし、効果の方も従来の前近代的なショック療法よりはるかに優れていた。そこでこの方法は随分長く用いられ、一九六〇年頃までは比較的一般的に行われていた。私が精神科医になりたての頃に指導を受けた先輩医師には、実際にこの治療法を行った経験のある人がいた(私白身は一度も経験がない)。その話を聞くと、インシュリンの量や糖分を注射するタイミングを間違えると非常に危険で、しかもそれを見定めることがきわめて難しかったという。つまり効果はともかくとして、安全性という点に大きな問題をかかえていたわけだ。
 同じショック療法でもインシュリンショックよりははるかに安全なのが、電気けいれん療法である。これは後に詳しく述べるように、今日でも方法が大幅に改良されて行われているが、原点はやはりショックを与えて治すという発想である。これを最初に行ったのはチェルレッテイというイタリアの精神科医で、一九三八年のことだった。頭に電気を通して、人工的にけいれんを引き起こす方法である。これは特にうつ病に大きな効果をあげた。危険性は案外低く、麻酔をきちんと行うので苦痛もない治療法だが、けいれんを引き起こすなど、見た目が残虐なので、ある時期あまり行われなくなっていた。これがけいれんを起こさなくても済む新しい方法に改良され、再び見直されているのは後に述べるとおりである。

(院長註:作者は1949年生まれだそうです。)

 

宿澤広朗の愛したこと

 「勝つことのみが善である 宿澤広朗全戦全勝の哲学」永田洋光、ぴあ、2007

P98

 高橋は、当時の職場仲間で開いた月に一度の宴会を今でも懐かしく思い出す。都内の、修学旅行生が泊まるような安い旅館を借りて一泊し、修学旅行のようにわいわい騒ぐーーー宿澤は、それをこよなく愛したという。

日内変動

 「時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子」粂和彦、講談社現代新書、2003

P40

 体温やホルモンは生物時計の制御を受けているわけですが、実は微妙な変化も含めてきちんと調べると、私たちの体のほとんどの出来事が一日の中でリズムを作っています。たとえば、夜間には皮膚細胞の分裂が盛んになります。それに目を付けた化粧品会社が、日中と夜間に異なる化粧品を使うことを勧め出しました。
 また、体温だけでなく、血圧・脈拍なども日内変動しますし、交感神経・副交感神経の機能も、日内で変動します。その他にも、日内変動しているものがたくさんあります。気分にも日内変動があることは有名で、うつ病という病気では、午前中に調子の悪いことが多くなります。心筋梗塞や喘息などのさまざまな病気が起きるタイミングも、一日の中で変動します。分娩や女性の月経は夜間に始まることが多く、交通事故は昼食後の午後の早い時間に多いことなど、調べるとほとんどの出来事に、一日の間での変化が何かしら見つかります。
 このようなことがわかってきたため、最近は、病気の薬を飲むタイミングも、変動に合わせた方が良いだろうと考えられていて、一日のリズムを飲み方の工夫に応用することも始まっています。これを、時間治療(クロノセラピー)と呼びます。なお、基礎的な研究は、時間生物学(クロノバイオロジー)と呼ばれています。

這っても黒豆

 「からだの見方」養老孟司、ちくま文庫、1994

P208

 ついでに思い出したが、最近ある雑誌に、有名人の死亡記事一年分を新聞から集め、有名人がどこの病院で亡くなったか、それを調べた記事が出た。私の勤務先は東京大学だが、東京大学医学部付属病院は、ほとんどビリである。これも自慢になることか、ならないことか、よくわからない。この話を同窓会でしたら、なにしろうちの卒業生は屁理屈なら得意だから、うちの病院で有名人が死んでいないことはよくわかったが、それは医者の腕がいいからだろう、といった。死にそうな患者は手がかかるから、怠け者の多い国立大学の病院では、そういう患者は入院させたがらない。それが、この記事の本来の趣旨である。

 この友人の言を聞いて、「這っても黒豆」ということわざを思いだした。頑固者がいた。それが、なにか目の前に黒いものがあるのを、黒豆だ、と主張する。ところがまわりの人が見ると虫らしい。虫だよ、と教えると、いや、黒豆だ、と頑張る。そのうち虫があきれて這い出した。そら見ろ虫だ、というと、頑固者がいや黒豆だ、とまだ頑張る。だから頑固者のことを「這っても黒豆」というのである。

後始末

 「成功のセオリー 伸びる企業・伸びる人」船井幸雄、サンマーク文庫、1992

P221

 一流ホテルの人びとに聞くと、宿泊客の帰ったあとの部屋を見ると、その人の値打ちがわかるという。
 備品を失敬したり、汚しっぱなしの人もいれば、きれいに掃除をして帰る人もいるとか。しかしきちっとした人でなければ、けっして伸びたり成功したりはしないということである。

 いろんなホテルの人から、いつもこのようなことを聞いていたので、昨年(一九八〇年)、私どもの会社の社員に試してみた。
 私どもでは、年間二回、泊まりこみの合同研修会を行なうが、昨年末の研修会の時のことである。三日目の朝、部屋をひきはらったあと、まだメイドさんが掃除にくる前に、私どもの社員の宿泊した部屋を見て回ったのである。各部屋とも、昨夜の宿泊人の足跡が、そのまま残っている。誰が、どの部屋に泊まったのかは名簿があるから、実によくわかる。
 私はその時、各ホテルマンの言が、けっしてまちがいでないことを身をもって知らされた。たぶんあの日以来、私どもの社員は、車中でも宿泊先でも、会社でも、後始末をきっちりするようになったと思うのだが、「伸びない人、よく失敗する人、人から好かれない人」などは、後始末が実に悪いのである。
 それまで私は陽性な人は好かれる人、そして成功する人、陰性な人は嫌われる人、したがってなかなか成功しない人、という常識的な見方しかできなかったのだが、ことし(一九八一年)にはいってから、これに後始末の有無を追加した。「成功する人は陽性で、後始末ができる人である」と。
 以来、成功可能度を見る点においては、一〇〇パーセントの確度を示すようになったようである。

社員の採用

「成功のセオリー 伸びる企業・伸びる人」船井幸雄、サンマーク文庫、1992

P160

 たとえば、社長の仕事のなかでも、もっとも大事なものに、「社員の採用」がある。
 その場合の第一ポイントは何だろうか?………と、考えつづけてきたが、最近どうやら「相性だな」と気がついた。
 相性とは、性格があうかどうかである。
 意見があうとか、考え方がよく似ているといっても、それは、たまたま意見があい、考え方が似ていることである場合が多く、条件や環境がちがえば、ちがう可能性が強い。
 しかし、相性がよいと、意見や考え方がちがっても、お互いに「なんとか相手の立場を認めよう」と努力するものである。
 ともかく、相性のよい仲間とは、いっしよにいるだけで楽しくうれしい。
 相性がよいか悪いかは、簡単にいえば、好きか嫌いかである。
 好きなもののためには、それが人であれ、仕事であれ、全力をつくせるのが、どうやら人間の性とすれば、社長として人を採用する場合は、好きな人を採用するべきであり、どんなに能力があっても好きでない人を採用してはならない。
 こう考えると、上に立てば立つほど、多くの人を好きになる練習をしなければならないし、下にいる間は、多くの上司に好かれる人間になる努力をしなければならないことになろう。
 最近、「なまいきなことをいっても、人は所詮、感情の動物であり、理性だけではなにごとも処理しきれない」ことに、やっと気がついた。
 と同時に、人間は、感情移入のもっとも激しい動物なので、好かれると好きになり、嫌われると嫌いになる「カガミの原理」の存在することも、あらためて思い出した。
 結局、上司は、部下を好きになり、仕事を好きになり、その感情で成果をあげるとともに、その感情を部下に移入して、部下にも成果をあげさせることが、ひとつの努力目標といえよう。

