上手な医者のかかり方10か条

先日熊本市医療安全相談窓口からポスターが送られてきまして、内容がよかったのでメモを取り、院内掲示しました。

 

患者と医療機関とのより良い関係づくりのための

上手な医者のかかり方10か条

1.伝えたいことはメモして準備

2.対話の始まりはあいさつから

3.より良い関係作りにはあなたにも責任

4.自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報

5.これからの見通しを聞きましょう

6.その後の変化も伝える努力を

7.大事なことはメモをとって確認

8.納得できないときは何度でも質問

9.治療効果をあげるため、お互いに理解が必要

10.よく相談し、治療方法を決めましょう

                       (厚生省研究班作成)



舌のウロコ

「胎児の世界」三木成夫、中公新書、1983

P28

 「目のうろこ」ということばはよく耳にする。しかし「舌のうろこ」というのは聞いたことがない。それは、味覚という感覚が視覚のそれにくらべて桁違いに奥深いからであろう。脊椎動物の自然誌から見れば、おそらく両者のあいだには数億年といった歳月の開きがあるのであろう。だから、味覚に何か変化が起こったとしても、そこには目のうろこがとれるといったぐあいには、もちろんいくまい。

 ここでしかし、当時をふりかえってみると、あの椰子の汁といい、この母乳といい、これら味に関する出来事は、こうした舌のうろこの剥がれを前提としないでは解決できないのではないかと思われる。というのも、すでに当時のわたくしには食生活の上にある重大な変化が起こっていたからである。食べものの影響はおそろしいというが、それは一つの革命というにふさわしい。あの椰子の実の二、三年前、わが家の主食が何の前触れもなく突如として白米から玄米に切り替わった。忘れもしない、あるゆうげの出来事だ。親しい知人から「お乳の出がよくなるから……」と、すすめられたのだという。すでにお腹のなかにはあの娘が宿されていた。

 そのときのわたくしは、目の前の玄米よりも、むしろ、お腹の生命に対するそうした母性本能のほうに気をとられていた。「なるほど、それもよかろう」といった感じで、生まれて初めて正規の食事で玄米を口にしたのだが、その第一印象は「ああ、こういう味もあったわけか」と、要するに「うまくも、まずくもない」、なんだか拍子抜けの気持だったのをはっきりおぼえている。

 亭主の意見としては、だから、とくに反対する理由もない。それで事はすんだと思っていた。ところが、この主食の転換を契機として、わが家の″食の形態″が一変するのである。まず、牛肉の味がみじめに半減する。豚肉を食べるとオデキができる。鶏肉はどうでもいい。魚はまあなんとか、といった感じ。イカタコ・エピカニの類はまあまあか。これに対して、納豆・豆腐・味噌汁といった大豆の味がにわかに見なおされてくる。そして、ただのゴマが命の綱に見え、店頭のワラピやワカメには後光が射してくる。要するに、副食の嗜好が変わってしまったのである。だから、脂身に縁どられた牛肉片のグラム数に一喜一憂する姿は自然になくなる。かわりに、ワラピのアク抜きの灰を求めて物置の床にはいつくばる姿が出てくる。まったく想像もしなかったことだが、こうしていつしか食卓の周囲も都会風から田舎風に、そのまなざしも肉食獣から草食獣のそれに変わってしまう。

 いまから見れば、しごく単純なことだった。それは、副食が生物系統樹の梢に沿って、人類の出る霊長類の枝からしだいに遠ざかるということだ。まず獣肉のなる哺乳類の枝から鳥肉のなる鳥類・肥虫類の枝を経て魚のなる魚類の枝へ、さらにこれら脊椎動物門からイカタコ・エビカニという無脊椎の各動物門へ、そしてついに動物界から植物界へ、それも大豆の近代植物からワラビ、ワカメの古代植物へ、といったぐあいに。

 こうして玄米の味覚は、好むと好まざるとにかかわらず、副食の選択をわたしたちに強いることになった。それは、系統的に遠い植物界の蛋白質を材料に選び、おのれに近い動物門のそれはできるだけ避けるということだ。地球の生態系から眺めると、これこそ動物本来の食の形態というものであろう。してみると、この主食は、わたしたちの分厚い鈍重な舌のうろこを剥がして、粘膜の感覚を原初の姿にまで立ち還らせたのか。

ミスコン

週刊文春2015.1.15P59伊集院静の「悩むが花」

Q今度、娘の学校でミスコンが開催されるらしいのですが、その主催者がうちの娘にそれに出場するように誘ってきたらしいんです。娘はどちらかというと引っ込み思案なタイプなのですが、ちょっと出てみたいという気持ちもあるようで迷っているみたいです。親として、何事もやってみるように言うべきなのかどうか悩んでいます。(46歳・女・主婦)

A 引っ込み思案の娘が、なんで、ミスコンにちょっと出たがるんだよ。日本語の使い方おかしくないか。まあいい。

 やめときなさい。これまでミスキャンパスってのを何人も見て来たけど、九十九パーセントの確率で、パカ娘だったから。その上、元ミスキャンパスってのが一番ワガママだし、根性悪いし、性格なっちゃないし、へちゃむくれだし、誰も皆ひどかったナ・・・・・。

 えっ?昔ミスキャンパスにふられたんじゃないかって?そうだったかな?

 ともかくまともな人生を娘に送らせたかったら、そんなことやらせちゃダメ。

がんの再発

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P396

 がんは再発すれば必ずわかる。そのことをジョブズは身をもって学んだ。

 食欲が落ち、体中が痛みはじめる。いろいろな検査でなにも見つからず、医師には大丈夫だと言われるのだが、自分の体のことは自分が一番よくわかる。がんば再来を知らせる道を持っており、その兆しを感じはじめて1〜2ヵ月もすると、落ちついた寛解期は終わっていたと医師にもわかるようになるのだ。

貧乏ゆすりは「健康ゆすり」

週刊新潮2015.2.12P96「がんの練習帳」

貧乏ゆすりは「健康ゆすり」 中川恵一東大病院放射線科准教授
 座っている時間が長いことによる健康リスクは、単にカロリー消費が減って肥満になるからだけではなく、"不活発な"状態が続くこと自体に原因がありそうです。このことは、ただ座るだけでなく、テレビやパソコンの前に座る時間が長いと、とくにリスクが高くなることでも分かります。テレビやパソコンに集中すれば、カラダを動かさない時間が長くなるからで、全身の筋肉、とくに脚の筋肉を長時間動かさないのが一番イケナイのだと思います。

