あの吉本隆明さんも三木成夫先生に感動

「ヒトのからだー生物史的考察」三木成夫、うぶすな書院、1997

p182「三木成夫『ヒトのからだ』に感動したこと」 吉本隆明(院長註:日本の言論界を長年リードしてきた文芸評論家。作家よしもとばななさんの父。こんな有名な方も三木先生に感動されていたのですね。驚きです。)

 

(前略)わたしにとっては、「ヒトのからだ」について微細な専門的な知識を教えられたことよりも、この本の著者の根本的な考え方の方法を与えられたことの方が重要だった。一口にいえば、ある事象とか現象とかが眼のまえにおかれたり、あらわれたりしたとき、その事象や現象が、その形、その位置、その容量と機能で、のっぴきならない形でそこにある(あらわれる)のはどんな根拠からかという理由を、発生のはじめ(原初)にさかのぼってたどると、どうしてもその経路をへる以外になかったことがわかる。そしてそれ以外の経路をたどることがなかった連鎖のひとつひとつは、かならず見つけだすことができるということだ。以前にダーウィンの『種の起源』からもこれに類似した方法で、単細胞生物から高等な脊椎動物にいたるまでの進化の過程が必然の糸のようにたどられてゆく過程を読んで、感服させられたことをおぼえている。いわば近代が生物の自然について、飛躍的な認識をもつようになった偉大な啓蒙期のひとつの象徴であった。三木成夫は生物の発生学の考え方と、形態学の考え方を正確に組み合わせて、「ヒトのからだ」について繊細な方法論に到達したことになるのだとおもう。わたしは歴史の哲学や、歴史の発展を分類する原理や、文学、芸術作品の歴史についてなら、マルクスや折口信夫の考え方から、それを知っていた。だが「ヒトのからだ」の成り立ちについて、植物や動物の「からだ」を含めて、生物の全般に流通できるおなじ考え方がありうることを披瀝している学問の哲学者が存在することを知ったのは、わずか数年まえ、三木成夫の本に接したときであった。こんな人が日本にいたのだということに、いたく感動させられた。学問は知識の拡大ではなく、自明なことを根拠のうえにのせる創造の作業だということを「ヒトのからだ」について方法的な明確さによって成就してみせている。これに驚かなかったらうそなのだ。これは三木成夫の思考法にどんな弱点があるとしてもくつがえることはないとおもう。(後略)

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