ハサミとノリで遺伝子組み換え

「この一冊でiPS細胞が全部わかる」石浦章一監修、金子隆一、新見裕美子著、青春出版社、2012

P98
 1970年ころ、ポール・バーグーーー後にノーベル化学賞受賞ーーーはある計画を立てていた。それは、「哺乳類のDNAをつなぎ替え、そこに他の生物の遺伝子を挿入する」というものだ。

 パーグの念頭にあったのは、遺伝子組み換えーーーより正確にいうなら組み換えDNAの作成ーーーであった。遺伝子を組み換えることによって生物の種類による遺伝子のはたらき方の違いを調べたり、遺伝子を増幅させたりできると考えたからである。

 パーグはその方法として、まずウイルスに標的の遺伝子を組み込み、そのウイルスを哺乳類の細胞に感染させようと考えた。一部のウイルス(レトロウイルス)のゲノムは、宿主細胞の染色体に挿入される。とすれば、ウイルスのゲノムに組み込まれた遺伝子も、そのまま哺乳類の染色体に組み込まれるに違いない。

 バーグらは制限酵素を使ってDNAを切断し、複雑な化学的方法でふたたびつなぎ合わせた。世界初の組み換えDNAの誕生である。

 ついで彼の研究室のジャネット・メルツらが、現在も使われているより効率的で汎用性の高い方法を生み出した。制限酵素に加えて「DNAリガーゼ」と呼ばれる酵素を用いたのだ。この酵素は、生物の体内では壊れたDNAを結び合わせて修復するはたらきをする。制限酵素が”ハサミ”なら、DNAリガーゼは”ノリ”である。 こうして、遺伝子の切り貼りーーー今風に言うなら″カット&ペースト”ーーーという、いまではあたりまえとなった遺伝子組み換えの技術が誕生した。

 遺伝子組み換えはその後、遺伝子の性質を調べる、インスリンなどの薬を大量生産する、特定の遺伝子を原因とする病気を研究するなどさまざまな分野で活用されるようになった。

 パーグが考えたように、哺乳類の細胞に他の生物のDNAを組み込むことも可能になった。実際iPS細胞は、パーグの着眼そのままに、組み換えDNAをもつウイルスをヒトの細胞に感染させることで生み出されたのである。

制限酵素

「この一冊でiPS細胞が全部わかる」石浦章一監修、金子隆一、新見裕美子著、青春出版社、2012

P97

 人間による遺伝子操作を可能にしたのは、「制限酵素」の発見であった。この酵素は、DNAを切断するいわば”ハサミ”である。 

 1960年代、スイスの微生物学者ヴェルナー・アーベルは、ウイルス感染に強い細菌の一種は、感染したウイルスのDNAをばらばらに切断してしまうことに気づいた。しかしこのとき、細菌白身のDNAは傷つくことがない。

 アーベルはそこで、「特別な酵素がウイルスのDNAのみを認識して切断する」という仮説を立てた。この酵素は、ウイルスの増殖を抑えるという意味で”リストリクション・エンザイム”と呼ばれるようになった。これが日本語では制限酵素と訳されたのである。

 1970年、微生物学者ハミルトン・スミスらはこの制限酵素を分離精製し、アーベルの仮説が正しいことを確かめた。

 その後の研究で、制限酵素の中にはDNAの特定の配列のみを切断するものが見つかった。DNAをねらった場所で切り離すーーーこの制限酵素には大きな可能性があることに研究者たちは気づいた。すなわち「遺伝子は組み換えることができる」ということだ。

 そしてこの試みに最初に取り組んだのが、アメリカ、スタンフォード大学のポール・バーグだったのである。

実験ノートが権利を守る証拠になる

「iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか」朝日新聞科学医療部、朝日新聞出版、2012、P140

 問題となるのは、米国での特許の行方だった。

 米国はバイオ産業の主戦場でもあり、ここで認められることが国際的な主導権に直結する。そして米国が特許出願に「先発明主義」という独特の方式を採用していることが、事態を複雑にしようとしていた。ヒトiPS細胞をつくったのはどちらが先だったのか、争いに発展する可能性があったのだ。

 日本や欧州を含む米国以外の国は、同じ発明については出願した日付が早かった人に特許権を認める「先願主義」を取っている。これだと、誰よりも早く出願すればよく、ルールは単純明快だ(ただし米国でも法改正によって13年から先願主義に移行する見込みになっている)。

 しかし、米国では先に発明したことを証明さえできればいいので、証明する自信があればわざと出願を遅らせることも可能になる。類似した特許が申請されると、どちらの発明だったのかを決める「インターフェアランス(抵触審査)」と呼ばれる手続きに入る。実験ノートなどの証拠に基づきどちらが先に発明したかを決めるために、通常2年間と言われる貴重な時間を費やすことになる。1億〜10億円ともいわれるばく大な弁護士費用がかかるため、資金の限られている国立大学にとっては脅威になる。

精子は分化細胞、受精による初期化は100%の効率、その仕組みは?

「iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか」朝日新聞科学医療部、朝日新聞出版、2012、P23(院長註:ガードンはノーベル医学生理学賞を山中教授と共同受賞されたジョン・ガードン英国ケンブリッジ大学教授です。)

ガードン 私の仕事は、卵子に体細胞の核を移植することで、細胞が初期化することを証明しましたが、これは結果的には、iPS細胞をつくるのにも非常に役立っただろうと思っています。 なぜなら、精子が卵子とくっついて受精するときに、初期化が起きなければいけないが、精子こそ、体の中にあるあらゆる細胞の中で最も専門化された細胞の一つであるからです。しかも、受精による初期化は100%の効率で起こります。驚くべき効率には何か理由があると思う。もしそれがわかれば、体細胞が初期化するときの効率を上げることに貢献する可能性があります。 自然がいかにふつうの生命の中で初期化のプロセスを制御しているか。その仕組みを発見することは、非常に価値があると私は信じています。

ファージや細菌を研究に使うメリット

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P80

 「それと、ファージや細菌を研究に使う最大のメリットは、ライフサイクルが早いということなんてすね。遺伝学は交配実験をしなければならない。だけど、エンドウマメなら一年に1回しか交配できない。三代、四代たってどうなるかを知ろうと思ったら、三年、四年かかる」 

ーーーメンデルは例の「メンデルの法則」を発見するまでに予備実験に二年、本実験に八年かけてますね。遺伝学が飛躍的に発展するのは、モーガンがショウジョウバエを研究に使いはじめてからですね。ショウジョウバエなら十四日で世代が交代する。 

「ウイルスや細菌はもっと早い。ショウジョウバエなんか問題にならない。大腸菌は二十分ごとに細胞分裂して倍々になっていくし、ファージも一時間で世代が交代する。エンドウマメなら何年もかかっていた実験が1日でできる。一つの実験に失敗したら、エンドウマメなら翌年にならないとやり直しがきかないけど、細菌なら失敗しても、また翌日やり直せばいい。何か新しい実験のアイデアが浮かんだらすぐ実地にうつして、すぐ結果を知ることができる。分子遺伝学が遺伝学の主流になったのは、こういう有利さがあるからなんですね」

開院26年目第一日目の朝です。

 平成元年8月1日の開院以来昨日で満25年を経過いたしました。今日から26年目です。4半世紀に渡り長いおつきあいありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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 25年前に馬場元主将が手配してくれた時計もいまだ現役で時を刻み続けてくれています。少し見にくいですが「贈 東京医科歯科大学 体育会ラグビー部同期一同」と書かれています。いろんな人の支えでここまでやってこれたのだと再度認識して、これからも謙虚にやっていきたいと思います。

 思い返すに、自分の体調で休診は25年間で半日だけでした。どっちに転んでも不思議でないような細道を歩んできたのかなという気もします。

 今月はお盆休みもあります。家内の病気で1年以上行けていない墓参りも家内の体調次第でいけるかなと思っています。その後森山教授の歯学部長就任お祝いで上京予定です。来月早々には北村教授の就任お祝いが予定されています。ささやかな幸せを目標に目の前の仕事に全力で取り組んでいこうと思っています。

遺伝学の「黄金の道具」−−−なぜショウジョウバエか

「時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子」粂和彦、講談社現代新書、2003

P98

(前略)まず、なぜショウジョウバエが実験動物としてよく使われてきたのか、簡単に説明してから本題に進むことにします。

 ショウジョウバエは世界中のほぼどこにでも棲んでいて、すぐつかまえることができます。が、もちろん理由はそれだけでなく、メンデルの法則の説明によく使われるように、遺伝学の材料として最適なのです。ショウジョウバエは、卵が親になって次の卵を生むまでの世代時間が短く、一週間から10日くらいしかかかりません。また飼育も交配も容易で、一組の雌雄ペアで最高では1000匹以上という非常にたくさんの子孫を残します。餌も安く、取り扱いも容易です。 

 古典的な遺伝学では、交配して子孫の形質を見ることが必須だったので、これは非常に有利でした。また、ショウジョウバエの変異の多くは、目で見てはっきりわかります。たとえば、本当は赤い目が白くなったり、茶色や紫色になるとか、羽がカールして丸まっているとか、茶色の体の色が真っ黒になったり、黄色になったりします。 

 これらの理由に加えて、やや専門的になりますが、ショウジョウバエのオスでは、そのオスの父親と母親からもらった染色体同士が組み替えを起こしません。つまり、父親の染色体の性質と母親の染色体の性質が、遺伝的に混ざらないのです。メスの場合も、この組み替えを抑制するバランサー染色体というものが作られていて、これを使うことで、たくさんの遺伝子の性質を染色体ごと、子孫に安定して伝えることができます。またその他にもさまざまな独白の特徴があり、ショウジョウバエはまさに遺伝学の「黄金の道具」なのです。

クローン選択説

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P320

ーーー現代社会においては、人工の化学物質とか、これまで地球上に存在していなかったようなものまで抗原として登場してくるわけですね。そういうものに対しても、ちゃんと抗体を作って対応することができるわけですか。 

「できます。抗体というのは、抗原に合わせて作られるというものではないんですね。とにかくはじめから限りなく多様な産生能力によって多様な抗体が用意されている。それでうまくカギ穴にはまるカギのように対応するものがあればよし、そういうものがなくとも、それに近いものが出ていって対応する。穴にぴったりはまるカギじゃないけど、多少力を入れればこじ開けられるというくらいの対応関係でいいんです。そういうもので対応しながら、今度は、一方で抗体遺伝子が高頻度に突然変異を起こす。その中からもっとカギ穴に合うものが出てきたら、それに増殖しろという命令が下る。そういうメカニズムがあるわけです。結局、抗体のほうは、ムチャクチャにランダムな変異を出すことで対応する。その中から何を残して何を捨てるかは抗原のほうが選択する。そういう関係のわけです。これをクローン選択説といって、バーゼルの所長だったヤーネが最初に概念を発表し、バーネットが説として完成させた。それまではポーリングのとなえていた誘起説、つまり抗体タン白は、いわば柔らかいもので、抗原を鋳型にして、それに良く形の合う抗体分子が作られるのだという説が有力だったんですが、結局、クローン選択説のほうが正しかったわけです。前に、免疫系はダーウィン的小宇宙だといいましたけど、それはこういうことなんてすね。面白いことに、ヤーネはこの概念をキェルケゴールを読んでいたときに思いついたんだといってます」 

