フェスティンガーの認知的不協和理論

「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999

P308(院長註:菊池は菊池聡信州大学人文学部教授)

●安月給に耐える術

養老ーーー私のような歳になっても、心理学的なものの見方を教えられると、かなりインパクトがあるのは確かです。私が実に面白いなと思ったのは、人はどういうときに仕事にやりがいを感じるかという話です。被験者を二組に分けて、つまらない仕事を同じようにやらせ、片方の組にはかなり高い報酬を払い、もう一方の組には少ししか報酬を払わない。そのとき、この仕事はやりがいがあると主張するのはどちらの組かという問題があるんですが、答えは少ししか払わないほうなんです。

菊池ーーーフェスティンガーという人が提唱した「認知的不協和理論」ですね。人間には、自分の中ですべてが一貫していると思いたがる傾向があって、それが基本的な動機付けになるという説です。つまらない仕事なのに、それをしてしまったということは、自分の中で矛盾になってしまう。そのときに報酬が高ければ、それだからやったとごまかせる。ところが、低い報酬でやるとどうしようもないけれど、その仕事が好きだったとか、本当はやりがいがある仕事だったんだと考えて自分の中で一貫させるんです。

 たとえば、カルト教団が、信者につまらない仕事や布教を強制したり、新人社員の研修会で、普通だったらやらないような恥ずかしいことをさせたりするのも、そういう効果があるからだと解釈できます。そういう意味で、非常に影響力があった説です。

養老ーーー私は、安月給で長年大学の教師をやってましたから、「あ、これか」と思いました。これは立派な仕事だと、自分に一生懸命言い聞かせてやっていたんだと合点がいった(笑い)。

菊池ーーーそういうふうに、自分はこう思って行動しているんだなと、考えている自分をもつことを「メタ認知」と言います。立派なクリティカル・シンキングの姿勢です(笑い)。

 学生も超常現象について心理学的にはこう解釈できると教えると、結構インパクトを受けるみたいです。養老先生は、人を変えてしまうのは恐ろしいことだとおっしゃいましたけれど、私は、できれば変えてみたいと思いますね。

養老ーーーそれは、お若いからかもしれません。私が、人を変えていいのか悪いのかと考えるようになったのは、五〇歳を超えてからですから。菊池先生は学生たちに年齢が近いから、彼らの感覚がわかって「変えてみたい」と言えるのでしょう。教育者というのは、ある意味で近い世代じゃなきゃ、いけないということですね。

クリティカル・シンキング

「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999

P304(院長註:菊池は菊池聡信州大学人文学部教授)

●大学の役割

菊池ーーー教育の現場で見ているとやはり学生は未熟な存在だと思います。いろいろな人と出会う中で、たとえば霊感商法みたいなものに引っかかってみたり、もっと身近なことで思い違いをしたりします。そういう落とし穴にはまらないようにするために、クリティカル・シンキングという姿勢を学生に植え付けたいと思って授業をしています。

 クリティカル・シンキングは、批判的思考と訳される場合もありますが、決して誰かにケチをつけるという意味ではなくて、自分自身の心を冷静に見つめようということなんです。心理学的に見て錯誤が起こりやすい状況があることを認識し、できるだけ仮説は仮説としてものごとを捉え、正しく因果関係を判断するような姿勢を身につけようということです。いわば、ものの考え方の技術で、米国では大学の正規の授業として教えられています。

 超常現象というのは、そのための格好の題材なんです。錯誤を起こしやすい要因がたくさん詰まっていますからね。それに、たいていの学生は、超常現象について深く考えたことがあるわけではなくて、なんとなくUFOは存在するんだとか、占いは当たるんだとかと思っています。だから授業では、じゃあ、なぜそう思うのかというところから入って、自分の心の動きについて考えさせるんです。

養老ーーーそういう授業を学生はどう思っているんですか。

菊池ーーー超常現象をテーマにしたのは成功したと思います。ただ、学生は興味をもって集まるんですが、知識伝達型の授業と違って自分で考えなければなりませんから、それをつらいと感じる学生もいるようです。超常現象を入り口にして、心理学的な考え方の面白さを見てほしいのですが、こちらがそこまで引きずり込む前にやめてしまう。

 授業に出ていても、どこまでクリティカル・シンキングの考えが身に付いているのかはわからないんです。いまの学生は、大学でやっていることと、自分の個人的なことを完全に切り離しちゃってますからね。本来なら、大学でものの考え方とか人の心の落とし穴について学んだら、それが自分の生活の中で生きるはずなんです。自分はどこかで思い違いをしていないかとか、こんなことをあっさり信じてしまうのは何かおかしいのじゃないかというふうに。ところが、いま学生はそうじゃない。大学の授業は授業として、知識として覚えておくけれど、自分の生活とは別物なんです。

細菌に人間のタンパク質をつくらせる

「新分子生物学入門 ここまでわかった遺伝子のはたらき」丸山工作、講談社ブルーバックス、2002

P176
 細菌に人間のタンパク質をつくらせる

 遺伝子工学の最初の成功は、人間の腎臓のホルモンであるインスリンの遺伝子を大腸菌に組み入れ、インスリンを合成させたことであった(一九七八年)。遺伝子工学企業ジェネンテク社(サンフランシスコ)の技術を導入したイーライ・リリー製薬会社は商品化に成功し、一九八二年には発売許可を得た。細菌製インスリンは、糖尿病患者に効果があり、間もなく、市販された。それまでは、ウシの腎臓から抽出精製されたものが使用されていた。

 ウイルスの増殖を阻止するインターフェロンも大腸菌でつくられるようになった。この場合は、インスリンと違って、従来は人間の細胞を培養して抽出しなければならず、純品を得るのが困難であった。したがって遺伝子工学によってはじめて大量の生産が可能となった。

 小人症に卓効を示す成長ホルモンも大腸菌でつくられるようになり、患者にとって朗報をもたらした。これまで死者の脳下垂体からごく微量抽出されるだけで、需要にまにあわなかったからである。

 今後、ホルモンや他のタンパク質で容易に得られないものが続々と大腸菌でつくられ、治療薬として用いられることであろう。原理的には、どの遺伝子も単離して大腸菌に組み入れることが可能である。

遺伝子組み換え作物

「新分子生物学入門 ここまでわかった遺伝子のはたらき」丸山工作、講談社ブルーバックス、2002

P177
 植物の遺伝子工学

 花屋でシンビジウムやカトレアのような高価だったランが、手ごろな値段で買えるようになったのはクローン(同一遺伝子を持つ群)栽培のおかげである。これは茎の先端の細胞を試験管の中で培養し、その細胞のかたまりから多数の植物を育てる方法である

 良い品種の同個体を数千数万と仕立てあげるわけだから、貴重な品種でなくなってしまうわけである。広島大学で一九八三年に、一年草の植物でもこの方法が確立され、薬用植物などの大量栽培に利用されている。

 遺伝子工学がもっともひろく応用されているのは、ダイズやトウモロコシなど食用栽培植物に外来遺伝子を組み入れた遺伝子組み換え作物(GM Genetically Modified〈遺伝的に改良した〉作物)であろう。除草剤に耐性のある細菌の遺伝子をダイズに組み入れたGMダイズは、一九九六年にアメリカの企業によって商品化され、一九九九年にはアメリカのダイズの大半を占めるにいたった。除草剤の害を防げるからである。日本はダイズのほとんどをアメリカから輸入しているので、とうふや納豆の製造にもこのGMダイスが用いられる可能性がある

 トウモロコシは、アワノメイガという害虫が大敵で殺虫剤の散布が必須であったが、ある種の細菌の殺虫性タンパク質の遺伝子を組み入れることによって被害を防げるようになった。一九九九年にはアメリカのトウモロコシの三割がこのGMトウモロコシになった。

 そのほか、日持ちのするトマトも実用化されている。これは、トマトの細胞壁の分解酵素の合成を阻害するアンチセンスDNA組み換えによるものである。アンチセンスDNA鎖とは、遺伝情報を伝えるセンス鎖と対をなすもう一本のDNA鎖をいう。アンチセンスRNAは細胞壁分解酵素のRNAと結合して、その伝令RNAとしての働きを阻害する。したがって、トマトの細胞璧が分解されなくなる。

 光合成能力の高いトウモロコシの遺伝子をイネに組み込んで収量を多くしたり、寒さや乾燥につよいタバコやイネをつくり出したり、さまざまなGM植物が実用化されつつある。また栄養価の高いダイズや、青い花のカーネーションやバラがつくり出されている。豆科植物の根に共生する根粒細菌のチッ素固定酵素遺伝子をイネやムギに組み込んで肥料を不要にする試みも進んでいる。GM植物はますます普及していくことであろう。

 しかしながら、組み換え作物の安全性については、まだ確立していない。とくに殺虫剤不要トウモロコシが他の昆虫に害があることから、人体への影響か心配されている。そこで、アメリカからのGM作物の輸入規制が日本やヨーロッパでおこなわれている。