 福島第一原発事故による避難者に「生活不活発病」が増えています。読んで字の如く、「生活」が「不活発」になることで全身の機能が低下する病気です。全村避難を続ける飯舘村でも、高齢者が外出をしなくなって、狭い室内に閉じこもる傾向が顕著です。村民約1000名を対象にした健康診断の結果でも、震災前後で、健康状態は明らかに悪化しており、高血圧、肥満症、糖尿病といった生活習慣病が明白に増加しています。そして、同じ避難者でも、仮設住宅より、自治体が借り上げるマンションやアパートの部屋に住む避難民に生活不活発病が多い傾向があります。すきま風の入る仮設住宅より住環境はましですが、知り合いもない借り上げ住宅に入る避難民は孤立しがちで、外出も少なくなり、まさに、生活が不活発になってしまうのでしょう。

 生活不活発病を防ぐポイントは「定期的な運動」ではありません。むしろ、「日々の生活全体を活発にする」ことが大事です。運動をしていても、座っている時間が長いと不健康になるのと同じことです。

 狭い空間で動かないでいることが健康リスクを高めるのは、避難民だけではありません。飛行機の狭い座席で長時間同じ姿勢でじっとしていることで、足の静脈に血のかたまり(血栓)ができる「エコノミークラス症候群」も”急性”の生活不活発病と言ってよい病気です。この血栓が静脈の流れに乗って心臓に戻り、肺の動脈が詰まって肺梗塞になると、命に関わる場合もあります(欧米での循環器疾患による死亡原因の第3位)。

  私は大のサッカー好きですが、元日本代表のストライカーだった高原直泰選手が、長いフライトの後にこの病気を発症し、緊急入院となったことがあります(彼のシートは、ビジネスクラスでしたが)。

 飛行機以外でも、バスや列車での長旅でも危険はありますし、タクシーやバスの運転手に発症することもあります。2004年の新潟県中越地震では、クルマの中で避難生活を送る人たちにこの病気による死亡が相次いだこともあります。

 脚の血液が心臓に戻るのは、心臓が血液を吸い上げてくれるからではありません。脚の静脈は筋肉の間を通っていて、筋肉が動くとそれに伴って血液が押し上げられ、心臓に向かって流れるのです。長時間座っていて、脚を動かさないと、この「筋肉ポンプ」が働かなくなって、血液が脚に僻滞してしまい、血栓ができやすくなるわけです。

 エコノミークラス症候群予防のために、下肢を動かす体操が勧められるのはこのためですが、私は、機内では、「貧乏ゆすり」をすることにしています。ちょっと恥ずかしいですが、これなら起きている間ずっと続けられますし、余分な空間は不要ですから、私のようなエコノミークラスの愛用者にはぴったりです。

 貧乏ゆすりは人種を問わずヒトに共通するクセのようなものですが、その評判は洋の東西を問わず、芳しくありません。私も子供のころからよく注意されてきましたが、医師としては、むしろオススメです。筋肉ポンプの働きを高めることで、下肢の静脈血栓を予防する他、女性の冷え性の改善、股関節の老化予防にもプラスになります。

 なにより、長時間オフィスのデスクに座ったままで脚の筋肉を動かし続ける手段は、貧乏ゆすりくらいしかないでしょう。ただ、ネーミングが実に悪い。ぜひ、「健康ゆすり」と呼び名を変えてほしいと思っています。

大切な話は右耳で聞く

「胎児の世界」三木成夫、中公新書、1983

P8

 戦後の大脳生理学の研究の一つに、人間では脳の左と右とでは分業が成立していて、左のほうが″論理″をつかさどる「ロゴス脳」であり、右のほうが″勘”をつかさどる「パトス脳」であることを明らかにしたものがあります。何か難しい話のように思われるかもしれませんが、どうということはありません。脳の出先である左右の目や耳、それに手といった末梢器官でこのことを考えてみますと、よくわかります。いずれも、そのかたちは左右対称ですが、その働きはまるで違う。つまり、脳と同じ分業制ができているというのです。

 たとえば、本の見開きの右のページは活字ばかりで、図などは左のページに載っていることが多い。どうも、わたしたちの目は、右のほうが活字を、左のほうが図形を得意とするらしい。この関係は耳でもいえるようで、たとえば、電話で大切な話をするとき、受話器を右肩に担いで右の耳で押える。しかし声だけ聞きたいというときは、左のほうがいい。メロディの場合も同じです。手については、これはもう文字そのものが右手のためにできている。そして、図を描くのは、やはり左が上手らしい。これは、癲癇の治療で左右の半球を切断したときに初めてわかった、ノーベル賞に値するような研究です。

 わたしたち人間の感覚‐運動器官は、このように、右側が文字やことばの、いわゆるロゴスの世界を、左側が絵や音楽の、いわゆるパトスの世界を、それぞれ得意として分担しているのですが、これらは、神経の交叉で反対側の脳と繋がっていますので、左脳=ロゴス、右脳=パトスという図式が出てくるわけです。左利きでも何割かはこの図式にあてはまるらしい。

 ここで、ひじょうに興味深いのは、この脳の左右のつりあいがどうも人によって違うらしいということです。わたくしがいまおります大学の美術の学生たちは、難関を突破してきたわけですか、そのレポートにはまるで読めないのがあります。ところが、その片すみにちょっと描いてある似顔絵などの筆跡には、ぞっとするほどすごいのがある。これとちょうど反対なのが、わたくしがまえにいた医学部の場合で、これまた難関を突破してきた学生たちですが、たとえば骨学の実習で骸骨の絵などを描かせますと、とても見られないのがたくさんある。どこか″欠損″しているのではないか、といった感じです。これで、入学試験の”足切り″がそれぞれどちらの脳を対象にしているのか、正体を見せたわけですが、最近、これと似たことが、わが国の耳鼻科のお医者さんの手で明らかにされました。