ーーーヤーネもキェルケゴールもデンマーク人でしたね。 

「キェルケゴールの『哲学的断片』の中に、真理は学ぶことができるものかということを論じた一節があるんです。そこでキェルケゴールは、ソクラテスをひきながら、真理は外から与えられるものではない、もともとその人の内部にあるものを自分で発見するだけなのだといってるわけです。それと同様、抗体も新しく作られるのではなく、もともとあるものの中から発見されて増殖するのだと考えたというわけです」

ーーー抗原の侵入がそれに対応する抗体を作り出すのではなく、すでにある抗体の中からそれに対応するものが選択されるだけということは、要するに、もともとあるものしか出てこないということになるわけで、これはいってみれば、一種の決定論ということになるんですかね。 

 「抗体遺伝子の研究からいえることは、遺伝子が生命現象の大枠を決めているが、あるていど偶然性が働く余地を残しており、環境は、この偶然性に基づく多様性の範囲内で選択を行うことができる、ということです」

今世紀最高の論文になるかもしれない

「iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか」朝日新聞科学医療部、朝日新聞出版、2012、P74

  山中さんの業績については、「ファンタスティック。2006年のiPS細胞の論文はこの10年で最高の論文だが、今世紀最高の論文になるかもしれない」と絶賛した。

(院長註:1996年世界で初めて哺乳類のクローン、羊の「ドリー」を生み出した英エディンバラ大学のイアン・ウィルムット博士の発言です。)

iPS細胞の衝撃度

「iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか」朝日新聞科学医療部、朝日新聞出版、2012、P12(院長註:ガードンはノーベル医学生理学賞を山中教授と共同受賞されたジョン・ガードン英国ケンブリッジ大学教授です。)

ガードン 英国でiPS細胞がどのように受け止められたか、それは非常に巨大な衝撃だったということに尽きます。私の人生全体で、シンヤのiPS細胞の研究での発見に匹敵する巨大な衝撃を経験したことかありません。私が行くどの国でも、シンヤの仕事に関係した幹細胞研究が多くの研究機関で始まっています。英国でもそうです。ものすごい研究活動です。iPSの研究は、今後もどんどん盛んになると思います。

牛は色盲

「かたちのオディッセイ エイドス・モルフェー・リズム」中村雄二郎、岩波書店、1991

P88

 《牡牛は、赤い布を広げて見せられただけで狂暴になる。が、哲学者は、色彩のことが話題になるだけで逆上しはじめる。》 

 これはゲーテが『色彩論』教示篇の序文のなかで或る先達のことばとして引いているものだが、いまふりかえってみると、二つの点で考えさせられるところがあって、私たちのテーマヘのいい手がかりになる。

 まず、牡牛に赤い布を拡げて見せるというのは、いうまでもなく闘牛場でのことである。ふつう闘牛では、まず牛が場内に放たれ、マタドールと呼ばれる闘牛士が〈赤い布〉で興奮させる。そこへ騎馬のバッデリレロと呼ばれる闘牛士が現われて、その牛に銛を打ち込む。そのあと再びマタドールが登場して、剣と〈赤い布〉とで痛みに荒れ狂う牛を翻弄し、牛が疲れ果てたところで、牛の首から心臓を剣で突き刺し、牛を打ち倒すということになっている。 

 ところが、今日では、牛は色盲であり、布の赤さに特別の反応はしないことが確かめられている(西川好夫『色彩心理の話』「色盲」一九七六年、清水弘文堂)。(この色盲という概念も再検討されなければならないが、とにかく牛は赤い色に対する感度が敏感ではないとのことだ。)したがって、布の赤さに興奮するのは人間のほうであって牛ではない。つまり、われわれ人間は、牛の色覚を自分たちの色覚になぞらえて、牛が〈赤い布〉に興奮したものと勝手に思い込んでいたわけであり、いうなれば〈人間中心主義〉の〈誤った確信〉もいいところである。そして、こういうとんでもない思い違いが色について生じていることは、きわめて象徴的である。

日本の大学は時代の要求に応えられていない

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P281

ーーーサイエンティストの世界もなかなかきびしいんですね。

 「きびしいですよ。日本みたいにろくに業績をあげなくても、一度助手になってしまったら、定年までずっとその大学にいられるなんていうわけにはいかないんです。昨日聞いた話だけどね、ぼくのいまいるMITに応用生物学部というのがあるんだけど、それを今度つぶしちゃうんだって。これは昔は食品科学部という名前で、MITの中では歴史が古い伝統ある学部で、教授が三十人くらいいる。その三分の二ぐらいは、テニュアといってヽいわゆる永久教授職を持っているんだけど、それを今度学部ごとつぶしちゃうというんです。だからそこの教授も、他の学部から引っ張ってもらえる人は別だけど、そうじゃなければ、全部クビだって。テニュアといっても、こっちではそういう扱いなんですね」  

