週刊文春2020.12.31・2021.1.7P58総力特集コロナ時代の生き方歴史の知恵磯田道史(歴史家)
上杉鷹山に学ぶ非常時のリーダーの心得
江戸時代きっての名君から導かれた、コロナに打ち克つための九つの教訓
コロナ禍のなかでリーダーシップの在り方が問われている。歴史に鑑みて考えてみたい。最初に断っておくが、いま実在する会社や団体、国や自治体のありようを批判するのが目的ではない。もっと長い目で、この国の歴史を眺め、疫病に襲われた過去の指導者の生きざまから、なにか建設的なヒントが得られないか考えるものである。新型ウイルスは未知のもの。誰がやろうと対処は難しい。病気に関しては、誰かを責め攻撃するのは利よりも害が大きい。ただ「歴史は韻をふむ」といわれる。詩が韻をふむように、全く同じではないが、似た現象が起きる。だから過去のリーダーに学べるものもある。歴史上、疾病に対峙したリーダーで、まず参考になるのは、江戸時代きっての名君とされる米沢藩主の上杉鷹山(治憲)であろう。鷹山の政治姿勢には基本があった。「国民をみるには、傷める(けが人)をみるように」との『春秋左氏伝』の言葉であった。公とは人々への果てしない共感性である。けが人を手当てするような目で国民をみる政治である。
【教訓1】一番どこが困って悲惨か。洗い出しをやり救いこぼしのない対策をとる。
鷹山はこれを指導方針としていた。1795年、米沢で天然痘(疱瘡)が猛威をふるった。鷹山が特に心を用いたのは「患者の孤立防止」であった。家族全員がかかる。困窮者が食料を失う。これを想定し、ムラの頭や隣人に「常に見まわって近所で助け合う」看護を指示。生活費を給付した。新型コロナでも、陽性者・患者は孤立しやすい。受診の交通手段や食事の支援が求められる。また鷹山は医療格差も気にした。医療支援が「城下町だけで遠方には伝えられていない」のを問題視。山村に心得書のパンフを配布した。今日では有効と思えない心得もあるが、精一杯の薬・食の情報提供を試みている。
【教訓2】情報提供が大切。具体的にマニュアル化した指示をおろす。
感染症は一般には未知の状況。リーダーは消毒法もマスク着用法も「いつ・どこで・何を・どのように」を明確に指示する必要がある。社会的接触を何割減というなら、誰が何を何割減らすかを具体的に示すような指示が要る。また鷹山は貧乏藩のなけなしの予算で医師団を江戸から米沢に派遣。「御国民療治」といって医療を無償提供した。国民は大切な預かりものであり「御」をつけた。
【教訓3】最良の方法手段を取り寄せ、現場の支援にこそ予算をつける。
こんな国民救護をした藩は、ほぼない。類例・先例がなくても鷹山はやった。地元の医者には「上手な医者の指示をうけて治療せよ」と命令した。
【教訓4】専門家の意見を尊重し採用する。
江戸中期以降の藩は先例主義。幕府や他藩のしない政策をやるのは勇気がいった。鷹山は財政破綻した米沢藩に養子に入った。家庭教師は細井平洲という人格の優れた儒者。若い鷹山に「勇気です。勇気です。勇気でなくて何でやれますか」と、改革精神を叩き込んでいた。一度、決めた契約や政策を変えるのは勇気が要る。正常性バイアスといい、人間は地震、津波やパンデミック等の異常事態になっても、平時と同じ行動を頑固に続けやすい。これを戒めるため、江戸時代の改革派大名は司馬遷『史記』司馬相如伝の言葉を大事にした。「非常の人がある。それで非常の事(政策・事業)ができる。そのあとで非常の功(成功・効果)がある」。熊本藩の細川重賢などは、この言葉を胸に改革に成功した。
【教訓5】非常時には常時と違う人物・事業が必要。変化を恐れない。
