月並

週刊朝日2019.4.19P226司馬遼太郎と明治 「坂の上の雲」の時代H糸瓜(へちま)の美学

 子規は「写生」だけではなく、「月並」という言葉も広めている。松山市立子規記念博物館の学芸員、平岡瑛二さんはいう。

「子規や虚子らの『ホトトギス』は新興勢力なんですね。あくまでも旧派の宗主たちが当時は主流で弟子の数も多かった。で、かれらは月例会という意味で『月並会』を開いていて、そんな旧派の人たちが詠むような句を、子規が『月並調』などといいはじめました」

 理屈っぽい句や必要のない言葉が入った、いわばたるんだ句などを「月並調」とした。

「簡単にいえば『ありきたり』ですね。そうして子規が旧弊な俳句を月並と攻撃しているうち、月並の意味が変わっていきます。『陳腐』や『ありきたり』そのものを指す言葉になりました」

 もっとも子規自身も「月並」な句をたくさん詠んでいるが、そういう過去にはこだわらない人でもある。

 こうして子規は月並を徹底して嫌った。弟子の碧梧桐の回想「糸瓜の辞世」(『子規全集』別巻二「回想の子規 一」所収)を読むと、子規はかねていっていたという。

「自分が五六月頃に死んだらば方々から追悼句などと言ふて、時鳥(ほととぎす)の句を沢山よこすであらうが、それはいやでたまらない。それがいやだから成るべく夏の間に死にたくはない」

 子規も「ホトトギス」とも読む。

 それなのになぜ嫌うかというと、時鳥の句は昔から多い。

「己に仕方のない程陳腐な題である。其陳腐な題では到底よい句は今日得られないといふてもよい位であるに、まして追悼といふやうな更に作句のむつかしい条件をつけては、更によい句の出来やうがない。その悪句が沢山出来るといふ事が子規子のいやで堪らないと言ふた所以であつたのである」

 自分の追悼の句が「月並」ではたまらないという。死に臨んでなお、子規は子規であり、このエピソードもどこかユーモラスである。

(院長註:先祖が子規と同じ松山藩だったせいか、院長も子規と同じ「ありきたり」が嫌いです。このホームページを作る時も自称コンサルタントという人に「普通、歯医者のホームページにレシピなんか載せませんものね」と院長のレシピを降ろせと要求されましたが、応じませんでした。自分の興味があることを皆さんと共有したい思いがあったからです。院長は食べるのも大好きですが、それ以上に料理を作って「おいしい」と言われることの方がもっと好きです。自分一人なら料理なんかしません。「正岡子規だけ何で横顔」からこのホームページが始まったのも何かの縁でしょう。)

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