ーーー学部をつぶしてしまうなんてことがよくあるんですか。 

 「よくあるわけではないですが、ありますよ。日本の大学とアメリカの大学をくらべるといろいろちがいがあるけど、一つ大きなちがいはこういう変り身の早さだね。アメリカの大学は、時代の変化に対応して、どんどん自分を変身させていく。平気で古い学部をつぶして、新しい学部を作っていく。日本はその逆で、一度できた学部は誰もつぶさないし、つぶせない。そして、新しい学部を作ることはほとんど不可能です。たとえば、日本で農業が主要産業だったときにたいていの大学で農学部を作った。それが農業をやる人が少なくなったいまになっても、大学の農学部はみんな残ってる。動物学科とか植物学科といったものも一部を除いては旧態そのままです。それに対して、いまや生物学の主流は分子生物学になりつつあるというのに、分子生物学部なんてどこにもできてない。アメリカには、分子生物学部を持つ大学なんていくつもありますよ。やっぱり、学問というのはその時代が要求する知識の方向というものがあって、それに合わせてその中身が時代とともに変っていくものでしょう。大学もそれに合わせて組織が変っていかなきゃおかしいですよね」 

ーーーそりゃそうですね。そうじゃないと、時代が要求する知識分野に人材を供給することができなくなって、社会全体が知的に立ち遅れていきますね。これだけ大学の組織が硬直化していると、日本の知的将来は危いですね。

脳血液関門

「唯脳論」養老孟司、ちくま学芸文庫、1998

P63

(前略)めったなものは脳に入れない。これを脳血液関門と言う。 

 トリパン・ブルーという、青い色素がある。これをネズミの腹腔(どこでもいいのだが、具体的に述べただけである)に連日注射する。腎臓からも排出されるが、かなりの量が体内に残る。結合組織細胞がこれを取り込み、ネズミは次第に青くなる。一週間もすると真青なネズミができる。皮膚も青いし、内臓も青い。このネズミを殺して脳を見ると、脳は真白である。つまり、トリパン・ブルーは脳には入らない。一ヶ所だけ、延髄のごく一部が青くなる。ここだけ、トリパン・ブルーが洩れたわけである。この近辺は、中枢性の嘔吐に関係する部分と言われる。血液中に変なものがあると、それをここで知るという。本当かどうか、それは保証しない。脳血液関門があるため、どんな薬でも脳に到達するというわけではない。それは、トリパン・ブルーの例で見るとおりである。バカに付ける薬ができたとしても、ここを通らなければ有効ではない。

どろどろ開発

「カンブリア宮殿村上龍×経済人2できる社長の思考とルール」(著)村上龍(編)テレビ東京報道局、日経ビジネス文庫、2010、P497、小林製薬社長小林豊

村上 アイデアについていうと、僕は、面白くもおかしくもないのですが、一生懸命考えたほうが勝ちだと思っているんです。

小林 まさにその通りですね。

小池 才能とは関係ないんですか。

村上 これは個人的な考えですが、才能というのを、人格にポコンとついているものと思っている人がいるかもしれませんが、全然違うんですよ。一番いい例が、昔、ゴルフのマスターズの取材に行ったんです。出場しているのはすごいゴルファーばかりなのですが、プレッシャーのかかるラウンドが終わると、みんな暗くなるまでパターの練習をしているんです。非常にうまい人たちがこつこつと練習している。結局、プレッシャーの多いラウンドが終わったあとに、暗くなるまでパターの練習をしても飽きない、集中を続けられるというのが才能だと思ったんです。特別なひらめきというのは長続きしないんですよね。

小林 これは私がつくった言葉なんですけど、開発をするのでも、”どろどろ開発”をやれと言っているんです。どろどろとした開発なんて、大阪的な発想ですけど。

村上 それもいいネーミングですね。

小林 そうですか。そこそこの商品ができるようになると、どうしてもスマートにものをつくりたくなるんです。分担をきちんと決めて、段取りを踏んで、「できました」となる。でもこれでは本当に心にしみるような商品はできないんです。担当者が集まって、ここをこうすればもう少し消費者に喜んでもらえるんじやないかとか、こう設計を変えたほうが使いやすいんじやないかとか、喧々諤々とやる。そうすると今度は技術を担当する者が出てきて、「そんなことできるはずないやないか」「このへんで折り合え」と言い出す。どろどろした雰囲気の中で、ひとつの商品が出てくるんです。最近はちょっとスマートになりすぎているので、原点に返って「昔の小屋みたいなところでやっていたのを思い出せ」と、はっぱをかけているんです。

村上 今のお話で思い浮かんだのですが、洗練というのはきらめくようなアイデアの敵ですね。洗練というのは、オリジナルなアイデアを工夫で変えていくことでしょう。本当のぎらぎらしたアイデアは、洗練とは違う。スマートにものをつくりたくないというのはよくわかります。

小林 我々は昔、大阪に古い工場を持っていたんです。そこに研究所が付属していたのですが、その時のほうが面白いものができたんですよね。ここ十数年で新しくきれいな研究所をつくったのですが、途端に商品ができなくなりました。精神的なものなんでしょうね。何となく一流になったという気持ちがあるんですよ。もちろんきれいな場所で、いいものを使って科学的にものをつくることは当然やっていかないといけないのですが、そういう心の甘えがあるとしたら、企業としては怖いですね。

平成26年度九州蛍雪会

 平成26年7月6日(日)に院長の母校愛媛県立今治西高校の同窓会である蛍雪会の支部会である九州蛍雪会が北九州小倉のステーションホテル小倉でありましたので行って来ました。18人の参加でした。学校のある今治市からは本部同窓会の会長である村上さんと佐々木教頭がいらしてました。本部の新会長である村上さんは今治市宅間にある四国溶材商事の社長さんです。出席者の神野さんは本部会長の地元宅間の老舗和菓子店「たくま饅頭本舗」がご実家です。僕が出席者の神野さんの甥で現在「たくま饅頭」をやっている神野君の今治市立西中学の同級生だとお伝えしますと、「へたに悪口でも言っていたら、みんな親戚だったなんていうこともありうるね」と言われていました。北九州の小倉でこんなディープな地元話で盛り上がるとは思ってもいなかったでしょうね。本部会長がおみやげで持って来て下さったのが一笑堂の鶏卵饅頭。どなたか「一笑堂の○○ちゃんはお仲間だった」という声もあり、18人の出席ですが会場は十分ミニ今治化していました。院長も6年ぶりの出席でしたが諸先輩方があたたかく受け入れて下さり、楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。先輩方が高校野球のことに詳しいのに驚きました。

