外国人から見た昔の日本A幕末から明治初期

「鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮」ノエル・ぺリン、川勝平太訳、中公文庫、1991

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「私はいたるところで子供たちの幸せそうな笑い声を耳にした。そして、一度も生活の悲惨を目にしなかった」−−−ヘンリー・ヒュースケン、アメリカ公使館第一書記、一八五七。

「人々はみな清潔で、食糧も十分あり、身なりもよろしく、幸福そうであった。これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった」−−−タウンゼント・ハリス、アメリカ総領事、一八五八。

「私は平和、裕福、明らかな充足感を見出した。またその村落は、イギリス村落にもたち勝るばかりにこの上なく手入れがゆき届いており、観賞用の樹木はいたるところに植えられていた」−−−ラザフォード・オールコック、一八六〇。

「日本に行く目的が日本を文明国にするためである、というのは真実から遠い。なぜならば日本にはすでに文明が存在しているからだ。では、異教徒たる日本人をキリスト教に改宗させる目的で日本に行くのか、と言われれば、これも真実ではない。そうした企ては、わたくしたちが受けいれている条約の規定によって厳しく禁じられているからである。それでは、日本国民の幸福の増進をはかる目的で行くのかといえば、これも違う。なぜかというと、日本国民ほど幸福に充ちた国民は他に存在しないからである。わたくしたちは貿易によって利益をあげるという目的以外はもっていない」−−−エドワード・バリントン・ド・フォンブランケ将軍、一八六一年。

(院長註:明治維新は1868年)

「外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。すなわち彼らは日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚いたことに、また残念ながら、自分の国では人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を日本人は生まれながらに持っているらしいことである」−−−エドワード・S・モース、東京帝国大学・動物学教授(モースは後にアメリカ科学振興アカデミー会長になった)、一八七七年。

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