どんな結果でも、すべてが楽しい

「プレイボーイの人生相談1996-2006」集英社、2006

P213

どんな結果でも、すべてが楽しい

●僕は、学校でテストがある日やクラブ活動で試合がある日に決まって緊張のせいか下痢になってしまいます。先日も大事なサッカーの試合の前に下痢になってしまい、普段の力を発揮することができませんでした。その結果、クラブの顧問の先生が怒ってしまい、僕は次の試合からスタメンを外されてしまいました。その試合に向けて一生懸命に練習したのに力を出しきることができなかったのです。日テレの『おしゃれ関係』というトーク番組で見事に5本連続フリースローを決めたことがある千春さん。どうすれば僕の胆っ玉はデカくなるのでしょうか。(院長註:回答者は松山千春さんです。)

●ジャンボ尾崎が言った。 「俺に千春の心臓があったら、すでに海外で5勝はしている・・・」 すかさず俺は言った。

 ジャンボ、お前はバカか?マスターズや全英プロでラウンドできるゴルファーが世界で何人いると思ってるんだ。世界の檜舞台でプレイできるんだ、感謝こそすれ、緊張する必要はなかろう?”ありがたいな”と言い聞かせながらプレイすればいいじゃないか。

 あるプロ野球の投手が俺に相談した。

 「千春さん、俺、打たれると急に自信がなくなるんです。このまま永遠に打たれ続けるんじゃないのかなって」

 これまたすかさず俺は言った。

 例えば、リーグ優勝を決める大事な一戦。得点は1対Oでお前のチームが勝っている。しかし、9回の裏。お前が打たれ始め、アッという間に2アウト満塁。ベンチはお前を交代させる気はない。

 そんな状況をお前がピシャリと抑えたらどうなる?拍手喝采の嵐だべ?お前の全身を震えるほどの感動が包むんだぞ。

 そんな感動を味わえる投手が、この世の中に何人いると思っているんだ?そう思ったら、マウンドでどんなピンチに立たされようとも、ありがたいありがたいと念じながら投げればいいことじゃないか。俺だってそうだ。小さな会場であろうと大きな会場であろうと歌わせてもらえるのだからと感謝しながら幕が上がるのを待っているのだ。

 そうだな。いい機会だからもう少し昔話をしよう。

 もう何年前の話になるのかな。北海道の真駒内という野外の会場でコンサートを行なった時、ありがたいことに客は5万人以上詰めかけたんだ。で、もうすぐライブが始まるという瞬間、俺は最高に中せだった。

 では、なぜ俺は最高の幸せを感じることができたのか。それは、真駒内で5万人の人闘を集めることができるシンガーはこの世の中で何人いるだろう? もしかしたら俺ひとりかも知れない。その選ばれた俺が俺の声で5万人を楽しますことができたら、これはもう比べるものがないくらいに気持ちいいことではないかと考えたからなんだ。

 歌い出しをトチったらどうしようかなとか、歌詞を忘れたら恥をかくなとか、これっぽっちも思わなかった。 だからな、ハガキをくれた少年よ。お前は、サッカーの試合に出られるくらいに毎日、練習してきたのだろう?そんなお前がまず何をしなければいけないかというとだな。自分の練習の成果に感謝して、次に頭の中で自分が試合に出た時に考えられる最高のシーン、例えば、自分ひとりでドリブルを決めて決勝のシュートを決めた瞬間を思い描きなさい。

 そういう常に自分にとって都合のいいイメージを植えつけることができれば下痢の呪縛から解き放たれることができる。

 どうせな、成功しようが失敗しようが最後は自分が責任を取るしかない。よけりゃ褒められるし、悪ければ罵声を浴びるのだ。だったら、常に最高のイメージの中に我が身を置きゃいい。

 そうすれば、どんな結果が出ようとすべてが楽しいじゃないか。活躍できなかったら、明日からお前が何をやらなければいけないかわかるだろ? 活躍すれば活躍したで、どこがよかったのかわかる。今度は、そのよい点を仲ばす努力を重ねればいいのだ。

 この楽しさ、ぜひともお前のような少年たちに身につけてほしいわな。日本の場合、楽しさというと、すぐに”快楽”だと理解しがちだが、それだけではないんだぞ、ということを理解してもらいたい。

遺伝子変異とシャペロン保護説

「新分子生物学入門 ここまでわかった遺伝子のはたらき」丸山工作、講談社ブルーバックス、2002

P166

 遺伝子変異が環境によって促進されるにしても、よほど変異の組み合わせが適切でないかぎり、生物は生存して繁殖できない。一九九八年に発見されたシャペロン保護説によると、シャペロンは、生存に不適当な突然変異を保護して正常に保つという。したがって、ある程度突然変異が蓄積したところで、形が大幅に変化することかありうるわけである。

 進化の上で重要なのは、多くの生物で同じ遺伝子が少なくとも二組ある事実である。重複遺伝子のいずれかに変異が起こっても、正常なパートナーの働きでまかなえる。そこで、やがて変異が有益な産物をもたらすようになれば、正常の方が休止することになる。

P194

シャペロン

 タンパク質の立体構造をつくる折りたたみを助けるタンパク質。 

芝居の原点は「感動」にある

週刊朝日2014.12.5号

スペシャル対談クリエーティブディレクター箭内道彦さん(50)脚本家倉本聰さん(79)

傷つける”怖さ”と向き合って

今こそ、福島を考える

P142

倉本 僕は芝居の原点は 「感動」にあると思う。終戦直後の学生時代、ジロドゥというフランスの劇作家の「街を歩いていたら、いい顔をした人に出会った。彼はいい芝居を見た帰りに違いない」という言葉を知ってね。

箭内 いい言葉ですね。

倉本 それが僕が芝居を書く原点になった。見て感動して、いい顔で帰ってくれたらいい。当時は主義主張やメッセージ性の強いプロパガンダ演劇が流行っていた。あれは嫌でしたね。

箭内 倉本さんが考える感動とは何ですか?

倉本 人間は唯一感動を共有できる動物です。映画館や劇場で隣の席に座った知らない者同士が、一つの作品に笑ったり泣いたりできる。家にようやくテレビがやってきたころは、感動も時間も家族みんなで共有できた。それが一人一台になり、DVDやネットが普及して、どんどん分散するようになってしまった。日本が金持ちになったことで感動の作り方は難しくなった気がします。実は長い間、自分の葬式を天井裏から眺めたいという儚い夢がありましてね。誰がいくら香典を包んだとかウソ泣きしてるとかわかるじゃない。

箭内 ハハハ。すごい夢ですね。

倉本 その光景を見て、俺は何ほどのものだったのかを認識して大往生したかったんです。でもある日気づいた。もし僕を憎んでるヤツが来て本気で泣いてくれたら僕は間違いなく心を揺さぶられる。それを「おい、あいつが泣いてくれてるよ」と誰かに言えればいいけれど、一人泣くのはたまらない。だから人間は感動を共有することに存在意味があるんじゃないか。

箭内 確かにそうですね。

倉本 富良野塾の塾生に生活必需品をあげさせたことがありました。1位は水、2位は火で、14位に「人」が入った。一人で地球に残されたり無人島に流されたりしたら生きる自信がない。なるほどと感心しました。

箭内 感動も苦しみも共有する相手が必要だと。

ときとして、脳は美醜をも支配する。

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P38

寵姫容姿激変

 したくはなかった浪人時代、かつての同級生が青春を謳歌したり、学生運動でゲバ棒を振るうのを尻目に、翌春に向かって一心不乱に勉学にはげんだ。というのは表向きで、知的飢餓感と受験勉強からの逃避のためか、神田神保町の古本屋めぐりが日課になり、かなり乱読した。

 ルイー四世の愛妾の名前をおぼえるのも世界史の勉強だとうそぶきながら雑書を読みあさった。その太陽王の何番目かの寵姫、マドモアゼル・マリー・フォンタンジュは芳紀一八歳にして絶世の金髪美女だった。ル・ロア・ソレイユは彼女の個性的なリボンの結び方の髪形をことのほかお気にめされ、フォンタンジュ結びとして長らくフランスの社交界に流行したともいわれている。が、好事魔多し、恋がたきのモンテンスパン夫人の激怒にあい、流産してしまう。それからがたいへん、ほっそりとしたからだがムクムクと膨脹し、花のかんばせもとても美しいとはいえないまん丸な御面相になってしまった。王様の寵を失い、絶望のあまり修道院にはいって、半年で死んでしまった。ことのしだいのあまりの異様さに、モンテンスパン夫人が毒を一服もったとうわさされた。

 いまなら毒殺とささやかれはすまい、りっぱな病気だ。もし、薬でこのように容姿をくずして死なせたとすると、副腎皮質ホルモンの長期大量投与だ。その時代にはありえない。この件ではモンテンスパン夫人はぬれぎぬである。フォンタンジュ嬢はクッシング症候群だったにちがいない。

 妊娠したことにより、女性の内分泌腺の状態は大きく変化する。ときにはホルモンが異常に分泌されることもある。副腎皮質から糖質コルチコイド(一般にはステロイドホルモンあるいは副腎皮質ステロイドホルモンとよばれている)が過剰に分泌されておきる症状をクッシング症候群という。からだが太くなり、丸々とお月さまのようにふくらんだ顔は赤ら顔で、ムーン・フェイスとよばれる。毛深くなってニキビだらけとなり、血圧も高くなるし、おしっこに糖がおりる。もちろん、治療しないと亡くなる。マドモアゼル・フォンタンジュの症状だ。