(あと熊本に帰って来てから思い出しましたが、今治市立西中学の同学年には乃万ゴルフの二宮君と競輪選手の伊藤豊明君がいます。二宮君はゴルフで若い頃アマ日本一になり愛媛ゴルフ界の超有名人ですし、伊藤君も競輪の世界では有名人だそうです。)

脳は切っても痛くない

「唯脳論」養老孟司、ちくま学芸文庫、1998

P56 

 末梢神経は、全身に分布するが、ただし脳そのものには分布していない。だから、脳は切っても痛くない。頭が痛いのは、硬膜や血管の痛みで、脳が痛いわけではない。

できる人ほど厳密で控え目

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P132

ーーーじゃあ、いい研究室に入るメリットというのは何なんですか。みんな勝手にやってるだけなら、どこでやったって同じじゃないですか。 

 「それはね、いろいろメリットはあるんです。一つは前にいった情報ね。いい研究室ほどいい情報が早く入ってくる。そして集っている人間が優秀な人間だから、お互いのちょっとした会話も刺激になるし、思いがけないヒントも得られる。人の実験を見ていても、その考え方とか手法とか、すごく参考になる。サイエンティストの基本というか、そういうものが教授や先輩の研究を実地に見ることで学ぶことができるのね。たとえば、科学者というのは、みんな自分で自分に課しているスタンダードがある。どの程度のことを発見したらそれを大発見だと思うか、どの程度の証明ができれば、証明されたと考えるかといったことがみんなちがう。つまんないことを発見しただけで大発見だと大騒ぎしてすぐ論文を書く人もいれば、本当の価値ある発見にいたるまで実験をつづけ、なかなか論文を書かない人もいる。論文の内容を見ても、いいかげんな証明で大胆な結論を導いてしまう人もいれば、厳密な証明で控え目な結論しか出さない人もいる。いろいろなんです」

ーーーそれはジャーナリズムの世界でも同じですよ。いいかげんな事実をならべて結論だけは大胆というジャーナリストが沢山いる。やっぱり、できる人ほど厳密で控え目でしょう。世紀の大発見である例のワトソン、クリックのDNAの二重らせん構造発見の論文にしても、「われわれはデオキシリボ核酸(DNA)の塩の構造を提案したいと思う。この構造は生物学的にみてすこぶる興味をそそる斬新な特質をそなえている」という淡々とした書き出しの、わずか九百語の簡潔な論文だったですね。世紀の大発見なんて気負ったところは全くなかった。 

 「ぼくの場合は、林さんにしても、ダルペッコにしても、自分に課しているスタンダードが高い科学者でしたから、ずいぶん教えられるところが多かったですね」

大企業病

「カンブリア宮殿村上龍×経済人2できる社長の思考とルール」(著)村上龍(編)テレビ東京報道局、日経ビジネス文庫、2010、P432、小池栄子、加藤壹康キリンホールディングス会長

小池 大企業病という言葉を聞きますが、主にどういう症状が出てくるのでしょうか。

加藤 一般論はどうかわかりませんが、ものづくりにおいて開発、提案というものが遠のいていくんです。いいものをつくってお届けするというプリミティブな活動が、会社の中の活動の一部になってくるというのが大企業のおっかないところです。もう一方でいうと、株主様にどうやって配当していこうという利益などの数字の部分が非常に大きくなってしまい、提案したことが逆転してしまうようなことも、大企業病の部分じゃないかと思います。あとはみんながこれは自分の仕事、これは自分の仕事と、一人ひとりは非常にしっかりとやっていても、会社全体をひとつに融合するものがなくなってきてしまう。他にいくつもあると思いますが。

コクリ

「日本人への遺言」司馬遼太郎、朝日文庫、1999

P168

司馬 十三世紀の元寇の後、民間に広がった言葉で、ムクリ、コクリというのがあります。ムクリというのはモンゴル人のことだし、コクリというのは高麗人のことで、怖いイメージ、恐ろしいイメージでもあって、朝鮮人がコクリと呼ばれていたときがありました。これは飛躍ですが、ひょっとするとコックリさんと関係があるかどうか。もしコックリさんと関係があるとしたら、コクリという蔑称が、今度はコックリさんによって神様になっている。

ウォシュレットと異文化

「カンブリア宮殿村上龍×経済人2できる社長の思考とルール」(著)村上龍(編)テレビ東京報道局、日経ビジネス文庫、2010、P420、木瀬照雄TOTO会長

RYU'S EYE ウォシュレットと異文化 

 わたしはウォシュレットの愛用者だ。だから海外旅行のときには不便を味わう。海外では四つ星や五つ星のホテルにもいまだウォシュレットはほとんど備えられていない。例外的に、ソウルでいつも泊まる明洞のホテルには、スイートルーム内に二つあるトイレのうち一つに、かろうじてウォシュレットが備えてある。どうしてこんなに気持ちがいい装置が一気に世界的に広まらないのだろうと苛立っていたのだが、木瀬氏に会ってその疑問が解けた。 アメリカでは、「尻」を表す英語が男性同性愛者の公然たる隠語になっていて、広告宣伝に使うのを禁じられているらしい。ウォシュレットを宣伝しようとするとホモを宣伝する結果になってしまう。ヨーロッパではビデが普及していて、新しい洗浄装置に対しどうしても保守的になるのだそうだ。

