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Newton別冊「iPS細胞」ニュートンプレス、2008
P69
Q49.50ページ本文右14行目に「遺伝子のオンとオフ」とありますが,具体的にどのようなことなのでしょうか?
A.49.ヒトの細胞には,2万5000種類ともいわれる数の遺伝子があります。これらの遺伝子は,すべてが同時にはたらいているわけではありません。 たとえば皮膚の細胞では,Aという遺伝子ははたらいている(=オン)けれども,Bという遺伝子ははたらいていない(=オフ),ということがおきています。また,これらの遺伝子のオンやオフは,細胞がおかれた状況に応じても,刻一刻と調節されています。その結果,それぞれの細胞は,今細胞にとって必要なタンパク質を,必要な分だけつくりだすことができるのです。 こうした遺伝子のオンとオフを支配しているのが「転写因子」とよばれるタンパク質です。山中教授がiPS細胞をつくるのに使った4個の初期化因子は,どれもこの転写因子です。皮膚の細胞にこれらの転写因子を送りこむことで,遺伝子のオンとオフを切りかえ,ES細胞の状態(多能性幹細胞)へと変身させることができたというわけです。
「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993
P46
オペロン説というのは、簡単にいえば、こういうことだ。細胞一つ一つにDNAがあり、その中に膨大な遺伝情報が詰めこまれている。たとえば、人間は六十兆個の細胞からできているが、その一つ一つの細胞に、長さ一・八メートルのDNAが入っており、そこには塩基対にして三十億個分の遺伝情報が蓄積されている。そのうち、読み出される遺伝情報はほんの一部である。大部分は読まれずに眠ったままで終る。
一つ一つの細胞にその人間の持つ全ての遺伝情報がおさめられているが、一つ一つの細胞はそのごく一部の情報だけを読みとって形質を発現する。ある細胞は筋肉になり、ある細胞は肝臓になる。筋肉になる細胞には、筋肉になる情報しかなかったというわけではない。どの細胞にも全ての情報が含まれているのである。
筋肉になった細胞にも、髪の毛になるための情報も、骨になるための情報も、その他もろもろの情報が全て含まれている。情報的には、その細胞は何にでもなりうる可能性を持っていたのである。しかし、その細胞は筋肉になるという情報だけを選択的に読んで筋肉になったのである。
なぜそうなのか。なぜ膨大な遺伝情報の中から特定の部分だけが読み出されるのか。なぜ他の部分は読まれないのか。遺伝子発現の制御・調節メカニズムはどうなっているのか。
ジャコブとモノーが考えたオペロン説によると、そのメカニズムはこうなっている。
遺伝情報は一つの文章のように、あるまとまりをもって読まれる単位ごとに一つのブロックを形成している。一つのブロックが一つのタン白合成に対応するわけである。ブロックごとに、その文章を読むか読まないかを決めるスイッチのようなものがある。ふだんはリプレッサー(抑制因子)が働いていてスイッチが入らないようになっている。
リプレッサーの働きが止まってスイッチが入ると、そのまとまりの部分が読まれ、読まれた遺伝情報通りタン白合成がはじまる。前に述べた伝令RNAは、このブロックごとに情報を転写して核の外に運び出していくわけである。
このタン白合成を指令する部分の遺伝子は構造遺伝子と呼ばれる。どの部分を読むかを決める遺伝子を調節遺伝子という。
「新分子生物学入門 ここまでわかった遺伝子のはたらき」丸山工作、講談社ブルーバックス、2002
P97
体ができる
私たちの身体は、受精卵というたった一個の細胞から出発して細胞分裂によって細胞数が増え、さまざまな組織や器官ができて、全体としてまとまってつくられる。受精卵が成体と同様な形に到達するまでの過程を発生といい、その間に細胞が特徴ある形と働きを示すようになることを分化という。ヒトでいえば、一個の受精卵から約六〇兆個の細胞ができて、約二〇〇種類の細胞に分化して人体をつくりあげる。
受精卵は、両親からの遺伝子一セットずつを受け継いでいる。その多量の遺伝子情報のうちから、発生の過程で必要な情報を発現して細胞を分化させていくわけである。まさに、遺伝子情報の秩序ある発現の仕組みこそ、発生と分化の最重要問題である。
核のDNAは、その生物すべてに必要な遺伝情報をそなえているが、それだけで新しい個体ができてくるわけにはいかない。受精卵は、受け継いだDNA情報のごく一部を発現して細胞分裂を開始し、つづいて分化に必要なDNA情報を順序を追って発現させる制御システムをもっている。核のDNA情報と、受精卵がそなえている情報制御システムの両方が発生のプロセスに必要なのである。
遺伝子情報がどのように制御されて発生分化を進行させるのかは、現在の生物学のもっとも活発な分野のひとつである。
「世界の富の99%はハプスブルグ家と英国王室が握っている」真田幸光、宝島社新書、2012
P158
アフリカの利権を握る中国人商売
ここ一、二年は、中国は内部固めの年となると思います。軍事力を増強しながらも、本格的には外に出てこないでしょう。アメリカの攻勢が強まれば、少々の反撃を周辺諸国にはするでしょうが、本格的ではない小競り合い程度です。そして、内部を固めながらも、着実に世界で中国の利権を拡大していきます。
現在、中国はアフリカとの経済連携を深めています。中国は、非常に上手にアフリカ諸国に入っていくわけです。
まずは、 「中国は皆さんと同じ、開発途上国ですよ。だから、上から目線で皆さんを見ません」 といった精神的な不安をアフリカ諸国の人々から取り除く努力をします。
例えば、ある国で銅の鉱山があるとします。大航海時代のヨーロッパ人たちは銅の鉱山だけ開発をして、そこからあがった銅を自分の国に持ってきて、売って大儲けをしたわけです。もちろん、運搬するための道ぐらいは確保したでしょうが、それ以上はしませんでした。しかし、中国は違うのです。
銅の鉱山があれば、そこを開発するのは当たり前です。それだけではなくて、鉱山から港までの立派な道路を作ってあげるわけです。港が浅かったならば港も深くします。インフラを整備してあげるのです。もちろん中国のお金でします。だからその国の既得権益層は喜びます。特に大統領は。
そして、道路や港などの整備に不慣れなアフリカの人々に代わって、中国は中国人を連れてくるのです。一部イラン人とか、パキスタン人も使いますけれども、中国人がメインです。中国では仕事にあぶれている人が多いですから、国内での雇用のガス抜きにもなるわけですよ。時々、連れて行った中国人が、現地人とトラブルを起こすこともあります。中国人が嫌われている場所もあります。ですから、必ずしも全部が全部うまくいっているわけではないですけれど、少なくともアフリカの既得権益層は喜びます。
欧米は、ある国から取っていったものを「俺の権利だからな」とその国に渡してやることはありません。しかし、中国はそういうことはしないのです。「この銅山は君(アフリカの国)の権利です」といったあとで、だけど「49パーセントはうち(中国)に持たしてください」とアフリカの大統領に語りかけます。そして、彼に「大統領、売りたいところへどんどん銅を売ってください」というのです。
ここで、さらに、先ほど申し上げましたようにもうひとつキーワードを言います。「中国はね、お宅と同じ開発途上国ですよ」と。だから、「お宅と同じなのだから、搾取するようなことはしません」、「条件なんかつけません」と言うわけです。これでアフリカの大統領は、心が中国に傾くわけです。アフリカの大統領の心が傾いたところで、「ひとつだけお願いがあるのです。お宅のところで取れたその銅を、優先的に中国に売ってください。中国はもちろん時価で買いますから」と。
「カンブリア宮殿 村上龍×経済人 社長の金言」村上龍、テレビ東京報道局=編、日経ビジネス人文庫、2009、P284、伊勢彦信(鶏卵生産のイセグループ会長)×村上龍×小池栄子
卵の消費量で国の勢いがわかる
村上 卵というのは栄養食品の代表で、日本人は卵からたんぱく質をとってきたというようなところがあると思うのですが、これだけ豊かになって成熟社会を迎えると、卵にもそれ以上の価値をつけていかなくてはいけないという流れになってきているのだと思いますが、これはこれからも変えようがないんでしょうね。
伊勢 本当は付加価値をつけなくても、おっしやったように卵というのは最高の食品なんです、昔も今も。これに追いつくものはございません。一時アメリカでは、コレステロールが多いということで、一人当たりの年間の卵の消費が四百個から二百五十個くらいまで減りました。四百個食べていたアメリカは世界最強でした。二百五十個くらいになってから、国の勢いがなくなりました(笑)。
村上 アメリカの衰退は卵を食べなくなったからだと。
伊勢 その通りでございます。日本の成長の原動力は、戦後は五十個しか食べていなかったのが、三百個まで伸びたからです。
村上 国力は国民がどれくらい卵を食べているかでわかると?
