〒861-8003 熊本市北区楠4-3-18

受付時間
月・金 9:00~13:00/15:00~19:00
火・水・土 9:00~12:30/14:00~18:00
定休日
木曜、日曜・祝祭日
096-337-0088
096-337-0088

  6歳児に切腹を命じた母
  子育ては親の覚悟次第
  小野田寛郎
  P136週刊朝日2002.2.1
  語るには若すぎる4
  日本の敗戦から、今年で57年になる。しかし、私の戦後はその半分ほどにすぎない。私は、同年代の人と同じ感覚で「8月15日」をとらえられない。戦争終結から30年間、何も知らずにルバング島に残っていたから、敗戦直後の貧困も東京オリンピックも知らない。帰還した日本は高度成長の真っ最中だった。
  日本帰還の道を開いてくれたのは、単身で私を捜しにやってきた鈴木紀夫君(当時24歳)だった。彼はその後、長年の夢であった「雪男」を探しにヒマラヤに出かけ、雪崩に遭って死んだ。38歳だった。ルバング島で死を覚悟していた私は、恩人である彼の倍以上も生きている。
  日本に帰還した当初、戦争終結を知らせるチラシがまかれ、拡声機でも呼びかけたのになぜ出てこなかったのかと、よく聞かれた。「上官の命令がなかったからだ」とずっと答えていたが、私の子供のころからのきかん気が下地にあったかもしれない。
  小学校1年のとき、私は教室で級友の手をナイフで傷つけた。ナイフを貸してくれと頼んだら断られ、「ケチンボ」とけなすと相手はナイフを振リ回した。私は身を守るため、近くの机の上にあった別のナイフで応戦したのだ。
  学校から連絡を受けた母は激怒し、私を仏間に座らせた。私は正当防衛だったことを主張したが、母は自分の護り刀を私の目の前に置き、「人に危害を加えるような子は生かしておけません」と、私に切腹を追った。
  6歳の子にこんなむちゃな要求をする親がいるものかと驚いたが、私はついに腹を切れず、「今後二度と刃物は振り回しません」と誓わされた。母はその後、この件についていっさい触れることはなかったが、私が22歳でフィリピンに出征するとき、言っておかねばならぬことがある、と切り出した。
  「短刀を差し出したときは大博打でした。おまえのことだから、ひょっとして本当に腹を割くかもしれない。そのときは、私も死ぬつもりでした」
  私は死にたくないから腹を切れなかったが、母の述懐から、わが子の将来のために、親は腹をくくらねばならぬことがあることを知った。
  ルバングから戻ってきた日本はすっかり変貌していて、知らない国のようだった。どんな仕事をしてよいかわからずにいたとき、ブラジルに移住していた次兄から「牧場をやらないか」と勧められた。
  ルバング30年の体験で、熱帯の風土や気候は肌で知っている。自然と牛が相手なら、人間関係のしがらみに悩むこともないだろう。そう考えて帰国から1年後、私はプラジル移住を決めた。簡素な木造の家には電気も通っていなかったが、寝る間も惜しんでブルドーザーを走らせ、ジャングルを開拓した。
  それでも幸福を得た。移住した翌年の5月、私は54歳で妻、町枝(当時38歳)を迎えたのだ。彼女は自分の財産を全部処分して、ブラジルに嫁いできた。日系人やブラジル人に生け花や日本語を教え、現地に自分から溶け込んでいった。私は、長い空白の期間を経て、やっと人生の「戦友」をつかまえた。
  現在、私の牧場は約1200ヘクタール、成田空港より広く、1800頭の肉牛を飼育している。牧場経営が軌道に乗ってきた80年秋、私はプラジルの邦字新聞の小さな記事を読んで愕然とした。川崎市の浪人生が就寝中の両親を金属バットで殴り殺すという無残な事件が報じられていた。
  「日本の子供たちは追いつめられている。このままでは日本がダメになる」と考えた私は、84年夏、日本に帰り、富士山麓で子供たちのキャンプ場を開いた。これが5年後、福島と茨城の県境に設立した「小野田自然塾」の発端になった。
  私は親にずっと反抗し、困らせてばかリいた。私に子供を指導する資格があるとは思えないが、自然のなかでのサバイバル技術と知恵なら授けられる。牧場経営のスタッフにも恵まれ、私がつきっきりでいる必要はなかった。
  こうして、自然塾での子供の指導は私の人生最後の仕事となった。現在、ブラジルには年初の約3力月間だけ戻り、残リは自然塾の仕事に専念するため、日本で過ごすようになった。