 副腎皮質ホルモンのうち糖質コルチコイドは、からだにストレスがあったときに、腎臓のすぐ上にある副腎という小さな臓器から血液中に分泌される。その分泌のコントロールは、脳下垂体という、これまたひじょうに小さな臓器から、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が血液中を流れて副腎にやってきてシグナルとなってしている。ACTHの分泌の調整はというと、大脳の底部にある視床下部の神経細胞からの副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)が、脳下垂体の細胞に作用しておこなわれている。視床下部は血液中の糖質コルチコイド濃度をモニターしたり、脳のほかの部分からのCRH分泌に関係する情報を受けて、それにしたがってCRHを血液中に放出する。これらの過程のどこかでホルモンが過剰になるとクッシング症候群になってしまう。副腎皮質そのものの腫瘍や、脳下垂体の腫傷で副腎皮質に必要以上のホルモン増産命令が出されておこるのだ。脳下垂体腫瘍のばあいはクッシング病という。さいわいにも、現代では原因となる腫瘍を手術でとりさってしまえば、からだつきも顔つきも元にもどすことができる。だから、ときとして、脳は美醜をも支配する。

日本の科学者の幸福度

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P139

日本の科学者の幸福度

益川 山中先生は、またアメリカに行って研究しようとは思わなかったですか?

山中 それは何度もありました。今も月に数日はアメリカに滞在しています。情報収集という意味でも、アメリカの科学のソサエティにまったく入っていないというのは非常に不利なんです。

益川 それでも日本をベースにされているのは、何か理由があるんですか。

山中 家族が日本にいるということがあります。が、また私は国粋主義者ではありませんが、愛国主義者です。

益川 アメリカでは、いろんな意味で、研究者がハッピーになるシステムになっていると思います。二〇一〇年に、『ネイチャー』誌が「科学者の幸福度」というのを調査したら、日本は最下位だったといいます。科学者に限らず、最近は日本人全般の幸福度も低い。

山中 アメリカの科学者は、ハッピーな人が多いですし、仮にアンハッピーだとしても、ジャーナリストになったり、知財の専門家になったり、企業に入って専門知識や経験を生かしたりと、別の仕事がいっぱいあるので、アンハッピーのまま人生を終わる人はいません。

益川 サイエンスをわかっている人達が、マスコミに行ったり、特許の分野に行ったりする。それが社会全体の厚みになるんでしょうね。

山中 残念なことに、日本ではそうはいきません。たとえば、ポスドク(postdoctoral fellow博士研究員。博士号をとったあと任期制の職に就いている研究者や、そのポスト自体を指す)になると、そのあと教授として大学に行けなかったら、「自分は落伍者だ」と感じてしまう人が多いんです。けれど、アメリカではポスドクは単なる一つのステップです。ポスドクをやってから企業のCEOになって大儲けした人もいっぱいいるし、まったく違うジャンルの仕事に就く人もいます。

益川 日本では、人から「落伍者になった」と思われるんじゃなくて、本人が自分でそう思っちゃうんですね。

山中 医師と医学研究者の社会的地位を比較すると、日本は明らかに医師の方が高いですが、アメリカでは同じか、もしかすると研究者の方が高いかもしれません。それにみな裕福です。研究環境も緑がいっぱいで設備も充実していて、日本の研究室とは比較にならないほど快適です。夜遅くまで劣悪な環境で仕事をしている日本の若い研究者のことを考えると胸が痛みます。「なぜ日本とこんな違うのかな」と思ってしまいます。何か違うんでしょうかね。

益川 日本には昔から、「学者というのは清貧に甘んじるものだ」という価値観があったから、学者自身が、世俗的な幸福を追求しなかったんだと思いますね。

西洋人は一流のサムライに会うと、みんな感動していた

「プレイボーイの人生相談1996-2006」集英社、2006

p130

肩に力を入れず、腰を落として歩く

●最近、街で下を向きながら歩いてる人をよく見かけます。景気が悪いからというのはありますが、そういう人たちを見ていると、こちらまで陰気になってしまいます。そんな時になにか簡単にできるいい方法はないでしょうか? 武田さんの元気の秘訣はなんですか。(院長註:回答者は武田鉄矢さんです。)

●そうですね。あなたがおっしやるとおり、最近の若い人たちの歩き方はなんだかヘンなような気がします。口を半開きにして、視線が定まっていなくって、動物としての警戒モードがないような、信号でいえば黄信号を持っていない人が多いんじやないかなあ。青信号と赤信号だけだから、青から赤にパッと変わって、すぐキレる。なんだか、そんな気がします

 そういうボクも、テレビで自分が相当ヘンな歩き方をするのを見て自己嫌悪に陥ったことがあるんです。

 ボクの歩き方は、アゴをちょっと突き出して前のめりになるんですね。それがいかにも堂々として見えない。そこで、一回、歩き方を変えてみようと思ってゴルフを始めたんです。

 ゴルフというスポーツは歩き方がよくなるというより、歩き方を意識させるスポーツなんですね。OBを打った人、パーを取った人、それはもう後ろ姿を見るだけでわかるんです。だから、ボクはどんなスコアの後であってもジェントルマンとして、アゴを引いて胸を張って歩こうとしたんです。それをふだんでも意識していました。

 そして今、年齢ということもあり、また歩き方を変えてみようと思っています。

 もう、ハリウッドスターのように胸を張った歩き方はやめて、これからは立派な老人になるための歩き方をしようと思っています。

 立派な老人の歩き方。それは、前かがみでもいいから肩には一切、力を入れず、手を振らない。ヘソに糸があってそれに引っ張られるような感じで歩く。これは決して良い歩き方ではないけれども、まず疲れない。ボクは最近、この歩行法で歩くように心がけているんです。

 実はこの歩き方は古武術の歩き方なんですね。これだと体全体がどんな状況に対しても反応できて、しかも楽に歩くことができるんです。

 そして、ちょっと元気があるかなあと思った時にはその姿勢のままお尻を少し落とすんです。これはまさにサルの歩き方なんだけど、お尻を後ろに突き出し、それで前に剣を構えると、これが武術の非常に高い技術の構え方になるらしいんです。昔の人はそうやって体の感性を研ぎ澄ませながら歩いたりしてたんですね。

 この古武術の発想はすごくおもしろくて、例えば、”俺は強いぞ”って肩で風を切る歩き方をするのが青春期の特徴です。また、これは西洋人の歩き方でもあるわけです。

 でも、よく考えてみると、日本語で”肩で風切る”っていうのは与太者(小悪党)の歩き方なんですね。それは戦闘態勢がむき出しでスキが多すぎるという、もののたとえなんです。

 逆に達人っていうのは肩が揺れないといわれます。だから”肩が上がる”っていうのは日本語では”息切れしてる”という意味で使われるんです。

 ここで話を少し広げますが、坂本竜馬や桂小五郎、高杉晋作など、幕末の剣士たちの写真を見ると、みんなやっぱり胸を張っていません。サムライっていうのは肩に全然力が入ってないんです。それがカメラの前でも自然と出ているんですね。 そしてボクは、司馬遼太郎さんが、ある番組で言っていたこんなフレーズがとても印象に残っています。

 ”今の日本人はカッコ悪いですなあ。昔の日本人は・・・少なくとも維新前後に日本にやってきた外国人の目にサムライという集団は、男としてとてもカッコよく見えていたという歴史的な証言がいくつもあるんですよ。西洋人は一流のサムライに会うと、みんな感動していた”って だからボクは、時代がちょっと過ぎてしまったからというのもあるだろうけれども、今、胸を張って歩こうというのではなく、肩に力を入れず腰をちょっと下げ気味に、サムライのように歩いていこうと思っているんです。

 そして、いくら自分の周りの人たちが下を向いて陰気に歩いていたとしても、自分だけはそんな意志のある歩き方で歩いてみようと思うんです。そんなふうに考えてるだけでも少しは元気になれるんではないでしょうか。

まさに天職

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P106

三日間不眠不休で考え続けた

益川 僕は、一睡もせずに二、三日考え続けたことが二度あります。どちらも、指導学生のドクター論文の時でした。

 一度目は、論文提出の締め切り直前になって、ミスに気づいた。期日に間に合うようにするには、最低二日間は徹夜で突貫作業をしなければならない。それで、五十一時間不眠不休でプログラムを書きあげました。

  二度目は、惚れ惚れするくらいの素晴らしい手法を見つけて問題を解いたんですが、「さあ、まとめだ」という段階になって最初から見直してみたら、なんと、スタートラインの式が間違っていたんです。ドクター論文は学生の人生を左右します。就職できるかどうかにも関わってくるから、「悪いな、間違えちゃったよ」では済まんわけです。なんとか別の一手を見つけないと大変なことになる。三日間、寝ないで必死で考えました。

