F.L.ライト有機建築

  なでしこジャパン世界一おめでとうございました。

  ある女性ニュースキャスターが言っていました。「なでしこは強いんです。だって野に咲く花ですから。」

  この言葉を聞いた時に院長の頭に浮かんだのは次の文章です。何故だかわかりませんが。

  F.L.ライト有機建築
  文芸春秋2000.1月号、私たちが出会った20世紀の巨人
  F.L.ライト、日本女性の足はかわいいが、脚は格好良くない 遠藤 楽
  帝国ホテルの設計で日本人にもなじみ深い建築家、フランク・ロイド・ライトはアメリカ、ウィスコンシン州の出身。シカゴに出て、いくつかの建築事務所で働いた後、独立。大草原に広がる「草原住宅」や砂漢につくった「タリアセン・ウェスト」は彼の理論〈有機的建築〉を余すところなく伝えている。一九三二年、ウィスコンシンに建築家志望の若者を集めて共同生活を始め、そこをタリアセンと呼んだ。五九年、九十一歳で死去。建築家の遠藤楽さん(七十ニ)は五七年から一年聞タリアセンで学んだライトの弟子。

  ライトさんが帝国ホテルを建てたとき、日本側の技術面の責任者になったのが私の父、遠藤新です。父は師を尊敬し、誠心誠意つくしましたから、ライトさんも父のことを大変かわいがったようです。
  忠臣蔵の四十七士の話をご存じで、父への手紙にはTo the 48th “Ronin” Endo san(四十八番目の浪人、遠藤さんへ)と書かれてありました。忠実に仕事をしてくれてありがどう、という気持ちがこめられていたのだと思います。
  終戦直後、父が病気で入院していることを知ったライトさんは、マッカーサー元帥に直接手紙を書いて遠藤の家族と林愛作さん(元帝国ホテル支配人)の家族をアメリカに連れて来てほしい、と直訴したほどでしたが、マッカーサーからは軍が一般市民を運ぶことは無理なこと、わかってほしい、という返事が来たそうです。実現はしなかったものの、その暖かい親切に父は泣いて喜んでいましたが、病気は治らず、その四年後に亡くなりました。
  こういった事情があったせいで、私が建築家を志し、タリアセンで学びたいという手紙を書くとすぐに受け入れてくれました。そこではタリアセン・フェローシップといって建築家志望の学生たちが世界中から集まっていました。
  五七年、私がタリアセンに行ったとき、ライトさんはもう九十歳。しかし本当に信じられないのですよ。その元気さ。毎日毎日、きちっと正装して製図室に来て自分で図面を書くんです。すべての作品は全部、自分で生み出す。アイデアが湧き、それを形にして、図面を書く。それが九十歳にして驚異的に早いんです。
  どうしてそんなに早くできるのですかと尋ねたことがあります。
  「君らは紙に向かって考えているね。私の場合は頭の中に全部できているんだ。それをただ書き写しているだけだから、早いのはあたり前なんだよ」
  そんなライトさんを見ていましたし、父も死ぬまで鉛筆を持って書いていましたから、私もいまだに自分で図面を書いています。
  当時タリアセンには総勢七十名ほどが共同生活をしていました。学生は三十名くらい。イラン、イラク、インド、スイス、オランダ、中国など、各国から学生が集まっていました。
  敷地は百万坪もある広い広いところで、学生たちが生活するヒルサイドとライトさんの自宅とは一キロ近く離れていました。ライトさんは毎朝ヒルサイドの製図室に来て図面を書いておられました。普段、食事は自宅に帰られていましたが、毎土曜日の夜は正装して私たちと共にヒルサイドで夕食をとられました。その後必ず音楽会と映画会がありました。また、日曜日の朝も私たちと一緒に食事をされ、その後一時間くらい、いろいろな話をしてくださいました。
  例えば「文明と文化の違いはわかるかい?」といったこと。日本の例をあげて説明してくれたこどもあります。
  日本の女性はとてもきれいな手をしている。手の動かし方もすてきだし、肩の線もきれいだ。大きな袖があって手を動かすと、蝶々の羽根のようになる。これはムーブメント(所作)を心得ている証拠だ。ただ、レッグ(脚)はあんまり恰好良くない。フット(足)はかわいいんだが。そこでレッグをきれいな花模様の着物で覆っている。そのかわり、かわいいフットがちらちらと見えるんだ。そこがいいね。ああいうデザインというものはそう簡単にできるものではなくて、生活の歴史から生まれてきたものだ。きちんと寸法も決まっている。これが文化というものなのだよ。
  アメリカの女性は自分たちをきれいに見せるために何をしたか。肩や背中を見せただけ。ただ肌を露出しただけじゃないか。
  ライトさんはそんなことを言っていました。それからよく覚えているのは、学生たちに向かってこう言ったことです。「私はあなたたちに何も教えることはできない。私は私の設計をしている。自然の中に何をつくるのか。これを私の答としてつくっている。人のマネをしたらあなた自身がなくなっちゃうよ。自分自身でつくること。これが一番大切なことなんだ。じゃあ、あなたたちは誰を〃先生〃とすればいいのか。あなたたちの先生はどこにいるのか?〃先生〃は大自然だ。大自然から学ぶことしかできないんだよ」
  ライトさんの設計は有機的建築といわれていますが、有機的とは、実はとても厳しい話なのです。
  自然界のあらゆるものは有機的な姿をしています。ただし温室のものは違う。温室のカーネーションは自力では生きられない。そうではなく大自然の中で生きている生命体は大変な苦しみをして生き残ってきた。魚も鳥も動物もみんな仲間は死に、何千分の、何万分の一の割合で生き残ったわけです。そういうギリギリの苦労をしているときは余計な装飾をつけている暇はありません。人間から見ればきれいな色の鳥や変わった形の巻貝も、すべてそうでなければ生き残れなかった、という姿をしている。必要とされる部分だけによって全体が構成されているもの・・…それをライトさんは〃有機的〃と呼ぶのです。
  〃建築〃とは、大自然の中に建物を返す、ということなのです。残念ながら日本では大自然という感覚がうすれてしまいました。
  ついこの間も、ライトの遺した作品を見るツアーを組んでアメリカに行ってきました。本当によかった。作品が実にあったかい。その中にいると気持ちが落ち着いてあったかくなる。行った人はみんな喜んで、何ともいえないいい雰囲気に包まれました。
  ほんものは決して古くはならない。つくづくそう実感しました。

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