一喜一憂するな

「心の掃除」の上手い人、斉藤茂太、集英社文庫、2008

P216

いいとき悪いとき、いちいち一喜一憂するべからず
 自分のことを考えるにあたって、とくに注意すべきところは、次のこと。
 今の時点だけを見て、
 「ああ、私はなんてツキがないんだろう。きっと、運に見放されているのに違いない」
 などと悲観的になってはならないということ。
 ずっと運が向いている人がいないように、ずっと運に見放されている人など、いない。これからどんどん変わってゆくのだから、「今の自分」をすべてと思ってはならない。とくに若い人には、そういいたい。
 誰でも、いいときと悪いときがある。いいときをできるだけ長く維持し、悪いときをさっさとやりすごすということが大切ではないか。ふだんの生活のなかでも、幸運を呼ぶ考え方、運を逃さない行動の仕方があるように思える。
 人の好・不調の波やバイオリズムについて、人気女子プロゴルファー横峯さくらさんの父である良郎氏が面白いことをいっていた。
 「人のバイオリズムには三という数字が大きくかかわっているような気がする。一年のうちに絶好調の三ヵ月があれば、逆に絶不調の三ヵ月がある。もっと大きなスパンでいえば、三年、三十年で好・不調の波は変わってくる」
 ……以上のような内容だったと思うが、良郎氏はこのバイオリズムを「三・三・三の法則」と呼んでいるらしい。
 いかにも独自の教育信念で娘をプロゴルファーに育て上げた良郎氏らしい、ユニークな発想である。しかし、もっとも印象的なのはそのあとだ。
「だから、私はさくらの調子がすごくいいときでも、たまたま『絶好調の三』に入っているんだな、と思って冷めた目で見ている。逆に絶不調のときも、これも長く続くわけではないという見方をしているんです」
  どんなに調子がいいときでも、それを「実力が上がった」とうぬぼれたり、過信したりしてはいけない。逆に調子が悪いときにも、必要以上に落ち込んだり、悩んだりすることはない、と良郎氏はいいたいのであろう。
 三という数字の信憑性はともかく、この姿勢は私たちも見習うべきではないか。
 調子がいいときは、「私はなんでもできる」とうぬぼれて、それまでの周りの人の協力や支えを忘れがちだ。しかし、そんな調子のいいときがずっと続くとは限らない。いざ調子が落ちて、周囲に手助けを求めようとしても周りに人がいない場合もある。

 反対に、調子が悪いときに結果が出ないからといって「やっぱり私はダメだ」とあきらめてしまったら、それまでだ。

 調子のいいときも悪いときも、一喜一憂せずに、自分がやるべきことを淡々とやる。長い目で見た場合、結局それが目標へ到達するためには一番の近道なのだろう
「人間、いいときも悪いときもある。だから一喜一憂するべからず」という教訓には、なんともいえない説得力がある。
 裏を返せば、「悪い時期が過ぎれば、なんとかなるさ」という明るさもある。 

激怒した人の息では数分でネズミが死ぬ

「成功のセオリー 伸びる企業・伸びる人」船井幸雄、サンマーク文庫、1992

P59

激怒した人の息では数分でネズミが死ぬ
 心というのは、不思議なものである。つぎの話は、亡くなられた経済評論家の伊藤肇さんが、「ハラをたてるのは最低だ」ということの例証として、よくあげられたことだが、それは、アメリカの心理学者エルマー・ケイツ博士の実験結果の話である。
 博士は、液体空気で冷却したガラス管のなかに、いろいろな心理状態の人の息を吹き込む実験をした結果をつぎのように発表している。
 「普通の状態の人の息を吹き込んだときは、息のなかの揮発性物質が固まり、無色に近い液体となるこの液体も物質も無害である。

 しかし、怒っている人間が吹き込むと、栗色の滓(かす)が残る。この滓をネズミに注射すると、神経過敏になり、さらに激怒している人の息の滓なら数分で死んでしまう」と。
 怒ること、ハラをたてることは、結局のところカラダを悪くする物質を生産していることである。
 また、くよくよしたり、心配したりして、消化器系統が病むことは、胃潰瘍が「不渡り潰瘍」と呼ばれることからも、読者にはよくおわかりと思うが、このことは医学的に証明されている。このように心の働きである怒りとか心配というのは、けっしてカラダにとってもよいものではない。

よい顔づくり教

「成功のセオリー 伸びる企業・伸びる人」船井幸雄、サンマーク文庫、1992

P81

よい顔づくり教に入信しよう
 このあいだある人が、じつに不思議そうにおっしやった。
 「私は先生のお仕事は、いい商売だと思っていたのです。なぜなら客に対して、いばって金をもらえるのだし、原価はタダみたいなものでしょう。うらやましく思っていたのですよ。
 ところが、このあいだ病気になって入院し、つくづくわかりました。結局、経営のお医者さんだから、あれでいいのだと。医者というのは、よい商売じゃないですね。だから、いばっても仕方がないのだと。

 医者というのは、よい商売だと思っていたのですが、いつも病人ばかりとつきあうのだから、考え方によれば悲しい商売ですね。
 私の主治医は、名医で有名な人ですが、彼がつぎのように教えてくれました。
 『医者も人間、つきあう人に影響される。患者とばかりつきあっていると、どうしても陰気で弱気になる。悪人とばかりつきあっている刑事や、暗いニュースばかり追っかけて社会の裏ばかり見ている新聞社のサツ回りの記者が、もっとも気をつけなければならないことは、ついていない人や悪人と交わっても、その影響を受けないようにしなければならないことだが、医者もそれと同じことがいえる。
 だから、名医になろうと思ったら、患者を全快させて、喜んでもらわなければならない。この喜ぶ人の影響は、よい方に出るからね。しかし、これは大変なことで、医者がいばっているとか、ぶっきら棒だとか、いろいろ批判されるが、人相を悪くしないで、逆によくしようと、ほんとうに心ある医者は全力投球しているのだよ』と。
 ところで、船井先生の話を聞いていると、やはり人間は、つきあう人によって、おおいに影響されるから『つきの悪い人とつきあうな』とよくいわれるでしょう。
 それから『オレはよい顔づくり教の教祖だ。よい顔をつくろうと思うなら、豊かな心をもった人びとと重点的につきあうのがもっともよい』ともよくいわれますね。

 しかし、考えてみたら、先生は商売がら、お医者さんと同じように、病人とばかりとはいわないが、大半病人とのつきあいでしょう。つきの悪い人、豊かな心になれない人が、商売上の大半のつきあいのはずですね。なにかおっしやっていることと、されていることが逆ですよね。こう考えたら、先生のご商売がうらやましくなりましたよ。
 しかし、それでいて、船井先生は、どうやら客観的に見てもついているように見えるし、ほめるのではないが、信用できる(?)よい顔(?)をされています。どうしてなのでしょうかね」と。
 実際のところ、私は、自分がついているのか、よい顔をしているのか、そんなことはわからない。しかし「プラス発想型人間」なので、「自分はついている」と思うことにしている。また、よい顔になりたいとは、いつも考えてはいる。よい顔づくりの原理・原則は知っているので、毎日おおいに努力をしている(この原則についても『包みこみの発想』のなかに詳述してある)。
 さらに、つきあう人、とくに仕事のうえで関係のある人には、ついてもらいたいと思うし、よい顔をしてもらおうとも思っている。努力もしている。なぜなら、これが経営コンサルタントの基礎技術といってもけっしていいすぎではないからである。
 そして、その処方箋は、「勉強好き」「すなお」「プラス発想型人間」になってもらうことなのである。
 それは、いうなれば、よい顔づくり教の原理・原則とも一致するので、これに入信してもらわなければ、船井流の経営コンサルタントはできないということでもある。
 私どもの社員をはじめ、経営コンサルタントを志す人びとにはいつも「まず、よい顔づくりがポイントです」と、よい顔づくり教への入信をすすめるし、クライアントに対しても同様である。 