 それは、いま申しましたことを、とくに音で精しく調べたものですが、ここには、民族の差という、のっぴきならない問題が出てまいります。つまり、電流を使って言語音と非言語音の脳内経路を民族のあいだで比較しましたところ、どうもわたしたち日本人は自然の音を左の言語脳で聞くらしい。これは、欧米人が、たとえば虫の音を一種の″雑音″として右の音楽脳で受け止めるのと対照的です。むかしから自然の風物を″語りかける友″として眺めてきた日本人の生理を初めて自然科学的に実証したこの研究は、こころにしみるような業績ではないでしょうか。

拳銃の威力

「勇気凛凛ルリの色」浅田次郎、講談社文庫、1999

p76

 自衛隊在職中に得た知識によれば、銃弾が胸部に当たった場合は心臓さえ外れればだいたい助かるが、腹部に当たった場合はまずダメだそうだ。というのは、銃弾は猛烈な勢いで回転しているので、たとえばトウフの中に指をつっこんでかき回したみたいに、周囲の内臓がグズグズになってしまうからである。そうした破壊力からいっても、凶器としての拳銃はただものではない。

イエローハット創業者鍵山秀三郎氏の言葉

 税務を担当してもらっている税理士法人絆の隈部会計事務所より定期刊行物の「SUCCESS ROAD」132号が届き、そこにイエローハット創業者の鍵山秀三郎氏の言葉が出ており、よかったので紹介させていただきます。

 隈部先生は30年ほど前東京で行われたTKCの会合での鍵山先生の講演に感動し、お手紙を書き、返事をもらってから鍵山先生の大ファンになられたそうです。

 15年ほど前には鍵山先生が隈部会計事務所に来られたそうです。今年の2月に来られた写真が掲載されていました。

 コピペ(コピー&ペースト)に象徴されるような最近の若者の「最小の努力で最大の効果を」という傾向と真逆に位置する言葉です。院長もこの年になってやっとしみじみとわかるようになってきました。


隈部幸一氏が感動した鍵山氏の言葉

1.凡事徹底(ダレにでもできる平凡な事を、ダレにもできない位徹底して続けてきました)

2.大きな努力で、小さな成果

3.やっておいてよかった やっておけばよかった

4.一つ拾えば一つだけきれいになる

5.10年偉大なり、20年畏るべし、30年にして歴史となる

6.困ったことばかりでも、何か一つはよいことがある

7.伝わらなくても伝えたい 届かなくても届けたい

8.棒ほど願って 針ほど叶う

9.積小為大

10.良樹細根

認知症予防は「歯が命」

認知症予防は「歯が命」画像_0001-2.jpg週刊文春2015.2.19P33の記事です。歯が少ない人ほど、そして咀嚼能力の低い人ほど、認知症発症率が高くなると紹介しています。

糖尿病と認知症の関係を調べていると、「糖尿病の高齢者は認知症の発症リスクは約2倍」というページを見つけました。

糖尿病と歯周病の関連もよく取り上げられるようになってきています。

糖尿病、歯周病、認知症が密接に関わっているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

糖質制限食でγ-GTPが下がった

糖質制限男女50人奇跡の物語、桐山秀樹、宝島社新書、2013

P45

糖尿病克服

「おやじダイエット部会」に参加して不安を払拭。徹底的に実践 沼田賢一さんフードアナリスト51歳

中性脂肪が219mg/dlから56mg/dlへ急降下

 糖質制限の結果、糖尿病から脱出できた中年男性は多い。

 東京・台東区で、フードアナリストとして食品のネット販売を中心に活動している沼田賢一さん(51歳)は、仕事柄、飲み歩き、食べ歩きを趣味としていた

 「外食する時は『大盛り』と頼むのは当たり前。飲みに行けば、最後にラーメンも必ず食べていました。その結果、体調はどんどん悪くなっていきましたが、『もう歳だから』と軽く考えていました」

 2011年秋のこと。それまで高血圧治療に通っていた病院で、担当医が代わった途端、「あなた、1年半前から糖尿病だよ」と告げられたのです。当初は医師の指示通り、1日1200キロカロリーのカロリー制限を続けていたのですが、あまりの大変さに、もっといい方法はないかと、書店に糖尿病治療に関する本を求めに行き、そこで江部康二先生の糖質制限の本を見つけ、半信半疑で始めてみました」

 当初は、今までの健康常識とあまりにも異なるので、余計に体調を悪くするのではないかという不安があった。だが、この糖質制限で体重が落ち、体調も良くなれば本物だと思い、とにかくスーパー糖質制限から徹底的に始めてみることにした。

 「朝は、そもそも食べないことが多く、ヨーグルトとコーヒー程度。昼は定食で、ご飯はいりませんと断るパターン。夜は、週一、二度飲むスタイルだったのを、毎日大衆ステーキ屋に行き、ステーキとサラダとウイスキーという食生活を続けました」

 その結果、体重は約6か月で、94キロから72キロヘ22キロ減。HbAlcも2年間で6.8%から4.7%(JDS値)へ。空腹時血糖値も167mg/dlから97mg/dlへ1年間で下がった。γ-GTPも260IU/lだったものが2年後には33IU/lに。中性脂肪も219mg/dlから56mg/dlに降下した。

 「以前は禁酒したり、カロリー制限しても、この二つの数値は下がりませんでした。体調的にもだるさは全くなくなり、血圧も下がって全てが良好になっています」

オフ会で得られる先輩からのアドバイスは貴重

 糖質制限を始めて本当に良かったと思うことは、血糖値が安定し、糖尿病への不安が解消されたこと。だるさや目の疲れがなくなり、血圧も下がった。二日酔いもなくなり、友人が増えたこと。そして、糖質制限を周囲の人に教えることで、感謝されるようになったことだった。

 「糖質制限者の集まりである『おやじダイエット部』のオフ会に出て、同じ糖質制限をする方々と話すようになって、糖質制限に対する不安も減り、何年も前から実践されている人と話して、不安は完全に払拭されましたね」

 糖質制限を長続きさせるコツは「糖質の多い食材を食べられないと考えるのではなく、糖質の少ないものを見極めて食べる楽しさを覚えること。そして、たまに糖質を摂ってしまっても気にせず、自分を責めない。そして糖質制限仲間を増やしていくこと」だと、「糖質制限実践者」を名刺にまで刷って持ち歩いている沼田さんは言う。

