紙が豊かな国はロジックが苦手

紙が豊かな国はロジックが苦手
週刊文春2002.9.5P119
糸井重里連載対談ゲストロシア語通訳米原万里

米原 おそらく日本人がロジックが苦手になったのは、教育もあるけれども、紙が潤沢に手に入り過ぎたせいだと思います。
糸井 おもしろいな、それは。
米原 通訳していてわかるんだけど、日本の学者はロジックが破綻している場合が多いんです。基本的に羅列型。でも、ヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。現実の物事は必ずしも論理的じゃないのにね。結局論理というのは記憶のための道具なんです。紙が発達した国は紙に書くでしょう。その場合には羅列で構わない。でも、耳から聞く時には、物語が論理的でなければ覚え切れない。
糸井 オリジナルの論理でしょう?おもしろい、それ。
米原 実は比較文学者の平川祐弘先生が、日本人を含めてなべて東洋人が口下手なのは、「紙が豊かだったから」と書いているのがヒントです。西洋では紙が非常な貴重品で、「十八世紀に来日した西洋人は日本人が和紙で鼻をかんで捨てるという贅沢に一驚している」。「ケンブリッヂ大学で筆記試験が始まったのは、数学は一七四七年、古典は一八二一年、法律と歴史は一八七二年とたいへん遅い」というんですよ。
 日本は紙が豊かな国で、試験はほとんどペーパーテストだし、考えをまとめる時にもすぐ書き付ける。漢字圏の、紙が豊かな文化圏の人たちの脳は視力モードで、目から入ってくるものを受け入れやすく覚えやすい脳になっているんです。ところが、ヨーロッパ圏の人々は聴力モードなんです。高価な紙に書き付けるかわりに、論理で記憶力を補強した。それで論理が発達したんです。
糸井 僕は前に、新聞記事というのは基本的に「保存と運搬をしやすい言葉」でつくられていると言ったことがあるんです。それをやりとりしている限りは基本的におもしろくないんだよと。だから今のお話はすごくよくわかるんですよ。
米原 人間て、脳も含めて基本的に怠け者だから、記憶力みたいな負担もどんどん軽減しようとして、文字を発明したでしょう。計算や情報処理みたいなことも、今、コンピューターに肩代わりさせようとしている・・・。
糸井 外部化ですよね。
米原 肉体労働だけではなくて、頭脳労働もいわゆる雑用部分は全部外部化して、最も創造的なところだけ脳がやるという方向に行こうとしている。でも、おそらく創造的な力って記憶力とか計算力とか情報処理能力などと実は底のところで関係していると思うんですよ。そういういろんな筋肉を使って、そのベースの上に想像力って花開く。
糸井 全くそうです。方法の記憶と、名詞で表される記憶に分けて、名詞で表せる記憶をすらすら言える人は博学とか言われるわけですね。それは本当はあんまり意味がなくて、外部化できるんですね。だけど、その材料を方法として使う記憶、自転車に乗るだとか、というのは外部化できないんです。
米原 ギリシャ神話にムーサという、芸術を司る女神たちがいますよね。これは万能神ゼウスとムネモシュネという記憶の女神のあいだにできた娘たちなんですよ。
糸井 見事だなあ。
米原 音楽とか舞踊とか文学とか学問とかをそれぞれ受け持つ女神が9人ぐらいいるんですね。そういうクリエーティブな能力というのは記憶力と緊密に関係しているって、ギリシャ人は既に知っていたわけですね。

 

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