時差ボケ

「脳のなんでも小事典」川島隆太、泰羅雅登、中村克樹、技術評論社、平成16年

P186 

 そうそう、海外旅行に出かけることの多い人なら気がついているでしょうが、東に向かって飛行するほうが、西に向かって飛行するよりも症状が重く出ます。例えば、日本からアメリ合衆国に行くほうが、向こうから戻ってくるより辛いのです。これは、リズムのずれ方とそれを調節する難しさによるので、科学的に説明できるのです。

アメリカに行って大統領にでもなるか

「街道をゆく30愛蘭土紀行T」司馬遼太郎、朝日文庫、1993

P96

 (院長註:アイルランド人は)アメリカに定住しても、ほんの半世紀前までは、滑稽なほど差別された。差別するのは、主として英国系だった。両者はあまりにもちがいすぎていた。イギリス人の文化であり、かつ文明でもあるその秩序感覚からみれば、アイルランド人ほどはみ出しているひとびとはすくなかった。騒々しくて酔っぱらいで、仕事の約束に鈍感で、といったように、ビジネス社会にうまく適合しない人が多かったのである。
 ただし、人間はふえた。アイリッシュ・カトリックは昔も今も産児制限をしないために、白人としては例外的に人口がふえる民族なのである。本国であるアイルランド島の人口がわずか約三百万であるのに対し、アメリカ合衆国でのアイルランド系は四千万といわれている。
 そういう中から、たとえば西部劇の典型をつくった映画監督ジョン・フォード(一八九五〜一九七三)も出た。その作風の成立のために重要な役割をはたした名優たちの多くが、アイルランド系だった。ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、ビクター・マクラグレン。・・・・・・

 またこの四千万のなかから、二人も大統領が出ている。暗殺されたジョン・F・ケネディがまずあげられる。
 ついで、若いころ俳優だったロナルド・レーガンである。
 レーガンが当選したときには、以下の点での世間のおどろきはすくなかったが、ケネディが、一九六〇年、大統領になったときは、アメリカでの既成の伝統を破った。最初のカトリック系の大統領だったのである。
 いうまでもなく合衆国における市民としての筋目(?)はプロテスタントであり、カトリック系は既成権威の条件に入らない。まして、ケネディはアイリッシュ・カトリックだった。かれの当選に、どの国の国民よりもおどろいたのは、英国系もしくは本国の英国人だったにちがいない。
 いまでも、英国内のアイルランド人といえば、単純労働に従事している人が多い。
 −−‐あのアイリッシュが、アメリカヘゆくと大統領になるのか。

などと驚いた人も多かったにちがいない。
 げんに、いまでもダブリンあたりで、あまり上等でない冗談がある。

 「どうも食えないから、アメリカヘ行って大統領にでもなるか」

(院長註:ジョン・F・ケネディの最も有名な言葉は「国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために何が出来るかを問うて欲しい。」だったと思います。アイリッシュ・カトリックもアメリカに渡れば人が変わる?)

アイルランドはカトリック、英国はプロテスタント

「街道をゆく30愛蘭土紀行T」司馬遼太郎、朝日文庫、1993

P12

 この稿は、カトリック国(五パーセントはプロテスタント)であるアイルランドのことを書こうとしている。

 書くにあたって、以上のように、ことごとしい事柄から書きはじめざるをえないのが、この紀行の荷厄介なところである。
 息ぬきついでに、挿話を紹介する。

 『ライフ』誌の長老写真家で、レンズを通しての二十世紀の目撃者ともいうべきジョン・フィリップスが、自分の写真だけで編んだ現代史『LIFETIME』(松本清張監訳 光文社)という本を出している。そのなかで、かれはアイルランドに上陸して早々出くわした”事件”について、こう語っている。

 

 早速、物乞いが近づいてきて、「旦那、お恵みを」と言った。それがあまりにも堂々たる態度なので、思わず言われるとおりにした。五番目の物乞いが寄ってくる頃には、「旦那」の小銭は底を突いていた。私が言い訳しようとすると、物乞いは冷ややかな目を向けた。
 「地獄で火あぶりの目に遭え、このプロテスタント野郎!」
こうののしると、物乞いはつばを吐いた。

 

 みずから勤労してみずからの稼ぎで食うという自助の精神は、プロテスタントのものである。それに対し、カトリックは教会にくるまれているから、たとえなにかのはずみで物乞いをしようとも、天国へゆけることだけは確実なのである。だから堂々ともしている。この場面では、そういう自分に援助をしない人間をぼろくそにののしりさえするのだが、アイルランドにおける最大の悪罵が、

「プロテスタント野郎」
 というのがおもしろい。新教のやつらはどうせ地獄へゆく。やつらはそんなことも知らずに浮世でビジネスにうつつをぬかし、仲間を組んで金儲けをしている。恥知らず、バカ、胴欲、性悪、腹黒、あらゆる悪罵も、プロテスタントに対してばかりは種ぎれになるほどである。
 新教への憎悪は、アイルランドにあっては、歴史的にも、こんにちにあっても深刻というほかない。なにしろ新教(この場合は英国)のために国ぐるみ盗まれ、植民地にされ、ほんの前の世紀にいたるまで、身ぐるみ剥がれるように搾りあげられた。ある世紀では煮たきする薪にさえ事欠いたといわれる。
 ここでややこしいのは、アイリッシュにとって大きらいな英国が英国国教会の国であることである。
 「アングリカン・チャーチ? そんな言葉、きいたこともないね」
 と、私はダブリン(アイルランド共和国の首都)で、カトリック教会の慈善運動に熱心な三十代の主婦からいわれた。日本なら高校生が西洋史で習うことばではないか。
 つまりは、日本でいう聖公会、いねば立教大学の宗旨である(YMCAももとは英国国教会の信徒によっておこされた)。
 「それをプロテスタントというんだよ」

 彼女は、いった。
 これには、私は無知を恥じた。アングリカン・チャーチとは、新旧折衷の教派だと私は思っていた。いわば新旧の中間的存在で、プロテスタントの仲間に入れるにはちょっとひるみが感じられると思っていたのだが、アイルランドでは憎むべきプロテスタントの代表だった。
要するに、
 「プロテスタント野郎」
 というのは、教義論よりも英国を憎悪するなげつけ言葉のようだった。

徳富蘇峰について

「巴里夢劇場」鴨志田恵一(朝日新聞元パリ支局長)、朝日新聞社、1990年

P170

「あれは、昭和一六年一〇月のことでしたよ。いろんな噂話が流れていて、いよいよ(日米)戦争かなと思い、私は家族の疎開を決めたのです。憶病な主婦でしたから。そしたらね……」
 それまで、ずっと黙って人の話を聞いていたあるじのおかあさん(義母)が、初めて語り出した。なんだろうと、みな耳を傾ける。
 「荷物を頼んだ運送屋さんが言うには、近所の徳富蘇峰さんのところは、もう一週間も前に荷物や蔵書を地方に運び出したそうなのです。あれだけ、戦争などない、ないと書いていたジャーナリストではありませんか。なんで、人より先に疎開するのですか」