佐賀者の歩いた後は・・・

「日本人への遺言」司馬遼太郎、朝日文庫、1999

P50(宮崎駿監督)

司馬 (前略)よく北九州の人が、「佐賀者の歩いたあとは草も生えん」というんですが、佐賀の人がこずるいという意味じゃなくて、佐賀県は平たくて、里山が少なかったんです。草を刈る場所がないので、少し生えてきた草もすぐに取ってしまう。

宮崎 草が肥やしだった。緑肥といいますからね。

司馬 ですから道端に草がぼうぼう生えてはいないかもしれない。

口コミで入る最新情報

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P118

ーーーでも、基礎科学の世界では、誰がどういう研究をしているのかということはみんな公開しているわけだから、学会や専門誌を通じて誰でも情報は手に入るんじゃありませんか。                 

「それがちがうんですね。そういうペーパーなんかで発表される情報はかなり古いもんなんです。だいたい半年から一年遅れてます。だからそんなものを待っていたら、研究の最先端の流れから取り残されてしまう。最新の情報は全部ロコミなんです。同じ研究を先端で競い合っている研究室の中には、知り合いが沢山いるから、何かちょっと大きな発見があると、たちまち口コミで情報が広がるんです。友人同士だったら電話で話し合うし、研究集会とかシンポジウムとか、顔を合わせる場はいくらでもあるから、すぐ情報は広がる。そして、どんなフィールドでも、世界の研究の中心になっている研究室があって、そこの研究がどう進んでいるかが気がかりだという研究室があるわけです。そこを世界の研究者がみんな訪ねてくる。そして、いろんな情報を得るとともに、自分のところはこうなっているという情報を置いていく。つまり、その研究に関してはそこが自然に世界の情報センターになってしまうわけです。そこにいれば、ローカルな研究室にいたらなかなか得られないような最新の情報が労せずして全部人ってくる。ダルペッコのところは、そういう研究室だったわけです。そういう情報の中心にいると、研究の全体像が視野に入ってくる。そして、何が重要で何が重要でないかが自然に判断がつくようになる。あっちの研究室ではとっくに結論が出ていることをこっちの研究室では苦心惨憺して追いかけているとか、全部見えちゃう。すると、何が客観的に重要かがわかってくるんですね」

引き込みによる共振

「かたちのオディッセイ エイドス・モルフェー・リズム」中村雄二郎、岩波書店、1991

P212

 この宇宙そして自然界には、そのようなエネルギーの定常的な流れを保つかたちでコントロールするために、ほぽ二十四時間の周期で営まれる生物に共通なサーカディアン・リズム(概日周期リズム)をはじめ、さまざまな周期から成る多数のリズム振動が存在している。(なお、相対論的場の量子論において、量子場も粒子の創成と消滅をくりかえす振動から成っていることが、今日では明らかにされている。のちに立ち入って見るように、量子場の振動も、私の〈汎リズム振動論〉の一つの有力な傍証になる。)

 とはいえ、単独の、また孤立したリズム振動からは、〈天球の音楽〉といわれるような共振もハーモニーも生まれはしない。そこには、どうしても、もう一つの重要な原理の働くことが必要である。すなわち、それは、非線形振動同士の引き込み(entrainment)である。すでに十七世紀に物理学者クリスティアン・ホイヘンスは、二つの振子時計を同じ木の台の上に固定しておくと、やがてそれらの振子がシンクロナイズして、同じように時を刻むようになることに気がついた。そのとき、振動数も位相もシンクロナイズするのである。

 このリズム振動および引き込みによる共振という働きは、この宇宙や自然のなかの至るところに見出される驚くほど遍在的な現象である。それは、ノーバート・ウィーナーが着目したダイナモ同士の共振や脳神経細胞の働きである脳波同士の共振からはじまって、動物個体の心筋細胞の拍動同士の引き込み、さらには月の引力にもとづく潮の干満のリズムによる女性の生理的リズムの引き込み、等々に及んでいる。

 もっとも、この共振あるいは振動は、互いによく似た、つまり振幅と波長が近い、リズムや振動がただ相互に近づけば生じる、というものではない。ちょうどラジオのチューニングのように、両者が或る程度まで近づいてくると、干渉し合って唸りが高く生じ、逆にちがいが強調される。それを通り抜けるとき、引き込み作用が働き、そこではじめて共振が起こる。つまり、一種の異化を通った上で同化が行なわれるわけである。

 このような引き込みによって、自然のなか、宇宙のなかで、空間的に相隔たった場所にあるさまざまな非線形振動同士が共振し、それらが互いにひびき合うようになるのである。このような無数の引き込みが、宇宙のなかに見られる、あるいはむしろ宇宙を構成している。そのなかの基本的な一つが、太陽の日周リズムによる、生物の体内時計の刻むサーカディアン・リズムの引き込みである。すなわち、約二十四時間を周期とする体内時計のサーカディアン・リズムは、日出・日没などの太陽の運行にもとづく地球上の日周リズムに同調し、それと共振することによって、宇宙リズムの一部と化するのである。

(院長註:再生医療の中で有名なのが阪大の心筋シートです。何枚か重ねて使う場合、個々の心拍のリズムを合わせるのが難しそうだけど、自ずから共振してくれるとすれば楽ですね。)


実験上の細かなノウハウ

「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993

P231

ーーー基本的な情報は論文に書いてあるといっても、こういうものは、やっぱり細かなところに、いろんなノウハウがあるわけでしょう。制限酵素にしても、論文を読めば、誰でも作れるというもんじゃないでしょう。