伊勢 そうです。
小池 コレステロールを気にするなどで、日本で消費量が落ちた時期はないんですか。
伊勢 日本人はあまり気にしなかったですね。 アメリカ政府も科学的にいろいろな調査をして、十年ぐらい前から強力な宣伝をするようになりました。アメリカの国民にとってもっとも合理的なたんぱく質のとり方はやはり卵だと。で、子どもは毎日二個ずつ食べていただきたい、という宣伝を国がはじめました。アメリカはとうもろこしをたくさん作りますけれども、それを無駄に使いたくないということで、今は消費がどんどん回復しております。これからアメリカも良くなると思います。
村上 卵の消費量で国の勢いがわかる。なんか正しいような感じがしてきたけど……。
伊勢 念のため、一番たくさん食べるのはイスラエルでございます。とてもアグレッシブでしよ?
村上 確かにアグレッシブですが……。(後略)
「カンブリア宮殿 村上龍×経済人 社長の金言」村上龍、テレビ東京報道局=編、日経ビジネス人文庫、2009、P196、川又三智彦(ウィークリーマンションのツカサグループ代表)×村上龍×小池栄子
やろうと思えば、どこからでも情報は取れる
村上 川又さんは本の中で、バブルがはじけたときに「自分は大事な情報をもってなかったんじやないか」ということから、新聞とか雑誌をお読みになるようになった、と書かれています。
川又 勉強するようになったのは一九九四年以降です。九〇年三月二十七日に大蔵省から通達があって、各金融機関に、今後一切不動産屋に金を貸すなという総量規制が始まりました。それまではパブルに乗ってウィークリーマンションをどんどん作るために忙殺されていたんです。ところが今度は止められて、しばらくすると「さあ、金返せ」が始まった。そのあとは各金融機関との折衝でまた忙殺されていて、何も考える暇がなかったんです。ところが九四年くらいになると、建築途中だった十数棟の物件も完成して金融機関との話もつき、時間ができて、ふと我に返ったんです。そこで「何が起きたのかな」というところから勉強を始めました。それまでは朝日新聞一紙しか取っていなかったんですが、それ以降新聞は八種類、週刊誌、月刊誌は三十数種類、毎日全部チェックしています。
村上 今でも経済を支配しているのは情報をもっている人たちですよね。投資のための情報収集にしても、情報をもっている人はすごく有利になっている。
川又 でも、昔と違って、情報を取ろうと思えばインターネットなどを使っていくらでも取れるわけです。情報自体は膨大にあふれている。新聞やテレビでも事実は語りますが、事実と真実は違うんですよ。大事なのは、その事実の裏にある真実ですよね。それを知るためには、膨大に流れてくる情報の中から、何を選びだして、その中で真実をどうやってつかんでいくかということが大事です。僕は自分が痛い目にあったから、自分が集めた情報を毎日インターネットに張り付けています。そういう気がある人は僕のネットを見たりしていると思うんです。やろうと思えば、どこからでも情報は取れるんですよ。
村上 みなさん「おや?」と思われたと思うんですが、特別なお金を出して取る情報というのもある中で、新聞や雑誌はみんなが見ることができるものですよね。
川又 そんなのは必要ないんですよ。
村上 CIAの友人が言っていたのですが、彼らが分析する情報も九五%は一般誌らしいです。普通に配信されてくる新聞や雑誌に、分析すべき情報は全部入っているというんです。
川又 斜め読みでもいいんですよ。九四年の秋に、自分だけ情報をもっているのはもったいないと思って、ワンワン倶楽部という勉強会を立ち上げ、会員向けにその情報を提供しているんです。翌年九五年三月十五日に、これは経済情報と関係ないかもしれませんが、「近々オウム真理教が何かやりそうなので、みなさん気をつけてください」と発信したんですね。そのとき五十人くらいの会員がいたんですが、誰ひとり「オウム」という言葉も知らなかった。地下鉄サリン事件が起きたのは、その五日後でした。
「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996
P21
ものが見えにくくなったといって診察にきた六〇歳の男性で、トボトボした歩き方やゆっくりとした動作からパーキンソン病のような病気がうたがわれた。眼科で検眼してもらったが、いまの眼鏡で視力は十分のはずだ、目を動かすシステムの問題かもしれない、神経内科で診てもらいなさいといわれたとのことだ。近くが見にくい、遠くの景色はよく見えるという。調べてみると、近くを見るときに両目が寄らない。だから、字がダブってしまって読めない。そして、近くを見るときの瞳孔の収縮もない。これでは視力がよくても読書はできない。ヒトは間近のものを見るときには左右の目が内側に向くという輻輳(ふくそう)の現象がおこる。寄り目のことだ。そして、同時に瞳孔が反射的に収縮して小さくなる(輻輳反射)。カメラのレンズを絞りこむと、シャープな像になるのと同じで、近くのものをよりはっきりと見るためにおこる反射だ。
その患者さんにぼくの指の動きを目で追ってもらうと、上下方向の眼球の動きがわるい。不思議なことに、指を見つめさせたまま頭をうつむかせると、眼球は上を向く。「人形の目徴候」というサインだ。診断はパーキンソン病によく似た病気の進行性核上性マヒだった。核上性マヒとは、目を動かす動眼神経の核より中枢に障害があって、目の動きがマヒするという意味である。
このように、意識されない視覚情報をうけとった脳幹は、そのシャープな像をうまく維持するために、目を動かす筋肉や瞳孔などをコントロールしている。目の動きは、後頭葉からの情報をもとに前頭葉の運動野がはたらき、脳幹にある動眼神経などの核を調整しておこなわれている。 また、小脳では、からだのバランスをとったりスムーズに動かすために、まさに無意識のモニターテレビのように手足や頭の位置を監視している。暗いところでよろめきやすいのは、視覚情報が平衡機能システムにインプットされないからだ。阪神大震災のあとの町を歩いていて、ビルや電柱がさまざまに傾いており、空間がゆがんでいるのか、自分の感覚がおかしくなったのかと、異常な気分に襲われたと話してくれた人がいだ。ゆがんで見える空間の中では、平衡感覚がくるってしまってめまいがする。
「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996
P21
医学部で最初に習ったことの一つに対光反射があった。目に光が入ると瞳孔が収縮する反応だ。カメラでいえば、いつも適当な光量になるようにレンズの絞りが自動調節されることで、脳幹での無意識の反射だ。意識がなくて対光反射もなければ、脳幹のダメージがつよい危険な状態であり、死の判定にも使われる重なバイタルサインである。脳幹部はさまざまな神経システムのはたらきに重要な部分であり、ここでアクシデントがおこれば意識がなくなったり、手足の運動や感覚のマヒもおこってくる。