 おかあさんの、淡々としたものの言い方が、われわれを昭和一六年の昔に連れて行く。
 「そのうち、本当に戦争が始まりましたね。近所の主婦たちは、ずるい人だね、あれは徳富蘇峰ではなく、徳富アホウだとみんなで言ってましたよ」
 おかあさんは八〇歳だ。耳も声もしっかりしていて、食事中もピンと姿勢を崩さない。その胸に、五〇年近く秘めてきた記憶をみんなの前で話してしまった。とくにこの夜、新聞の天皇報道がどうだったかが、話題の中心ともなっていたので、客人の中ではただ一人の新聞記者であった私の顔を見つめながら、遂にそれをしまっておけなくなったのだろう。
 半世紀を経た異国の地で、一人の日本人ジャーナリスト像が、がらがらと崩れた。テーブルの一同はどよめく。一人のジャーナリストというより、日本のマスコミ全体の信がいま、問い直されている図である。おかあさんは、たたみかける。
「あの人は立場上、軍部の情報を詳しく知っていたと思うのです。知ったうえで、さきに逃げたのです」
 成り行き上、テーブルのみなは、記者である私の反応をうかがっているようである。
 「ウーン」
 とか、擬音のようなものしか、私の口には出ない。向かいの壁や天井を、見上げるばかりである。われわれの仕事が「歴史に見られている」とは、このことである。徳富蘇峰氏のような業績もない一介の記者が、彼に代わって、なぜこのように身の縮む思いをしなければならないのか。ワインの酔いは、すっかり醒めた。                            

 翌日、徳富蘇峰の略歴や自伝の一部を改めて調べてみた。明治中期、「進歩的平民主義」のジャーナリストとして彗星の如く現れた人物。しかし、日清戦争の後、内務省の官職につき、早くも「変節」が非難されている。日米開戦前に、運送屋を指示して蔵書の山を運びだす姿が、彷彿されないでもない。
 おかあさんの話は、間違いないのであろうか。数日経った朝、電話をかけてあの記憶の細部を確かめてみた。
 が、確認するまでもなかった。話はもっと具体的であり、彼女の言葉の裏には熾火(おきび)のような熱い怒りがこめられているのが、わかったのだ。それで、私はこの原稿を書くことを決めた。
 記者としては、当然「なぜ、あの時期に疎開したのか。それは本当なのか」と徳富蘇峰自身の言い分もきかねば、フェアではない。彼は文久三年(一八六三年)生まれ、昭和三二年(一九五七年)死去。平成元年にパリでこの話を聞かされた記者には、確かめようもない。が、これは書いておかねばならぬことだと思う。
 新聞記者はときに、他者より早く、詳しく知りうる立場に立つ。知ったうえで、二つの道がある。それを記事に書き、世に知らせる。知ったまま、黙って自己の利益に役立てる。世に知らせたことによって、自己の利害をそこねることがあっても、当然第一の道を貫かねばならない。そういう職務なのである。黙っていて、自分だけ得をしようなどの料簡は、断罪ものである。しかし、人間である以上、この手の誘惑、迷いはつねにふりかかる。記者の醍醐味、存在理由とは、毎日がこれとの闘いに勝たねばならぬことである。

アルツハイマー型痴呆とアリセプト

「脳のなんでも小事典」川島隆太、泰羅雅登、中村克樹、技術評論社、平成16年

P270

 アルツハイマー型痴呆は男性よりも女性に多い、お酒に弱い人の発病率が高い、魚や緑黄色野菜の摂取の少ない人に多いなどの特色があることが報告されています。

P271

 近年、「アリセプト」と呼ばれる新薬が開発されました。この新薬は一九九七年から米国で軽度〜中度のアルツハイマー型痴呆治療薬として発売されているもので、日本でも一九九九年から発売されています。この薬は、アルツハイマー型痴呆患者では神経伝達物質のアセチルコリンの濃度が低下しているという事実に注目し、アセチルコリンを分解してしまう物質を抑制することで、アセチルコリン濃度を高めるというものです。アルツハイマー型痴呆を治す薬ではありませんが、進行を遅らせる効果があると報告されています。
 また予防に関しては、「非ステロイド系の消炎鎮痛剤を二年以上服用していた高齢者では、発病率が非常に低い」という発表が最近ありました。エストロゲンという女性ホルモンを投与された患者の発病率が低いことは、十年以上前に指摘されています。面白いところでは、ワインを一日二杯程度飲み続けている人の発病率が、飲まない人と比べて非常に低いことも報告されています。お酒に弱い人の発病率が高いことの裏返しのデー夕と思います。
 近い将来、アルツハイマー型痴呆を治す薬よりも、予防薬のほうが先に開発されるかもしれません。

(院長註:アリセプトの開発者はエーザイの杉本八郎ら日本人です。まずアメリカで発売で、日本での発売は2年後というのはやはりおかしいと思います。)

予測と結果と

週刊朝日’99.12.3P42今日とちがう明日

「高齢社会」とはどんな世の中?
◎「人間の優しい知恵」を信じよう
 二十一世紀まで四百日ほど。新世紀に人類が確実に遭遇する「未知なる状況」が二つある。高齢社会と循環型産業構造だ。これからの世の中で、高齢者の比率が増えるのと、廃棄物の再利用が重要な仕事になるのは明らかだ。
 ところがこの二つ、いかにも厄介な問題に見える。それというのも、いま語られているのは、従来型の世の中に、従来型の高齢者や廃棄物の数量だけを増やした予測ばかりだからだ。
 世の中の人口構成や物流状況が変われば、そこで生きる人々の発想や価値観が変わり、事物に関する評価や扱いも変わってくる。これは拙著『知価革命』で、「人間の優しい知恵」として強調したところだ。
 高齢者の比率が急増すると、高齢者の生き方や高齢者に対する見方も、今日とは違う世の中ができあがるはずだ。廃棄物の量が増え、その処理が重要な課題になれば、その扱いも変わるだろう。従来型の世の中に「あるもの」だけが増加するという前提で未来予測をすれば、それが何であれ、「深刻な大問題」になるに違いない。
 産業革命の初期、十八世紀後半から十九世紀初頭にも、この種の予測が大流行した。ある経済学者は「この調子で貨物が増えれば、馬車の需要が急増、全イングランドが厚さ数インチの馬糞で埋まってしまう」と警告した。実際には、そうなる前に運河や鉄道が開発され、予測の何倍もの貨物が馬糞に埋もれることもなく運ばれた。
  一七九八年には、イギリスの副牧師トーマス・マルサスが『人口の原理』を著し、「食糧生産は算術級数的にしか増加しないのに、人口は幾何級数的に増加する」と唱え、「道徳的禁欲によって人口を抑制せよ」と主張した。
 マルサスの学説は、地主階級などの保守層に大受けし、さまざまな食糧増産計画も実行された。その中には、南洋諸島の「パンの木」を移植する事業もあった。有名な「バウンティー号の反乱」は、パンの木採取航海の途上で起こった事件だ。
 現実の食糧供給はロシアや新大陸での土地開発と肥料や農薬の開発で大幅に伸び、いまやマルサスの時代の十倍の人口が養われている。マルサスが期待した道徳的禁欲とは縁のない世の中になったのに、先進国では人口が増えなくなった。穿った言い方をすれば、人口抑制に効果があったのは、道徳的禁欲ではなく、享楽的性欲のほうだ。


 

