紙は豊富にあった日本

「鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮」ノエル・ぺリン、川勝平太訳、中公文庫、1991

p38今日もそうだが、日本は当時もすぐれた工業国であった。イエズス会の一宣教師は、当時、日本には紙の種類がヨーロッパの十倍はあろうと推定している。日本の紙の中には今日使うクリネックス、つまり、ちり紙やはな紙もあった。アメリカ人は今でこそ自分たちがこの便利な品物の発明者だと考えているだろう。だが、それよりも少なくとも三世紀も前に、日本人はこれをつくっていた。それどころか輸出さえしていた。一六三七年、ピーター・マンディなるイギリス人がたまたま中国の沿岸マカオにいた。その地で彼は、大坂商人の一行がはな紙を使っているのを見てはなはだ感心したのであった。

 マンディは、そのときの模様を後に次のように記している。「この都市で数人の日本人を見かけた。彼らは何やら柔かくて丈夫そうな紙を小さく折り畳んで所持しており、これで鼻をかむ。鼻をかんだあとどうするかというと、もうその紙は汚ないものという体(てい)で捨ててしまう。顔を拭うには日本人はリネンのハンカチーフ[手ぬぐいのことか?]をもっていた」。マンディが感心したのは無理もない。当時のイギリスでは、たいていの人は服の袖で鼻をかんでいたのだから。

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