目はカメラとちがって左右に二つならんでいる。光を片方の目にだけあてるとどうなるかというと、反対側の目の瞳孔もちゃんと収縮する。光があたった側の縮瞳を直接反射、あてないほうのを間接反射という。網膜からの光の刺激が視神経をつたわって脳幹の上丘という部分にとどき、そこから意識はされない視覚情報として瞳孔のサイズを調節する神経核(中脳被蓋核、EーW核など)にシグナルが送られる。E‐W核は左右にあり、いずれにも両方の目からの網膜からの光情報が入ってくる。だから、片目に光をあてても両目の瞳が縮小する。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P286崎尾英子(精神科医)
●心に踏み込む怖さ
養老ーーーお話をうかがっていて、ちょっと引っかかるんですが、EMDRで治療すると患者はある意味で違う人になってしまうわけですよね。それは本当にやっていいことなのか、それともよけいなお世話なのかというところが気になるんです。もちろん、本人が幸せになるのだったらいいではという見方もあるとは思いますが……。
小さなトラウマなら、まわりの人が理解してあげるとか、親切にしてあげるというようなことでも治るわけでしょう。そういうふうに、一般の人が普通にできることをするというのなら、難しい問題にはならないと思うんですが、EMDRのような専門的な治療になると、極端に言えば、その人の人格に介入するということになってしまうでしょう。
崎尾ーーーそうですね。
養老ーーーこれは、精神科の治療の場合に、いつも根本にある問題だと思うんですが……。
崎尾ーーーもちろん、きちんとした診断をして、どういう治療ができるかを検討し、患者に説明した上で治療に入ります。そういう手続きは医療の基本的な問題で、何科でも同じだろうと思ってます。
でも、人間の心の問題を扱うのは、確かに怖いところもあります。EMDR治療の効果には私自身びっくりしたことがあるんです。二年間も口内炎ができ続けて治らないという子が連れてこられたので、その子のお母さんに、子供のひざをたたいてあげて子供をリラックスさせるという方法を教えたんです。これは、EMDR治療の変形なんですが、なんと二週間それをやっただけで、口内炎ができなくなったんです。何が効いたのかがはっきりしないんですが……。 だから、EMDR治療には、本当に用心深く入っていかなくてはならない。治療する側にはモラルも必要だし、専門家としての知識も要求されます。実際、EMDR治療を行うための訓練を受けるには、ものすごく厳しい基準にパスしなければなりません。要求されるような資格と臨床経験があって、さらに、しかるべき人の監督を受けられる立場にないとダメなんです。
米国では、犯罪の証人になる人はEMDR治療を受けてはいけないことになっています。記憶が変わってしまいますからね。
口内炎=口腔の粘膜や、舌、歯肉に生じる炎症。ストレスも遠因になると見られている。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P281崎尾英子(精神科医)
養老ーーー精神科の治療というのは、他の科の治療と違って、数字に表れるようなものではないから、難しいだろうと思います。最近トラウマのある患者では、脳の海馬に異常が出るというような話も聞きますが、そういう角度からの治療法もあるのですか?
崎尾ーーー確かに、PTSDがとても重かったり、長く続いたりした患者では、核磁気共鳴の画像で健常者よりも明らかに海馬の体積が減少していることが観察されています。また、トラウマの場面を思い出すようなテープを聞かされると、言語処理に関係する脳のブローカ領域の活動が優位に落ちるということもPET(陽電子断層撮影法)の画像からわかってきています。
養老ーーーそれをどこまで治療につなげられるかが問題ですね。
崎尾ーーー私たちの治療は、そのように現在の科学で見られるところと、見られない精神機能とを対応させて見ていかなければいけない段階にあります。具体的には、私が眼球運動脱感作法と呼んでいるEMDRという新しい治療法に力を入れていて、かなりの効果をあげています。
これは、人間は二つのことに同時に注意を向けられないという脳の生理を応用した方法で、被験者の顔の正面に「ライトバー」という器械を置いて規則的に光を点滅させ、光ったほうを眼で追う作業をしてもらいます。作業に注意が向くと、トラウマ的な思い出を抑え込もうとする思考プロセスが働かなくなるので、そのときに頭に浮かんだことを話してもらう。そうすると、トラウマ的な思い出が芋づる式に出てきやすいのです。 脳波で脳の生理をモニターしながら、患者には自分のいちばん怖いところ、きついところにアクセスしてもらうわけですから、医者に安心感をもってもらわなければなりません。そのようにして体験を思い出させると、「あのときの体験をいま安全な治療室でしゃべったのだ」ということが認知され、言語化できるのです。
養老ーーーそれが「治る」ということなんですね。
崎尾ーーー「治る」というのは、自分が変われるという感覚をもつことだと思います。トラウマの感覚がしょっちゅう戻る場合と、「これはああいうことだったのだ」と思える場合とでは、行動のレパートリーが変わってきますから……。この治療は一回六〇分から九〇分かかりますが、一度だけのトラウマの場合、三回で八五%治ります。今までの治療は時間が経つのを待つしかないという感じでしたから、これは非常に画期的なことなんです。
「新分子生物学入門 ここまでわかった遺伝子のはたらき」丸山工作、講談社ブルーバックス、2002
P14
一九九七年二月二七日号のイギリス科学雑誌『ネイチャー』に、クローン羊の誕生を報告する論文が発表され、世界中にそのニュースが報道された。なぜかというと、成羊の細胞核を除核未受精卵に移植してクローン化に成功したからである。体細胞クローンであり、同一受精卵の割球核を分けて発育させた、それまでの受精卵クローンとはまったく違っている。この成功は、たとえばだれでもが身体の細胞から自分の分身をつくれることを示している。
イギリスのロスリン研究所のイアン・ウィルムットらは、羊の乳腺細胞を切り出してシャーレの中で培養した。細胞を増殖させるには、ふつう培養液中に一〇%もの牛血清を加えるのに、ウィルムットらは二〇分の一の〇・五%に下げたのである。細胞は生きつづけるものの、栄養分の不足で飢餓状態となり、細胞活動を停止してしまう。細胞はタンパク質合成を停止し、したがって核のDNAは休止状態に入る。この不活性核を取り出して除核未受精卵に注入し、電圧をかけると不活性核が活動を開始して細胞分裂を始める。これを別の羊の子宮内に入れて発育させたわけである。移植細胞は、もとの乳腺細胞にはならずに、受精卵の発生と同じ経過を経て、クローン羊の誕生にいたった。このように述べると、簡単に体細胞クローンがつくられたように思われよう。実際は、二七七回おこなわれた実験でたった一回しか成功しなかったのである。この貴重な子羊は、アメリカの歌手ドリー・バートンの名からドリーと命名された。この歌手は豊満なバストをもっており、このクローン羊が乳腺細胞核由来だからである。