 「そりゃそうなんです。論文に書いてあることは、本当の骨組みだけでね。あれだけじゃわからないことがいっぱいある。たとえば、制限酵素でDNAを切るときには、まずもとになるDNAを長いまま取り出さなくちゃならない。ところが、DNAというのは、細長い糸みたいなものでものすごく切れやすいんです。ランダムに切る場合なら、はじめからどう切れてようとかまわないんですが、制限酵素で特定の部位を切ってそろった断片を作ろうという場合には、DNAが変なところではじめから切れていたら困るわけです。だからDNAは丸のまま取り出さなければならない。ところがこれが当時はむずかしかったんです。ちょっとした操作ですぐ切れちゃう。たとえばピペットっていうガラスのスポイトみたいな道具があるでしょう。あれで吸っただけで、たちまちパラパラに切れちゃう。またシングルストランド(一本鎖)のDNAはガラス壁にくっつきやすいんですね。それで、とくに微量なシングルストランドDNAを扱うときには、ピペットの内側にワックスを塗って使わないとダメだとかね、実験にはこういう細かな技術的ノウハウが無数に必要なんてすが、そんなことは論文には何も書いてない」

ーーーじゃあ、人の論文を読んで追試しようと思っても、簡単にはできない。

 「そういうこともよくあります。特に重要な研究で、他の人にすぐに追いつかれてもらっては困るなんていうときには、重要なポイントをわざと抜かして書いてあったりする。他の人が追試しても失敗する。サイエンスの世界も競争がはげしくなってくるとそういうこすい輩もでてくる」 

ーーーすると、細かな実験のノウハウというのは、なかなかわからない。

 「手っ取り早く知ろうと思ったら、どこの研究室にもラブ(研究室)ノートというのがありましてね、ラブのクック・ブック(料理の本)ともいうんだけど、それに詳しくやり方が書いてある。その通りにやれば絶対失敗しないという細かなノウハウまで全部書いてある。それを見せてもらえばよい」

ーーーでも、そんなの外部の人には見せないでしょう。 

 「普通はね。だけど、その研究室に友達がいれば見せてもらえる可能性がある。そこで人のつながりが大切になってくる。その点、ハーバードとかMITとか、いいとこ出た学生は、いろんなところにコネクションが広がっているからとても有利なのね。ところが、ぼくみたいに、サンディエゴの田舎から出てきたなんていうのは、コネが少ないから大変な面もありました」

カラーテレビの色調整

「かたちのオディッセイ エイドス・モルフェー・リズム」中村雄二郎、岩波書店、1991

PB 

 カラー・テレビは、その国の人々の皮膚がいちばん自然で美しく見えるように色を調整して輸出されるのです。

                                                    某メーカー研究所員

捏造

「iPS細胞 世紀の発見が医療を変える」八代嘉美、平凡社新書、2008

P127

 2004年2月12日、科学雑誌『サイエンス』のインターネット上の速報版に1本の論文が掲載された。それが韓国・ソウル大学の黄禹錫(ファンウソック)による世界に先駆けてヒトクローン胚からES細胞樹立に成功した、という発表だったのだ。 

 彼は、1993年には韓国初のウシの人工授精に成功し、1999年には韓国初のウシのクローンを誕生させるなどした、韓国の獣医学における生殖医療の権威で、その作製が困難とされるクローン犬をつくることにも成功するなど、技術に定評のある研究者で、この報告は世界中に大きなインパクトを与えた。 

 2004年の論文が一の矢だとすれば、黄たちは周到に二の矢を番(つが)えていたといえるだろう。それからわずか1年、2005年5月19日に『サイエンス』電子版に発表した論文で、再び世界中にインパクトを与えたからだ。

 彼らは第三者から提供された卵子に、脊髄損傷、先天性免疫不全、若年性糖尿病の患者から得られた三つの皮膚の細胞核を移植することでクローン胚をつくり出し、ES細胞の樹立に成功したという。

 脊髄損傷は事故や病気などで脊髄か傷つくものだが、後者の二つは遺伝子の異常によって起こる遺伝的疾患であり、樹立されたES細胞に正常な遺伝子を導入してやることで、患者への根治治療を行うことが可能になる。つまり、究極のオーダーメイド治療として、世界中の難病患者に大きな希望を与えるものであったのだ。

 韓国政府はすぐさま彼を中心として研究を行い、韓国を幹細胞研究のメッカとすべく多額の資金を援助する手はずを整えた。彼の研究人生はまさに順風満帆に見えた。

 しかし、2005年12月、共同研究者の告発などを受けて行われたソウル大学の調査で、彼の運命は暗転した。クローン胚の作製などではその成功効率も問われる。まず明らかになったのはその効率の偽造だった。 2005年の論文では、使用された卵細胞は185個となっていたが283個であったことかわかり、そして患者の核を移植してつくられたES細胞は存在しないということが確かめられてしまった。 

 だが彼の失墜はそれだけでは終わらなかった。最も驚くべきは2006年1月の最終報告で、それによると、なんとntES細胞自体がそもそも存在していないというのだ。2004年、2005年の論文ともに核移植によるクローンではなく、冷凍されていた受精卵からつくられたES細胞だったことか明らかになり、2004年2月の論文すら捏造であるとされたのだ。

(院長註:この事件があったからこそ、「また東洋人が」と言われないように、山中教授はiPS細胞発表時に慎重になったそうです。)

