高見順さんの講演

石原慎太郎回顧録講演旅行
2000.4月号文藝春秋P354、わが人生の時の人々
第二回講演旅行、文士たちの生態
(前略)そうはいいながら当の高見さんも文化出前の講演なるものが結構好きで、浜田市から次の講演地の出雲市に移動の途中、乗っていた汽車に沿線のどこかの高等学校の熱心な校長が乗りこんできて、講演の予定を調べて来たが厚意が頂ければ可能なので、滅多にない機会故どうか途中で下車しうちの高校に来て生徒たちに講演してもらえまいか、彼等にとっても一生の思い出になりますからという。
口を挟む筋でもないので黙って聞いていたら、高見さんが私に、
「どうだい、校長先生がわざわざここまで来ていってるんだから君と僕が代表して行ってあげようじゃないか」
 いうものだから次の停車駅で二人して下車し、学校が差し向けていた車に乗せられ出かけていった。途中高見さんが私を同伴させたいい訳でか、
「僕は講演てのが割りに好きなんだよ。文士の講演なんて、なに高座の落語家の話みたいなもんだよな。僕もいささか得意な持ち話がいくつかあってね、時と場合で中から話を選んでするんだよ。君もこれからいろいろ声がかかるだろうから、どこでもいつでも出来る話を用意しておいた方がいいぞ」
 という御託宣で、私も興味で、
「これからいく高校みたいなところではどんな話をするんです」
聞いてみたら、即座に、
「今日みたいな時は、ま、お米の中の石だな」
「それはどんな話なんです」
「後で聞けばわかるが、英語の話、日本人の使う変な英語の話なんだよ」
 なにやら気をもたせながら、いかにも自信ありげだった。
 到着した高校の講堂にはすでに全校生徒が集められていて、当時の、しかも地方故にいかにも行儀のいい生徒たちの前で講演したものだが、高見さんの話は相手に合わせたいかにも手慣れたもので、生徒たちが一度爆笑したら話し手もすっかり乗ってしまいいろいろ面白い挿話を加えての大サービスだった。
「お米の中の石」なる外題の由来は、ある時ある人が外国人と一緒に食事をしていたら、出された皿のライス、お米の中に小さな石が入っていてうっかりそれを噛んでしまい、慌てて口を押さえた彼を見て相手がどうしたのだと尋ねたら、件の人が、
「ゼア・ワズ・ア・ストーン・イン・ザ・ライス」と答え、相手が驚いて身を乗り出して皿を覗きこんだという。
 外国人からすればストーンとは掌に乗せるような、ぶつければ相手が怪我もしかねない大きさの石というイメージであって、そんな石が入っていたとなれば仰天するのは当たり前。そういう際は石でもサンドと言わなくてはならない、安直な翻訳の危うさについての一種のコントである。
 直訳の滑稽さのコントとしては、ある大学の先生が外国の学者を招いて話の後隣室にしつらえた食事に促しながら、日本人としての常套文句での、「何もありませんが、まあ、隣の部屋でお食べ下さい」を、
「ゼア・イズ・ナッシング・バット・プリーズ・イート・ネキスト・ルーム」とやり、促された外国の客は、何も無い隣の部屋を食べろといわれて目を白黒させたという。学生たちは抱腹絶倒で、大受けに受けた高見さんは得意満面、上機鎌だった。日頃、俺は浅草のエンコだといっていた高見さんとしては、大道での香具師もどきの芸で田舎の高校生たちを魅了し満足極まりないところだったろう。

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