(院長報告:院長は糖尿病ではありませんでしたが、2013年3月から糖質制限を開始しました。のんべえの院長の長年の悩みはアルコール摂取の指標であるγ-GTPが年々高値になっていくことでした。2012年9月の時点で545IU/lにもなってしまっていました。「もう酒をやめないといけないかな。」と思いつつ飲み続けていました。2014年9月の健康診断の結果は66IU/lです。正常値に戻っていました。驚きました。飲んでる量は以前と全く変わりません。糖質制限以外理由は考えられません。一時期80kgあった体重も67kgに。今日計ったら69kgでした。週に2回のお寿司とラーメンは許しています。それでも血圧はやや高めですが、体調は好調だと思えます。誰か小栗さんに会ったらここを読ませて下さい。ここ何回か小栗さんに会うたびに「ガンマいくつネ?」と合言葉のようになっていましたから。ボクはイチヌケました。)

養老先生の悩み

「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999

P302(院長註:菊池は菊池聡信州大学人文学部教授)

養老ーーー私は、そういう学生が現れ始めたころから、教育にだんだん自信がなくなってきました。東大にいたとき、医学部にオウム真理教の学生がいたんです。講義はちゃんと聞いて、勉強を一応まともにやっているのに、麻原彰晃が一時間水中に沈んでいられるといったようなことを頭から信じているわけです。彼の頭の中では、私が教えているような科学と、オウムのような世界が同居している。教育と称して私が言ったことも同じ重さで同居してしまうのなら、たまらないと思ったんです。その一方で、自分がうっかり言ったことが、麻原彰晃が言ったことと同じような影響力で学生を変えてしまったら、それも恐ろしいと思いました。

 科学というものは、大勢の偉い人がああでもない、こうでもないといって築いてきた。みんなでさんざん議論したり、検証してやっとたどり着いた結果です。宗教は、もっとそれが激しくて、最後にたどり着いたのがカトリック教会です。科学も、宗教も、そういう重みがあるんです。ところが、彼らの中では、その重みが消えて、麻原彰晃もカトリック教会も並列になってしまっている。どうしてそうなってしまったのかというのが、悩みの種だったんです。

菊池ーーーその悩みは、今も続いておられるんですか。

養老ーーーそうなんです。若い人達が超常現象の話をしているときに、なぜそうするのかを理解できない自分が、教育できるのかといつも思います。私より上の年代の人を中心に、人間だから共通のはずだという建前論で、世代の違いを問題にすること自体を嫌う傾向があります。そういう立場に立つと、オウムみたいなのは別だという話になっちゃうんです。

 でも、そんなふうに世代の違いと向き合うことを嫌った結果が、オウムの登場につながったのではないでしょうか。日本人にいま欠けているのは、オウムや超常現象の流行は、自分たちが生み出したものだという感覚だと思うんです。

菊池ーーーなるほど・・・・。

養老ーーー宗教家のほうも世代交代していますからね。宗教家自身が自分たちの領分を放棄してしまったという可能性もあります。宗教家に限らず、それぞれの分野の人が知らず知らずにやっていたことが、オウムという形で返ってきたのではないかと思います。

女の本音

「養老孟司・学問の格闘」日経サイエンス編、日本経済新聞社、1999

P310(院長註:菊池は菊池聡信州大学人文学部教授)

養老ーーー話は戻るんですけれども、超常現象を信じる人には、何か共通する特徴がありますか?

菊池ーーー心理的な特徴というのは確かにあるようですね。子供で調査した人がいるんですが、学校に適応したいわゆる「いい子」に信じている子が多くて、ちょっと学校になじめないような子のほうが信じていないんです。いい子というのは、素直だから、学校の先生の言ったことをそのまま信じる。同じように、テレビでUFOがあると言われれば、それを信じてしまうんですね。

養老ーーーもう一つ非常に気になるのは、そういうことに対して男女で違いはあるのかということです。

菊池ーーー調査データから言うと、血液型性格判断とか、星占いなどの占い系は、女性のほうが倍ぐらい信じていますね。実は、この調査自体も面白くて、「占いを信じますか」と尋ねると「はい」と答える人は少ないんですけれど、「占いが人間行動の理解や予測に役に立ちますか」と尋ねると「はい」の人がぐっと増えるんです。それに対して、男性のほうは、どちらかと言うとUFOとか超能力を信じる人が多いです。

養老ーーー占いのほうは、現実的で生活密着型ですね。UFOとか超能力は生活に関係ないですね。あってもなくてもいい。女性のほうが人間に対する興味が強いのかなとも思います。ただ、女性が占いとか血液型性格判断を信じるからといって、本当にそれに従って行動するんでしょうか。その間には隔たりがあるような気がするんですが・・・・。

菊池ーーーその点は心理学者も興味をもっていて、調べた人がいるんです。女子大生にいかにも占いふうの心理テストを受けさせて、「あなたは外向的だという結果が出ました」とでたらめの結果を告げる。すると、その人は実際に外向的な特徴を示すようになったそうです。

養老ーーー言えば効くというのが本当なら、私は女房に「おまえさんは倹約家だね」と言いますよ(笑い)。でも、今の話は、いわばバーチャルな空間での実験ですよね。実利という面にはかかわっていない。

菊池ーーーそれは、そうです。

養老ーーーそのあたりに、心理学の限界があると思うんです。変な言い方になりますけど、本気で生きてる部分とはちょっと違うところを見ているのではないかという感じがする。動物なら、常に生死がかかっているから、正直に行動していると思うんですが、人間の場合は、二重、三重に底があるような気がして・・・・。

 たとえば、女性の場合、どんなに占いを信じていると言っても、そのためにだまされてお金を出しているように見えても、実際には実利を計算して行動していて、最後には元をとっているのではないかと思うんです。だって、女の人は戦争やりませんからね。あんな、命懸けのことをやるのは男だけですよ。

大学教授

「朝日新聞の正義」井沢元彦、小林よしのり、小学館文庫、1999

P187

井沢 (前略)そもそも大学教授には今のところ、公的な資格は何もないんです。高校以下の学校で教える場合は免状が必要ですけど、大学教授は誰でもなれるんですよ、極論すれば。しかも一度なってしまうと、学問の自治という聖域があるので、なかなかクビにできないんです。たとえば、経済学者や外交史の学者の中に、北朝鮮は天国だ、みたいなことをずっと言っていた人がいるわけですよ。普通、そういう嘘ばっかり言っていた学者は社会的に糾弾されなければいけない。しかし、そんな糾弾は起こらないし、仮に起こったとしても、そのことで辞めさせることには大学側が学問の自由、大学の自治を盾に、ものすごく抵抗するんです。もちろん国も辞めさせられないし、ユーザーである我々も辞めさせられないから、結局、嘘つき教授は居座ってしまう。