感染症などの非常時は事態の動きが必ず速い。見込みで動くことも必要とされる。現実に事態が起きてから行動し指示を出していては遅い。佐賀藩の祖・鍋島直茂は「人によって判断力には上中下の差がある。上等な人は他人の良い行いや考えを見ただけで取り込み、自分の考えにする。普通の人は他人に意見されてから、自分の考えを改める。下等な人は他人から良いことを聞かされても笑うだけ」と語ったと『葉隠』にある。新型コロナの予測を聞いた場合も同じ。新型コロナは1,2週間後なら感染者数の予測がある程度出る。2週間後の状況を想定して計画・政策を決めるといった先取りが求められよう。
【教訓6】情報・予測に基づき計画し事前に行動する。
例えば、旅行や旅行キャンペーンをやるか、やらないかは、2週間後の状況予測を参考にきめたほうがよい。現実に事態が悪化し、感染がひどくなってから中止決定に追い込まれると、もうその時には、リーダーの威信や支持率がひどく低下してしまっている。これは避けなくてはならない。リーダーには「将来予測による事前決定」が要求される。ただ全ての予測や見込みが正しいわけではない。予測や計画・政策の裏には、必ず「前提」が横たわっている。この前提が、あやふやな危ない前提か、かなり固い確かな前提か、をリーダーはチェックしなくてはいけない。例えば「観光キャンペーンをやっても感染は起きない/起きるがどの程度まで信じられる前提か、その固さを見積もる必要がある。
【教訓7】リーダーは前提をチェックし、危うい前提の計画を進めないようにする。
豊臣秀吉のような知恵者でも高齢化すると、判断がにぶった。広大な中国大陸を征服できると考え、「朝鮮が屈服し道案内をしてくれる」と期待に満ちた甘い前提で戦いに踏み切った。結果は失敗。組織の事業計画は全て前提条件のチェックが大切で成否がかかっている。これには、正しい因果関係をつかむ力も関係している。こうすれば、こうなる。因果関係のなかには、必ずそうなるものと、表面上、因果関係があるようにみえて、実は見かけだけのものもある。また対策次第で因果関係を切断できるものもある。リーダーは因果関係への直観力が優れていなくてはならない。
最後に鷹山の話に戻る。鷹山の米沢藩が天然痘に襲われた時、人口は約10万人。必死で対策したが8389人が感染。2064人が死亡した。致死率は約25%。人口の2%を失った。被害は大きく、鷹山の対策は成功したとはいえない。しかし、米沢藩の領民の鷹山への信頼はのこった。鷹山が自分や自分に近い人間の都合を優先しなかったからである。
【教訓8】自分や自分に近い人間の都合を優先しない。
当時、普通の藩は天然痘などが流行すると、殿様とその家族に感染させないため、身近に感染者が出ると、役人に出勤を自粛(遠慮)させた。それで役所の機能は感染対策が必要にもかかわらず、しばしばマヒした。ところが、鷹山はそれをやめさせた。疫病のなかでこそ、役所を動かし続けた。藩士のなかには、鷹山の一連の改革に不満を抱く者も。農民ばかり救って武家をないがしろにする、と怒る者もいたが、それを抑えて鷹山は断行した。天然痘の嵐が去った直後のお正月、例年ならお祝いをし、ごちそうを食べるところだが、鷹山は「年始御儀式を略殺」し、やめた。自分や自分に近い人間の都合を優先していると国民・成員に感じさせてしまったら、危機下のリーダーはおしまいである。リーダーは最も悲惨な目にあっている人々の心に寄り添った分別が必要である。
【教訓9】仁愛を本にしてして分別し決断する。
一見、甘いことを言っているようだが、そうではない。歴史に鑑みると、意外にも、これは不確実な状況下での意思決定に有効である。「万事を決断するのに、仁愛を本にして分別する。そうすれば、万一、当たらなくても大外れはない」。毛利家を率い、戦国の生き残りに成功した智将・小早川隆景の言葉である。