ドリーは、父親をもたないが、母親が計三頭もいる。体細胞の持ち主の母羊、卵子を提供した母羊、妊娠・出産した代理母羊の三頭である。体細胞は雄羊からでも可能だったが。
体細胞の核DNAは、それぞれの組織に特異的な遺伝子発現をするようになっており(分化)、未分化の受精卵核DNAとは異なった状態にある。したがって、飢餓にさらされている間に分化したDNAが未分化状態にもどるのであろうが、少しでも分化状態(かなりの遺伝子が発現している)にあれば、ゼロからの出発ができずに発生異常が生じて死ぬことになる。そのため、成功率がきわめて低いのであろう。ドリーの場合、何かの間違いではないかと疑われたが、ドリーと乳腺細胞提供母とのDNAの解析から同一であることが出生後一年して確認された。
「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993
P144(院長註:利根川進さんの発言です。)
「いや、やっぱりね、サイエンティストにも、すごく頭のいいのと、そうでないのといるんです。いわゆるすごい秀才ね、ものすごく記憶力がよくて、細かいことをなんでも 覚えている。それから論理能力にすぐれていて、ロジックに穴があるとパッとわかる。そういう秀才っているでしょう。ぼくはそういうんじゃない。記憶力悪いし、ロジックに欠陥があってもなかなかわからなかったりする。でもね、この間ある同僚のサイエンティストと話してたんだけど、彼も秀才タイプじゃないというんだな(笑)。だけど、そのほうがサイエンティストに向いているというんだ。彼にいわせるとね、人間の頭の容量なんてのはだいたいみんな決まってるから、記憶力がものすごくいい秀才タイプは、今度は逆にひらめきみたいな能力に欠けるというんだね。秀才がなかなかいいサイエンティストになれないのは、あれは絶対記憶力が邪魔をしとるというわけ。われわれは幸いなことに記憶力があまりよくないから、頭のどこかにポカッと穴が開いてる。だからときどき変なことを考える。それがサイエンティストには重要なんだといっとったな。(後略)」
「精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか」立花隆、利根川進、文春文庫、1993
P194
ーーーそうやって努力しても、実験というのはなかなかうまく行かないもんなんでしょう。前に、研究というのは失敗の連続だとおっしゃってましたが……。
「ほんとにそうなんですよ。実験なんてたいがいうまくいきません。いろんなことが原因で失敗が次々に起こる」
ーーー失敗の連続だと、途中でいやになるということはありませんか。
「そういう人はサイエンティストに向かないですね。いくら失敗しても決してあきらめないで、ずっと探究をつづけられるというのがサイエンティストの基本的条件でしょうね。失敗に失敗を重ねて、これもダメ、あれもダメで、ずーっと追いつめられていくうちに、どこかでブレイクスルーが見つかるんですね。その間ずっとああでもない、こうでもないと考えつづけていないと、ブレイクスルーに出会えない」
ーーーそんなにダメがつづくと、意気阻喪してきませんか。
「それは多少ありますけど、それをはねとばせるくらいの楽天家じゃないとダメですね。ぼくなんか、かなりの楽天家だから、どんな失敗をしても一晩眠ると、すぐに元気を回復して、じゃ次の実験やりましょうという気持になる。いくらダメでも絶望しないしあきらめない。ぼくといっしょにノーベル賞をもらった超伝導のミュラーにしても、そんなものはできっこないとみんなからいわれていたセラミックによる超伝導を、何年も何年も失敗に失敗を重ねて、ついに成功してるわけですよ。あるいは、ちょっと畑はちがうけど、数学者の『フラクタル理論』のマンデルブロートなんか、あの理論を完成するまでに、四十年間も、来る日も来る日も同じことを考えつづけていたらしいですよ。その間、世界のいろんな研究室を三年か四年ごとに転々としながら、他にはあまり業績も挙げていない。だから教授にもなれない。だけど、そんなことは全く意に介さないで、ひたすら自分の研究を四十年間こつこつ一人で続けていく。そういう失敗にめげない楽天性と精神的強靭さが必要なんですね」
「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996
P18
視覚処理のトラブルで、ものがゆがんで見えることがある。あるとき、助けてください、ものが変なかっこうに見えると、がっちりした体格の人がきた。まっすぐなはずの柱がまがって見え、人のからだがみょうに引き伸ばされてゆがんで見えるという。ものの形が実物とちがって見える、変形視症だ。大きく伸ぴたり、小さく縮んでひしゃげたりするので、「不思議の国のアリス症候群」ともいわれている。CTでしらべてみると、右の後頭葉に脳梗塞があった。
「カンブリア宮殿 村上龍×経済人 社長の金言」村上龍、テレビ東京報道局=編、日経ビジネス人文庫、2009、P19、永守重信(日本電産社長)×村上龍×小池栄子
社員にやる気を出させる経営者が本物
村上 永守さんといえば”M&Aの神様”のように言われることもありますが、企業を買収してもリストラはしないそうですね。それはポリシーなのでしょうか、それともリストラする必要がないような会社を買収しているのでしょうか。
永守 私は基本的に人間の能力を大きく分けるとIQとEQというのがあると思っています。頭がいいとか、立派な大学を出ているといったIQ的なものはそんなに大きな差はありません。我々が多くの社員を見ていても、天才は別にして、人の能力の差はせいぜい、秀才まで入れても最高五倍でしょう。普通は二倍くらいですよ。しかし、やる気ですとか、EQというのは、百倍の差があります。
いくら注意しても、怠ける、働かない、遅れる、休む、もう何をやっても不良品を作り続ける。こういう方は別ですが、IQがないからといってその人が役に立たないということはありません。だから私は創業以来、「君は能力が低いから辞めてもらう」とは、一切、言ったことはありません。「君は怠け者でいくら言っても会社に来ないし、いつも昼寝ばかりしている。だから君はもういらない」とは言いますけどね。
でも普通、会社にそんな人はいないですよね。頭が良くないとか、能力がないとか、レスポンスが遅いとか、そういう理由で「君はいらない」とは、言ってはならないと思っています。
また、だいたい怠けていてやる気がない人というのは、何かはっきりとした要因があるんです。それはほとんどの場合、経営者に問題があります。社員が一生懸命働かない会社の要因は、八割が経営者にあります。だから、できない社員だからという理由でクビを切るべきではなく、本来辞めていかなければならないのは経営者なのです。