子供の力

週刊朝日2003.12.26号 P56 暖簾にひじ鉄、内館牧子

子供の力
 もう四、五年前のことだが、私はNHKのテレピ番組「課外授業−ようこそ先輩」に出演した。
 これは各界の色んな方々が母校の小学校で教壇に立ち、自分の専門分野にちなんだ授業をするものである。デザイナーの山本寛斎さんは子供たちにファッションショーを開かせ、雅楽の東儀秀樹さんは雅楽器を実際に演奏させていた。私はこの番組が好きで、よく見ていたのだが、子供たちは頬を紅潮させて授業を楽しんでいるのが、画面を通して伝わってくる。
 私は母校の東京都大田区立雪谷小学校で、六年一組の二十八人にラプストーリーの脚本を書かせた。子供たちは「ヤダァ」だの「恥ずかしいよォ」だのと大騒ぎしていたが、まずは脚本の書き方を教えることから始めた。脚本そのものは簡単なルールさえわかれば、すぐに書けるのだが、私は、 「一番難しいのは、登場人物の性格を作ることなの。これはすっごく難しいよ」と言った。本当に難しいのである。とりあえず、具体例をあげて教えてみた。
 「たとえば好きな男の子がいる時、すぐに告白できる性格の女の子がいるわね。でも、告白したいのにできなくて、落ちこむ子もいるでしよ。それどころか、別の女の子も彼を好きだと、わかった時、わざわざ協力する子もいる。それで家に帰って泣いたりするの」
 こんなふうにキャラクターを作るのは、六年生には無理だろうと思ったが、「もっと難しいことを言うわよ。いい? ラブシーンっていうのは、何も手をつなぐとか告白するとかばかりじゃないのよ。遠くからじっと見ているだけの男の子が、突然助けてくれたなんていうのもラブシーンなの。だから、色んな方法をよーく考えてね」と脅しをかけた。ところが子供たちは「難しすぎるよ〜」などと叫びながらも、どこか嬉しそうなのである。私は脚本の他に、登場人物のキャラクター表も提出させることにしていた。
 一週間後、二十八人が書いたラブストーリーの脚本を読み、うなった。うまいのである。あきれるほど生き生きと書いているのである。ほとんど理解していないであろうと思っていた 「キャラクター作り」もみごとだった。キャラクター表も面白く、「体育会系で、いつも強さを売りにしている男。でも、一番好きなのはお母さんの作ったケーキで、みっともなくて誰にも言えない」などと書くのだから参った。また、「告白はできないタイプで、それでいいとあきらめている。でも告白できる子を見るとくやしくて、ついいじめてしまう。そういう自分がいやだから、恋より勉強で日立とうと思う性格」と書いたのもあり、小学校六年生で何という女心。私のかわりに書いてほしいと思う深さだ。
 脚本もよくできていて、好きな女の子を深夜の理科室に呼び出した男の子が、骸骨の標本で驚かせ、まんまと抱きしめてしまった話があった。また、バレンタインのチョコをあげたくてもあげられない女の子が一日中、彼の近くをウロウロするだけのストーリーなのに、心理がよく描けていてドキドキするものもあった。そして、少年と少女が池のほとりに座り、お互いに何も言えない話もあった。夕陽が二人を照らし、何も言えず、刻々と陽が西に傾く。その時間経過のテクニックたるや、あきれるほど。私は、「きっとこのクラスからスピルバーグが出ますよ!」と女性校長に脚本を見せた。校長は読み終えると、「あの子たちに、こんな力があったなんて……」
 と涙ぐんだ。そして別れの日、子供たちは私に感想文集を贈ってくれた。そこには異口同音に、「知らないことを覚えるのがすごく面白かった」「とてもむずかしい授業だったので、友達と色々相談しあって楽しかった」と書かれていた。
 こんなことを突然思い出したのは、十一月十三日付の朝日新聞に、 「小中学校の学級崩壊を防ぐには何か大切か?」という`アンケートの結果が出ていたからである。これは大阪大学の秦政春教授らの調査結果だが、小学五年、六年と中学生の計七二二人が回答し、その第一位の答えが、「授業が楽しかったら学級崩壊は起こらない」で、「とてもそう思う」と「ややそう思う」の合計が73.3%も占めている。
 一方、教師サイドの回答の第一位は、「教師と子供たちとの関係がよければ崩壊は起こらない」で、合計して87.7%にものぽる。両者のズレはすごいものがある。
 テレビの『課外授業』の場合、無責任な部外者の私たちが突然乱入し、普段の勉強とはまったく違うことを教えるのだから、子供たちは面白いに決まっており、教師にしてみればいい気なものだと思うだろう。教師の苦労を知らずに、職場を荒らして帰るだけだと思われて当然だ。
 だが、色んな方々の「課外授業」を画面で見て、自分でもやってみて、改めて思うのである。子供たちは知らないことに非常に興味を示し、難しいことを面白がるんだなァと。
 私も教育委員として、教師がいかに多忙をきわめ、過酷な状況の中で頑張っているかを知っている。まして、クラスの子供たちの習熟度はパラパラである。そんな中で、全員が面白がる授業をするのは不可能だ。だが、子供は面白がるととてつもない力を出すものだと、それだけは実体験した。

「自分が可愛い」と「自分が好き」は、こんなに違う

「心の掃除」の上手い人、斉藤茂太、集英社文庫、2008

第5章「自分を好きな自分」をつくるP177

◎「自分が可愛い」と「自分が好き」は、こんなに違う

 自分を好きになりなさいといっても、「自分の好きなようにふるまいなさい」といっているわけではない。
 「自分を好きな人」は、自己中心的でわがままな人とは違う。他人の迷惑を考えず、好き勝手にやっている人は、「自分が好き」というより「自分が可愛い」だけである。

 自己中心的で、自分の利益しか考えられない人は、わがままを押し通さないと損してしまう……そういう不安があるのだろう。すぐに手を伸ばさないと好きなお菓子がなくなってしまう、と考えている子どもと変わらない。
 あるいは、わがままにふるまうことで、皆の注目を浴びたい、自分にかまってもらいたいのかもしれない。これも、子どもと同じ心理だ。
 いずれにしても、「自分を守りたい」「人から好かれたい」という子どもっぽさは見えても、「自分が好き」という「自立した大人の明るさ」は感じられない。
 「自分が可愛い」のではなく、「自分が好き」という人は、ガツガツと自己主張することも少ない。気持ちに余裕があるから、他人を蹴落としてまで、「オレが」「私が」と主張する必要もないからである。
 そんなふうに「お先にどうぞ」という感じで周囲を見守っていると、なかに「はい、これはあなたのぶん」「OOさんはどうしたい?」などと気をきかせてくれる人がひとりくらいいるものだ。その気遣いに感謝して、
 「自分の周りにはいい人ばかりだなあ。やっぱり自分は恵まれている」
と、ますます自分のことが好きになるのではないか。

 「自分のことは自分で守らなければ」と瞳をギラつかせ、肩肘張っている人は、いつのまにか周りに敵をつくってしまう。これに対して、「自分の周りはいい人ばかりだ」と悠然とかまえている人に限って、周りの人たちがちゃんとその人のことを守ってくれる。
 自分が可愛い、自分を守りたいという思いが過ぎると、そのつもりはなくても他人を傷つけてしまうこともある。ところが「自分が好き」というおおらかさがあれば、そのくったくのなさに引かれて、人が集まってくる。「自分が可愛い」のか「自分か好き」なのか、その差は紙一重かもしれないが、結果は正反対になる。