細胞同士の接触によるリズム振動の動的協力性

「かたちのオディッセイ エイドス・モルフェー・リズム」中村雄二郎、岩波書店、1991

P34 

 そこで話を清水氏の〈動的協力性〉の理論ーーーハーケンにも〈協同現象〉の理論というのがあってそれに先立ち対応するが、私の見るところ理論の方向は先駆的だが一般理論としての内容はかなり粗っぽいーーーにもどすと、その動的協力性をそなえたリズム振動というコンセプトは、さまざまなレヴェルや領域での自己組織系の在り様を考える上で、とくに生物の形態形成の秘密を知る上で、有力な手がかりとなる。すなわち、清水氏の理論によれば、生物の形態形成は次のようなプロセスをとることになる。まず受精卵を分解すると、細胞の集まりが得られる。その各細胞はやがては内胚葉・中胚葉・外胚葉になるはずのものだが、当初はまだ分化の状態が不安定で分化の行先が特定されず、別の種類の器官の細胞に変わる可能性がある。最初のうちこのような不安定な状態にある細胞を然るべき器官になるように安定化する働きをするのは細胞同士の接触である。もしも人為的に別の身体組織と接触させると、まるで異なった器官の細胞になるように誘導されてしまう。やがて、体が成長していく過程で細胞は次第に分化する。それに伴って器官が徐々に形づくられ、また細胞の状態はいっそう安定していく。つまり、一つの種類の細胞は別の種類の細胞へと移り変わることができなくなるのである。

後戻りできない〈分化〉

「iPS細胞 世紀の発見が医療を変える」八代嘉美、平凡社新書、2008

P29

後戻りできない〈分化〉 

 受精から2週間、胚盤胞の段階をすぎると胚は新しい局面に入る。内部細胞塊の細胞は外胚葉、中胚葉、内胚葉の3種類の胚葉という細胞に変化する。外胚葉からは皮膚や神経に、中胚葉は血管や骨や筋肉、そして内胚葉は肝臓などの内臓器官に、というように胎児の中で形づくるべき組織、細胞が大まかに決まっていく。 それまで何にでもなれたはずの細胞が胚葉に分かれると、もはや別の胚葉からつくられる細胞になることはできない。外胚葉から取り出した細胞を培養しても肝臓の細胞にはなれないし、中胚葉から神経をつくることはできない。このように、ある細胞が特定の機能や特徴的な形をもつ細胞に変化していくことを〈分化〉といい、逆にES細胞のように、まだ何ものにでもなれる細胞のことは〈未分化〉な状態にあるという。

(院長註:分化した細胞を未分化に後戻りさせたiPS細胞の誕生は本当に衝撃的であり、「とうとう出来たのか!」と興奮しました。STAP細胞の時は、多能性が万能になったとして果たしてどれだけメリットがあるのかわからないし、後から出来たものが前のを超えてなければ意味無いじゃんと全くと言っていいほど興味を持てませんでした。それぐらい初めて後戻りさせたiPS細胞はインパクトがあったし、異例に早期のノーベル賞受賞につながったのだろうと思います。STAP細胞はあって当然、なければいかんし、なければ国辱ぐらいで、あまり興味を持てません。0が100になるのと100が102になるのではまったく価値が違うと思いました。)

万能と多能の違い

「iPS細胞 世紀の発見が医療を変える」八代嘉美、平凡社新書、2008

P46

〈万能〉と〈多能〉はどう違うのか? 

 ともあれ、ES細胞はさまざまな細胞をつくり出す能力をもつため、〈万能細胞〉と呼ばれることも多い。たしかに私たちの身体を構成するほとんどの細胞を生み出す潜在能力をもっているのは間違いないが、”万能”という言葉は実は正確ではない。ES細胞といえどもつくり出すことができない組織があるからだ。これまでの話から、それが何かをお気づきの方もいるかもしれない。それは、胎盤などの胎児と母体をつなぐ組織のことだ。1章のたとえで言うならば、これらは栄養外胚葉、つまりシュークリームの皮の部分からつくられる組織なので、カスタードクリームの部分である内部細胞塊はすでに胎盤になる能力を失っている。つまり内部細胞塊を源としているES細胞からはつくることができないのだ。

 こうした理由から、ES細胞だけを子宮に戻したとしても胎児になることはない。卵子に精子を注入する人工授精でつくった胚のように、着床して胎盤をつくることかできないからだ。ノックアウトマウスや遺伝子導入マウスをつくる際、遺伝子操作を行ったES細胞をほかのマウスの胚盤胞に入れなければならないのはそのためでもある。 つまり、受精卵がもつ能力は文字どおり万能だけれど、ES細胞はそうではない。このことから、ES細胞がもつ能力は万能ではなく〈多能性〉と呼ばれている。

今を懸命に全力で生きることの重要さ

「カンブリア宮殿村上龍×経済人2できる社長の思考とルール」(著)村上龍(編)テレビ東京報道局、日経ビジネス文庫、2010、P68 、安部修仁吉野家ホールディングス社長

安部(略)自分に向くものはもっと他にあるはずだと思って決められないでいる人というのは、今を一生懸命生きてないんじゃないかと思うんですよ。そういうものはいきなりゲットできないし、何かを全力でやっているうちに、派生的に道が見えてくる。でも全力でやってないと、次の世界につながっていかないんです。だからどんなに小さなことでも、その役割を全うすると次の世界が見えてくると思うんです。

村上 とりあえず与えられた役割を全力でやってみると、やめるにしても何か見えてくる、と。
安部 そうです。やめる時に「もう嫌だからやめる」と言うと、またゼロに戻るということになってしまいますが、別の道を選択するというのはゼロにならない。全力でやっているから別の道が見えてくるということだと思うんですよね。その連続なんじゃないでしょうか。

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