小池 その人のもっている能力をうまく使いこなすのも、経営者の役割ということですか。
永守 そうです。
村上 日産を立て直したカルロス・ゴーンのやり方はどうなんでしょう。
永守 あの方も結局、社員の士気を高めたわけですよね。リストラをしたことについては、私は評価をしていませんが、社員の意識を変えた。リストラなしで再建されていたら、もっと素晴らしいでしょう。。
村上 能力よりもやる気ですか。
永守 そうです。現に我が社でも毎年、四百から五百人くらいの新人社員を採用していますが、いまだに学科試験はしたことかありません。また、大学の成績も、あまり信用していません。
私のこれまでの経験では、学校の成績がいいからといって、入社後の働きがいいかというと、まったく関連性はありませんでした。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P244澤口俊之(脳科学者)
●社会関係と言語が脳を大きくした
澤ローーー私は先ほどから、前頭連合野が自我の場所だと言っていますが、人の場合、そこが壊れてもIQなんかはあまり変化しないんですね。ところが自分らしさとか、将来に対する夢だとかはなくなりますし、自分自身に関心がなくなるんです。
仮に前頭連合野をサルで破壊しますと、社会関係がおかしくなるんです。追試があまりないので確かかどうかわかりませんが、前頭連合野を破壊したボスザルは体力的には全然問題がないのに、地位が下がって群れから追い出されるという報告があります。そういうことを総合すると、やっぱり自我の一番関係する前頭連合野は、社会関係の中からできてきたんじゃないかと思っています。
その起源は多分、真猿類が出現したときです。原猿類は前頭連合野が非常に狭いんですね。それとワーキングメモリーなど高度な働きをする領野がないというデータがある。それがつけ加わったのが、ちょうどど真猿類のころです。原猿類には夜行性の単独生活者が多いんですが、それが昼間に生活するようになって社会関係を持ち始めた。ちょうど真猿類誕生のころで、そのとき前頭連合野が発達し、そこから自我が出てきたんじゃないか。
さらに人間の場合は、言語というもうひとつ別なレベルで自分自身を振り返る道具を待ったおかげで脳が大きくなったと思います。脳が大きくなったから言語ができたという説もあるんですが、私はそうは思っていません。
養老ーーーだいたい自分が何をしているかがわかっていなければ社会生活は送れないわけだから、自我の発達に社会関係が非常に重要だというのはそのとおりです。自我というのは意識と表現してもそれほど違わないと思うけれど、その意識ができ上がってくるためにどうしても必要なのは多分、脳の同じ部位を多重に使うということです。
自分が何をしているかを意識するには、脳自体が脳の中のいろいろな機能を一応わかっていないといけない。そうすると、脳の中でそうした機能はある程度広がってなきゃおかしい。しかし、脳は有限だからあまり広げるわけにはいかない。だから、あっちの機能とこっちの機能が重なる。
僕はいつも言うんだけど、目と耳なんか一緒になるわけないじゃないかと。だけど、脳の中ではそれを一緒にしなきゃならない。そう考えると、意識の登場にはある意味で進化的な必然があるわけですよ。
澤ローーー聴覚と視覚に関してワーキングメモリーの実験をしていますが、やはりどこかで重ならないとまずいですよね。神経細胞レベルで、ある細胞は視覚寄り、ある細胞は聴覚寄り、そしてある細胞は両方ともというのがあるはずです。視覚でとらえても聴覚でとらえても、同じ場所は同じだという意識になるわけですから。
「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996
P7
神経内科のことを英語ではneurologyという。直訳すると神経学である。しかし、日本ではわざわざ神経内科という。かつての日本医学の師匠だったドイツでは、脳などの神経システムの病気は精神科のドクターの領域だった。だから、心や感情の病気をみる診療科を精神神経科といった。そのために、脳のトラブルでマヒやふるえなどがあっても精神症状のない患者さんには、神径科はかかりにくい科になってしまった。戦後にお手本としたアメリカでは、神経学は内科の一分野である。だが、日本では神経科はすでに精神科とほぼ同じ意味になっている。で、神経内科という言葉がつくられたのだ。
神経内科からみて精神科と反対のサイドにあって、より唯物的なのが脳神経外科だ。脳や血管を切ったり焼いたりして病気をなおそうとしている。脳腫瘍であれ、血管障害であれ、出てくる症状は脳の機能異常なので、神経内科医が診断にあたることが少なくない。胃腸の病気と同じで、観血的という、外科的な治療法がよいものは脳外科医のメスさばきの冴えが求められるし、内科的に治療できるもの、そうしたほうがよいものは神経内科医がおこなうことになる。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P227正高信男(京都大学教授)
●言語中枢が左脳にある理由
正高ーーー最近、耳の聞こえない人たちの手話についても調べているんですが、結構いろいろ興味深いことがわかってきました。本当の手話使用者、つまり手話を早期に第一言語として習得した人というのは左利きの人が多い。言語として手を用いる行為の中枢が左脳に形成されると、非言語的に手を用いる行為の中枢との間に分離が求められるのかもしれません。非常に環境要因のプレッシャーが強いとみんな右利きになっちゃうとか。
養老ーーー私も左利きを直されました。多分、幼稚園ぐらいのときに、小学校へ入るというので親から直された。
正高ーーー別に問題なく直りましたか。
養老ーーー直りました。ただ、若干左利きが残っている。
正高ーーー途中で左利きを矯正された医者は救命救急センターヘ行ったらつかい物にならないと聞いたことがあります。いざ何か緊急事態があったとき「メス」と言われても、矯正された人は一瞬混乱して体が動かなくなってしまうというんですが、本当ですか。
養老ーーー確かに急場のときに体が動かないということは経験しています。握力を測ったことがあるけど、左右全く同じです。普通、どっちかが強いですよね。だから、そういうとっさの判断をしなくてはならないときは、具合が悪いんじゃないですかね。
正高ーーーうちの上の子供は左利きですけどね。ほうっておきました。
養老ーーー東大文学部の入試の監督をやったことがあるんですけど、四〇人のうち四人が左で書いてました。最近は親も無理に矯正しようとせず、ほってあるんだなという感じですね。
正高ーーー自然状態では圧倒的に右利きが多い。でも、どうして言語中枢は左の脳にあるんでしょうね。