 そして、その居座った教授が"クローン"をつくる。日本の大学は講座制ですが、講座は一国一城の主みたいなもので、後継ぎは教授が決められるわけです。教授は自分に忠実な助教授なり助手なりを教授にしていくわけです。もちろん、教授会の承認は必要ですが、最近のマルクス史学はおかしいからやめましょうなんて言う人はいないから、教授の言うことが通るんです。そうすると、本来、社会的にどこにも通用しないものが、そこだけ残ってしまう。めでたく教授になった人間は、前の教授と同じように後進を指導していくわけです。指導された学生はそれが真理だと思って大学を出て、高校や中学の教師になった人はまた後進を教える。嘘つき教師の拡大再生産が行われちゃうわけですよ。

自分の体と毎日向き合う

週刊朝日2015.1.30P38養生達人健康問答

帯津良一(医師)×菊池和子(きくち体操創始者)

菊 そうですね。自分の体と毎日、向き合っていると、この体で私は生きているんだとだんだん感じ取れるようになってきます。そうすると本当に自分の体が大事だと思えて、食べ物なんかうるさく言わなくてもちゃんと自分で律するようになる。それでも病気になることはありますから、そうしたらお医者さんに手伝ってもらって、でもやっぱり自分が主体であると思って治していく。人間の命って誰かにゆだねるようにはなっていないんです。

 自分の体のことがわからなくて、知らなくて、お医者さんの言われたとおりにしてもよくなっていない人はいっぱいいると思います。みんな、お医者さんによくしてもらおうと病院に行って、何年も通ってもよくならない、体操でよくなるとは思えないけれども、行くところがないからと来るんです。そういう方がうちで体操をして、はじめて自分の体と向き合うことでよくなる。

呼吸に意識を向けると

週刊朝日2015.1.30P37養生達人健康問答

帯津良一(医師)×菊池和子(きくち体操創始者)

菊 何を話せばみんなが自分の体に関心を持つようになるだろうと考えたときに、やっぱり自分の体がどうできているか、その仕組みを知ることを大事にしていくことだと思ったんです。手の指一本一本の筋肉は、腕の筋肉になり、胸の筋肉や腹筋、背筋までつながっていると説明して、握力が落ちて以前よりビンのふたを開けにくくなっているとしたら、指だけの問題ではなく、内臓、特に肺がきちんと働けなくなっているかもしれない。逆に、手の指をしっかり動かしていると深い呼吸ができるようになる、といったことを話すんです。そうすると、子どもでもわかってくれる。講演に行くときは、人体図と骸骨を持っていって、みんなに見せて話すんです。

帯 解剖とか生理とか、それを交えて体操の指導をするわけですね。気功でも体に意識を向けることが大事です。それが調心ということなんです。きくち体操は呼吸についてはどうなんですか。

菊 呼吸に意識を向けると体から意識が離れちゃうんです。それでゆっくり体を動かして、二の腕はちゃんと使われているかとか、あばら骨の一個一個の間の筋肉もちゃんと伸びてきているかとか、そういうことを感じるようにすると、息がちゃんと体に合ってきて、深く呼吸できるようになるんです。

帯 調心に気持ちをこめると、呼吸もおのずとできるというわけですね。

  ご著書(『いのちの体操』) を読ませていただいたんですが、足にカビが無残に生えてしまってどこの病院でも治らず、「もう、こんな足は切り落としたい」と言った女性を叱責するくだりがありますね。「あなた、何を言ったかわかっているの。その足のおかげで毎日生きてこられたんでしょう。あなたが大事にしないから、こんなふうになったんでしょう。足に感謝したことがないでしょう。足に謝りなさい」 って。

菊 あのときは「切り落としたい」という言葉に怒るとともに悲しくなってしまって、涙が出ました。あの女性は心から自分の足にわびて、毎日、謝り続けながら、足首を回したり、足の指を動かしたりしているうちに、カビが消えたんです。

帯 体に意識を向ける、体と向き合うのは、自分の体に愛情を持つ、自分の体に感謝するということでもあるんですね。体操というと体を動かすだけと思うけど、きくち体操はそうじゃない。自分のいのちと対話するということなんですね。よくわかりました、きくち体操が皆さんに受け入れられる理由が。気功も似ているところがあって、やっぱりいろんな病気がよくなるし、がんの患者さんも必ず治るもんじゃないけれど、でもいい方がときどき出てくる。だから私は、がん治療の戦略のなかで気功を重要視しているんです。きくち体操も同じ意昧合いだと思います。

「私は今までウソをついたことがないんです。」

 院長は今までに「この人はサイコパスだな」と思った人が数人います。(この言葉を知ったのが3年前なので、今思い返せばと言うのも含めて)みなさん口がうまかった。その中でも院長が特に覚えている一言が表題です。

 もう正体はばれているのにもかかわらず、ウソをつきまくっているにもかかわらず、「私は今までウソをついたことがないんです。」と平然となんの躊躇もなく言い放ったのでした。恥の合理化が完全にできているのでしょう。人間としては完全に壊れていると感じました。

 STAP問題の時に、捜査聴取のプロを自認する人が登場して、「彼女はウソをついていない。」とおっしゃったそうですが、プロをもだますウソを平然とつけるタイプの人間が存在するということを知っておくべきだし、知っておかなければならないと思います。

ジャーナリズムは「鏡」であればいい

「朝日新聞の正義」井沢元彦、小林よしのり、小学館文庫、1999

P46

井沢 僕が日本の新聞、なかんずく朝日新聞でいちばんいけないと思うのは「目的が正しければ情報操作をしてもいい」と考えているらしいところです。これは絶対に間違いです。ご存じのように、戦時中、大本営発表というのがありました。たとえば、ミッドウェー海戦で負けたのに、日本国民は心を一つにして「鬼畜米英」と聖戦を戦っているのだから、それに反する情報を出すと国民の士気が落ちるというので隠してしまう。それを皆「いいことをしている」と思ってやってたわけですよね。その時には正義だと思っても、あとから見るとそれは正義ではないということはいくらでもある。だからとにかくマスコミは事実を正確に伝えるべきであり、それからの判断は国民なり、政治家なりに任せるべきなんです。情報は、出すところで操作すべきでないというのが世界の常識でもある。ところが日本のジャーナリズム、とくに朝日は未だに情報操作することが正しいと考えているふしがある。