  しつけ不十分な子は親をなめる
  自然塾は買収した1.5ヘクタール、隣接した国有林200ヘクタールを借リ受けて開いている。1回のキャンプは小学校3年生から中学生までの約80人。3泊4日と6泊7日のコースがある。
  一人で生き抜くつらさ、困難、寂しさ、友達をつくリ助け合うことの喜びと大切さに気づいてもらうことが目的だから、きょうだいや友達同士で申し込んできても、けっして同じグループに入れない。
キャンプでは火おこし、森にある道具だけを使った牛肉の薫製づくり、ナイフやローブの使い方、北斗七星やカシオペアの位置から時間を計る方法などを教えている。
  もちろん、どのグループの指導も順風満帆とはいかない。年長の子が年少の子の面倒をみようとしなかったリ、衣服が汚れるから地べたに座れない子もいる。飯盒を渡せば「スイッチはどこですか」と真顔で聞いてくる子もいる。それに、おしなべて友達をつくるのが下手だ。
  私は金属バット事件以来、家庭内暴力や校内暴力は「子供の無自覚な甘え」だと言ってきた。さらに、親も無自覚だ。ペットの犬をかわいがるように子供を育てていると、子供は増長する。成犬になってからの調教は難しいから、待て、座れ、お預けは子犬のときに教え込むしかない。叱られたことのない犬は、自分をその家の権力者だと勘違いし、気にくわないと飼い主を噛むようになる。
切腹を命じた私の母は極端だが、戦後の親は怖い存在でなくなった。怖くないから、子供は親をなめてかかる。暴力や学校崩壊はその延長線上にあるのではないだろうか。
  犬も人間も、しつけができていないと手に負えなくなる。怖いもの知らずがいちばん怖い。「俯仰天地に恥じず」という言葉がある。お天道さまは見てござる、といった意味だが、それもしつけ次第だ。
  キャンプでは腕力や気の強さの違いがすぐわかり、強い子が弱い子をたたく心配も出てくる。私はキャンプの初めに「自分がされて嫌なことは他人にしないこと。他人をたたけば、その子は私たちスタッフにたたかれても文句言えないよね」と必ず話している。
  これを体罰と非難されても構わない。教師は人にやさしくしなさいと教えるが、強くなければやさしくはできない。寒い山中で凍えている人に自分の上着をかけてあげるのはやさしい行為だが、上着を脱いだ自分はさらなる寒さに耐えないといけない。「頑張れ」と言葉で励ますだけなら、見物人と同じである。
  アメリカ軍のサバイバルマニュアルに「サバイバルとは、それまでの手段や方法では生きていけなくなったときの術」という定義がある。私はジャングルで一人だったが、子供たちには、手を伸ばせば手をつないでくれるかもしれない仲間がいる。サバイバルのいちばんの術は、自立心と仲間・友達なのだ。
  私は今年、八十路を迎える。私の人生はすでに一回、減価償却してしまった。小学校の同級生も3分の1は戦死した。私は何かのはずみで死なずにすんだだけで、残リの人生はもうけものだと思っている。もうけは独リ占めにするのでなく、子供たちに返したい。
  松下幸之助さんは、かつて成功の秘訣を聞かれ、「成功するまで続けること」と答えた。私が子供たちに伝えたいことはこれである。

お問合せ・ご相談はこちら

受付時間
月・金 9:00~13:00/15:00~19:00
火・水・土 9:00~12:30/14:00~18:00
定休日
木曜、日曜・祝祭日

ご不明点などございましたら、お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談ください。

お電話でのお問合せはこちら

096-337-0088
対応エリア
患者さんは、熊本市内だけでなく、菊池市、菊陽町、大津町、阿蘇郡、益城町、植木町、光の森、武蔵ヶ丘、兎谷、岩倉、新地、楡木、龍田からもいらしています。

お気軽に
お問合せください

当院は予約制になっております。必ず電話または他の方法で診療時間の確認、予約の上でお出かけ下さい。

お電話でのお問合せ・ご予約

096-337-0088

<診療日・診療時間>
月・金
9:00~13:00/15:00~19:00
火・水・土
9:00~12:30/14:00~18:00
※木曜、日曜・祝祭日は除く

祭日のある週は祭日優先、木曜日も診療します。木曜日の診療時間は祭日のある曜日に合わせています。金曜日の12:00~13:00は往診に出かけている場合が多いです。

菊川歯科

住所

〒861-8003
熊本市北区楠4-3-18

診療日・診療時間

月・金
9:00~13:00/15:00~19:00
火・水・土
9:00~12:30/14:00~18:00

祭日のある週は祭日優先、木曜日も診療します。
木曜日の診療時間は祭日のある曜日に合わせています。
金曜日の12:00~13:00は往診に出かけている場合が多いです。

定休日

木曜、日曜・祝祭日

患者さんの声

患者さんからいただいたお手紙をご紹介いたします。

まゆさんからの色紙
まなみさんからの絵手紙
治療のたびに
漢詩をくださる賀数さま

来院地域

患者さんは、熊本市内だけでなく、菊池市、菊陽町、大津町、阿蘇郡、益城町、植木町、光の森、武蔵ヶ丘、兎谷、岩倉、新地、楡木、龍田からもいらしています。