マニフェスト4題1 「共産党宣言」もマニフェスト


週刊文春2003.10.23日号P53「新聞不信」
「マニフェスト」という妖怪
 憲法第七条(天皇の衆議院解散権)により失業した途端、他でもない失業者全員が立ちがってバンザイ三唱、拍手して祝う。誰も説明できない、日本民族の奇習である。
 解散になると同時に、新聞は日頃にも増して面白くなくなる。「議席獲得へ各党胸算用」「政策論争攻防激しく」などという大見出しは、なにものも意味しない。各紙、公平を期すと称して毒にも薬にもならない長大記事を載せ、どの新聞にも同じようなことが書いてあるから、面白くないのである。
 今回の総選挙の新しい点はマニフェストだが、実はちっとも新しくない。史上すでに有名なコミュニスト・マニフェストがあって、日本語では「共産党宣言」と訳されている。
 一八四八年にマルクスとエンゲルスが共産主義者同盟第二回大会の委託を受けてドイツ語で書いたもので、読者も「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している−−共産主義という妖怪が」という名高い書き出しを御存知だろう。このマニフェストは以後ほぼ百五十年、とくに一九一七年にソビエト連邦が出現してから一九九一年にそれが滅ぶまでの間、世界に呪いを吐きかけた文書だった。
 共産主義はまた自らを科学的社会主義と称したから、二十世紀(それは科学的な方が非科学的より善いにきまってると考える世紀だった)の人々は、共産主義に対し強いコンプレックスを持ち、ついには共産主義者でないことに罪の意識を持つようになった。
 自由な競争、貧富の差、あらゆる世襲制や君主制は遠からず共産主義という妖怪によって駆逐されるのではないかという不安が、二十世紀の知識人を責め苛んだ。本家のロシアではとっくに滅んだその思想を、いまだに細々と引き継いでいるのが日本の新聞である。彼らはマルクスとエンゲルスのマニフェストに「社会の歴史はすべて階級闘争の歴史である」と書いてあるのを思い出し、失業者が増えるとそれは被抑圧階級の敵である政府が悪いのだ、少年が人を殺すとそれは少年ではなく社会が悪いのだ、というふうに書く。
 百五十年以上も前にロンドンで出版されたマニフェストが、現実に適合しないことが明らかになったのに、二十一世紀の日本の新聞は今なお影響を受け続けている。さすが妖怪である。
 マニフェストはラテン語から出た言葉で、「触知である」「証拠になる」の意。現に使われているのは入港した船が税関に提出する積荷明細書。あれをマニフェストと呼ぶ。
 国立国語研究所は、氾濫するカタカナ語の言い換えに苦心している。「公的明細」にした方が分りやすいし、短い。

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