 とくに、権力は危険なものだから徹底的にチェックしなければならないと考えている。それが高じると、権力チェックのためには多少情報操作をしてもいいんだ、となるわけです。「大義のためには情報操作をしてもいい」という日本のマスコミの基本的な考え方は、戦前・戦後を通して変わってない。ただ、その大義の中身が「戦後民主主義」に変わっただけで、それを擁護するためには、あるいは右翼を黙らさせるためには嘘ついてもいいというのが、朝日をはじめとする日本のジャーナリズムのいちばん大きな勘違いではないでしょうか。ジャーナリストは「鏡」であれぱいいと思うんですよ。それが今は「歪んだ鏡」になっちゃってる。

ハゲとチョンマゲ

「勇気凛凛ルリの色」浅田次郎、講談社文庫、1999

P129

 頭がハゲた。

 しかし依然として、側頭部と後頭部は剛毛に被われている。理不尽である。この不平等は憲法の精神に悖(もと)る。

 江戸時代に生れていれば、まだ何の苦労もなかった。サカヤキを剃る手間が省けて、むしろ都合が良かったはずだ。

 ふと考えるに、もしかしたらチョンマゲとは、いずれはハゲる大多数の男たちのために用意された社会習慣ではなかったか。

 はじめから全員がサカヤキを剃っていれば、現役の男たちはおおよそ年齢不詳となる。すると合戦に際しては雑兵どもに狙われる危険も少いし、むしろ戦なれした年長者には正当な威風がそなわる。しかも平時においては若い女に嫌われることもなく、歴戦のつわものぶりはここでも正当に評価され、子孫は栄える。年を経てサカヤキがさらに後退し、チョンマゲも結えなくなるころには、どうせ自慢の槍も役にはたたんのだから、一気に頭を丸めて出家遁世すればよい。これで男の人生は公平に完結する。  

 かくて長幼の序を重んじた封建社会は、チョンマゲを必要としたのだ。この説はかなり説得力があると思うのだが。 

 いずれにしろ頭のハゲた今となっては、薩長を呪うしかない。

武田鉄矢さんが三木成夫先生のことを語る

 武田鉄矢さんがラジオの番組で三木成夫先生のことを語っているのをまとめてくれているページを見つけました。武田鉄矢さんいくつか間違えておられるので訂正しておきます。三木成夫先生は東大のご出身ではあるけれど東大の教授ではありません。東京芸大の教授でした。養老先生の解剖学教室の先輩であるけれど、先生ではなかったと思います。それにしても大講義室の全員が拍手するなんてことをなんで武田鉄矢さんが知っているの?院長のちょっとイイ話Xの一番下に一応載せてますけど。こんな本、しかも古いので、武田さんが読むとは思えない。ひょっとして武田さんか放送作家さんがこのホームページを見にきている?だとしたら光栄ですけど。このブログ始めたのは2010年です。西原克成さんのことまでしゃべっておられるのも見つけました。

スティーブ・ジョブズの言葉E

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P427

 スタートアップを興してどこかに売るか株式を公開し、お金を儲けて次に行くーーーそんなことをしたいと考えてる連中が自らを「アントレプレナー」と呼んでるのは、聞くだけで吐き気がする。連中は、本物の会社を作るために必要なことをしようとしないんだ。それがビジネスの世界で一番大変な仕事なのに。先人が遺してくれたものに本物をなにか追加するにはそうするしか方法はないんだ。1世代あるいは2世代あとであっても、意義のある会社を作るんだ。それこそウォルト・ディズニーがしたことだし、ヒユーレットとパッカードがしたこと、インテルの人々がしたことだ。彼らは後世まで続く会社を作った。お金が儲かるだけじゃなくてね。

 アップルもそうなってほしいと僕は思っている。

スティーブ・ジョブズの言葉D

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P427

 IBMやマイクロソフトのような会社が下り坂に入ったのはなぜか、僕なりに思う理由がある。いい仕事をした会社がイノベーションを生み出し、ある分野で独占かそれに近い状態になると、製品の質の重要性が下がってしまう。そのかわり重く用いられるようになるのが”すごい営業”だ。売り上げメーターの針を動かせるのが製品エンジニアやデザイナーではなく、営業になるからだ。その結果、営業畑の人が会社を動かすようになる。IBMのジョン・エーカーズは頭が良くて口がうまい一流の営業マンだけど、製品についてはなにも知らない。同じことがゼロックスにも起きた

 営業畑の人間が会社を動かすようになると製品畑の人間は重視されなくなり、その多くは嫌になってしまう。スカリーが来たときアップルもそうなってしまったしーーーこれは僕の責任だったーーーバルマーがトップになったときマイクロソフトもそうなった。幸いなことにアップルは立ち直れたけど、マイクロソフトはバルマーが経営しているかぎり変わらないだろう。

スティーブ・ジョブズの言葉C

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P425

 世間の人々は、僕らにお金を払っていろいろなものを統合してもらってるんだ。みんな、そういうことを一日24時間、年中無休で考える暇はないからね。すごい製品を作りたいと情熱に燃えていれば、統合に走るしかない。ハードウェアとソフトウェアとコンテンツ管理をまとめるしかないんだ。すべて自分でできるように、新しいところを拓きたいと考えるはずなんだ。他社のハードウェアやソフトウェアに対してオープンな製品にしようと思えば、ビジョンの一部をあきらめなければならないからね。

スティーブ・ジョブズの言葉B

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P425

 文系と理系の交差点、人文科学と自然科学の交差点という話をポラロイド社のエドウィン・ラッドがしてるんだけど、この「交差点」が僕は好きだ。魔法のようなところがあるんだよね。イノベーションを生み出す人ならたくさんいるし、それが僕の仕事人生を象徴するものでもない。