養老ーーー言語は相当複雑な協調運動です。右利きというのは複雑な運動系が右側優位ということだけれど、首の所で神経系は交差して左右逆転しますから、言語のように複雑な運動系を要する技術は左に来るんじゃないか。
平成26年9月4日(木)に東京医科歯科大学同窓会熊本県支部の支部会があり出かけてきました。熊本大学医学部准教授の北村先生(医38)が山梨大学医学部の教授就任が決定し、そのお祝いと送別会、村山先生(医48)と濱田先生(医53)が新しく熊本に来られたのでその歓迎会を兼ねた支部会です。
北村先生は熊本での生活がもう18年にもなるそうです。教授選にあたっての同窓の色んな先生の協力と苦労の話を聞いて、教授になるのはつくづく大変だなと思いました。(ここで思い出しました医学部の教授選といえば山崎豊子さんの「白い巨塔」。財前五郎の対抗馬は金沢大学の菊川教授。院長と同じ苗字です。)
あと驚いたのが、東大ボディービル部出身で医学部学生でありながら、ボディービルダーとしてタレントとしても活躍して早逝した北村君がいたよねと話を向けたら、北村先生元同級生で隣の席だったそうです。そういえば同じ苗字ですわ。
北村先生本当におめでとうございました。山梨でも元気でご活躍下さい。
新人の村山先生は横浜出身、濱田先生は奈良出身だそうです。熊本に早くなれて下さいね。これからもよろしくお願いします。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P177
養老ーーー神経疾患の患者さんのリハビリが可能なのも、本来の回路が壊れてしまっても、別のところを使って、似て非なることができるようになるからです。神経内科の医者は、「病気になってから時間が経つと症状があいまいになってしまう。起こりたてのほうが診断がつきやすい」とよく言います。時間が経つと代替回路ができて、症状としては軽くなっていくんですね。
「ヒトラーの震え毛沢東の摺り足 神経内科からみた20世紀」小長谷正明、中公新書、1999
P160
エリツィンはボリス帝王などと陰口もたたかれていたが、帝王病なるものもある。痛風のことである。かつてふんだんに肉食ができた王侯貴族に多い病気であったから、そうよばれた。それと、痛風の原因である尿酸の血中濃度が高い人は攻撃性が強く、トップになる人は、性格的にも痛風になりやすい。酒豪でもあるボリス帝王の血中尿酸値は高いのかもしれない。そして、痛風は、糖尿病とならんで動脈硬化を促進する。
「この一冊でiPS細胞が全部わかる」石浦章一監修、金子隆一、新見裕美子著、青春出版社、2012
P160
2010年、東京大学の研究チームは、遺伝子を操作して膵臓をつくれない状態にしたマウスの体内にラットのiPS細胞を導入した。するとiPS細胞は移植先に膵臓がないことを検知し、自発的に膵臓に分化した。そしてマウスという異種生物の体内であったにもかかわらず、ちゃんとインスリンを生産する立派な膵臓に成長したという。iPS細胞から体内で実際に機能する立体的臓器がつくられたのは、おそらくこれが世界初と見られている。
この例は興味深い示唆をいくつも含んでいる。とくに誘導培養を行わなくとも、ただiPS細胞を注入するだけで必要な臓器が形成されたということは、生物の体には、われわれが想像するよりはるかに強力な自律的補完性とでも言うようなものが備わっていることの証拠かもしれない。このメカニズムが解明されれば、臓器の再生医療がいっきに現実性を帯びてくる可能性が出てくる。
また、さきほどの実験で用いられたマウスとラットは系統上ヒトとチンパンジー以上に離れており、異種生物の体内でヒトの臓器を常時培養しておく技術的可能性をも示している。培養臓器の人体への臨床応用の時期は、一歩一歩近づいてきているようなのである。
「この一冊でiPS細胞が全部わかる」石浦章一監修、金子隆一、新見裕美子著、青春出版社、2012
P160
日本には潜在的な患者も含めると2200万〜2400万人もの糖尿病患者がいると推測されており、糖尿病とその合併症に対する医療費は年間約2兆円に達するとされている。 しかしいまのところ糖尿病に有効な治療法は存在しない。かろうじて、先天性のI型糖尿病患者にインスリンを分泌する膵臓のランゲルハンス島細胞を移植することで緩和的治療が可能な程度である。
そのため再生医療の世界では糖尿病の完治法の開発も重要なテーマとされてきたが、2011年、東京女子医大准教授の大橋一夫らは、培養したランゲルハンス島細胞でつくった細胞シートを皮膚下に移植するという方法で、糖尿病のモデルマウスの血糖値を完全に安定させることに成功した。
この実験ではマウスのランゲルハンス島細胞のシートを直径2センチまで育て、それを糖尿病マウスの背中の皮膚の下に2枚重ねて移植した。このマウスを4ヵ月間観察したところ、移植を受けた11匹すべてで移植4日目から血糖値が平常値に戻り、糖尿病の症状がすべて消失したという。
従来のランゲルハンス島細胞移植は、実際にはドナーのランゲルハンス島細胞を肝臓の動脈に送り込み、肝臓内に細胞レベルで定着させるものである。これでもインスリンは分泌されるが、その効果は安定せず、血糖値はなかなか正常植までは下がらなかった。すなわち前記の実験は、少なくともマウスにおいては史上初めて糖尿病を完治させたわけである。
同チームは現在、カナダのアルバータ大学と共同でヒトiPS細胞にもとづくランゲルハンス島細胞シートの開発に取り組んでおり、近い将来臨床試験にこぎつけたいとしている。もしかすると20年後くらいには、糖尿病はたとえ発症しても症状の現れない、飼いならされた病気になっているかもしれない。
夏の甲子園三重高校残念でした。三重高校出身の田上前歯学部長の副学長転出にともない空席になった歯学部長に森山教授が4月からなり、同級生によるお祝いの会が開かれ、平成26年8月23日(土)に午後を休診にして出かけてきました。場所は表参道の結婚式場・宴会場です。
「渕先生を偲ぶ会」には海外出張中で来られなかった森山教授久しぶりに会うと気負いも衒いもなく自然体で、いい感じで肩の力が抜けていました。小栗さん、向山君は来られなくて、会場は自由席で、森山教授、馬場教授、院長のラグビー部3人衆が隣り合わせて座れました。院長の右側には大川君、石川君、渡辺君。「春日部しんちゃん」も遅れて来ましたが近くに座っていました。新中先生、来賓の腰原先生も同じテーブルでした。大川君は北海道から、沖縄の天願君も見かけましたから、文字通り北は北海道から南は沖縄まですごいメンバーが集まりました。森山教授と院長は国際矯正学会の横浜招致成功の興奮が蘇り、話が盛り上がりました。あれは本当に達成感のある共同作業でした。ここ10年ぐらいで1番興奮したんじゃないでしょうか。
森山教授は同業者の間では相当有名人になっているようで、みんなのスピーチでも「森山くん」と馴れ馴れしく話かけたら周りの人に驚かれたというような話がチラホラ聞かれました。あと渕先生を亡くしたばかりのせいか、健康をみんな気遣っていました。あの感じなら大丈夫でしょう、結構楽しそうにしてました。「ボスはストレスがない」という話もありますし。