 京阪宇治線の沿線にあった自宅から歩いて大学へ向かう間、ずっと考える。途中で喫茶店に入りコーヒーを飲みながら計算し、それが一区切りつくと、また大学に向かって歩きだす。そうやって四時間ぐらいかけて大学に行き、仕事を片付けると、また考えごとをしながら歩いて家まで帰り、徹夜で考える。これを三日間続けました。

山中 そういう時は、数式や図をメモなさらないのですか。

益川 うん。そういうものはいっさい書かない。頭の中だけです。

山中 ターゲットを決めた時の益川先生の集中力はすさまじいですね。そういう時は、きっと周りの景色や雑音も入ってこない状態なんでしょうね。

益川 このときは学生の将来のために必死で考えたけど、ふだんは僕は、頭の中で数式と遊んでいるだけ。難問を考えるのが、楽しくてしかたないの。僕にとっては、物理も数学も天文学も子供のおもちゃみたいなもの。一生をかけて遊んでもらっているという気がします。

山中 まさに天職ですね。

益川 この頃は、家族旅行にいっても子供たちがそれぞれゲーム機に夢中になって会話もろくにしないといいます。携帯ゲームの性能が良くなって、ソフトを入れ替えれば何百通りのゲームが出来て時間がつぶせるから便利なんだそうだ。でも、そんなゲームのソフトが束になってもかなわないくらい、人間の頭の中には楽しいことがつまっていることに気づいてほしいなあと思いますね。

山中 ゲーム機の中には本当の世界も自然も存在しませんから。

益川 それぞれの頭の中にこそ無限があるーーー僕はそう思っています。

植物は万能細胞だらけ

「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥、聞き手緑慎也、講談社、2012

P165

ーーーiPS細胞もES細胞も人工的に作られているとはいえ、どちらも安定に存在できるということは、進化の過程で獲得した共通の仕組みがあるということでしょうか?

 ES細胞やiPS細胞が作製できるのは、ほ乳類の一部だけなんです。ES細胞にとってもiPS細胞にとっても大切な遺伝子にOct3/4があります。

 ほ乳類でこの遺伝子を持っているのは、ヒト、サル、マウスなど胎盤を持つ有胎盤類の仲間だけで、カンガルーやコアラなどの有袋類にはありません。つまり、Oct3/4は進化の歴史上、ごく最近生まれた遺伝子なのです。この遺伝子がなければES細胞もiPS細胞もできません。

 ぼくは奈良先端大にいたころ、マウスやヒトの体細胞から、ES細胞のような細胞を作ることを目指して研究をしていましたが、別の種でもそういう細胞が作れるかもしれないと思ったことがあります。その種とは、植物です。

 奈良先端大は、植物研究の非常に盛んなところです。本来なら、医学部出身のぼくのような人間が植物研究に触れる機会はあまりありません。ところが奈良先端大は、生物系の研究者のうち三分の一は植物研究者なので、よく交流させてもらっていました。彼らから教えられたのは、植物が万能細胞だらけだということです。種子を使わなくても、挿し木をしたら、また親木と同じ木を繁殖させることができます。桜のソメイヨシノなんて、日本中にあるほとんどがクローンらしいです。

 ぼくは、植物にそんなにすごい力を持った万能細胞があるのなら、動物でも万能細胞が作れるはずだと思いました。そういう意味で、奈良先端大の植物研究には大いに勇気づけられました。それに奈良先端大はゲノム研究も盛んで、ES細胞に特異的に働いている遺伝子を絞りこむのにESTというデータペースを使えると思いついたのも、そのおかげです。

 それでは、植物の万能細胞と、ヒトやマウスのES細胞に何か共通性があるのか。共通性があれば話はかんたんですが、まったくないんです。ES細胞のOct3/4に相当する遺伝子が、植物にはありません。万能性という点で、両者は同じですが、細胞としては似ても似つかない。ぼくははじめ、万能性は生命にとって必須の性質で、種を超えて保存されているのではないかと考えていました。ところが、万能性はまったく保存されていない。むしろES細胞の万能性は、進化の長大な物語の最終章で語られる現象です。それにもかかわらず非常に安定というのが謎なんです。どないなってんねんと思うくらい、いくら考えても不思議ですね。

iPS細胞とES細胞はソックリすぎる

「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥、聞き手緑慎也、講談社、2012

P160 iPS細胞とES細胞はソックリすぎる

ーーーいま、いちばん知りたいことはなんですか?

 iPS細胞とES細胞は、驚くほどよく似ています。両者を端から端まで調べあげ、ほんの少しちがいを見つけたという論文が科学誌『ネイチャー』に掲載されましたが、それくらいお互いに似ています。ぼくたちは、そのちがうと報告された場所を、多くのiPS細胞とES細胞で調べてみましたが、明確に二つの細胞を区別できるものは見つけることができませんでした。

 いま、ぼくの目の前に、iPS細胞とES細胞が入った培養皿を持ってきてもらったとします。もし培養皿に「iPS細胞」「ES細胞」というラペルが貼ってなかったら両者を区別することはできません。見た目で区別できないだけではなく、どんな手段を使ってもいいから区別しろといわれても、区別できません。品質のいいiPS細胞を「これはES細胞」といって専門家をだますこともできます。

 ES細胞にとってとくに大切な遺伝子を四つ体細胞に入れているのですから、iPS細胞がES細胞に似るのは不思議ではありませんが、なぜ区別がつかないくらいに似てしまうのか。

 おそらくES細胞やiPS細胞は、ある意味で、とても安定な状態にあるのでしょう。お椀にパチンコ玉を縁からそっと入れると、玉は底へ向かって転げ落ち、振り子のように底と縁を行ったり来たりし、しばらくすると、底の近くをウロウロするようになり、じゅうぶん時間が経つと、底で止まってしまいます。底にくぼみのあるお椀みたいに、いったん底に玉がはまると、少々お椀を揺らしても玉が動かないように、ES細胞の状態は安定で、だからこそ、体細胞にたった四つの遺伝子を入れるだけで、どんどんES細胞に近づいていくのだと思います。  

  いまぼくがいちばん知りたいのは、何がES細胞をそこまで安定な状態にさせているのかということです。この疑問は、iPS細胞がなぜできるのかという疑問にもつながっていると思います。これに答えるには、iPS細胞を研究するだけでは不十分で、ES細胞について、もう一度初心に戻って徹底的に調べるしかないと考えています。

山本五十六のバクチ好きは有名A

「祖父・小金井良精の記 下」星新一、河出文庫、2004

P336

ーーー山本義正『父・山本五十六』よりーーー 

 昭和九年の秋、父(五十六)はロンドン軍縮会議の日本代表の一員に任命され、渡欧することになった。この訪欧中に、父は海軍中将に任ぜられた。

 翌年の二月に父は帰朝し、まもなく海軍航空本部長に就任した。

 いわゆる二・二六事件が起きたのは、昭和十一年のことである。父は理由のいかんを問わず、理不尽な殺傷を政府要人に与えたことには、強い怒りを感じていたらしく、事件の主謀者たちに対して、「彼らは凶徒だ」と、きめつけていた。

 この年の十二月一日に、父が海軍次官に就任したのである。支那事変が勃発したのは、次官に就任してから半年あまりたった、昭和十二年七月である。政府の不拡大方針にかかわらず、ずるずると深みにはまっていく事変の処理に、父は海軍を代表する一人として、いろいろ苦慮したようである。

 騒然たる国情のなかで、三国同盟をめぐる閣議が何回も聞かれた。同盟に反対する父は、そのつど自説を主張してゆずらなかった。

 父が連合艦隊司令長官に就任したのは、昭和十四年の八月で、翌十五年には海軍大将に任ぜられ・・・。

 この間にも、日本をとりまく国際環境は、加速度的に悪化の一途をたどっていた。

 父のほんとうの気持ちは、戦争なんかせずに、家に帰って、のんびりと勝負事でもやっていたかったにちがいなかった。私たちは、それを察していたが、父の郷里の友人、梛野(なぎの)さんに、父はつぎのような手紙を出している。

  (前略)小生も今年一年海上を死守し、幸に事なければ海軍の御奉公も先づまづ用済みに付、悠々故山に清遊、時に炉辺に怪腕を揮(ふる)ふの機会も之(これ)あるべし。それまでに充分腕を研(みが)き置く様、連中に御申聞かせくだされたく。

  又本年中に万一日米開戦の場合には「流石(さすが)に五十(いそ)サダテガニ」と言はるる丈の事はして御覧に入れ度きものと覚悟致居候。(後略)

    四月十四日                     山本五十六 

  梛野 透様

 これは、昭和十六年四月、つまり開戦より八ヵ月ほどまえに出した手紙である。その年いっぱい海上に勤務し、幸いに事なければ、のんびり郷里に遊びに帰り、炉辺に怪腕をふるいたいから、みんなも腕をみがいておくようにと言っている。「怪腕をふるう」のが麻雀のことか将棋のことかコイコイのことか、私は知らないが、そうやってのんびり日を過す生活がしたかったのだろうかと、思いめぐらす。

 が、手紙の後半に、もし万一アメリカと戦うことにでもなれば「流石は五十六さんだけのことはある」と言われるだけの戦いをしてみよう、と決意を披渥している父でもあった。

(院長註:小金井良精と山本五十六は家系上つながりがあり、同じ長岡の出身です。文中の梛野透は小金井良精の甥で山本五十六の隣に住んでいて年も近かったそうです。)

山本五十六のバクチ好きは有名@

「巴里夢劇場」鴨志田恵一、朝日新聞社、1990

P144

 ロンドン海軍軍縮会議に出席した山本五十六少将(後の連合艦隊司令長官)は、帰路ベルリンの日本大使館夕食会(一九三五年)の席上、全く無口だったのが、バクチの話題になると、俄然一人でしゃべりまくった、という。

レーザーポインターを回すな!