「自分を好きになる」が、幸せへの最低条件

「心の掃除」の上手い人、斉藤茂太、集英社文庫、2008

第5章「自分を好きな自分」をつくるP174

「自分を好きになる」が、幸せへの最低条件

 自分とはまったく関係のない人を、衝動的に殺してしまうような悲惨な事件が相次いで起こっている。そんな異常な犯罪に駆られてしまった犯人たちについての報道を見ているうちに、ある共通点に気がついた。
 その共通点とは、彼らは「自分が嫌い」ということだ。
 自分が嫌い、そして、そんな自分をつくった親や周りの人を憎んでいる。
 「自分嫌い」な人が幸せであろうはずもなく、幸せそうにしているほかの人すべてに対して腹が立ってしょうがないのだろう。金銭目当てでも、個人的な怨恨でもなく、人を殺してしまうほどの負のエネルギーは、自分も含めた世間全体を破壊してしまいたいという衝動から生まれたものなのであろう。
 自分を好きになる、自分の生き方に納得している……これが、人として幸せに生きるための最低条件だと思う。自分を好きではない人は、他人を真剣に愛することはできないし、人に愛されているという実感も持てない。
 いい換えれば、「幸せになろう」と努力することは、「自分を好きになろう」としていることと同じことかもしれない。実際、自分の夢や幸せに向かって努力している人は、「そんな自分か好きだから」「そんな自分でありたいから」という思いがその根底にある。
 「この人と一緒にいれば、自分のことがもっと好きになる。だから、この人とずっと一緒にいたい」
 「夢を実現することができれば、そんな自分を誇らしくて、よりいっそう好きになるだろう。だから、夢に向かって努力する」

 「誰かに優しくすると、自分がいい人間に思えて、気持ちがよくなる。だから、人には優しくしてあげたい」
 ……などなど。自分が好きだから幸せになりたいと思うのか、幸せになりたいから自分を好きであろうとするのか、そのどちらでもかまわないが、要は、ほかのことならともかく、幸せになろう、イコール、自分を好きになろう、というための努力は惜しんではならないということだ。
 なぜなら、その努力だけは、いくら時間と労力をかけようとも、自分自身が相手だけに、決して裏切られることもムダになることもないのだから。

時代とともに災害は進歩する

「都市直下地震 −熊本地震から兵庫県南部地震まで」表俊一郎・久保寺章、古今書院、1998

Pi

はしがき
 日本は災害の多い国である。大雨洪水災害、台風暴風災害、地震津波災害など、古来幾度もさまざまな災害を経験してきた。それらの災害に対し、我々の祖先たちは智恵を絞り、努力を重ねて、災害を克服するための勉強研讃を怠ることをしなかったが故に、時代とともにいくつもの見るべき成果が挙げられるようになっている。私どもが専念している地震災害の分野においても、より一層地震に強い家屋、より一層丈夫な橋・道路・鉄道と、努力はだんだんと積み重ねられて成果をあげ、地震ごとに成功した結果が見られるようになってきた。
 そう思っていた矢先に、一九九五年一月一七日の阪神・淡路大震災が襲ってきて、今までの精進努力は尽く水の泡と消え去ったのではないかと思わせるほどの大被害が招来されたのであった。先人たちのあの努力は本当に無益であったのであろうか。大精進は何の役にも立だなかったのであろうか。……否々けっしてそんなはずはないと書こうとして、待てよと筆を止めさせるものがあった。今度の阪神・淡路大震災の惨状は、あまりにも酷すぎる。日本の家屋や構造物は、地震にはかなり丈夫にできているはずと教えられていた者たちにとって、この惨状はありえないことが起こったとしか考えられない情景が展開されていることになった。今世紀半ば以降、人類の繁栄の速度は急激に加速され、都市への人口集中によって巨大都市が出現し、都市を構成する建築物や道路橋梁、地下鉄を含む鉄道、港湾施設などの構造物もどんどん巨大化し豪華絢爛をきわめるようになったのであるが、他方で、物が壊れないようにするという耐震工法や地震対策の進歩はそれに充分追いついていなかった、というのが実態ではなかったか。
 時代とともに災害は進歩する、と最初に言ったのは、気象庁の観測部長を最後に引退して故郷の気仙沼で悠々の人生を楽しんだ木村耕三君であった。今にして思えば、彼の言を受けて地震災害対策にも研讃を勤めて進歩発展がとげられるように努力がなされるべきであったのだが、それを怠ってきた報いが、阪神・淡路大震災となって顕在化してきたものと受けとめなければならないであろう。

(院長註:東日本大震災の大分前に書かれたものです。熊本でも大水害が最近ありました。最近の状況を見ていると「時代とともに災害は進歩する」という言葉は本当にそうだなとつくづく実感させられます。)

 

ヒゲと表情筋と

「ヒトの見方」養老孟司、ちくま文庫、1991

P124(前略)

  動物はヒゲをピンと立てたり、ねかせたりする。人間のヒゲはチックをつけるからピンと立つのであって、ネコのヒゲのように触ったら逃げるというようなものではない。第一動物のヒゲは無いと困るものであるから、男女両性に同じ数だけそろっている。ヒゲの動くのは面白いもので、あれが動かないものだとハサミを 持ち出してヒゲを切ってみようかなどという気は起らないかもしれない。
  ヒゲが動くについては無論筋肉が働く。だからヒゲには一本一本に筋肉がちゃんと付いている。さて人では動くヒゲは残念ながら無くなってしまったが、ヒゲの筋肉はどうなったであろうか。ヒゲと共に消失したであろうか。ヒューバーという解剖学者は四十年位前にこの問題を論じている。ヒューバーによればヒゲの筋肉は人に残っている。それは人の表情筋である、というのである。
  すでに人の顔かたちは様々であることを論じた。その時に顔の動きのあることは言わなかったが、よくお判りであろう。人の顔は実に極めて良く動く。その動きによって生ずる姿を読みとって我々は喜怒哀楽を知る。動物では表情筋の発達は悪い。クマは表情がないから怖いという。怒っていても判らないのだといわれる。サルでは発達がよくなり、同時にヒゲが減る。手がヒゲにとって代って探索の役目を果す。眼と眼からの情報処理は良くなり、表情が重要な情報たり得るようになる。その表情を作る表情筋は顔の皮下に薄くひろがる筋肉なのである。ヒューバーはヒゲの筋肉はヒゲから解放され、転用されて表情筋に組み込まれたとする。
  医者になるには人体解剖の実習が必須である。私も学生の時に初めてやった。今では慣れたが、記憶に残ることがある。それは私の扱った遺体の顔と手とである。顔と手とにはじめ私はなじめなかった。気味が悪いというのは正確な表現ではない。が、それに近い感覚である。私はやがて慣れたが、そういう感覚があった事は憶えていた。
  どうして特に顔と手なのであろうか。顔と手とには表情がある。顔も手も生前は二つながら活き活きと動き、生きる事を語ったのである。その表情を画家はキャンバスに美しく止める。その手や顔が突然動きを止め、ある瞬間に止まったままとなったらどうであろうか。我々は顔や手にどうしても表情を読む。停止した表情は不思議な表情である。表情とは流れるものだからである。流れない表情。私は遺体にそれを読もうとしたのである。
  能面は人が付けて動くものである。動けばその姿は流れ、流れることによって我々はそこに表情を見る。壁に掛けた能面が不思議な表情をたたえ、人の心をさそうのも動かないからである。モナ・リザは謎の微笑をうかべる。舞台は異るが学生の私は遺体にそれを見たのだという気がするのである。

三木成夫先生は牧野茂元巨人軍ヘッドコーチの従兄弟

「唯臓論」後藤仁敏、風人社、1999

P89

(院長註:三木成夫)氏は、子どものころから野球好きで、とくに従兄弟の牧野茂氏が中日ドラゴンズにいた関係から、中日ファン(アンチ巨人ファン)であった。

(院長註:三木成夫先生1925年生まれ、牧野茂さん1928年生まれ、3歳違いの従兄弟のようです。若い人にはピンとこないかもしれませんが、先日亡くなられた川上哲治監督のV9時代や藤田元司監督をコーチとして支えた、理論派野球人として非常に有名な方です。)