今年2度目の上京ですが、楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。
いつも泊まるところを悩むのですが、今回新橋に泊まってみました。銀座線で表参道まで11分。えらく便利でした。そして気付きました。幹事の長井くんが新橋開業だから、会場は新橋起点に考えられてるんじゃ?新橋に泊まればいいんじゃないか、と。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P227正高信男(京都大学教授)
●日本人の笑い、米国人の笑い
養老ーーーそれで思うんですが、日本人と米国人の笑いの違いというのはどうなんでしょう。
正高ーーー同じような顔をしていますけど、やはり日本人歌手の中島みゆきと米国人女優のメリル・ストリープの笑いは違うんです。どこが違うかというと、米国人の笑いは垂直方向の筋肉の収縮がすごく強いんです。日本人は、水平方向にしか収縮しない。でも日本人は、米国人のような笑いの方が魅力的だと判断するんです。
それは別に実験しなくたってわかります。なぜかというと、日本ではそういう職業があるからです。笑いのトレーナー。普通、日本人は水平方向に筋肉を収縮させる笑いしかしないから、それを垂直方向に収縮させるように笑うと魅力的だと教える商売です。米国だったら、こんな商売はないでしょう。
じゃあどうして米国人のように笑うのが魅力的なのか。実は、本当の笑いと面白くもないのに作為的に笑うのを比べると、作為の笑いの方が左右の非対称性が大きくなるんです。普通は、本当の笑いと作為の笑いはなかなか区別しにくいんですが、垂直方向に筋肉を収縮させると左右の非対称性が顕著になる。本当の笑いと作為の笑いを区別できた方が心の動きが読みとれていいだろうということで、そういう笑いの方をより魅力的と判断するのではないかということなんです。
養老ーーー確かに、中島みゆきの笑い顔を見ても、とても笑っているようには見えない。
正高ーーーしかし日本人の笑いって、写真で撮ると大体そんなふうになっちゃうんですよ。どうしてそうなるかっていうと、推測ですけどやっぱり使用言語の違いだと思うんです。日本語というのは母音の数が少ないですね。だから、さっきの話にもあったようにリップ・リーディングできないほど、非常に唇の運動をあいまいにしながら声を出しているんです。
養老ーーーそれに、さらに文化的な裏があるような気がしますね。日本人は昔から無表情と言われている。
正高ーーーだから読み取る方の力でコミュニケーションをとるんですね。日本人の笑いを見ると、やはり神秘的な微笑というふうに感じます。顔の筋肉の動きが全然見えなくて、口角まで不明瞭なんです。そういう笑いだと、それこそ本当の笑いと作為の笑いが区別できない。だから何となくミステリアスに感ずるのだと思います。
「この一冊でiPS細胞が全部わかる」石浦章一監修、金子隆一、新見裕美子著、青春出版社、2012
P194
日本人は驚くかもしれないが、こうしたヨーロッパ諸国では教育レベルの高い人々でも”iPS細胞”という言葉や概念をまったく聞いたこともなく、もちろんそれが何かも知らない。その理由は幹細胞一般が国家的政策および一般社会の意見によって広範な不信感に直面し、拒絶されてきたからである。
オランダ、イギリスおよびスカンジナビア諸国の法律はリベラルであり、幹細胞研究を許容している。他方、ドイツ、フランス、イタリアでは、幹細胞の研究者に厳しい束縛を課している。そうした法的規制の根源にあるものーーーそれは宗教的、倫理的な信念、医学界産業界の複合体に対する根強い不信感、そして何でも規制したがる多数の人々の圧力といったものである。
たとえばドイツで1990年につくられた胚保護法は、卵細胞を受精の瞬間から保護の対象としている。ドイツ政府はこの法律により、ヒトの胚から幹細胞を取り出すことを禁じている。ES細胞は人間へと成長する分化全能性をもっているという理由からである。つまり受精卵には”人間としての尊厳”があり、誤った使用や破壊から保護されなくてはならないというものだ。研究者に残されている唯一の”裏道”は、厳しい規制の中で外国からES細胞を輸入するという方法である。
ドイツ人研究者の大半は、受精卵に人間の尊厳が存在するという見方に同意してはいない。彼らにとってiPS細胞は自らの研究を容易にしてくれる有益なものだ。胚を破壊することなく多能性細胞をつくれるからである。
多くの科学者がいまこの方法を精密化する研究に取り組んでいる。彼らの努力はアメリカや日本の研究領域と競争することはできないものの、にもかかわらずこの分野に大きな貢献を果たしつつある。
その興味深い事例が分子生物学者ルドルフ・ヤニッシュである。ヤニッシュは1980年代にアメリカに渡り、MIT(マサチューセッツ工科大学)で研究を始めた。2007年、彼はマウスの皮膚細胞からiPS細胞を作成してヤマナカの発見を最初に再確認することになった。そしてこれが、当時まだ無名だったヤマナカに先駆けてこの分野のブームの火付け役となった。
ヤニッシュは幹細胞研究を倫理的、宗数的理由から規制することに強く反対し、「ドイツで行われているナンセンスな規制はまったく理解できない」と述べている。
ヤニッシュはドイツに帰国しようとは考えていないが、他方、彼の同僚ハンス・ショーラーは対照的である。ショーラーはアメリカで何年か研究した後ドイツに戻って、有名なマックスプランク分子医薬研究所所長となった。
5年後、ショーラーは4つの遺伝子(ヤマナカ因子)の代わりにoct-4と呼ばれる遺伝子ひとつだけでiPS細胞をつくる方法を見つけた。さらにその数力月後、彼のグループは遺伝子を使用せずたんぱく質だけを用いてiPS細胞をつくり出した。彼はこれに「piPS(たんぱく質誘導多能性細胞の略)」と名づけた。
ヤニッシュはヤマナカの発見を「途方もないブレークスルー」と呼んでいる。彼はあるドイツの科学雑誌に、「iPS細胞によってさまざまな倫理的問題は消滅してしまった」と語っている。
だが彼は強い調子で「ES細胞が非常に重要であることにはいまも変わりがない」とも言う。ES細胞はさまざまなiPS細胞がどの辺に位置するかを参照する基準点であり、「この"黄金のものさし”があってはじめて、生み出された多能性細胞がどこまで本物か立証することができる」と述べている。
「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999
P182
味覚の語彙はなぜ少ない
