ホポイの檄

「楕円球の詩(うた) 自伝・林敏之」林敏之、ベースボール・マガジン社、1997

P135

 この年(院長註:1986年)は、私(院長註:林敏之)にとって、大きな出来事があった。
 5、6月に行われる北米遠征のジャパンのキャプテンに選ばれたのである。
 私は、まだ26歳であった。主将にふさわしい先輩は多くいたのに、年齢差を飛び越えて主将に選ばれたのは、しいて理由を探せば、ラグビーヘの純粋な思いと、ひたむきさを買ってくれたためだろう。
 ジャパンは前年にフランス遠征を行ったが、いいところなく全敗した。1980年の遠征とは違い、テストマッチにも惨敗した。このころ、すでに1987年に第1回ワールドカップが開催されることは決まっており、招待出場の決まっているジャパンとしては、一刻も早く立て直しを図らなくてはならなかった。
 団長は横井さん、監督は宮地さんであった。高校日本代表の合宿のときから何年過ぎたのか。私にとっては懐かしいコンビでもあった。
 出発に先立ち、壮行会が開かれ、その席上で前年のフランス遠征に参加したホポイ・タイオネが協会機関誌に寄稿した文章のコピーが全員に配られた。ホポイは、トンガから大東文化大学にノフォムリとともに留学し、揃ってジャパンに選ばれた。異国の代表に選ばれたことを誇りに感じて全力を尽くす素晴らしく熱い男だった。
 『(前略)日本の選手は、キャップを得たいが為にテストマッチを注目する傾向があるようですが、どのゲームに於いても選手達は、相手が選抜チームであろうが、テストマッチだろうが、クラブチームであろうが、全力を注ぐべきだと思います。ケガを恐れて、充分に力を出せなかったりする選手もいます。そんなことをしていると、テストマッチに出場するチャンスは巡ってこないでしょう。(中略)今回の遠征の中で、私として一番のゲームは第3試合の、対ツールーズ戦でした。そのゲームは非常に心に残っています。ゲーム主将の林さんが、グラウンドに出る前、ロッカールームで言いました。「胸の中で、桜の叫びがわかるはずだ!」この言葉を聞いて私は、戻ることのできない戦場が頭に浮かびました。帰りの燃料を積まずに飛び立つ「神風特攻隊」を思ったのです。この試合は、あたかも、「日出づる国」の為に、何物をも無視し死を選んでいったあの意気の様に思われ、自分にとっては決っして忘れることはありません。
 日本人は、その肩にかかった責任と信頼を解からなくてはなりません。他国に行くと異なった環境や文化に直面しなくてはなりません。食物が悪かろうが、ひもじかろうが、自分の国のことのほうがずっと大切だから死ねる、ということを決心しなくてはなりません。
 (中略)私達、選手が、座り込んで、終わってしまったことをいつまでも考えていては駄目です。日本のラグビー界に、将来素晴らしい収穫をもたらすためにこそ私達が作っていくステップのひとつひとつを楽しみにしていようではありませんか』(表記は原文のまま)
 壮行会では、横井団長が「全勝して帰ってきたい」と挨拶した。
 私も挨拶をしたが、ホポイの文章を読んで感激し、「必ずや強いジャパンになって戻ってきます」と涙ながらに話すのが精一杯であった。

 

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