 アップルが世間の人たちと心を通わせられるのは、僕らのイノベーションはその底に人文科学が脈打っているからだ。すごいアーティストとすごいエンジニアはよく似ていると僕は思う。どちらも自分を表現したいという強い想いがある。たとえば初代マックを作った連中にも、詩人やミュージシャンとしても活動している人がいた。1970年代、そんな彼らが自分たちの創造性を表現する手段として選んだのが、コンピュータだったんだ。レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロなどはすごいアーティストであると同時に科学にも優れていた。ミケランジェロは彫刻のやり方だけでなく、石を切り出す方法にもとても詳しかったからね。

スティーブ・ジョブズの言葉A

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P424

 「顧客が望むモノを提供しろ」という人もいる。僕の考え方は違う。顧客が今後、なにを望むようになるのか、それを顧客本人よりも早くつかむのが僕らの仕事なんだ。ヘンリー・フォードも似たようなことを言ったらしい。「なにが欲しいかと顧客にたずねていたら、『足が速い馬』と言われたはずだ」って。欲しいモノを見せてあげなければ、みんな、それが欲しいなんてわからないんだ。だから僕は市場調査に頼らない。歴史のページにまだ書かれていないことを読み取るのが僕らの仕事なんだ。

スティーブ・ジョブズの言葉@

スティーブ・ジョブズU、ウォルター・アイザックソン、井口耕二訳、講談社、2011

P424

 僕は、いつまでも続く会社を作ることに情熱を燃やしてきた。すごい製品を作りたいと社員が猛烈にがんばる会社を。それ以外はすべて副次的だ。もちろん、利益を上げるのもすごいことだよ?利益があればこそ、すごい製品を作っていられるのだから。でも、原動力は製品であって利益じゃない。スカリーはこれをひっくり返して、金儲けを目的にしてしまった。ほとんど違わないというくらいの小さな違いだけど、これがすべてを変えてしまうんだーーー誰を雇うのか、誰を昇進させるのか、会議でなにを話し合うのか、などをね。 

悪性高熱と悪性症候群

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P184

ホット・ピッグにパーキンソン

 ときにはミトコンドリアエンジンがオーバーヒートする。きわめてまれだが、悪性高熱というアクシデントがある。笑気ガスとハロセンというガスでの全身麻酔で、筋肉がかたく収縮して高熱となり、まっ赤なミオグロビン尿が出る。ミトコンドリアの活性がひじょうに高まっている。この麻酔で同じような症状をおこすブタがあり、ホット・ピッグとよばれている。ホット・ピッグの研究から、カルシウムが大量に筋肉細胞の中に入りこんでおこることが明らかになり、遺伝子異常もつきとめられた。体温が四二、四三度という高熱になると、からだの細胞の機能が破壊されるのはいうまでもないが、血液中に流れでたミオグロビンが腎臓につまって腎不全をおこすことも多い。さいわいなことに、筋細胞内にカルシウムを入りこませないような薬で、筋肉の異常な収縮を止めて、助かることも多くなってきた。

 パーキンソン病でも似たようなことがおこる。薬を急にやめると悪性高熱と同じような状態になる。これは悪性症候群とよばれているが、なぜ筋肉がつよく収縮するのかはわかっていない。パーキンソン病で衰えているドパミン作動をよくするような薬を急に止めたり、精神疾患の治療でドパミンのはたらきをブロックする薬を使ったりすると、おこることがある。はなはだしいのは、知人にいつまでも薬を飲むものではないなどといにわれて止めて、発熱して動けなくなり、緊急入院した人もいる。無責任なアドバイスは罪つくりでもある。

 外来で診ているパーキンソン病の患者さんに注意していると、ときどき軽い発熱があったり、筋肉から出てくるクレアチンキナーゼ(CK)という酵素の血液中の値が正常より多くなっている。よく聞いてみると、薬をのみ忘れたり、副作用をこわがって急に薬を止めたりしている。ちゃんと服薬するように指導し、コントロールしながら薬の量をへらさなければいけない。もし、悪性症候群が発症してしまったら、抗パーキンソン病薬をふたたび使用したり、悪性高熱と同じように、カルシウム流入をブロックして筋肉の異常収縮をゆるめる治療をする。

ミトコンドリアA

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P178

 ミトコンドリアのDNAの研究から、人類の祖先のイブの生きていた時代がわかる。動物の種類がちがえばDNAの塩基配列にもズレがあり、古い時代に分かれた種類ほどズレが大きい。計算するとヒトがチンパンジーと分かれたのは約三〇〇万年前、ウシとは九〇〇〇万年前、ネズミとは一億三〇〇〇万年前だそうだ。人種や民族でも多少のちがいがあり、五万年くらい前に白、黒、黄が分かれたらしい。また、二〇万年くらい前のある女性が、すべての人間の祖先、イブと計算されるとのことだ。ただし、これらの数字は研究者によってかなりの差があり、理論は正しくとも、時計のない過去のことはあくまでも推定の話である。マンモスが歩きまわっていたころのエデンが楽園であったかどうかは知らないが、なぜ、イブだけでアダムは不明かはつぎに述べる。

 「元始、女性は太陽であった」とは平塚らいてふの言葉だが、母親は子供に太陽のような生命のエネルギー炉を与えている。卵子は三〇〇〇個ものミトコンドリアをもつが、精子は運動のエネルギー用の大きなやつが一個のみシッポ(鞭毛)の根元にあるだけで、それも卵子の中に入るときに切り離される。ぼくたちのからだのすべての細胞のミトコンドリアはずっと女系でつたわってきた。父親がどうしても越えることのできない母親と子供の絆がここにもある。かくして、イブの生きていた時代を理論的に計算することができるのだ。

 だから、遺伝性のミトコンドリアの病気は、メンデルの法則によらずに、母親からつたわることが多い。が、ミトコンドリアの機能や酵素のなかには父親のDNAがかかわっているものもある。一〇億年以上のあいだに、ミトコンドリア自身のタンパク質や酵素の遺伝子の一部が細胞の核の中にとりこまれてしまった。だから、ミトコンドリアは細胞のなかで独自に分裂したり生きているようでも、細胞の外で培養することはできず、独立した生物とはいえない。細胞の核の中にある父親からのDNA中のミトコンドリア関係部分に異常があれば、ふつうの遺伝病のような遺伝形式で病気があらわれてくることもある。

