ボストン美術館展

 年初より念願だったボストン美術館展やっと行く事ができました。すごい人でした。九州国立博物館の駐車場「1時間半待ち」と言われましたので、太宰府天満宮の参道の駐車場に行ってみたら、すんなり止められました。絵巻を見て、これはマンガの原型だなと思いました。12世紀の平安時代からこんなストーリー性のある絵画が楽しまれていたのかと思うと驚きでした。扇絵や屏風絵にも感動しました。本物はやはりすごい。日本文化のレベルの高さを実感しました。九州国立博物館の展示は3月17日(日)まで、その後は大阪での展示で終わりのようです。 

「アメリカのゆくえ、日本のゆくえ」霍見芳浩(ニューヨーク市立大学教授)、NHK出版、2002、P208

ボストン美術館とフェノロッサと岡倉天心

 一九六四年の九月、私は初めてボストンとチャールズ川をはさんだ対岸のケンブリッジに居を占める、ハーバードを訪れた。ボストン側にあるビジネス・スクール(経営大学院)に留学のためだった。

 学校が始まる前の一日、私はボストンヘ行くことがあったらとかねてから望んでいたボストン美術館を訪ねた。ここには、日本では見られない日本の美術品が数多くあることは知っていた。その中でも、「平治物語絵巻」や「雪舟の襖絵」が目当てだった。
 日本美術にうとい私でも、これらの名作が日本文化史や政治史の中での逸品で、日本人として誇れるものであり、世界中の美術愛好者の心を打つ普遍的価値があるというぐらいの知識はあった。ボストン美術館には、浮世絵の素晴らしいコレクションや仏像もあるが、その時は無知な私は知らなかった。
 司馬さんとボストンを訪れるチャンスがあるとしたら、ボストン美術館と日本との関係、特に明治維新直後からの新興日本の「廃仏毀釈」の狂気について、司馬さんの薀蓄に耳を傾けるのは間違いない。

 「廃仏毀釈」の狂気は、一九九〇年代にアフガニスタンの支配権を握ったタリバン勢力が、偶像崇拝を嫌うイスラム教原理主義を信奉して、中世の仏教文化時代の仏像遺跡、特に山岳地帯の砂岩壁に掘られた巨大な仏像を爆破したのに酷似している。このタリバンの狂気は世界中からの仏像保存の哀願をも無視した。しかし、日本人はタリバンの狂気を笑ったが、自分たちの明治の祖先にも似たようなことをしたと気付いた者が何人いただろうか。一九九〇年代には共産主義体制を放棄したロシアや東欧諸国では、群集がスターリンやレーニンの像を破壊した。彼らの心理は、明治初年の廃仏毀釈のそれに似ていた。

 平安朝の頃から、神仏習合の本地垂迹(ほんちすいじゃく)説などが広がって、神仏混合の宗教心が常識となった。ユダヤ教やキリスト教の唯一神教ではなく、シンクレティズム(混合宗教主義)が日本人の精神文化だった。
 しかし、明治維新は、「古代の天皇親政の光栄なる日本の再現」という政治的フィクションを国作りに活用した。「菊が盛えて、葵は枯れる」と俗謡ではやし立てたように、天皇家の宗教の神道が「善」で、徳川将軍家の宗教の仏教が「悪」、という単純なスローガンを、「文明開化」に使った。このために、全国に廃仏毀釈の熱病が広がった。古代からの日本の美術品で「仏臭い」とされたのが毀されたり、捨てられたりした。
 一八七八年(明治十一)、ボストンの美術館の専門学者だった、アーネスト・フェノロッサ(一八五三〜一九〇八年)が東京大学での哲学と社会学、論理学の教授として来日した。セーレム生まれでハーバードを一番で卒業した秀才で、専門の哲学と社会学の素養に加えて、美術への造詣も深かった。
 フェノロッサは、廃仏毀釈の愚行で、古代からの日本の優れた美術や工芸品が捨てられるのに呆れて、この救助のためにと、宮内省と文部省を説得して日本美術品の保存と研究を始めさせた。自分でも収集した。フェノロッサが収集したのが、今では、ボストン美術館にある訳だ。
 フェノロッサに日本の美術品の価値を教えてもらわなかったら、日本文化の所産で世界に誇れるものが、破壊され、捨てられ、消えて失くなったはずだった。
 東京大学でのフェノロッサの学生の中には、三宅雪領(政治思想家)や穂積八束(憲法学者)、坪内逍遥(英文学者)など、その後の日本に貢献した者が多く居た。その一人が、岡倉天心(一八六二〜一九二二年)だった。岡倉天心はフェノロッサによって、西洋と東洋の美術に開眼した。後に、フェノロッサが文部省を説得して設立させた東京美術学校(東京芸術大学の前身)の初代の学長になった。
 岡倉天心は英語にも秀でていたので、後にフェノロッサの縁でボストン美術館の東洋美術部門の顧問として、日米間を往復した。そして、日本はじめ東洋の美術と哲学を欧米に伝えるために、英文での著作に注力した。新渡戸稲造と並んで、日本の精神文化を欧米の知識人に広め、彼らの日本理解を深めた。ボストン美術館に救われたからこそ、平治物語絵巻以下の日本の美術品も今日まで残った。

 

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