画家の対象を見る眼

  熊谷守一先生(1880〜1977)という洋画家がおられます。院長の手元には1978年刊行の「アサヒグラフ別冊美術特集日本編11熊谷守一」があります(待合室に置いておきます)。この方の一生を追いかけるだけで相当興味深いものがあります。若い頃は写実主義で東京芸術大学の卒業制作「自画像」や文展で賞をもらった「蝋燭」などそのデッサン力のすごさに圧倒されます。晩年は抽象に変わり、その極端さは、昭和天皇がお付きの人に「子供の絵か?」とお聞きになったという逸話も残っているほどです。日本のピカソとも称されます。

  この方は文化勲章も叙勲(勲三等)も辞退されました。理由は一切の派手な事が嫌いだったからとか、これ以上自宅に人が来るようになっても困るからだとか、勲章は軍人を思い出すからきらいとか、国のために何もしてないからなどと言われております。

  97歳で亡くなりましたが、晩年の30年は一切外出せず、自宅で昆虫などを対象に作品を残されたそうです。91歳で「赤蟻」という作品を描かれました。今にも動き出しそうな蟻の絵です。蟻の足は3対6本です。熊谷先生は「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」とおっしゃったそうです。

  もちろん世界初の指摘です。どんな生物学者も昆虫学者も指摘したことはありません。むしろ画家としての視点が気付かせたのだと思います。

  六足歩行どころか四足歩行さえも完全に理解できていない院長が解説するのもなんですが、それなりに考えてみました、何でだろう。姿勢が安定するのは、三脚の理論から言えば、三本足で十分でしょう。それも左の前後2本と右の2番目のような組み合わせが1番安定するでしょう。残りの三本の内、どれが一番安定した状況で動けるかと考えると、前後に守られた左の2番目だろうというところまでは思い付きました。しかし、なんで左なのか、未だにわかりません。

  過日、テレビのグルメ番組で「タラバ蟹は下から2番目の足が一番うまい」とやっておりました。タラバ蟹は他の蟹と系統が違いヤドカリの仲間だそうで、4対8本の足を持ちますが、一番上の足は爪です。歩くのは下の6本でしょう。そうかんがえると蟻と同じよく動く下から2番目が身もしっかり詰まってうまいのでしょう。

  しかもこの2番目の足、着地の時、地面が踏ん張れる程の固さがあるかどうか測るセンサー的な役割も持っています。そう熱いお風呂に入る時のように。地盤がゆるければ、しっかりした所を捜し、置き直します。利き足的な性格を持ちます。

  熊谷先生は「私は好きで絵を描いてるんではないんです。絵を描くより遊んでいるのが一番楽しいんです。石ころ一つ、紙くず一つでも見ているとまったくあきることがありません。火を燃やせば、一日中燃していてもおもしろいんです。」という言葉を残しています。それにしても蟻を見続けて幾年ですよ。こんなすごい人には足元にも及ばないでしょうが、院長も観察を、患者さんがどう噛むか、どう食べているのか、画家の眼を持って見続けていかなくてはと思っています。

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