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P136

(院長註:山中先生はアメリカで受けたプレゼンテーションのゼミでの経験を話されています。)

山中 先生から言われたことの一つに、「発表の時にポインターを動かすな」という教えがあります。みんなの前に立ってスライドを見せる時、ここは強調しよう」と思ってポインターをグルグル回したら、あとで先生から、「シンヤ、目が回るからあれはやめて」と言われてしまって。それからは、すごく気を付けるようになりました。その後、日本に戻って奈良先端大の公募に応募して、これで駄目だったら研究をやめようと思っていたのですが、なぜか知らないけど最終面接まで行って、先生方の前でプレゼンをさせていただきました。プレゼンが終わって、選考委員長だった先生に言われた言葉が、「山中さん、あなた発表の時にポインターをピッと止めていたでしよ。あれを見て、あなたはしっかりとした教育を受けていると思ったんです」でした。「助かった!」と思いました。その先生は植物がご専門でしたから、私の発表の内容がどれだけ伝わったかわかりません。ひょっとしたら、プレゼンの仕方がよかったので採用してくれたのかな、と(笑)。それはどうかわからないですけれど、あの時に採用してもらえず、研究をやめていたら、iPS細胞はできませんでした。

 今でもオーラルプレゼンテーションと論文の二つは、常に全ての基本の中の基本ですね。小手先の技術論ではなく、研究そのものの考え方の基礎がプレゼンテーションには入っていると思います。

(院長註:「レーザーポインターを回すな!」というのは九州お茶の水会で故高濱九大教授に厳しく言われてました。ということは我々も結構しっかりとした教育を受けていたのかな?)

生物をちゃんと勉強した記憶がない

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P68計算が速くできることと数学への適性は関係ない

山中 科学の分野に興味がある子供でも、数学ができないために「文系の学部しか受験できない」と諦めてしまうことが多いかもしれません。人の命を救う仕事がしたいと思っても、数学や化学ができないと医学部に入れない。

 でも、微分積分は医者の仕事と直接的な関係はありません。それが証拠に、私は娘が高三の時、「お父さん、微分積分を教えて」と言われて教科書を見た瞬間、「なんでこんなことせにゃあかんねん!」と口走っていましたから(笑)。高校時代はすらすら解けたのに、もう、さっぱりわけがわからん。大学受験から三十年間、微分積分をいっさいやってないのですから、わけがわからなくて当たり前ですね。

益川 数学が好きかどうかは、計算が速くできるとかいうことではなく、ものごとの論理性に興味を持ち、それを面白いと思えるかどうかです。数学が苦手だから文系しか受験できないというのは、ちょっと違うと思いますね。山中先生は高校時代に生物は得意だった?
山中 そんなに得意ではなかったですね。今も得意じゃないです。いや、じつは、ちゃんと勉強した記憶が一回もないんです。高校でも、生物はとってないですし。

益川 今、お医者さんになる人でも、生物をとってこない人が多いんですよね。

山中 医学部でも、生物なしで受験できるところが増えましたから。私も、物理と化学で受験しました。

益川 旧帝大系の大学に入ろうと思ったら、数学ができなければ絶対に入れない。数学ができる人にとっては、物理と化学の方が、生物よりもずっと理解しやすい。だから、生物をとらずに医学部に入ってくる学生が増えている。そういう学生に、大学で生物を再教育しなきゃならんという話を聞いたことがあります。本当ですか?

山中 そうだと思います。私の娘が高校生の時、生物でわからないところがあると、私に聞いてきました。でも、私にはわからないんです。「お父さん、京大の教授じゃないの」と言われちゃいましたけど、「こんな難しいことをする必要はないんじゃないか」と思うくらい、すごくレベルが高いんですよ。

 高校一年の時は、必修科目としてみんな生物を習いますよね。二年からは選択科目になっていて、その生物がすごく難しいんです。それをやらずに医学部に入ってくる学生さんもいると聞きますが、習った人と習ってない人では、だいぶ差があるような気がしますね。

レトロウィルス

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P160

レトロウイルス

 じつは、ヒトT細胞性白血病ウイルスと、エイズのヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus)はひじょうに似ている。この二つのウイルスはレトロウイルスといって、RNAが遺伝情報を担っている。動物の細胞の遺伝情報は細胞の核の中の染色体にあるDNAという核酸に記録されている。遺伝情報とは機械でいえば設計図、コンピュータでいえばプログラムソフトだ。細胞がなにかの酵素などのタンパク質をつくったりするときには、このDNAに書かれているプログラムをRNAというやや化学構造のちがう核酸にプリントする。つぎに小胞体でRNAにプリントされている順番にアミノ酸をつないでいって、タンパク質をつくっていく。このタンパク質が酵素だったりホルモンだったり、あるいは細胞をつくる構造タンパク質だったりして、細胞やからだの機能を維持したり増殖したりしている。

 さて、エイズやHAMのウイルスは自分の遺伝情報をRNAでもっているのだが、リンパ球に感染すると、ウイルスのもっている特殊な酵素のはたらきで(これはふつうの細胞にはない)、ふつうの流れとは逆にRNAのプログラムがリンパ球の核のDNAのプログラムの中に割りこんでプリントされていく。コンピュータでいえば、本来はプロテクトされているはずのハードディスクなのだが、フロッピーディスクのソフトが勝手にプロテクトを解除してハードディスクに入りこんでしまうのと同じだ。そして、こんどは細胞本来のタンパク質をつくる順番にしたがって、ウイルスをどんどんと細胞の中につくっていくのだ。DNAからRNAという順番でなく、RNAからDNAという逆の方向で細胞のタンパク質生成のプロセスに侵入するので、レトロ(逆転写酵素腫瘍原性:reverse transcripitive oncogenic)ウイルスという。レトロウイルスにかぎらず、ウイルスは細胞に感染すると、細胞のタンパク質合成のメカニズムを使って自分のコピーをつくるというふえかたをする。ウイルスは細胞をハイジャックしてしまうのだ。

 最近、コンピュータウイルス、が社会問題になっている。コンピュータのソフトづくりのオタク族がつくった病原プログラムのことだ。コンピュータのソフトに入りこんで破壊してしまい、ソフト自体はコピーされていく。プログラムや情報システムをだいなしにするので恐れられているし、病原ソフトしだいではすぐに症状を出したり、時間がたってから出したりする。まさに生物の世界のウイルスとよく似た行動をしており、これを「コンピュータウイルス」とよぶのはむべなるかなだ。この病原プログラムがコンピュータの中に入りこむことを「感染」とよんでいるのも、人間の病気へのよくできたアナロジーだ。しかし、コンピュータウイルスの感染防止のプログラムを「ワクチン」というのは、メカニズムからするとやや強引なアナロジーとなる。

p156 HAMとはhuman T-lymphotropic virus type-1 associated myelopathyという長い横文字の病名の略だ。ヒトT細胞性白血病ウイルスの感染でおこるミエロパチー、脊髄障害のことである。

武田鉄矢さんが見た高倉健さん

「プレイボーイの人生相談1996-2006」集英社、2006

p132

相手への心遣いが大切

●ボクは今、高校で演劇をやっていて、もしできることならば、将来、役者になりたいと思っています。役者にとって一番大切なものはなんですか? どうすればいい役者になれるのでしょうか?(院長註:回答者は武田鉄矢さんです。)

●そうですねえ。ボクは今、『3年B組金八先生』というドラマをやっていて、その現場で演技論の話になることがあるんです。

 例えば、金八先生だけでなく、桜中学シリーズに全作出演されている大森巡査役の鈴木正幸さん。これは関係ない話だけど、最近、鈴木さんのふるさとの青森県五所川原の駅を降りると、『金八先生でおなじみの大森巡査の実家あり』っていう看板があるんだって(笑)。それで、そんな鈴木さんはよく、「自分は不器用だったからよかった。演技がへただからこんなに長く俳優を続けられた」と言うんですね。

 「俳優として完成されていなかったというのが、自分が俳優として生き残れた理由なんじゃないか」「完成されていると、その完成された自分で勝負しようとする。それがダメなんじやないだろうか」と言っています。

 そして、ボクが周りにいる俳優さんたちを見ていて思うのは、俳優という仕事は自分に興味を持つ人よりも他人に興味を持つ人のほうが合ってるんじゃないかということです。

 ズバリ言うと、カメラが回る本番直前にメイクと髪型を気にする男優さんはダメなんです。おもしろいもんで、自分を売りたがってる人っていうのは売れないんですね。

 ボクの場合、最初に出会った俳優さんが高倉健さんだったということで、すごく恵まれていました。ボクは健さんから、人間としての純度、人柄のよさを持ってないと俳優はできないということを仕込まれたんです。

