ネット時代の大学の持つ意味

「脳を活かす勉強法」茂木健一郎、PHP、2007

P111 知識はエリート階級の独占物ではなくなった

 いま僕は、インターネットが最高学府としての大学の地位を脅(おびや)かしつつあると考えています。もはや、最高学府は東京大学でも、ハーバードでも、オックスフォードでもありません。現代における最高学府は、インターネット上にあるといっても過言ではないでしょう。

 日本の大学制度の歴史をふりかえってみると、明治維新のころ、大学はヨーロッパの進んだ学問や技術を輸入して国内に配分する役割を担っていました。

 歴史作家の司馬遼太郎さんが「文明の配電盤」と名づけたように、東京帝国大学や大阪帝国大学、京都帝国大学などが、西洋の政治学や経済学、数学、物理学、化学などを伝播(でんぱ)・啓蒙するという使命をもって機能していました。

 なかでも東大の前身の東京帝国大学は、配分ネットワークの頂点として存在していました。東京帝国大学に通う学士は、将来の日本を担う(誇張ではなく)、ほんの一部の限られた、エリート中のエリートだったのです。

 そういった歴史もあって、今まで東京大学は日本国内において最高学府として君臨してきました。日本の大学はいまだにその伝統を受けついでいます。輸入学問というか、外国の最新の成果を国内に紹介する事こそが最大価値であると考えられている風潮が残っているのです。

 確かに当時は、専門書や専門誌など、学問をするための資源が大学にしかなかったので、苦労してでも有名大学に入るということに、とても大きな意味がありました。

 ところがいまは、勉強したいという気持ちがあるなら、大学へ行く必要などありません。そのくらい膨大な知識が、インターネット上にはあるのです。僕は、インターネットだけで勉強してノーベル賞をとる人がそのうち出てくると思っています。そういう時代ですから、遠からず出身大学が意味をなさなくなる時代が来るはずです。

(中略)

 そのような時代の変化を痛感させられた出来事があります。

 ある年の、東京大学教養学部の「駒場祭」のシンポジウムに講演者のひとりとして参加した時のことです。

 IT業界が急成長を遂げている時代に、ベンチャー企業の経営者たちと一緒に講演を行ったのです。

 その中のひとりの若い経営者が、集まった学生たちに向かって、

「君たち、大学にいてもしかたがないから、さっさと辞めて起業しろよ!スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも、みんな大学中退だぞ!大学なんかにいても、何の役にも立たないから、とっとと辞めてしまえ」

と断じたのです。

 その勢いに、講堂の並みいる教授たちは有効な反論もできず、ただ下を向くばかりでした。

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