「生物は重力が進化させた」西原克成、講談社ブルーバックス、1997
P181
免疫を考え直す
自己と非自己を見分けるシステムを免疫現象の本質としている今日の免疫学は、老練の名医には不評である。というのは、免疫病といわれるもののほとんどすべてが迷宮入りとなり、治療ができなくなってしまっているからである。免疫病は、発症する体の部位によって、だいたいは膠原病(皮下組織)、リウマチ(関節)、白血病(白血球造血巣)などに分けられる。しかし、実際には体をつくるすべての臓器・器官に発症し、今の免疫学ではこの発症の原因もメカニズムもまったく把握できないのである。
ルドワランの胎生期のウズラとヒヨコの移植実験から始まった今日の自己・非自己の免疫学は、そもそも自然界でまったく起こりえないことを前提にしている。しかも、組織免疫、すなわち臓器移植のときの問題だけがクローズアップされている。だが、筆者のおこなった実験によれば、サメには主要組織適合抗原がない。つまり、サメや円口類では自己・非自己の免疫学は成立しないのである。
筆者の考える免疫の本質とは、白血球やリンパ球、組織球はもとより、生体を構成するすべての細胞における、細胞レベルの消化である。抗原抗体反応も、他人の組織に対する拒絶反応も、すべて細胞レベルの消化の一つの様態にすぎない。毒物や細菌、ウイルス、寄生虫、異種タンパク質などの消化がうまくいかなくて、消化産物で皮膚や気道粘膜に障害を生ずるのがアレルギーである。白血球や組織球は、ある物質や細菌、ウイルスなどにあうと、自動的に遺伝子が発現して消化を始める場合と、それらをそのまま共存させる場合がある。これらの反応のしかたは相手によって、あるいは体の状態(元気か、疲れているか)によって決まってくる。
そして、おもな免疫病は、白血球がバクテリアやウイルスを生きたまま抱え込んでしまうことが原因なのである。こうなると、白血球の膜の性質が変化し、遺伝子にも一部バクテリアやウイルスのものが入ってしまうため、正常な白血球とは違ってくる。抗核酸抗体もでき、このバクテリアやウイルスを抱え込んだ白血球が巣くったところを、正常な白血球が消化を始めるわけである。
ではなぜ、白血球がバクテリアやウイルスを抱え込んでしまうのだろう。その原因は意外なところにある。ヒトの鼻とのどには扁桃リンパ輪という臓器があり、じつはここでも白血球がつくられている。そして、ここが絶えず乾燥したり、空気が停留したりすると、常在菌やウイルスが白血球の中に共存するようになるのである。そして、乾燥と空気の停留の原因が意外にも、口呼吸なのである。言語を獲得したヒトだけに可能な口呼吸は、体の構造的には重大な欠陥だっのだ。
「姿勢を正し、あごを引き、おなかで呼吸しなさい」と、昔は小学校で習った。現代人は猛烈な忙しさの中で骨休めをおこたり、鼻呼吸より楽な口呼吸に走り、免疫病にとりつかれつつある。"スーパーシステム"のようなわけのわからない概念をもち出すことなく、これからは病気の治せる免疫学を構築していかなければならない。われわれ生命体が、宇宙という環境に生まれたエネルギーの渦でしかないことを考えれば、自己・非自己を区別すべく免疫系ができているなどというのは、進化を人間の価値観でしか見ていないダーウィニズムとまったく同じ、観念論でしかない。