 今だから正直に言いますが、『幸せの黄色いハンカチ』で、ボクと健さんが絡むシーンがあって、監督の山田洋次さんがすごく幸せそうな顔をしてボクを見る時があったんですね。それは、そのシーンの上がりがおかしい、つまり、デキがいいっていうことだったんでしょう。あの時、ボクは27歳のバカだったから、その顔を見て「よぉ〜っし、高倉健を食ったぞ。あの人よりも目立ってたぞ」と思ったんです。

 でもね、何年かした後にハッと気づいたんです。「あれは食ってたんじゃないんだ。食わせてもらってたんだ」って。それは何回も何回も映画を見るうちにわかったんです。健さんは右も左もわからない若造にさんざん自分を食わせていたんです。

 それでボクは「そうか、主役の人って食わせないとダメなんだなあ」と思ったんですね。演技の面でも生活の面でも食わせてあげるのが主役の大事な仕事なんだっていうことを健さんから教わったんです。そして、主役は食わせる時に妙な邪魔はしない。ただ平然とそこに立っているだけなんです。

 それに、健さんは人のミスにも寛大な人でした。ボクがセリフを間違えて監督さんから「もう一回」って言われると、健さんは黙ってファーストポジションに戻っていくんです。それはもうプレッシャーでした。だから、ボクは健さんに「ボクのために何度も何度もすいません」って言いに行ったんです。すると健さんは、あの低い声で「よけいなことを考えんじゃねえ」って。

  ほかにも、あるシーンで演技がうまくいかなく落ち込んでいる時にも、健さんはさりげなく近寄ってきて「おもしろかったぞーっ」って。その時に主役をやるというのはこういうことなのかと思いました。そして、主役をやる、やらないにかかわらず、俳優には相手への心遣いが大切なんだと思ったんですね。

 だから、25年前に『金八先生』の主役を引き受けた時、15歳の子供相手に「オレが金八だぁ!」みたいな芝居だけはよそうって思ったんです。そして、ドンドンみんなに食われようという覚悟をしたんです。

 顔形は違うけど、”脇役に優しく、人のミスには寛大に”という魂だけは、あの日本一の主役の高倉健という人のマネをしたいなあと思ってました。

理論的に可能なことは実現する

「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」山中伸弥、聞き手緑慎也、講談社、2012

P97

理論的に可能なことは実現する

 ぼくは科学技術は必ず進歩するので、いまは到底不可能と思われることでも、理論的に可能なことはいずれ必ず実現すると考えています。

 そんなふうに考えるようになったきっかけは、医学部時代にコンピュータをいじっていたことです。父は何でも早いもの好きでした。電卓が日本で販売されると、非常に高額であったにもかかわらずすぐに買ったと母親から聞かされました。ぼくが医学生のころは、NECがパーソナルコンピュータの販売を開始しました。父は、やはりすぐに購入しました。商売にそんなに余裕がないわけですから電卓やパソコンの購入も母は反対したと思うのですが、父はいうことを聞きません。

 父が経営する小さなミシンの部品工場には、いろいろな材料や製品が保管されていました。又は、その在庫管理をパソコンでしたかったようです。ぼくは父を手伝うことにしました。在庫管理のプログラムを作るために、BASICプログラムを学んだのが、ぼくとコンピュータとのはじめての出会いでした。

 その当時のコンピュータの記憶媒体はカセットテープでした。書きこむときや読みとるときの「ピー、ボー、ボー」という独特の音はいまでも耳に残っています。

 次に登場した記憶媒体はフロッピーディスク。カセットテープに比べるとはるかに記憶容量が大きく、一枚に百科事典一冊の情報がまるごとおさまると聞かされて、期待して買いました。

 ところが、一年もしないうちに、フロッピーディスクー枚ではとても足りないくらいコンピュータで使うデータ量が増えてしまいます。

 その次に出てきたのが、ハードディスク。大学院生になったばかりのころで、給料も安かったのですが、思い切って何万円かで買いました。父の血を受け継いでいるようです。その容量が二〇メガバイト(一メガは100万)。「こんなん買ったら一生使い切れへんぞ」と思っていました。

 ところが、いまやUSBメモリ、SDカードなど指でつまめるくらいの記憶媒体にギガバイト(一ギガは10億)単位のデータがおさまりますし、テラバイト(1テラは一兆)単位のハードディスクもあります。

 カセットテープにプログラムを保存していたぼくにとって、わずか二〇年でここまで記録媒体の大容量化、小型化が進むのかと感慨深いものがあります。「こんなん絶対無理」と思われることが一年後には実現し、さらに一年経つと「以前はなんでできないと思ったかわからない」となる。それくらい科学技術の進歩は早いというのが、コンピュータ技術の進展ぶりを見てきたぼくの実感です。

 理論的に不可能なことなら、たしかに、いつまで経ってもできないだろう。しかし、理論的に可能なことがわかっていることなら、いずれできる。多くの人が「こんなん絶対無理」と思うようなことも必ずできるようになる。ぼくは単純にそう考えています。

 クローン羊ドリーが誕生したということは、理論的には、どんな細胞であっても、分化する前の状態に戻せる、初期化できるということです。

人間の考えることなんかより、自然の方が奥深い

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P100人間の考えることなんかより、自然のほうが奥深い

益川 以前、こういうことがあったんです。関西で人気のテレビ番組に、『探偵!ナイトスクープ』というのがあります。ある時、この番組を観た中学生が、次のような質問を送ってきました。

 「一気圧の時、水柱の真空充填の高さは十メートルで、チューブで吸っても、十メートル以上高くまでは吸えないはずです。けれど『探偵!ナイトスクープ』では、コカコーラは十二メートルの高さまで吸えたと言っていました。それはなぜですか?」

 たちまち、うちの大学で侃々諤々の議論が始まった。みんな、「コカコーラは高さ十二メートルまで吸えたなんて、そんなの間違っている」と言うわけ。教科書通りに考えればそうなります。でも、大学というのは面白いところで、「頭からおかしいと決めつけずに、まず実験をやってみよう」と言った途端に、実験物理屋さんが真空ポンプ持ってくるわ、十五メートルぐらいある透明の管を持ってくるわ、コカコーラを買いに走る奴もいるわ(笑)。

 で、実験をやったらすぐにわかった。どうなったかというと、コカコーラを吸い上げたら、八メートルぐらいのところで飽和水蒸気圧がバランスしたんです。つまり、八メートルぐらいのところでコカコーラのガスと水柱がバランスできる領域があり、そこにコカコーラの泡が溜まるわけ。そのために、コカコーラの比重が1ではなく、1より小さくなる現象が起きていたんです。真空ポンプでコカコーラを吸い上げた途端、みんな、ほとんど同時に答えがわかりました。でも、実際に実験をやらなければ、そこまで想像が及ばなかったのです。

山中 だから、実験をするということには非常に大きな意味があるんですね。

益川 人間というのは、常に既成概念の中でものごとを考えている。人間の考えることなんかより、ずっと自然のほうが奥深いんです。

仮説の的中率は二割以下

「「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子」山中伸弥、益川敏英、文春新書、2011

P98仮説の的中率は二割以下

益川 今の学生さんは、予想外の実験結果に敏感に反応する人ももちろんいるだろうけど、結果が仮説と違ったらガッカリして動けなくなってしまう人も多い。後者のタイプは、おそらく研究を続けても、つらいだけでしょう。

山中 実験なんて予想通りにいかないことのほうが多いですから。私は学生にこう言っているんです。 「野球では打率三割は大打者だけど、研究では仮説の一割が的中すればたいしたもんや。二割打者なら、すごい研究者。三割打者だったら、逆に、ちょっとおかしいんちゃうかなと心配になってくる。『実験データをごまかしてないか?』と言いたくなるくらいや」と。

 仮説の的中率が三割を超えるというのは、本当に稀なことです。普通はそんなにうまいこといくわけがない。 むしろ、予想通りではないところに、とても面白いことが潜んでいるのが科学です。それを素直に「あ、すごい!」と感じ取れることが大切だと思います。

益川 実験の結果が予想通りだったら、それは基本的に「並」の結果なんです。自分が予想していないことが起こったほうが、科学者としては当然、面白い。そこで大事なのは、「この予想外の結果は、いったい何なのだろう」と考えることです。そこから全てが始まる。ガッカリ落ち込んでいたらそこでおしまい。何も生まれない。

山中 私はよく、学生に向かって、「ごちゃごちゃ考えんと、実験やってみい」と言うんです。自分もぜんぜんわからないから「やってみい」と言っているだけなんですけど、困ったら、とりあえず実験をやってみる。そうすると、また何か違う現象が出てきて、それがヒントになることがよくあります。

食べたらアカン

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P144

食べてうつる病気

 さて、海綿状脳症が人から人にうつるという証拠は、ほかにもセンセーショナルな例がある。赤道直下のパプア二ューギュアには珍しい動物もいるが、変わった病気もある。東部高地のかぎられた地域の原住民、フォレ族の中に発生していたクールーだ。痴呆や精神症状で発症し、小脳性運動失調とふるえをともない、目のミオクローヌスが出て意識がなくなり、失禁状態となって数力月で死亡する。クールーとはフォレ語で「ふるえる」という意味だそうだ。一九五〇年代にはこの病気で年間二〇〇人もの死亡者が出ていた地域的な風土病、それもその民族にかぎられたものであった

