そもそもの動機は善意

週刊文春’99.3.4.P62阿川佐和子のこの人に会いたい 塩野七生さん「ローマ人の物語」など

(前略)

阿川 今まで書いた中では誰が一番よかったですか。

塩野 それはもう圧倒的にユリウス・カエサルですね。彼は私の作品の中ではもう死んでいるんだけども、その後を書くとき、彼が何をしたか、彼が考えたことは五十年後、百年後にどのような形で現れてるかを言及しなきゃならないのは、やはりカエサルが圧倒的に多いです。

阿川 シーザーのどの辺がいいと。

塩野 先見の明があった。彼はブルータスに殺されたけれども、後の人たちが彼が考えたようにやる。それがローマ帝国のためになるわけ。ネロの場合は、彼も善意でやってるんですけど、彼が考えたことを次の人たちは誰も真似しなくなる。それは、ネロのようにやったんじゃいけないと分かるからなんです。

阿川 暴君ネロの真似はしない。

塩野 だけども、ネロは本当にワルだったのか。これはカエサルの言葉なんですけど、「どのように悪い結果に終わったことも、そもそもの動機は善意であったんだ」と。

阿川 ほおっ。

塩野 ヒトラーだってスターリンだって、悪いと思ってやったんじゃないと思うのね。ところが、われわれが歴史を裁くとき、ヒトラーは狂人になり、スターリンはモンスターになる。あそこで突然変異が起きたようにおもってる。そう思ってる限り、われわれは歴史から一つも学べませんよ。善意で始めたことが何で悪い結果になったのかを考えない限りね。

(後略)

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