人体の治水

「唯臓論」後藤仁敏、風人社、1999

P110

人体の治水
 三木成夫氏は、芸大の生物学の講義で、西洋医学ではカロリー計算が盛んで、一日に何カロリー取るかが問題にされるのに対し、東洋医学では人体の「治水」、すなわち「入―出」が重要視され、コップー杯のビールとコップー杯の小便が同価とされる、と述べられた。
 そして、「出」として「汗・吐・下」の三つがあり、「汗」は皮膚からの排泄、「吐」は口からの排泄、「下」は尿と大便としての排泄であるとした。汗・尿・大便は、それぞれ外胚葉・中胚葉・内胚葉の三胚葉からの排泄で理解しやすいが、「吐」というものは分かりにくい。

 三木氏によると、昔の本場中国での中華料理のメニユーには前菜からはじまってさまざまな料理が並ぶなかに、「吐」が入れられていたという。これは、ここまで食べるとおなかがいっぱいになるので、厠に行って食べたものを吐き出し、胃を空にして再び食べ始めるというのである。これを聞いた私は、なるほど、さすが中国と感心したものである。
 サメなどの原始的な動物では、何か悪いものを食べると胃を反転して口から出し、その中身を吐き出すというが、これもまた「吐」といえよう(サメではまた「腸洗い」といって、腸を肛門から出して、そのらせん状のヒダをほどき、内容物を排泄する習性もある)。

憶 説

「巴里夢劇場」鴨志田恵一、朝日新聞社、1990
P124
 「憶説」という言葉だが、これはパリにやってきた日本人の某数学者から初めて聞かされたものである。数学の世界では、「まず、憶説ありきなのだよ。仮説というにはあまりに未成熟な段階の考え方。ぼわっとした着想。こういうものを憶説という。これがないと、数学は飛躍しない」
 彼は、例えばと言いながら、紙切れにXYの座標軸を描き、複素数やら虚数のルートがどうしたこうしたと説明を始め、当方はただ茫然とするだけだったが、自然科学であるはずの数学の領域でも「まず、憶説ありき」などと言われているのを知って、ひどく気にいった。が、その数学者はこうもつけ加えた。
 「憶説は、ほとんど実らないものだがね。挫折ばかりの繰り返しですよ」

忌避物質

「虫眼とアニ眼」養老孟司・宮崎駿、新潮文庫、平成20年

P109

養老 案外気がつかないけれど、満員電車が匂うでしょう。要するに、そばに寄るなという忌避物質というんですけど、それを確かに出している。
 パヒューマーという職業的に匂いをかぎ分ける人たちがいるんですけれど、その人に赤ん坊がいて、田舎に帰ったとき、寝ている赤ん坊のすぐそばをでっかいムカデが歩いていた。そうしたら、その瞬間にパッと自分の体臭が臭った。
宮崎 自分の体臭が瞬時に変わったのがわかったと。
養老 猛獣でも怖がらなければ馴らせるでしょう、子どもなんかも。あれ、結局、忌避物質を出さないからなんですね。
宮崎 その人の話を聞いたことあります。自分の恐怖でそのゲジゲジがパッと動きを止めたと言うんですね。向こうにもなんかヤバイということが届いた。面白いですね。
 自分でも経験することがあります。とくにしゃべっている言葉が変わったわけでもないし、態度が変わったわけじゃないのに、瞬間的に関係が変わったのを察知するというようなのありませんか。そういうのはぼくらより、もう少し人と出会うチャンスが少なかったりするところの人間たちのほうが、敏感なんじゃないかという気がしますが。

(院長註:11月13日の「ホンマでっか!?TV」で「人間も動物と同じように、感情がニオイに出ることがある」と紹介されていましたが、同じことを言っているのではないでしょうか。)

チンパンジーの離乳

「ヒトの見方」養老孟司、ちくま文庫、1991

P107

 チンパンジーの研究者である東京大学の西田利貞氏から話を聞いたことがある。チンパンジーは離乳に五年かかる。これはずいぶん長いが、その間子供が親から離れないとあれば、仕方がない。これは、子供の親に対する心理的な愛着がきわめて強いためではないか、と解釈できる。チンパンジーはその優れた知能の代償として、さまざまな問題を抱えているが、それには、かれらよりやや知能の優れたヒトから見れば、同情すべき余地が多い。
 ある幼いチンパンジーは、母親が群から出て行ってしまったために、孤児となった。勿論、この子供は離乳後の個体である。この子供の姿を写真で見せられた時に、講演を聞いていた出席者一同は、期せずしてこの子は影が薄い、との印象を持ったものである。この子はやがて完全な成長を待たずに死ぬ。これは、チンパンジーの心の病であり、この動物には比較的よく起る事件である。
 チンパンジーは知能が高く、さらに集団で暮すため、多くの心理的負担を負っているように思われる。野生のチンパンジーがやがて滅び行くであろう種族とされるのも、故なきことではない。チンパンジーに関する報告を聞いていると、いったんチンパンジーになったら最後、種族として生き延びて行くためには、結局はヒトになるより仕方がないのではないか、と私には思われるほどである。

「人間は糞と小便の間から生まれる」稲垣足穂

「唯臓論」後藤仁敏、風人社、1999

P97

 それが、進化した哺乳類である有胎盤類(正獣類)のオスでは、腎臓も精巣も後方に移動し、腎臓でつくられた尿は独自の尿管により運ばれ、総排泄腔の一部であった大腸が前方に突出して形成された膀胱の袋にためられる。精巣でつくられた精子は精管によって運ばれるが、これは膀胱の後方で尿道に合流し、尿とともに尿道を通って外尿道口から排出される。
 しかし、有胎盤類(正獣類)のメスでは、卵巣でつくられた卵子は、卵管によって運ばれ、はじめはその管の途中にゴロ寝をしていたのが、やがて立派に改装された子宮という一つの部屋の胎盤のベッドの上で長期にわたって養われたのちに、膣口という独自の出口から産み出されるようになる。
 こうして、泌尿−生殖器の歴史を見ると、尿と生殖細胞の排出管がしだいに分化し、大便・尿・子だねのそれぞれをためる袋が、それぞれの排出管の末端近くに形成されるようになる。すなわち、大便は糞袋としての大腸、尿は小便袋としての膀胱、子だねは子袋としての子宮に運ばれ、そこでしばらくためられたのちに排出されるのである。
 稲垣足穂(たるほ)はいみじくも「人間は糞と小便の間から生まれる」と述べたが、ヒトたりとも、有胎盤類であり、子どもの生まれる膣口は、大便の排泄される肛門と、尿の排泄される外尿道口の間に開口しているのである。
 この言葉は、生物としての人間の本質をついた名言といえよう。人間よ驕(おご)るなかれ。ヒ卜も生物であることを忘れてはならない。しかし、ローマの独裁者・ユリウス=カエサルは、膣口からでなく帝王切開によって生まれたという。それで、あれだけの権勢をふるうことができたのか……。将来、コンピュータによって選ばれた卵子と精子を人工授精によって受精させ、さらに人工子宮によって養われて、生まれる子どもたちは、どんな人間になるのであろうか……。

ーーー帝王切開(cesarean section)の語源は、Julius Caesarがこの方法により生まれたという説もあるが、実際にはラテン語のcaedare(切るの意味)から由来したとの説が有力である(川村泰弘『最新医学大辞典』医歯薬出版、一九八七年より)。