 じつは、この地域の食人の風習と関係のふかい病気であった。人が死ぬと、その人の精霊をつたえてもらうために、儀式として肉体を食べる。発症者は子供と女性に多く、成人の男性には少ない。戦士である男どもはおいしい?部分である筋肉を食べ、女・子供は内臓や病原体が多い脳を食べたのだ。この病原体は熱につよい。女性が早めに死んでしまったので、現在でもこの部族にはおばあさんがほとんどいないという。一九六〇年代になり、人を食べなくなってからクールーの発生はグンとへりはじめた。最近では年に五、六人の発生であり、それも子供や若い人には出なくなって、ずっと以前に人を食べたことのある人だけになっている。さいわいなことに、クールーで死んだ母親の子が発症することもないようだ。

 クールーの脳の病理学的所見は、クロイツフェルト・ヤコブ病と同じように海綿状脳症だ。また、脳組織をすりつぶしたものをチンパンジーの脳に植えると、同じようにクールーが発症する。クールーはフォレ族だけの特殊な病気ではなく、全世界では100万人に一人ぐらいでおこる病気がこの民族に多発していたのだ。人を食べる習慣はおそらくかなり昔の石器時代からつづいていたにちがいない。いつかの時点で、フォレ族のだれかがクロイツフェルト・ヤコブ病のようなプリオン病に感染した人を食べてしまった。クールーは二〇世紀の初期に出てきたとのことから、想像をたくましくすれば、一九世紀にヨーロッパかどこかからかきて食べられた外国人が病気もちだったとも考えられる。そして、食人の風習だけでなく、その病気もフォレ族のなかにつたえられることになったのだ。人を食ってはいけないのだ。

 この病気について研究し、食人との因果関係や、クロイツフェルト・ヤコブ病との関係を明らかにしたハンガリー系のアメリカの神経学者ガイジュセクは、一九七六年にノーペル賞を贈られている。

(院長註:食べたらアカンのは他の動物の脳も同じじゃないでしょうか。)

アイヌの頭骨の穴の謎A

「祖父・小金井良精の記 上」星新一、河出文庫、2004

P232

 19日。釧路着。

 病院長の有馬氏を訪問した。この地は近年までアイノの小屋があったが、バルトロという土地へ移住し、いまはいない。古い墓はあるだろうと、吉田なる人を紹介される。

 吉田の案内で山をさがしたが、古いのはない。やむをえず、人夫を四名やとって、新しい墓を掘ることにした。

 なかなか深い。死体には、皮膚、毛髪、腱、脳髄など、まだ少し残存している。このままでは扱いにくいからして、谷間の細流に持ち行き、自分も人夫とともに洗った。

 骨を洗いながら、雑談をしているうちに、人夫の一人が頭骨から脳髄をかき出して言った。

 「これを食うんだが、なかなかのどを通らないなあ。モチにつけて食うんだが、かんでいると、だんだんふくれるような気がするなあ」

 なにげなく質問した。

 「うまくもなかろうに、なんのために食うんだ」

 「旦那、脳みそは梅毒の妙薬でさあ。北海道のような医者の不自由なところでは、さかんに食ったものでさあ」

 私は、これだっと気づいて、思わずひざをたたいた。これまでに得たアイノの頭骨のなかに、後部の穴を切りひろげたのが多数ある。これは和人が、脳髄は梅毒の特効薬であるという迷信からして、それを採るためにおこなったのであろう。

(院長註:やはりヒトは合点がいくとひざをたたくのです。)

アイヌの頭骨の穴の謎@

「祖父・小金井良精の記 上」星新一、河出文庫、2004

P230(院長註:アイノ=アイヌです。)

 良精は留学中、ベルリン人類学会誌の一八七三年の号に、こんな論文がのっているのを読んでいた。発掘した古い頭骨のなかに、ふしぎなのがたまにあるという指摘だ。顎骨の後下方の穴を、けずって大きくした人工的なあとがあるのである。師のR・フィルヒョウの発表であるので、とくに印象に残った。

 一八八一年の同誌には、コペルニッキーという学者が、アイノ人の頭骨八つのうち五つに、同じようなあとがあることを発表した。その次年の号には、ふたたびフィルヒョウが、日本を訪れて帰独した医者ショイベより三つのアイノの頭骨を入手し、その一つにそれをみつけたと発表した。

 当時、日本におけるアイノは、ヨーロッパの人類学者たちの関心の的となっていた。そして、アイノの頭骨には、この例がとくに多いのである。

 彼らはさまざまな仮説をたてた。金属製の刃物でけずったと思われる。だから、古い墓から頭骨を掘り、魔除け用の骨片としてそれを切り取り、ふたたび埋めたのではなかろうか。それとも、吸血鬼伝説のような迷信による、死者の復活を防ぐための行為だろうか。などである。

 帰朝した良精が、解剖学教室で人手した一つのアイノの頭骨を調べると、やはりそのあとがある。この北海道旅行へ出発する五ヵ月前、東京医学会の例会で、現物を示しながら短い講演をし、最後にこう言った。 「埋葬の前におこなったのか、いったん埋葬したあと掘り出して穴を大きくしたのか、その理由を知りたい。どなたか、このようなあとのある頭骨をお持ちだったら、見せていただきたい」

 そして今回の旅行。アイノには骨片を魔除けとする風習のないことを知った。吸血鬼伝説のたぐいもない。死人にさわるのは、家族の埋葬の時にはやむをえずやるが、あとは非常にいやがる性質である。

 また、アイノ種族には、墓まいりの風習がない。これは冷淡だからでなく、死者への愛がきわめて深いからだ。死者の名を聞くだけで、なつかしさと悲しみがこみあげてきて、胸がつまるのである。だから、墓参どころではない。遠くに墓を見ると、近よらぬよう、まわり道をする。掘りかえすことなど、やるとは思えない。

 さらに、アイノは実に平穏な種族で、殺人を好まない。いわゆる日本人のように、死を確実にするための、とどめをさすといった行為は決してしない。 といったことがわかるにつれ、なぞは深まるばかりだった。手がかりがつかめぬまま、この旅も終るのかと思われた。

iPS細胞を用いたがん治療

Newton別冊「iPS細胞」ニュートンプレス、2008

P75

 すべてのがんの約90%は上皮という組織にできる。この上皮の細胞(上皮細胞)は、細胞どうしがしっかりと結びついて、細胞のシートをつくっている。それによって、皮膚や消化管などが形づくられているというわけである。

 ところが、がん細胞のもつ特徴の一つとして、まわりの組織に入りこんでいったり(浸潤)、血液に乗って全身の組織へと転移したりすることがある。進行したがんのがん細胞は、細胞の性質が上皮細胞のタイプから、より運動性の高い「間葉系細胞」とよばれるタイプに変化する。このように性質をかえることで、がん細胞はまわりの細胞との結びつきをなくし、細胞のシートからはなれていく。そして、まわりの組織に入りこんでいくことができるようになる。この細胞のタイプの変化を、「上皮ー間葉移行(EMT)」とよぶ。

 リプログラミングによって、EMTとは逆に、間葉系細胞を上皮細胞にもどそうというのが宮園教授のアイディアである。これは、がん細胞を正常な細胞にもどすよりは、実現の可能性が高いという。

 EMTは、がん細胞だけにおきるわけではない。受精卵から体がつくられていく過程でもおきることが知られていて、研究がさかんに行われている。その結果、上皮細胞が間葉系細胞にかわる際にはたらくタンパク質は徐々に明らかになってきている。しかし、逆に間葉系細胞を上皮細胞にもどすようなタンパク質については、まだよくわかっていないという。 実は、iPS細胞やES細胞は、細胞どうしがしっかりと結びつくなど、上皮細胞と似た性質をもつ。 iPS細胞への初期化について研究が進めば、間葉系細胞を上皮細胞へもどすメカニズムについても、新たなヒントが得られるかもしれないと期待されている。

 がんが悪性に進行する際には、転移がともなう。「初期のがん細胞をリプログラミングして、間葉系の細胞を上皮細胞へともどすことができれば、転移をおさえることで初期のがんをかなり治療できるようになる可能性があります」(宮園教授)。iPS細胞の登場は、がんの治療法にも新たな展開をもたらそうとしている。

(院長註:宮園教授は宮園浩平東京大学大学院医学系研究科分子病理学講座教授)

受精卵

Newton別冊「iPS細胞」ニュートンプレス、2008

P16

「受精卵」は全種類の細胞になれる「全能細胞」

ただし分裂ごとに全能性を失っていく

 ヒトの一生は「受精卵」にはじまる。卵子と精子が合体して1個になった細胞が受精卵だ。この受精卵こそ、体のどの細胞にもなれる、全能性の細胞である。

 だが、受精卵の全能性は、分裂を重ねるうちに失われてしまう。マウスで実験すると、受精卵が2回分裂して出来た4個の細胞をバラバラにしてもそれぞれが正常な個体になる。だが、もう1回分裂してできた8個をバラバラにすると、もはや正常な個体にはならない。この性質はヒトでもほぼ同じと考えられている。