養老ーーーにおいという感覚がとらえにくいのは、脳の構造と関係があると私は思っています。嗅球から伸びた神経は、二つに分かれて、一方は大脳の新皮質に入るのですが、もう一方は辺縁系に入る。つまり嗅覚の情報の半分は、いわゆる「古い脳」のほうへ行ってしまい、言語機能をもつ新皮質には届かないんです。視覚の場合は、情報がすべて新皮質に入りますから、目で見たものは言葉で表現しやすいのですが、半分しか届かない嗅覚ではそうはいかない。だから、においの表現は何々のにおいというように勝手に決めてしまう感じになる。 味覚も同じで、情報は半分しか新皮質に入らない。だから料理番組では「おいしい」としか言えないんですよ。意識にのぼってくる部分だけしか表現できないから、そうなっちゃうんです。視覚がわりあい内省的に理解でき、言葉にしやすいのに比べて、嗅覚や味覚が言葉にしにくいのは、そういうところに理由があると思います。
「漱石の病跡」千谷七郎、勁草書房、1963
P84(院長註:筆者は元東京女子医大精神科教授、1912〜1992)
ゲーテの自叙伝『詩と真実』第三部はゲーテ五十五才頃の作であるが、その第十三章に次のような叙述がある。
「人生の一切の快適は外的事象の規則正しい回帰に基づいている。昼夜、四季、結実開花の交代、そのほか時折毎に日頃吾々を迎えてそれを吾々が楽しむことが出来る如く定めているものこそ、この地上生活の本来の推進力である。吾々がこの享受に開放的であればある程、それだけ吾々は仕合せに感じるのである。併し一旦この現象の推移変遷の動揺を感じて、それに関与することがなくなって、かかる優雅な提供を感受しなくなると、此処に最大の禍、最も重篤な病気が始まるのである。即ち、人生を厭わしい重荷と見なすことである。……」と。
この、原文でも僅か十行に過ぎない叙述の含蓄するところを、それが十分の説得力をもつほどに説明するには、ゆうに一冊の書物になるであろう。併し、これをそれなりに味読するならば、さすが文豪の臆裡に発する叙述であるから、どんな細目的説明も届かないものに味到させてくれる。内因性欝病の本質はこの十行に尽きるといっても差支えないほどであるからである。従って今後此処にゲーテが用いている巧みでもあり、当然また適切な表現を籍りながら、漱石の未だ認識が届いていなかったところの足しにして行きたい。
一郎の孤独、生き甲斐の喪失、従ってその自然の成り行きである厭世は、正さに此処でゲーテのいうところの「最大の禍、最も重篤な病気」の症状である。それは「この地上の本来の推進力」に生じている異変に発している。謂わば生命的推移の変動に由来するものである。これに較べれば、社会的な成功や失敗挫折(フラストレーション)、利害得失、好悪苦楽などは表面の出来事で、この地上生活の本来の推進力ではない。漱石が「私のは悲観ではありません、厭世なのです」と書いているのは、この消息から見なければならない。
さて、この本来の推進力は、昼夜、四季、結実開花の交代、共の他時折毎の自然に、ゲーテによれば優雅な提供に、関与させ、開放的にしている、謂わば宇宙の推移と一体となって共属的に推移している個々の生命の根元現象の事柄であって、それは生命推移のリズムなのである。この事に此処で詳しく立ち入ることは出来ないが、例えば、地球の自転と太陽との関係において現われる二十四時間リズムは、この生のリズムの一つであるが、それは夜間労働其の他生活様式に係らず、その人の逗留地毎の二十四時間リズムに制約されているむのである。吾々が飛行機でロンドンに着けば、着いた日から吾々の生体は健康であれば、ロンドンの昼夜のリズムに順応変化する。決して東京の夜昼を持ち込むことはない。
ゲーテが十行ばかりの文学的表現の裡に叙述しているのは、この生のリズムの根元性なのである。この生のリズムに乱れが生じると、「最大の禍云々」となって、一郎の言葉を以てすれば「……肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させる事が出来なくなってしまつたのだ。……」ということになる。「肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させる事が出来」るには、「この地上生活の本来の推進力」が狂っていては出来ない。一郎の孤独はお直の性情に由来するものでもなければ、また大学教授の孤高の淋しさでもない。生命的或は情感的とでも言うべき関与性能が稀薄になった、謂わば生命的孤立なのである。開放的でなくなって、「内にとぐろを捲き込む」(『彼岸過迄』)ような閉鎖に陥っている姿である。開放的ということを馬鹿の開け放しのように誤解してはならない。「優雅な提供」に開かれている心情である。その反対が此処で言う生命的孤立である。お直に対する不和、不信はその結果であって原因ではない。お直は「相手から熱を与へると、温めうる女であった」。リズムの狂いは琴瑟の不和のみならず、親、兄弟、他人とも心が通わず、それどころ知、全宇宙とのくいちがいを生む。
今、生命的、或は情感的関与ということを言ったが、実はあらゆる知覚作用はこの関与があって始めて成立するもので、知覚の歪みは、無論それのみではないが、最も生命的なものとしてこの関与の妨げから生じる。講壇心理学は知覚成立の条件であるこの情感関与性を見失って既に久しいのであるが、此処でその批判に立ち入ることは煩わしい。ともかくリズムの異変や、生命的孤立が其の人の挫折や失敗、或はまた心配事や心術の特殊などから生じないで、それらと殆んど無関係に生理的・位相的に生起するので病気と呼ぶのである。
「漱石の病跡」千谷七郎、勁草書房、1963
P62(院長註:筆者は元東京女子医大精神科教授、1912〜1992)
私は学生の頃に『心』を読んだときは、何となく『心』の先生の倫理観のきびしさのようなものに打たれたような気持になった覚えが残っているが、最近読んだ感じではそれほどの感動も覚えないどころか、何か空々しい感じすら受ける。漱石が自殺に或る関心を示すのは、厭世から来ているのであって、この厭世はやがて説明することになるが、欝病から来ている。
ちょうど此の頃のことである。漱石自身林原耕三宛書簡其の他に言っている。「私のは悲観ではありません、厭世なのです」と。それは、ともかく生き甲斐を失って、生きることが嫌になっている気持である。此の際の悲観は仕事の成功失敗に関する感情で、その点では漱石に悲観はないであろう。それらを超えてそれ以前に既に生き甲斐を失っているという妙な気持であって、これが自殺の観念につながっているのがその頃の真情であったと思われる。併し『心』の先生の自殺はいわゆる清算自殺である。欝病者の自殺は清算自殺などではなく、罪責感につながることはあるにしても、結局は厭世の極、厭世感情や苦悶の渦巻きの中で自殺するのが一般である。『心』は、漱石の本心の厭世感を、通俗的な清算自殺に結びつけて構成したところに、体裁をつくろった不自然の無理があって、力のない作品にしてしまったと思う。
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