竹下元総理の政治手法

田原総一朗のギロン党!週刊朝日2000.7.7.P37
「竹下は死んだが竹下政治は残った。政治家よ、呪縛から目を覚ませ!」
 選挙戦が後半戦に突入した六月十九日、竹下登元首相が亡くなった。毎日新聞は「政界の黒幕の死」と書いた。首相を務めた政治家が”黒幕”と書かれたのは、おそらく前代未聞だろう。ざらに、朝日、毎日、読売などの各紙は社会面で、竹下の批判をするとわかっている人物を集めて、いずれも厳しい批判を並べた。こういうこともあまり例がない。
 竹下が”表”の権力者(首相)だったのは一年七力月、それに対して”裏”の権力者としてば二十年近く君臨してきたので、メディアの批判の格好の標的となったのだろう。
 竹下が首相のとき、盟友の金丸信に「なぜ、あなたは総理を目指さないのか」とわたしは問うたことかある。
 金丸は苦笑いして、「オレだって、好きな連中の面倒は見てやる(カネをやるという意味)。だが、嫌いなヤツ、裏切るに決まっているヤツらにはカネはやらない。それを竹下は、嫌いなヤツ、現に裏切っているヤツにまでカネをやっている。オレにはそれはできんよ」と答えた。
 竹下の面倒の見方は、それこそ徹底していた。竹下がこう言った。「(副官房長官のとき)ぼくは、佐藤(栄作)さんに学んだのだが、野党(社会、民社)の、とくに落選議員の面倒をキッチリ見る。これが大事で、カネを届けに行くと、雨の日でもぼくの車か見えなくなるまで外に立って頭を下げている。野党の議員が海外視察に行くときは、必ず餞別を渡す。後にはみなさん、当然のように取りにみえるようになった」
 竹下は、派閥内だけでなく、他派閥から野党にまでその根回しが行き渡っていた。森喜朗、加籐紘一、山崎拓から、民主党の鳩山由紀夫、自由党の小沢一郎などまで、いずれも竹下が育てた人物であり、公明党はもちろんのこと、共産党までを視野に入れた、幾通りもの政界再編成を竹下は考えていた。日本のどの政党が再編成の中軸になっても、竹下攻治の枠外には出られない。つまり日本の政治が竹下に呪縛されてしまっていた。その点では見事だといえた。
 だが、リグルート事件で竹下政治の重大な欠点が露呈した。かつては、自民党はいわば派閥連合で、派閥によって理念、政策が違い、当然ながら主流派、反主流派、非主流派などがあり、主流派がスキャンダルで火だるまになっても、汚染されていない反主流派、非主流派の領袖が、代わって首相になり、党としてはいっこうに破綻しなかった。ロッキード事件が一例である。
 ところがリクルート事件では、河本派を除く全派閥の領袖や代貸しがカネに汚染され、竹下に代わって首相になるべき人物がいなくなってしまった。とことん面倒を見る”竹下政治”が完成して、オール主流派になってしまったためである。
 その結果、宇野宗佑、海部俊樹という、首相になる気構え、覚悟のできていない人物が、突如首相にさせられ、それ以後、宮沢喜一を除いては、用意も決意もできていない首相が当たり前になった。
 これは政治の退廃である。
 この原稿を書いている六月二十二日段階では、今回選挙の情勢は、野党がだらしなく負けてしまう可能性が高い。となると、竹下呪縛が解けないまま、それをつくった当の竹下が亡くなってしまったわけだ。
 自民党の志ある政治家たちよ、呪縛から目を覚ませ。党内反乱を起こせ。日本のために!

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