遺品の中から出てきたペン皿

「祖父・小金井良精の記 上」星新一、河出文庫、2004

p126

(前略)良精はこれをきっかけに日記をつけはじめ、晩年にいたるまで、一日もかかさず継続したのである。小金井喜美子が追憶記のなかで、良精のことをくひどく癖のつきやすい人〉と書いているが、その具体的なあらわれのひとつである。「日記をつけるのも、習慣となればそうむずかしいものではない」と言う人もあるが、ある期間だけならまだしも、ずっとつづけたというのは、驚異的なことではなかろうか。

 このような日記の存在していることを、私はこのあいだまで知らなかった。祖父のことを書く気になった時、私は気楽に考えていた。断片的な資料をできうる限り集め、あとの空白部分を想像で埋め、私のいだいている祖父の人物像を再現すればいいと思っていた。空白部分を埋める作業には、パズルを解くような面白さもある。

 それにしても、資料は多いほうがいい。いとこの小金井純子(良精の長男の子)にたのむと「日記があったようよ」と、三十冊ちかい日記を貸してくれた。少し大き目な手帳に、小さな字でびっしりと書きこまれたもの。一日に二、三行から四、五行だが、一日の休みもなく記入されている。私はいささか複雑な気分になった。これで、より正確になるわけだが、想像力を働かせ、小説風にする余地がそれだけへることにもなる。

 日記は原則として、一年に一冊の割。表紙にラペルをはり、年数がしるされてある。並べてみると、かなりの欠巻があった。それでも、空白部分があるわけだな。

 そう思いながら、私は東大医学部の解剖学教室へ行き、そう期待もせず、たのんだ。

 「小金井良精について、なにか資料が残っていたら、拝見させて下さい」

 「なにかあったようですよ。そうそう、大学にあった遺品は、このなかに保存してあります。ずっと、しまいっぱなしで……」

 と、事務の人はスチール製の書類箱をあけてくれた。そのなかに、ペン皿があった。木を無器用に彫って、ニスをぬっただけのもの。それを見て、私は思わずにぎりしめた。小学生の時、私が学校で作らされたペン皿であった。すっかり忘れていたが、私はそれを祖父にあげたのだった。祖父はそれを大学の自分の室に持ってゆき、ずっと使用していたのだと知った。なつかしい遠い日が、一瞬のうちによみがえった。

 しばらくしてわれにかえり、書類箱をくわしくさがすと、そこにも日記帳があった。借りて持ち帰って並べると、欠けていた部分が全部うまり、そろってしまった。なにか、ため息が出た。これだけの日記をつけた祖父への敬服の念もある。

 と同時に、漠然といだいていた私の方針は、大きく変えざるをえなくなった。資料は多いほうがいいとはいうものの、こうなると、かえって重荷である。記録がこうもととのっていると、小説に仕上げようがない。

 私は執筆の意欲を、一時的に失った。日記がそろっていたら、だれにでも書けることではないか。そんな声が、どこからともなく聞こえてくる。私の手をわずらわせなければならない仕事なのだろうか……。

 どうしたものか。 やはり、私は書かねばならぬようである。だれの目にもふれることなく、医学部の書類箱のなかで眠りつづけていた日記。それを発見してしまった。しかも、私の作った、つたない木製のペン皿とともに。偶然というか運命というか、そんなものを感じる。

(院長註:小金井良精は東大医学部解剖学教室の初代日本人教授。それまではずっとドイツ人教授でした。作者の星新一は小金井良精の内孫でした。)

確認の科学

「iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか」朝日新聞科学医療部、朝日新聞出版、2012

(院長註:井村裕夫元京大総長に対するインタビューです。)

P159(前略)

ーーー研究には、金銭的な支援がまだまだ必要でしょうか。

 そればっかりではないと思う。科学研究費はいま、2000億円を超えました。少ないといっても、ある程度はできます。研究者の自由な発想でできる。お金はありすぎてもダメ。リーズナブルな額を、できるだけ多くの人にある程度長く配れるようにするのがいいと思う。その中からおもしろいものが出たときには、今度は少し大型の予算をつけて、それを伸ばせばいい。むしろ研究費があまり多くないほうが、独創的な仕事ができるんじやないかと思っているんです。

ーーー規模が大きくなると、どんな弊害が考えられますか?

 あまりお金があると、人に任せてしまうところが出てくる。たとえば、外注で遺伝子とか調べてくれるから、そうしたところに作業を任せてしまう。だが、何か間違いがあったときに、どこに問題があるのかが、自分でわからなくなるんです。

ーーーまさに、最初は広く、少ないお金で研究を進める。これが非常に大きな木になるとわかれば、そこにお金をかける、ということが必要なんですね。一方、特定の研究分野に大量の資金をつぎ込む、という手法を取ることがある。

 お金はある程度は必要です。研究の新しい方向を眺めて、その方向に誘導するためには、研究費で行うのはやりやすい方法だし、政府にとってはね。しかし、トップダウンばかりやっていてはダメなんです。研究者の自由な発想を伸ばすには、研究者が自分で工夫して考える、自由な発想というのを伸ばすことも極めて大事。私は、まず、わりと薄く広く研究費を出して、その中でいい芽が出てきて、これは大きく伸びそうだ、というものには、別のお金を出していく、ということでよいのではないかと思っています。

ーーー見極める目が必要ですよね。

 そうですね。そのため、文部科学省とか、日本学術振興会とか、科学技術振興機構とか、ファンディングエージェンシー(研究資金配分機関)に目利きの人が必要です。

ーーー日本で育っているのでしょうか。

 ある程度はあると思います。大学の人たちがそこに入っている。ただ、問題は基礎研究よりも、医学の場合は臨床の応用研究により大きな問題があるんです。たとえば、私は1996年にニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの編集委員になったんです。おっと驚いたのは、日本の論文が載らない。投稿はあるんです。でも、載らない。それに載るような論文が出てこない。これ、非常に心配なんです。

ーーー臨床研究が弱いということですか。

 山中さんがせっかくiPS細胞をつくった。これを臨床応用に持って行くには、患者さんを対象にした臨床研究が必要なんです。ところが、臨床研究の必要性を、大学の先生方も一部を除いてあまり考えていないし、政府の人はもっとわかっていない。「発見の科学こそ科学」だと思っている。だから、遺伝子を見つけた、といった研究にお金は出るけれど、これからiPSの臨床研究をするときに、たとえば300例をやります、というときに、ものすごくお金がかかるんです。でも、そういう研究費が出ない。これは発見の科学ではなく、「確認の科学(あるいは医学)」だよ、と呼んでいる。臨床にとっては、確認のプロセスが必要なんだ。それをやらないと、山中さんの今後の仕事はアメリカでやられてしまう。臨床研究の重要性をもっと考えてほしい。

ーーーこれは、iPS細胞に限らず、ここまでの歴史として、日本で臨床研究に力を入れていない、ということですよね。背景として、何が考えられるんですか。

 臨床研究というのは、非常に手間とお金がかかるのに、とくに日本では評価されない。発見の科学は評価されるので、臨床の先生も新しい遺伝子見つけようとか、「ネイチャー」とかに載るような論文を書くのに一生懸命。それがあると研究費もくる。だが、それだけでは医学に応用できないわけで、患者さんを対象にした臨床研究を着実にやっていかなきゃ、いけない。私はこれまでも臨床研究をもっとやってほしいと言ってきたんだけど、なかなかそうならない。いい芽があっても、臨床に結びついていかない。全部アメリカに持って行かれてしまう。

テンカン

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P76

 テンカンという病気を最初に記録したのは、古代ギリシアの医聖ヒッポクラテスだ。エピレプシアという言葉で記載し、現在の英語でテンカンを意味するエピレプシーの語源となった。ヒッポクラテスは、テンカン発作は神や悪魔のなせるわざではなく、濃くて冷たい粘液が頭の血管につまりすぎているからだととなえた。精神の座が頭にあるとする説はこの頃にはすでにあり、テンカンの原因は頭にあるとしたのは、医聖にたいして失礼かもしれないが、炯眼である。が、粘液うんぬんは、そのころの医学のセントラルドグマであった病気の四元素説にもとづいた説で、その後の西洋の医学にふかく根づいてしまった。

 ルネサンス時代のテンカンの薬は、ヤドリギ、ヒトの頭蓋骨の粉末、シャクヤクの根、月が欠ける頃に集めた草の種のミックスで、これらは乾いており、冷たく湿った脳によいとされていた。ほかの病気への医療も、ミイラの粉末や瀉血(血管を切って血を抜くこと)、ヒルによる吸血などで、たいへんだ。モナリザや、ボッティチェリの美女に会えるとしても、その時代に生きてみたいとは思わない。一九世紀になっても、頭に力ップを押しつけて血を吸引することが治療だった。もっとも、日本でもついこのあいだまで、テンカン発作で口から泡を吹いたら草履を頭にのせろという民間医療もあったりで、ほめられたものではない。

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