不況に倹約はありえないA「私悪すなわち公益」

週刊朝日’99.7.23.P40今日とちがう明日 堺屋太一 「強欲」と「嫉妬」の選択

◎「私悪すなわち公益」

 各人各社の正しい行いが社会という巨大な坩堝(るつぼ)で合成されると、人を苦しめ未来を破壊する悪行に変化するとすれば、その逆も成り立つだろうか。つまり、みんなが私利私欲を追い求めて悪行を働けば、社会全体には良い結果が生じるだろうか。この問いに、「イエス」と答えたのがオランダ生まれの医師バーナード・マンデヴィルだ。

 マンデヴィルは、一七一四年、イギリスで『蜂の寓話』と題する本を出版したが、その副題はなんと「私悪すなわち公益」だった。もちろん、ここでいう私悪とは犯罪のことではない。私益を追求して人々が行う自由気ままな行いを指している。人間は本来、強欲なものだから、みんなが欲望を満たそうとすれば、おのずから「交換の正義」が生じ、全体の利益に通じるというわけだ。

 世界の思想史には、「人間の自由な行動は社会全体を悪くする」として、政府(国家)が統制または指導すべきだという考え方と、「人間の自由な行動こそ全体の利益を拡大する」という考え方との二つがある。古くはプラトン、近くはマルクスやヒトラーが前者なら、司馬遷やアダム・スミス、現代のハイエクやフリードマンらは後者に入る。マンデヴィルは自由主義経済の論理を風刺的に表現したにすぎない。

 二十世紀末の今日では、プラトンやマルクスのような国家統制主義は評判が悪い。右のファシズムも左の共産主義も失敗してしまったからだ。しかし、「合成の誤謬」の発見は、各人の善意の選択が必ずしも全体の利益につながらないことも示している。人間はマンデヴィルが期待したほど完全に私利私欲に走らず、将来の心配や後継者への配慮をしてしまうからだ。

 そうだとすれば、政府は常に人々と反対の方向に行動しなければならない。みんなが将来を不安に思って貯蓄するときには大胆にお金を使い、みんなが未来をバラ色と信じて散財するときには、倹約に徹してお金を蓄え、市場から通貨を引き揚げるべきだ。このことをジョン・M・ケインズが理論的に言い当てたのは、一九三〇年代の大不況を経験したあとのことだ。

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