ミソもクソもいっしょ

「唯臓論」後藤仁敏、風人社、1999

P96
 私が子どもの頃、ニワトリの卵は、今のようにプラスチックの容器にパックされておらず、数個ずつお皿にのせて売られていた。これを見ると、卵の殻の表面にかならずといっていいほど、糞がこびりついていた。私はこれを見て不思議に思い、近くの養鶏場に行って、ニワトリが卵を産むところを観察した。すると、何ということだろう、卵は糞の出てくる肛門から、文字どおり「ミソもクソもいっしよ」に産み出されるではないか。私は、子どもごころに、どうして大切な子だねと糞が同じ出口から出てくるのか、感情的に納得できない気持ちでいっぱいになった。
 しかし、魚類から原始的な哺乳類・単孔類までの泌尿−生殖器をみると、腎臓と精巣・卵巣は腸管の背側でもかなり前方にあり、その導管は共通の管(尿精管)あるいは別の管により、腸管との合流部である総排泄腔にそそぎ込まれる。ここでは、大切な子だねである精子・卵子と、腎臓でつくられた尿、腸管から出る大便が、まさに「ミソもクソもいっしよ」にひとつの孔=総排泄口から排出される仕組みになっているのである。(院長註:今は割れていない卵は洗浄、殺菌までされているものもあるようですが、産み落とされた時点で割れたものは当然加熱用になります。) 

フランス人する

「巴里夢劇場」鴨志田恵一、朝日新聞社、1990

P45

 私は東京へ送ったある原稿の中で「日本人する」という妙な言い回しを使ったことがあって、それは日本人の身勝手さを嘆き、傲慢な振る舞いに気づかぬ同胞を責めるのに、婉曲的に表現したつもりだった。ア二スの家族やフランス人の生活を観察するほどに、それでは、「フランス人する」とは、どういうことだろうか、と自問するようになった。
 私はここで、自分で選んだ一枚の絵を出して、その答えにしてみたい。
 八八年一二月のアルメニア大地震の直後のことだった。交通網や通信の途絶えた現地の被災状況を、世界で一番早く映像で流したのは、フランスのアンテヌ2放送だった。取材団が現地に乗り込み、雪降る中でこごえる人々の様子をくまなく伝えた。日頃のフランス報道から考えると、驚くべき素早さだった。仏政府が、明日から救援物資を受け付けると、テレビが短く告げた。
 日曜日なのに、全く例外的に全仏の市役所が開けられた。人々が続々と物を持ってやってくる。私も妻が家の中から集めた古着やクツ下の類を袋に詰めて、近くのヌイー市役所に行ってみた。現金も少し置いた。
 しばらく、受け付けで様子を見ていると、若者たちがクリーニング屋から取り寄せたばかりのような背広、ズボンなどをどっさりかついで来る。老夫婦が両手で段ボール箱いっぱいの衣類を、おぼつかぬ足どりで持ってくる。防寒グツ、オーバー、毛布などまだ新品とみえるものが各家庭から湧くように、持ち込まれ、人の列がずうっと連なっているのだった。
 救援物資を届ける人たちは、市役所ホールの職員の前に無造作に置いて立ち去って行く。誰が何をどれだけ寄付したか、の記帳や受取など、一切ないのだ。黙って持って来て、スッと帰る。ことさらに、奉仕や献身の様子があるわけではない。職員たちも無言で荷物を仕分けして箱に詰めている。すべてが淡々と、また日頃のフランス生活では考えられぬスピードと能率性があった。「なるほど、フランスとは、こういう国であったのか」と胸打たれた。
 以後、何事があろうとも、この「絵」だけは忘れずに、何度も反芻(はんすう)することを心掛けてきた。あなどるなど、とてもできる相手ではないのである。
 「国境なき医師団」という民間の組織をかつて取材したことがある。戦地、被災地に政治、イデオロギーを超えてまず医師、看護婦が駆けつける組織の整備状態に感嘆したものだが、組織を支える一般市民の層が、かくも厚いものであったことを、ヌイー市役所前で初めて知ったのである。
 ルーマニアのチャウシェスク体制が崩壊し、銃撃戦の革命が起きたとき、フランスからはまず薬剤を運ぶ奉仕団が続々と国境を越えて入国して行った。弾丸をまったくものともしない気力があり、また運ぶ薬剤、医療品がつねに備えられている国である。

 「やはり、フランスは大国でした。とても真似はできません」

 パリの邦人特派員が四年余り勤務を終え、帰国の送別会の席で、このように挨拶していた。相当厳しい目を持った、また皮肉屋でもあった彼のロから、こんなことを聞かされるとは思わなかった。最近の邦人はどんな分野の仕事であれ、フランスのことを良く言って帰るものは、少ない。

 彼もいろいろな「絵」を見たのであろう。
 「フランス人する」とは、「かなりの大人をする」ということなのだ。 

いじめを増長させる発想

「虫眼とアニ眼」養老孟司、宮崎駿、新潮文庫、2007

P54

宮崎(前略)

 世の中には悪いヤツが必ずいて、そいつをやっつければ、この世はよくなるという考え方、あれは、もうやめようと思っているんです。

(院長註:確かに仮面ライダーにはショッカーがいて、水戸黄門には悪代官、悪商人がいて、それをやっつけて快哉を叫ぶ、子供の頃から刷り込まれてきました。実際の世の中にはサイコパスなど一部の人間を除けば100%悪いヤツなどそういるものではありません。特定の人間を悪役に仕立て上げ、叩き潰す。そんな発想がいじめを増長させてきたということは否定できないと思います。)

「力を抜いてもいいポイント」を探せ

「「心の掃除」の上手い人下手な人」斉藤茂太、集英社文庫、2008

P86

「力を抜いてもいいポイント」を探せ
 長い間、私がいい続けていることに「八十パーセント主義」がある。重箱の隅をつつくようなことにこだわったり、完璧を望んだりするのはやめて、
 「八十パーセントできたらよしとし、次に進む」
くらいの気持ちでいようということだ。
 航空機の整備や自動車の開発、あるいは手術や薬の授与などに関しては、完璧を期さなくてはいけない。いや、百パーセント間違いないと思っても、万が一のために、何段階かのリスクマネジメントが必要である。

 しかし、われわれの日常生活においては、ポイントさえしっかりと押さえていれば、おおかたのことは八十パーセント、いや及第点の六十点さえクリアすれば、ほぼ大丈夫なのではあるまいか。
 気分転換できない人は、その「力を抜いてもいいポイント」がわからない人なのかもしれない。「いつも一生懸命」というのは精神論としては価値もあろうが、実際にやれば、自分の健康にも害を及ぼし、自分の能力を発揮するのに弊害になっていることも多い。
 サッカーの試合を見ていると、名選手といわれている人は、ボールと関係ないポジションにいるとき、こっそり休んでいる。意識はボールにも選手にも向いているが、身体は明らかに弛緩している。
 だからこそ、ボールが自分のエリアに動いたときに集中できるのだ。
 一方、いつもボールの行方にて一喜一憂している選手は、いざというときに疲れがたまって思うように身体が動かない。いいプレーができないから、動いていないと不安で落ち着かなくなる……そんな悪循環に陥っている。
  「今は六十パーセントでいい」「よし、ここは九十パーセント以上でいこう」「今こそ全力だ!」……と、状況に応じた切り替えを心かけてみよう。
 これは、生きるための訓練と心得てほしいところだ。イヤな気分になることも少なくなり、意識的に気持ちを切り替えようとしなくても、いつのまにか六十〜百パーセントの間をシフトチェンジできるようになっていくものだ。これができると、人生はだいぶ楽になる。
 そんな考え方のコツをつかめば、確実に気分は切り替わっていく。

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