嵐山光三郎さん今治に行く

  院長の故郷は四国の今治です。どんな町か嵐山光三郎さんが書いています。非常に懐かしく思いました。九州新幹線の全線開通で非常に近くなります。広島県の福山から高速バスが出ています。ま、ゴールデンウィークなど渋滞時には低速バスになりますけど。是非一度お出かけ下さい。松山も「坂の上の雲」で盛り上がっているようです。院長もゴールデンウィークに一度墓参りに帰る予定です。文中に出てくる五味鳥は院長の中学時代からすでに有名でした。埼玉県の東松山は院長の研修先でもあります。

  「ああ、焼き鳥の町よ」
2003.2.14号週刊朝日P128コンセント抜いたか!嵐山光三郎
  本州と四国をまたぐ「瀬戸内しまなみ海道」は、瀬戸内海の六つの島をつなぐ七つの橋で出来ている。島から島へピョンピョンと飛ぶ感じだ。向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島の一番近い地点を橋でつなぎ、尾道から今治へ至る。はるか昔、因島と大三島へは、船で行った記憶がある。因島は村上水軍発祥の地で水軍城がそびえ、大三島は芸予諸島の中央に位置する島で、大山祇神社がすばらしい。
  「しまなみ海道」はまだ渡ったことがない。だから、今治市の講演会に呼ばれたとき、まっさきに、来島海峡大橋を見物にいった。おりしも夕暮れどきで、瀬戸内海はほおずき色に染まり、大橋は、天空へむかう純白の虹の回廊を思わせた。そりゃ幻想的な美しさで、息をのんだ。本州と四国には三つの橋が架かっているが、一番あとに造られたこの大橋がきわだって優美である。ポーッとして見とれているうちに講演の内容をほとんど忘れてしまい、なにを話したか覚えていない。申し訳ないことをした。
  四国に関しては、以前、こんな話をきいたことがある。お金を拾うと徳島県の男はすぐ貯金してしまう。香川県の男は、もっと落ちていないかと探しに行く。高知県の男はみんな酒を飲んでしまう。愛媛県の男はそれを元手に商売をはじめる。四国男児といってもいろいろある。
  今治は愛媛県にあって、松山空港からクルマで一時間半ほどのところにある。中小企業が多く、十人のうち九人が社長だという。石を投げると社長にあたる。そのかわり部長と名のつく人はほとんどいない。
  今治市と聞いてすぐに頭に浮かぶのは高校野球とタオルである。江戸時代よリ綿業が盛んで、タオル生産は日本一だ。ところが中国産の安いタオルが出回って、一時は五百社あったのが二百社以下に減ってしまった。いまは質のよい高級タオルを作って、中国産に対抗している。あとは伊予銀行。伊予銀行は資金量が多く、地方銀行のなかで安定した優良銀行として不動の地位にある。
  講演終了後は瀬戸内海の魚料理を食べに行くつもりであった。「潮流が速い海でとれた魚は身がしまって日本一である」と教えられた。ところが案内をしてくれた伊予銀行の安永副支店長は、人のよさそうな顔をほころばして「それでは、焼き鳥屋へ行きましょう」と言うではないか。
  なんだとお。魚を自慢しておいて焼き鳥とはなにごとであるか。せんだって北海道の名寄市へ行ったときは、エビ、カニ、ウニ、イクラ、牛タン弁当とカズノコ弁当を食したのであるぞ。
  すると横にいた十河嘉彦支店長が「そうしましょう」とうなずくではないか。仕方なく、私は近くにいた謎の麗人おふたりと一緒に、トボトボとついていくことにした。支店長が連れていった店は古ぼけた「五味鳥」という焼き鳥屋であった。奥のカウンターに座るやいなや、「皮」と注文した。みんな「カワ」「カワ」「力ワ」と忍者の合言葉の如し。値段表を見ると一皿二五0円である。
  ビールを飲むうち、ブリキの皿にキャベツ三枚、たれソース、鳥皮焼きの山盛りが出てきた。この店の焼き烏は、二十ミリの鉄板に具を乗せ、それを上から鉄のアイロンで押して焼くのである。こんな焼き方ははじめて知った。
  鳥皮がきつね色にこんがりと焼け、それをソースにつけて一口食べるとカリリとした感触がよく、香ばしくて、やたらとうまく、私は椅子からずり落ちそうになった。
  支店長はフッフッとブキミに笑って、さらに「ザンキ」と注文した。慚愧とは「恥ずかしい」という意味で、「ザンキの至り」というではないか。出てきたのは鶏の唐揚げで、地元ではセンザンキという。店の人に名の由来をきくと、中国料理の軟炸鶏(エンザーチ)が今治弁になまったものらしい。これまた味が芯までしみて、噛み心地といい、香りといいべらぼうに美味で、興奮のあまり店中を駆けめぐりたくなった。これは一皿三六0円であった。
  安永副支店長は「今治は鶏肉の焼き鳥店が日本一多い町です」と言い、ドイナカさんの本を差しあげます、と黄色い本をくれた。ドイナカとはまた凄い名前であるな。
  土井中照著「やきとり天国」には「日本一の焼き鳥シティ・いまばり焼鳥とっておきガイド」と副題がついている。その本によると今治市には五十七軒の焼き鳥屋があり、人口一万人あたり四・七軒と、対人口比率では日本一なのだそうだ。豚肉では東松山が日本一。
  今治市は昔より造船業が盛んで、その部品を造る零細鉄鋼業者が多く、鉄板を使って焼くようになった。つづいてレンコン焼き、鳥貝焼きを食べたが、いずれも鉄板の根性がしみて、しぶとい味であった。五味鳥は今治の鉄板焼き鳥の元祖の店であった。鉄のアイロンで押すため、表面はカリッと硬く、なかは柔らかくてジューシーになり、脂分がぬける。
  今治は無尽という共済システムが三百以上あり、小料理屋も無尽のおかげで倒産せずに繁盛している。月賦という制度をはじめて作ったのも今治で、明治から大正にかけては漆器や磁器の行商集団が全国を廻ったという。
  立川文庫の創立者も今治で猿飛佐助は立川文庫から生まれた。タオルの生産数は減ったとはいえ、ニューヨークのタオル大会でグランプリをとった。働く女性が多く、離婚率はけっこう高い。とまあ十河支店長の話をききながら食べる焼き鳥は滋味ぶかく胃にしみるのであった。
  焼き鳥日本一、無尽日本一、猿飛佐助、月賦、タオル、造船、離婚、伊予銀行、村上水軍、丹下健三(今治出身者)、しまなみ海道、と、今治は小説のような町であった。
  しまなみ海道には自転車道があって、無料で島から島へ渡ることができる。春になったらもう一度今治へ行き、貸自転車に乗って島へ渡り、島のなかを走ろう。ああ、焼き鳥の煙が目にしみる。

(院長註:土井中照さんはペンネームだそうです。本名は田中晃さん。院長の今治西高校の先輩でした。西高24回生。ちなみに院長は西高28回生です。ここと名簿で知りました。)

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