ミトコンドリア@

「脳と神経内科」小長谷正明、岩波新書、1996

P177

内燃機関ミトコンドリア

 さて、細胞の中にあるミトコンドリアはいわばエネルギーをとりだすエンジンで、活発な活動をしている神経や筋肉の細胞の中にはたくさんふくまれている。ミトコンドリアの中で、クエン酸回路やATPをとりだす反応がおこなわれている。長さ二〜三マイクロメートル(一マイクロメートルは千分の一ミリメートル)の紡錘形で、内側はクリステというひだがあり、ここにエネルギーをとりだす電子伝達系の酵素が順序だってならんでいる。筋肉以外にも、脳、肝臓などのエネルギーがたくさん必要な細胞にはミトコンドリアの数が多い。青酸カリや一酸化炭素中毒では、この電子伝達系がブロックされる。そしてミトコンドリアが死ねば、ヒトも死ぬ。

 現在の生物では、ミトコンドリアはエネルギー担当の細胞内小器官にすぎないが、かっては独立した微生物だったらしい。というのは、細胞でもないのに、ミトコンドリア独自の遺伝子、DNAがあるからだ。しかも、細胞の分裂とは関係なく勝手に分裂してふえていく。

 かなりの大昔、恐竜や三葉虫などよりもはるかに古い一五億年くらい前、解糖系だけで生きている核のある細胞の中に、小さなバクテリアが入りこんで寄生生活をはじめた。このころまでには原始生命の活動の結果、大気中に酸素が濃くなってきていた。酸素はひじょうに化学反応をおこしやすく、生命には有害であり、酸素の処理がうまくできるかが生き残りの分かれ目であった。そういった環境下で、酸素をエネルギーのとりだしに使う好気性のバクテリア類が進化し、その一種がミトコンドリアだった。細胞とミトコンドリアは、エネルギー源となる化学物質の供給と、効率のよいエネルギーのとりだしというエネルギー代謝を軸にたがいに利用しあい、いつのまにか一体化してしまったとのことだ。植物の葉緑素(クロロフィル)もミトコンドリアと同じような、もともとは独立した生物だったといわれている。いまの生物でも、ミトコンドリアがない原始的なアメーバは、細胞内に好気性バクテリアを寄生させてエネルギーをとりだしている。

お見舞い

「プレイボーイの人生相談1996-2006」集英社、2006

P138

励ましの言葉は必要ない

●知人がガンで入院しました。それもこれで2度目です。はっきりとはわからないのですが、そんなに長くないらしいのです。お見舞いに行って死を目の前にした知人になにを話していいのかわかりません。それに、もし自分が同じ立場になったらと思うとちょっと涙が出てきてしまいます。武田さんだったらそんな知人にどんな言葉をかけてあげますか。また、自分が同じ立場だったらどうしますか。(院長註:回答者は武田鉄矢さんです。)

●あなたのとまどいは本当によくわかります。実は、ボクは春先に兄を亡くしました。

 その直前、兄を見舞いに行こうとした時に、兄の嫁から「あと数週間で・・・」というようなことを言われたんです。

 そういう時って、やっぱりなにを話していいかボクでも考え込んでしまいます。だから、病院に行くまで、なんて声をかけようか頭を悩ませていましたし、兄貴の顔を見ても、かける言葉がなかったんですね。

 そうしたら兄貴のほうから話しかけてきました。それは、今年は桜が遅いとか早いとか他愛のない話だったんですが、実はそれでよかったような気がするんです。

 死を目の前にした人へのお見舞いという状況は、誰でも言葉をなくしてしまうものなんじゃないでしょうか。

  そして、言葉をなくしてしまう状況というのは、実は人生の中にはたくさんあって、その時間はただひたすら耐えるしかないんだと思うんです。言葉というのは、それほど万能なものではないんです。言葉をかけることよりも、黙ってそばにいてあげることのほうが大切なことがたくさんあるんじやないでしょうか。

 それから、兄の見舞いに行ってひとつだけ学んだことがあるんですが、病気をしている人や死というものを見つめている人にとって重大なことは、「がんばってください」と励ます言葉ではなくて、「苦しいんですね」と同じ感情になってあげることなんですね。つまり、励ましの言葉はそこでは必要ないみたいなんです。相手が言った言葉をそのまま繰り返して言ってあげる。言葉ができることはそこまでだっていう気がするんです。

 死の問題というのはボクでもさすがにこたえる問題です。だから、あなたのような若さではひときわこたえることでしょう。とりあえず、お見舞いに行くキミの知人には、「がんばれ」という言葉よりも、ただ単に「苦しいんだろう?」と同調してあげる。それだけで十分なんだとボクは思います。

一流と有名の違い

「プレイボーイの人生相談1996-2006」集英社、2006

P278

一流と有名の違い

●いわゆる一流の人や偉大な人物に会うにはどうしたらいいのでしょうか? その邂逅が人生を決定すると思うのですが、また、和尚の場合、その点どうだったのですか?(院長註:回答者は今東光和尚です。)

●「一流」と「有名」とは全然違うもんでね。全く無名な職人でも「名人」というものが巷にいるだろう。それと同じように、一流の人間というものはあっちこっちにいるんだが、本人が宣伝しているわけじゃないんで探しようがない。ところが本人が宣伝して非常に有名になる場合がある。だから非常に有名だからといって第一級の人物かというと全く違う場合もあるわけだ。いわゆる「虚名」の方が大きい人があって、人間もできてないし、才能もそれほどでもないのに、世渡りが上手だとか、不思議に人気があるとかで有名人になるんだけど、一流の人間かというと違う。

 「一流」というのは、一職人であろうと、一田舎坊主であろうと、存外、人材はあっちこっちに埋もれているもんでね。それをおめえのように「どうしたら会えるか?」というのは全然心がけが間違っているんだ。自分が一流の人間になる修行をして一流になれば、そういう人たちの方から自らおめえを求めてくるもんなんだ。それを、こっちがそれを探してその人の影響を受けようとか、教えを受けようとかっていうことは、バカな考えもいいとこだ。そんな考えじゃ一流の人間を見てもその価値が見抜けないで見逃してしまうぜ。そんな奴は「一流」と「有名」の区別もつかず、有名人に憧れていくのがオチだ。これだけ言えば、あとの質問の答えも自らわかるだろうが。

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